好きになんて、なりたくなかった

『女の子同士の秘密の恋……!』

『最高に百合してる、尊い!』


 SNSでいろんな恋愛漫画を読んでいると、そんなコメントがたくさん付いているのを見かける。どれも、すごく好意的なニュアンスで書かれているのはわかっている。


 わかっているけど、わかっている。


 このコメントのほとんどが、対岸の火事を眺めているからなんだなってこと。いざ“それ”が自分の身に振りかかったら、そんな風に言えないんでしょって。


   * * * * * * *


 私──相原あいはらめぐみは、小さい頃から何となく女の子の方が気になる子だった。いろんな絵本を読んでも、アニメを観ても、母が観ていた特撮でも、女の子が好きになるのは男の子で。母が好きで結婚した父だって男の子で。

 だから私もそうなるのかなって思っていたけど、どういうわけかそうならなくて。


 最初にその『気になる』が強くなったのは、小学校で同じ委員会に入った女の子。可愛くて、明るくて、面倒見がよくて、つい自分の意見を言えなくなる私のことをいつも気にしてくれる、太陽みたいな子だった。

 それと、ちょうどその頃、女の子同士の恋愛を描いたドラマが放送されていた。いろんな障害があって、それでもまっすぐに気持ちを貫いて幸せになっていくふたりの姿は本当に輝いて見えて。私に勇気をくれるようで。


 だから、委員会の仕事でふたりだけになった日。

 意を決した私の告白は、次の日にはみんなの知るところとなった。


 ──女の子が好きなんだって

 ──うちのクラスにもいたんだね

 ──なんか怖いよね

 ──みんなも危ないんじゃない?

 ──最悪、クラブとか一緒なんだけど


 教室に入った瞬間に聞こえてくるひそひそ声。怖いもの見たさのような視線。嫌悪感を滲ませた空気。どうやら私が告白した子は、泣きながらそのことを友達に打ち明けたらしい──可哀想、酷いなんて言葉まで投げつけられた。


『そんなに女の子がいいならこいつにしとけば?』

 そう言って、服が汚くていつも俯いている、1回見たら忘れられなそうなくらいブサイクな子の隣に机を動かされたりして。それでセットにされてゲラゲラ笑われたりした。

 ツーショットを撮らされたり、身体をくっ付け合わせられたり、思い出したくないようなことまでさせられて。


 嫌だって言ったのに。

 違うって言ったのに。

 私は女の子だからじゃなくて、あの子だから好きになっただけって言ったのに。


『うるさいなぁ、それが気持ち悪いって泣かしてんだよ。やっぱどこか変なんじゃない? そういう他人の気持ち、わかんないんだね』

 私が好きになったあの子の友達で、あの子ほどじゃないけどいつも優しくしてくれていたクラス委員長から向けられた、ゴミでも見るような目。

 もう、何も言えるわけがなかった。


 その後も私の扱いはひどくなる一方で、結局私は、小学校の卒業式を自宅で迎えた。先生が募ったという寄せ書きには、一見するとわからないような書き方で酷い言葉ばかり書かれていたっけ。


 だから、私は決めたのだ。

 誰も好きにならないでいよう、と。


 私のことを誰も知らないような遠くの中学校にかよって、高校もそういうところに決めて。そうやって、ちょっと好きになりそうだなと思った気持ちも全部『友情』ということにして塗り潰して、自分の気持ちもよくわからなくなりながら、日々を過ごして。

 そんななかで出会ったのが、豊川とよかわ莉緒りおさんだった。


 莉緒さんと出会ったのは、『友情』という範囲を超えそうになってしまった同級生への気持ちを押し込めるために男の子と付き合って、その現実から逃げている最中だった。

 男の子と付き合ってみれば何かが変わるかも知れないと思って、それでも私のなかの気持ちが変わったりすることなんて全然なくて。むしろ何も感じていなかったはずの男の子に対して恐怖感まで植え付けられただけだった。


 怖くて、痛くて、違和感しかなくて。

 そんななかで、ふとどこかへ消えたくなって。そうやって積もり積もった気持ちを発散するために、通学途中に通りかかる、普段なら降りない駅の周りを歩き回っていたときだった。


 夕日が地平線の向こうに沈んで暗くなった街並みは、普段電車から見ているものとは違って見えた。灯ったネオンが怪しく揺らめいて、熱の発散場所を求めるような人たちのざわめきがぼんやりと空気を染めて、心細さを理由に、浮かされてしまいそうな熱に身を委ねたくなるような……そんな場所で。


『ねぇ君、大丈夫? なんか苦しそうだけど』


 そう声をかけてきた莉緒さんは、一目で心を奪われそうなくらいに綺麗な人だった。迷いこんだ小娘に興味なんてないと言いたげなくせにどこかねめつけるような空気を帯びたネオン街のなかで、莉緒さんだけが私を見て、ちゃんと声をかけてくれた。

 どこにも身の置き場がなくて、風にでも吹かれて消えてしまいそうな私に、ちゃんと輪郭を与えてくれるような声。


『あ……はい、えっと……、』

 ろくな答えも返せなかった私を引っ張ってくれた莉緒さんは、どうやら私と同い年らしかった。とてもそうは見えない堂々とした姿はとても頼りになって、カッコよくて……。

 気付いたら、私は彼女と頻繁に会うようになっていた。莉緒さんもどこかの学校に行っているみたいだったけど、私がその駅前に行くときはいつもいた。最初は大人っぽい莉緒さんに気後れしてばかりだったけど、だんだんそういうのもなくなって、自然と落ち合えるようになって。

 莉緒さんと会うときは、だいたい私の話ばかりだ。

 学校であった何てことないことを話したり、他の友達には言えないような悩みを相談したり……それこそ、当時付き合っていた男の子についても相談していた。


『どうしたら好きになれると思う?』

『好きになりたいの?』

『んー……好きになんなきゃって。だって、そうじゃなきゃ……よくなんないし』

『よくならない?』


 付き合っていた彼との関係は、もう相当悪かった。元々そこまで好きでもないのに、ただ小学校の頃みたいに気持ち悪がられたくないがために──同級生の女子の方を見ないように──告白に応じてしまったのもあると思う。そこからして気分を害していたんだと思う。

 それでもお互い我慢を積み重ねて、ひょっとしたらもっと関係を深められるかと思って肌を重ねて、それでも自己嫌悪や気持ち悪さが重なって、ただ息苦しさだけが増していく。


 そういうことも、莉緒さんになら言えた。

 莉緒さんは、私が本当に悩んで相談していることは茶化さず聞いてくれるし、無責任で軽い……無関心にも思えてしまうような答えを返してくることもない。一緒にいてくれるんだって信じられたし、安心できて。

 いつしか、そんな莉緒さんのことを────


「……いやだ、」

 好きになんかなってない。

 なりたくない。


『気持ち悪い』

『怖い』

『危ないんじゃない』

『どこか変なんじゃない?』


 頭のなかで、声がこだまする。

 笑い声が、罵倒が、ずっと頭のなかで響く。あの日を境に友達もいなくなって、仲がよかったはずのあの子も私の前からいなくなって──もう、あんな思いはしたくなかった。

 だから、絶対に好きになんかなっちゃいけない。


 大切な人を、好きになったら失ってしまう。

 好きになったら。

 いなくなっちゃう。

 それが怖くて、立ち尽くして。


 今日は、会うのをやめよう。

 会っても胸が苦しくなるだけだから──そう思って、いつも落ち合う駅の改札口で呆然としていた私の迷いは、「恵ちゃん?」という声で断ち切られてしまう。


「莉緒さん……?」

「ずいぶん早く来てたんだね、……顔色悪いけど、大丈夫? 今日、やめとく?」

 普段私と会うときは着替えているのか、今日の莉緒さんは制服姿だった。自分の通っているところ以外の制服はよく知らないけど、どこもなく洗練されたデザインの夏服に見えて、莉緒さんによく似合っていた。

 心配そうに見つめてくれる莉緒さんの申し出は、正直すごくありがたかった。けど、顔を見てしまったらもう遅かった。今さら帰るなんて、考えたくもなかった。

 だって、もう私は────


「また彼氏くんのこと?」

「え、」

「そんな辛そうな顔してるからさ、また何かあったのかなって。ねぇ、恵ちゃん。わたし思うんだけどさ」

 真剣な瞳は、珍しく何かを迷っているようだった。そして、莉緒さんは少しだけ間を置いてから「うち来る?」と言った。


 誰もいないアパートの部屋で、ベッドに腰かける莉緒さん。適当にくつろいで──そう言ってくれたけど、心臓が跳ねて、とてもそんな気にはなれなかった。

 黙っている私を見て、莉緒さんは「さっきの話だけど」と小さく呟く。


「思うんだよね、そんなに辛いなら、無理して好きにならなくてもいいんじゃない? そんな風に自分に嘘つくのって、凄い辛いと思うし」

 莉緒さんの目は、まるで自分自身がそうだというみたいに暗く見えた。今、私と同じ痛みを抱えている人が目の前にいる──その心強さが嬉しくて、同時に痛かった。


 こんな人を、私は好きになるのが怖くて仕方ない。

 涙がこぼれそうになる。

 辛くて、苦しくて、それでも好きになってしまって──にじむ視界のなかで莉緒さんと同じ香りの影が迫ってきて、唇が重なる。


 え?


 戸惑ったのも、一瞬だった。

 何かがはじけるように、私も彼女の唇を吸う。息ができなくなるくらいなのに、それが私にはむしろ息継ぎのようにすら思えて。

 しがみつく手に力が入る。

 莉緒さんに触れられたところが熱くなる。

 もっと、もっとと彼女が欲しくなる。


 そうやって、すっかりぼやけた頭の片隅で。

「あのときもこの顔だったら、あんな風に嫌がられなかったのかな」


 小さく聞こえた、少し寂しげな声。

 え、と聞き返す間もなくまた重ねられた唇に、絡まる舌に、繋がる汗に溺れて。


 できることなら咲かせたくなかった。

 けれど、叫ぶように咲いた花は、ただ散るまでの命を謳歌することしか知らなかった。

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