〈初恋〉三番はあなた

 初恋は小学四年生のとき。

 同じクラスの渋滝しぶたきつばさくんを好きになった。明るくて、カッコよくて、人気者で、女子にモテモテだった。

 告白するつもりはなかった。翼くんとの接点なんて掃除の班が同じってだけだったし、向こうは私のことをなんとも思ってないって分かってたから。

 だから、掃除中に突然「好きな人いる?」って訊かれたときは驚いた。

「いるけど……」

「じゃあ教えてよ。俺も教えるから」

 私は掃除の時間が終わるまでゴネた末に、翼くんを指差した。顔が耳まで熱くて、心臓がバクバクうるさかった。

 びっくりされるかと思ったけど、翼くんはいたって冷静だった。

「俺の好きな人は平井ひらいに訊いて」

「え。なんで自分で言わないの?」

「だって恥ずかしいし」

 翼くんはそそくさと教室に帰ってしまった。

 平井さんは翼くんの幼なじみの女の子。クラスのリーダー的存在で、物静かでシャイな私とは正反対のタイプだった。

「幼なじみだから、好きな人が誰なのかも知ってるのかな?」

 当時の私は深くは考えず、言われたまま平井さんに「翼くんの好きな人って誰?」とたず

ねた。

 すると、平井さんは慣れた口調で、こう返してきた。

「一番は私、二番は二三ふみ、三番はあなた」

「えっ!」

 心の底から驚いた。

 一番が平井さんなのは分かっていた。だって、二人は幼なじみだから。

 二番が、平井さんの友達の舟橋ふなばし二三さんなのも納得がいく。平井さんの次に目立つタイプで、可愛くて、男子にモテモテだから。

 ……三番が私なのは予想外だった。あの平井さんと舟橋さんと並んで、三番。

(私、翼くんと両想いだったんだ!)

 たとえ、三番でも嬉しかった。

 それにいつか、私を一番に選んでくれる日が来るかもしれない。


 その日は一日中舞い上がっていた。

 だけど帰りぎわ、隣の席の日向ひゅうがくんが申し訳なさそうに教えてくれた。

「平井さんが言ってたこと、真に受けないほうがいいよ。あれ、みんなに言ってるから」

「みんなって?」

「渋滝くんに告白した女の子、みんな」

 日向くんは、私と翼くん、私と平井さんとのやりとりを全部見ていたらしい。そういえば、日向くんも私と翼くんと同じ掃除の班だった。

「翼くんが三番目に私のことが好きって、平井さんがみんなに言いふらしてるってこと?」

「そうじゃないよ。平井さんは"あなた"って言っていただろう? 告白してきた子全員に"三番はあなた"って言っているんだよ」

 ……舞い上がっていた気持ちが急降下し、地面へと叩きつけられた。

 日向くんは四年生になったばかりの頃、翼くんと平井さんのこんなやり取りを見てしまったらしい。

「モテるってつれー! 告白断るのも、好きな人誰ー? って訊かれるのもめんどくさ」

「そんなのテキトーでいいじゃん」

「だって、みんなから嫌われたくねーし。俺、クラスの人気者だから。平井、お前が代わりに答えといてくれよ。俺のカノジョだろ?」

「も、もう! しょうがないなぁ! で、何て答えればいいの?」

「そうだな……俺が断った後に、"好きなやつ教える"っつってお前を紹介するから、一番はお前、二番は舟橋、三番はそれを訊いてきたやつ、って答えといて」

「三番が訊いてきた子? 一番でも二番でもなくて?」

「お前いるのに一番選ぶわけねーじゃん。あの舟橋も外せねーし。三番だったら信じそうじゃね?」

「たしかに! ビミョーな順位だし、周りにも言わなさそー!」

 ……信じたくなかった。あの翼くんと平井さんが、そんなひどい人達だったなんて。

 でも実際、平井さんは「三番はあなた」って言った。「あなた」とは言ったけど、私の名前は言わなかった。同じクラスなんだから、名前くらい知っているはずなのに。

 あれは、用意されていたセリフだったんだ。「告白を断りたいけど、嫌われたくもない」という、翼くんのワガママから生まれたセリフ。名前を言わなかったのは、うっかり他の子の名前を出さないためだ。

 いったい、何人の女の子が騙されたんだろうか? きっとみんな、私と同じように浮かれて、「いつか一番に選んでくれるかもしれない」と夢見ている。そんな日は一生来ないのに。


 夢から覚めた私は、翼くんへの気持ちがすっかり失せてしまった。

 日向くんは「余計なこと言ってごめん」と何度も謝っていたけど、おかげで本当のことを知れたから、むしろ感謝している。

 その後、翼くんは五年生に上がるタイミングで転校した。あの日以来ほとんど会話はなく、私から声をかけることもなかった。


   △


 あの苦い初恋以降、私は恋ができなくなった。

 「いいな」と思う人が現れても、悪い意味で翼くんのことを思い出してしまう。カップルを見ると、翼くんと平井さんに重ねてしまう。学年が上がるごとにカップルは増え、毎日が地獄と化した。

 だから、「恋なんてしなくても死なない」と自分に言い聞かせ、今日まで生きてきた。平井さんも舟橋さんも別の高校だし、翼くんにいたっては今どこにいるのかも分からない。このまま、過去の出来事として忘れられたら……そう願っていたのに。

「よぉ、天月あまつき久しぶりー! お前、俺のこと好きだったよな? 今フリーだから付き合ってやってもいいぜ!」

 まさか高校生になった今、翼くん本人と再会するとは思わなかった。学校からの帰り道に、ばったり出くわしたのだ。

 この数年で何があったのか、翼くんはチャラいデブの不良に成り果てていた。唯一の取り柄だった顔も、脂肪で醜く埋まっている。会ったら無視すると決めてはいたけど、顔が変わり過ぎて無視することになるとは思わなかった。

「……へー。内面が外見に出るって本当だったんだ。今のほうが、あんたらしいわ」

「それ、褒めてる?」

「最初からそれだったら、好きになんかならなかったって意味! なぁにが三番はあなた、よ! あんたも平井さんも、何様のつもり?! 私、全部知ってるんだからね?!」

「む、昔のことだろ? よく覚えてねーけど!」

 私は翼くんに積年の恨みをぶつけた。あの頃は言えなかった、本音を。

 翼くんも自分がしたことを覚えていたのか、目が泳いでいた。

「そんなことより、俺と付き合うのか?! 付き合わないのか?!」

「論外! 今すぐ消えて!」

 私は翼くんを振り切ろうと、走る。翼くんは「本当に三番目に好きだった」とか「連絡先だけでも交換しない?」とか、しつこく追いかけてくる。

 後から聞いた話によると、翼くんは転校先の学校に馴染めず、グレて不良になったらしい。ガラの悪い連中とつるんで好き放題していたけど、金に困り、片っ端から知り合いを訪ねて回っていたとか。私のところに来たのも、それが理由だった。

 ただでさえ黒歴史だった初恋の記憶が、さらにどす黒く汚れ、醜く歪んでいく。本当に、本当に……恋なんてするんじゃなかった。


   △


「あれ? 渋滝くん、久しぶり」

 クラスメイトの男子が通りかかった。

 翼くんが「誰?」と足を止める。私が目で助けを訴えると、彼は小さくうなずいた。

「ひどいなぁ。四年生まで同じ小学校にかよっていたじゃないか」

「いや、分からん分からん。マジで誰?」

 私は隙を見て、逃げる。翼くんは追いかけたそうにしていたけど、クラスメイトの男子が上手く足止めしてくれた。

 翌日、あのクラスメイトがとなりの席にいた。

「席、となりだったんだ」

「そうだよ。気づかなかった?」

「全然」

 探す手間が省けた。私は彼にお礼を言った。

「昨日はありがとう。えっと……」

「日向だよ。日向聖斗まさと

「日向くんね。ほんと、ごめんね。他人の名前覚えるの苦手でさ」

「気にしないで。僕、影が薄いってよく言われるから。好きな子にも名前覚えてもらえないんだ」

「えー! 誰よ、その女!」

 日向くんは寂しげに笑った。


   △


 日向の初恋は小学四年生のとき。

 同じクラスの天月優子ゆうこを好きになった。物静かで思いやりにあふれた、素敵な女の子だった。

 しかし、彼女には好きな人がいた。内気で影が薄い日向とは正反対の、明るくてカッコよくて人気者で女子にモテモテの男子。

 日向は「天月さんのためなら」と身を引いた。だが、相手の男子は思いやりのカケラもない、クソ野郎だった。日向は良かれと思い、天月に彼の秘密を話した。

 ところが、天月はそれがキッカケで恋ができなくなってしまった。日向は責任を感じ、彼女を見守りつつも、極力関わらないようになった。

 「いつか天月さんが恋をしたら、どんな人でも応援したい」と、中学と高校は同じ学校に進んだ。何人かいい人はいたが、恋愛にまでは発展しなかった。


 ある日の帰り道、天月がチャラいデブの不良に絡まれているのを目撃した。「なんか、渋滝くんに似てるな」と思ったら、本人だった。

 渋滝は過去に自分がしでかしたことを反省しないまま、天月と付き合おうとしていた。天月にその気はないようで、今にも泣き出しそうな顔で怒っていた。

 日向は偶然を装い、助けに入った。

「あれ? 渋滝くん、久しぶり」

「誰?」

 渋滝は日向のことを覚えていなかった。時間を稼ぐためにあえて名乗らず、天月を逃した。

「立ち話もなんだし、そこの喫茶店で話さない?」

「は? あそこ、喫茶店じゃなくて交番……」

「ね、行こうよ。お茶くらいは出してくれると思うよ? それとも、また天月さんを泣かせるつもり?」

「! お前、本当に誰だ?」

 動揺する渋滝を、強引に交番へ連れて行く。日向は自分が思っている以上に、渋滝に怒っていた。


 翌日、学校で天月にお礼を言われた。

 彼女は日向の名前も、席がとなりであることも、小学四年生からずっと同じクラスなことも知らなかった。

 だが、日向は「それでいい」と思った。

(僕が余計なことを言ったばかりに、天月さんは恋愛ができなくなった。これは当然の報いだ)


 天月は外を眺め、日向は天月の横顔を見つめる。天月が振り返ることも、日向が声をかけることもない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る