シーユーレター・レター
転校が決まってしまった。
そのことの仲のいい男の子に話すと、「えっ」と目を丸くしたあと、咄嗟に彼は「俺、お前のことが好きなんだ」って言う。
――そんなこと、昔から分かってた。
今更だ。
もっと早く言ってくれればよかったのに。
「もう、遅いよ」
親の都合で転校しなきゃいけない不満。友達の輪から私だけが外れなきゃいけない不満。好きな子との関係が今更進展しそうになった不満。
そのどれもに耐えられなくなって、八つ当たりみたいに、吐き捨てるようにそう言った私は彼の前から走り去る。
もう、全部どうにでもなっちゃえって感じだった。
♢
「学校に行きなさい、メグ」
「嫌。行っても意味ないもん」
朝の慌ただしい時間に出社を迫れている父が少しだけ苛立ちを込めた声で私に言う。登校拒否を始めてこの二日は母が説得に来ていたが、改善する兆しが見られないから重たい腰を上げたのだろう。
父は冷たい。から怖い。だけど、私は毅然とした意思を持ち、部屋に篭りながらあっさりと答えた。
「意味ないとはなんだ」
「だって、もう友達と仲良くしたってしょうがないじゃん。引っ越すんだし」
「勉強は必要だろう」
「ちゃんとやってるよ」
証拠として、この二日間の間にも進めた自習ノートを扉越しに投げ渡す。「メグ!」と父は苛立っていたが、私はすぐに部屋の鍵を閉め直した。
呆れたようなため息が聞こえる。
「次の学校はちゃんと通うよ。絶対に休まないから」
「……絶対だな?」
「うん。今だけ」
「〜〜〜っ。はあ……」
言葉を呑み込んだ父が引き下がるのを感じる。時計を見て、出社に間に合わないからと説得を諦めたことは分かっていた。
私は音を立てないように扉を少しだけ開け、リビングでの父と母の会話を盗み聞く。
「……やっぱり、引っ越したくないのよ、あの子は」
「仕方ないだろう。会社の都合があるんだから。それにちゃんと話し合ったはずだ。こんな田舎よりあっちのほうが都会でなんだってある。あっちに住むほうが将来的にも価値があるのは、お前も、メグも分かってるはずだろう」
「そりゃ、分かってるわよ。分かってるけど、いつも賢いあの子がこんな子どもじみた態度を取るなんてよっぽどじゃない」
「………」
「頭の納得と気持ちの納得は違うのよ。それを訴えてるんでしょう」
「……なんにしても、今だけだ。気持ちで納得するための時間だと言うなら別にそれでいい。向こうでもこんな態度をしなければ」
扉を閉める。分かってくれているのか分かってくれていないのか、正直なところ自分でも正解が分からないから、なんとも言えない。
自分が間違っている自覚はあって、この行動に両親の理解を求めるつもりもない。
当然、私も心は苦しい。
自分がどうしたらいいのか分からない。
でも、今は誰とも顔を合わせたくないのが本音で、心に生まれたその穴を間に合わせのもので補修することに必死だった。たぶん、今の私は、自分の存在理由とか、今までの意味とかを、全て無駄に感じている。日々を頑張る活力がなくなったというか。
自分のなかのスイッチが、プチっと切れてしまったのだと思う。
「嫌だな、何もかも……」
塞ぎ込むように丸くなる。
呟いた言葉はゴミ箱に吸い込まれていった。
♢
その日の夕方、母に扉をノックされた。出席しなかった子にプリントを届けに来てくれるクラスメイトの子から伝言があると。
私は母に面会拒絶の意思を伝えているはずだが、伝言の内容が「アプリのメッセージを見て」という手軽なものだったので仕方なしに目を通す。
『◯月×日、四時から、四年一組の教室でお見送り会を開催します! 河西めぐさんは絶対に出席すること! 絶対です!』
それは、どうも参加する気になれなかった。気持ちは嬉しいが、だって、そんなことをされたら、余計に悲しくなるだけだ。絶対に泣いちゃうのが分かる。絶対に、絶望しちゃうのが分かる。
メッセージはもう二件あることに気付く。一件目は『じゃないと、、』と焦らすような書き方で、二件目には衝撃的な言葉が。
『剣城くんのファーストキスは私が貰っちゃいます! 絶対に、絶対に! 参加してください!(画像付き)』
「はあ!?」
思わず飛び起きて大きな声が出た。一緒にアップされている画像には一見嫌がってそうでありながら、頬を染め、まんざらでもなさそうな顔をする剣城くんと、挑戦的なメッセージを送ってきた張本人である佐倉さんの顔がある。自撮りだ。
……沸々と怒りが湧いてくる。
これは剣城くんに対してだ。
ずっと私が好きだったくせに。この前私についに告白してくれたくせに。
呑気な顔を見てイラっとする。
佐倉さんも佐倉さんだ。当て付けなのも腹が立つし、なんで私と剣城くんが関係あることに気付いているのだろう。
剣城くんのキス事情を知っているのだろう。
私がいない三日間に、学校ではいったい何があったのだろう……。
「………」
お見送り会は、明後日だった。
でも、お見送り会なんてどうでもいい。
ただ無性に、剣城くんに腹が立って仕方なかった。
♢
翌日は午後過ぎに学校へ行った。授業を受ける気はない、クラスメイトの様子を見に行きたいだけなのに、朝から登校しては都合が悪いと判断したから、本当にそれのためだけに向かった。
教師の目を掻い潜るように当然の面をして教室へ向かう。ホームルームを終えたクラスメイトたちは明日のお見送り会の準備をしているようだった。
「佐倉さん!」
「えっ!? 河西さん!?」
飾り途中の教室に明日の主役である私が現れる。
彼女も含め、みんなが目を白黒とさせていた。気分は浮気現場に乗り込む妻のそれだった。
教室のなかには、剣城くんはいなかった。
単刀直入に迫る。
「昨日のメッセージ、どういうこと!」
「お見送り会は明日だよ!?」
「そうじゃない!」
私が怒ると、佐倉さんは「あっ、あー」と得心いったような顔を見せた。続いて、気まずそうに頬を掻いて、「ああやって書けば来てくれるかなと……」と申し訳なさそうに自白する。
「……そのためだけに書いたの? 剣城くんは? どういうつもり?」
「剣城くんには協力してもらっただけで……本当にキスするわけじゃないよ! あっ、でも明日は来てくれなきゃ困るよ!?」
「それなら、いい」
私を呼び込むための嘘の誘い文句だと分かれば、取るに足らないことだとすぐに落ち着いた。すっと収まった怒りに、佐倉さんへ言いたかったことも忘れて私は踵を返す。
剣城くんと顔を合わせるつもりはなかったから、サクッと用が済んでよかった。
教室を出る私に、戸惑った様子の佐倉さんが追いかけてくる。呼び止める気だろう。
しかし彼女が声を掛ける前に、私は足を止めた。
なぜなら目の前に――会いたくない人がいたから。
「めぐ」
「……剣城くん」
私はふっと目を逸らす。彼は先生に運ばされているプリント束を、ばさばさっと次々に落とした。
「剣城くん! 河西さんっ、明日来てくれないかも!」
「え――」
目を丸くした彼が、咄嗟に私に迫る。
肩を掴んで、揺さぶってくる。
「そ、それはダメだ! 明日、絶対来てくれ! 俺、お前に言いたいことある! 渡したいものある! じゃないと、俺悔しい! お願いだから、来てほしい!」
「………」
真剣なのは、よく伝わってきていた。
クラスメイトが、廊下にまで出てきてみんな見守っていることにも気付けていた。もしもここですげなく断ったら、彼は不憫だなと俯瞰視して思う。
私はそこまで冷酷になれなかった。
「……分かった、から」
気は乗らないが、応える。ホッとしたように二人は笑った。
なんだか私だけ、わがままを言っている子どもみたいで、不服な気持ちにさせられた。
♢
次の日は、朝から登校した。
佐倉さんは「来てくれたのね!」と感激した様子だったが、それ以外はいつも通りに進行した。全ての授業が終わり、ここで始めて特別行事として、お見送り会が開かれる。
クラス委員長の佐倉さんが改めて私が転校する旨の紹介をし、一言一言、出席番号順にクラスメイトから言葉が投げかけられる。クラスメイトとはいえ、親しくない子も当然いるから、そういう子には申し訳なく感じる。やっぱりお見送り会は中止させればよかったかも。
「最後。先ほどは飛ばした剣城健介くん」
「はい。俺は、特別に、河西めぐさんに手紙を書いてきました――」
「え……」
それは、予想外だった。
剣城くんは音読する。私との最初の思い出から、楽しかった行事の数々や、好きになった日のこと、伝えられなかった日々のこと、この前の告白の謝罪。
お別れの手紙のその内容を、クラスメイトの前で、剣城くんは全部言葉にした。
彼は涙声だった。私だって、溢れ出る涙を止められなかった。
「めぐ!」
手紙を読み終えた彼が、声を張る。私は反射的に姿勢を正した。
滲んだ視界で、起立する剣城くんと目を合わせる。
「俺、諦めたくない!」
「〜〜〜っ!」
感情が、決壊してしまいそうだった。
「父ちゃんにスマホ買ってもらったんだ! 毎日お前に連絡する! お金貯めたら、お前の街まで会いに行く! 絶対だから! だからっ――俺、これからがあるって信じてもいいよな……!?」
うん、うん。言葉にしたかった。
君のせいで、うまく喋れない。
「俺たち、もう離れ離れなわけじゃないよな!?」
「――うんっ……!」
私がなんとか声を絞り出すと、その瞬間、わあっと歓声と拍手が起こる。クラスメイトのみんなは、私が思っている以上に温かった。
お見送り会は、円満に終わった。
書き損じが多くて、下手くそな字の直筆の手紙。
私は宝物を受け取り、そして彼との絆を交換した。
心の穴は、気のせいだった。
――――――
――――
――
それから、二週間が立った。
晴々とした気持ちで迎えた新天地。私は生活する。
写真を撮る趣味を持った。
見たもの、触れたもの、新しいもの……。
引っ越したら、友達は0になると思ってた。
だけど違った。
撮った写真を共有できる友達が、恋人が、例え離れていても、そばにいるのだと私は知っているからだ。
〔了〕
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