運命の人
春一番が街を駆け抜けて、高校一年も終わりが見えてきた。
とはいえあと一ヶ月は寒い旧校舎にいなければならない。
帰宅部の僕は、コンビニで買った温かいコーンスープと肉まんを手に、家の近くの公園に足を踏み入れる。
公園といっても遊具があるわけではなく、低い山の斜面に造られた小さな自然公園みたいな場所だ。
ここの
目の前に広がる太平洋を一望できる。
夕暮れの四阿で良く振ったコーンスープのプルタブを開ける。
一口コーンスープを口に流し込むと、肉まんを頬張る。
ん。美味い。
やっぱり冬といったらコーンスープと肉まんだな。
しかしこの組み合わせ、どうやらあまり人気がないらしい。
まあどうでもいい。
俺が美味いと思えればいいのだ。
肉まんを半分ほど食べたとき、背後に気配を感じた。
振り返ると……幽霊が浮いていた。
「んぎゃああああああああああああああ」
「はぎゃああああああああああああああ」
幽霊と同時に叫び声を上げて、思わず幽霊と顔を見合わせる。
女の子だ。
見た目の年齢は、僕と同じくらいか。
整った顔立ちは血色が悪くみえる。
というか、うっすら向こうの景色が透けて見える。
桜色のワンピースから伸びる足は、先に近づくにつれ薄くなって消えている。
当然か、幽霊なんだし。
しかし幽霊に足がないってのは本当なんだな。
「あ、あの」
幽霊が話しかけてきた。
「は、はい」
なるべく穏便に、冷静に返す。
「肉まんとコーンスープ、美味しいですか」
「ええ、まあ」
「ですよね! 私も好きなんです!」
えーと。
なんて答えればいいのだろう。
相手は幽霊だ。
万が一変な答えを返したら、機嫌を損ねて取り憑かれる、なんて事態も起こりかねない。
これが実際の女の子だったら嬉しいに違いない。
可愛いし、何より僕に話しかけてくれるくらいには優しい。
ま、実際そんな状況になったら上手く話せる自信はないが。
そんなこんなと、考えること約一秒。
僕がひねり出した答えは。
「デスヨネー」
だった。
当たり障りなく、否定しない、自分としてはベターな答えだと思う。
だが、幽霊の反応は僕の想定を大きく上回るものだった。
「そうなんです。私がいくら友達に薦めても理解してもらえなくて、寂しかったんですよ。いやーこんなところで同じ趣味の男子と出会えるなんて、もしかしたらこれが運命……?」
「いやキミ幽霊じゃん」
果たして幽霊にも運命が存在するのだろうか。
それにもし運命の相手だとしたら、僕は幽霊と結ばれ……
いやいや、ないないない。
想像ができない。
「なんでですかー、幽霊が運命感じたらダメな法律なんてありませんー」
その前にまず幽霊に適用される法律が無いのでは。
頭を抱える俺の正面に、女の子の幽霊がふよふよと飛んでくる。
そして、俺の顔を覗き込んでくる。
「ダメ、ですかぁ?」
──っ!
やばい、危なかった。
俺じゃなかったら即落ちして思わず「一緒のお墓に入ろう」などと口走っていたかもしれない。
それくらいに幽霊女子の上目遣いには破壊力があった。
しかし、だ。
「……ダメ以前の問題だろうが」
「えー、ケチですねぇ」
そういう問題でもない。
たしかに目の前の幽霊女子は可愛い。
話しやすいし、性格も明るいだろう。
だが。
肌は病的なまでに白く透き通って……実際ちょっと透けてる。
制服の胸元を押し上げる膨らみは手を伸ばしたら……たぶんすり抜けるな。
スラリと伸びたであろう足はつま先に向かってグラデーションとなって消えている。
つまり、この世の女の子ではない。
その時点で恋愛対象ではないと言える。
そう思うと、この子は若くして命を落としてしまったのだろう。
恋愛対象ではないが、話し相手にはなれる。
「ま、ここで話をするくらいなら」
「本当ですか! 私、霊体になってから寂しくて寂しくて……」
「それくらいならいいけど、ひとつお願いがある」
「なんですか、まさかエッチなお願いですか。お触りは無理ですよ」
うん。まあ、幽霊だし。
「できたら、その、呪いとかやめてもらえたら」
「なーんだ、そんなことですか。大丈夫です。私まだ新人幽霊なんで」
なるほど、幽霊にもキャリアとか序列とかあるんだな。
「ならいい。また明日、来るから」
「絶対ですよー、来なかったら化けて出ますよー」
化けて出てるのは現在進行形だろうが。
俺が公園を出るまで、幽霊女子は手をブンブンと振っていた。
幽霊女子と公園で会うようになって数日。
いろいろと発見があった。
どうやら幽霊女子は、俺にしか見えないらしい。
会話ができるのも、俺だけ。
幽霊女子いわく波長がどうのとか言っていたが、オカルト趣味のない俺には理解できなかった。
幽霊女子との会話は楽しくて、何度もこれが実体の女の子だったら、と思わずにはいられなかった。
しかし、そんな日常はあっけなく消えるのだ。
幽霊だけに。
「私、消えるかもしれません」
「……理由を聞いても?」
「足が、少しずつ消えてきてるんです」
俺は、絶句した。
脳裏によぎるのは、成仏という言葉。
もし成仏できるのなら、幽霊女子にとってはその方が救いになるのかもしれない。
考えた俺は、ある提案をする。
「俺に、憑依というか、乗り移れないか?」
「できると思いますよ。ネコちゃんにはできましたから」
ネコか。
まあネコも人間も哺乳類だ。
確証はないが、大丈夫だろう。
「なら、明日」
「明日……なんですか」
「明日、コーンスープと肉まんを買ってくる。おまえは俺に乗り移って、それを食ってくれ」
「いいんですか」
「正直怖い。でも、食べたかったんだろ」
「それはそうです、けど」
俺は、不安げに見上げてくる幽霊女子を置いて、立ち上がる。
「なら決まりだ。明日、買ってくるから」
翌日、幽霊女子は現れなかった。
春が来て、桜が咲いた。
毎日訪れている公園のソメイヨシノは満開で、風が吹くと花弁が舞っている。
あれから俺は、毎日この公園の中を走って幽霊女子を探した。
けれど、姿を現すことはなかった。
成仏してしまったのだろうか。
いや、彼女にとってはそれが一番良かったのだろう。
しかし、もうあの笑顔には会えない。
あどけなく、時にあざとい彼女の笑顔は、俺の脳裏だけに強く残っている。
笑えない。幽霊相手に恋なんて。
今日も探し回って、今はコンビニの肉まんを食べながら例の四阿あずまやで休んでいた。
今日の飲み物は、ペットボトルのお茶。
コーンスープ以外に、肉まんに合う飲み物が思いつかなかった。
サクサクと、土を踏む足音が背後から聞こえた。
条件反射で振り向くと。
「私、入院してたんです」
聴き覚えのある、聴きたかった声だ。
でも、まさか、いや、しかし。
「お医者さんが言ってました。ずっと意識がなかったって」
歩いてくるのは、淡い桜色のワンピース姿の女の子だ。
「死ぬ寸前だったから、幽霊になっていたんですかね」
あどけなく笑うその女の子の顔を、俺は見つめてしまう。
「未練があったから、死ななかったんですかね」
目の前まで来た女の子は、幽霊だった時と同じ笑顔だ。
手に持ったままの肉まんとペットボトルのお茶を見た女の子は、あざとい笑みを浮かべて人差し指を立てる。
「あれれ、コーンスープじゃないんですね」
「もう売ってなかったんだよ。暖かくなったから」
「ふむ、なるほどなるほど」
女の子は前屈みになって、俺の顔に近づく。
「じゃあ教えてあげます」
女の子は、俺の手の肉まんをパクっと一口食べて、ペットボトルを取り出した。
「肉まんには、コーラも合うんですよ」
女の子はコーラを飲んだ。
その光景が夢のようで、俺はふわふわしてしまう。
「なんで」
「ん? 何がですか?」
「なんで、いなくなった。なんで、来てくれたんだ」
絞るように発した言葉に、女の子はあざとく微笑む。
この笑みだ。
俺が見たかった、笑顔だ。
「まあ、詳しく話すと長くなりますから。とりあえずはコンビニに行きましょ」
「え」
「肉まんを買って、一緒に食べるんですよ。そのために来たんですから」
俺は女の子に引っ張られて立ち上がる。
ちゃんと掴まれている。幽霊じゃない。
じわじわと実感が湧いてくる。
夢じゃない。
あの子に、生きているあの子に、会えた。
「行きますよ、運命の人」
「引っ張るな、運命の人」
その時の俺たちは、互いに名前を知らないことも忘れていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます