第20話 旅立ちの父は物語を託す

 ―― 10年前 中原幹人


 先輩からの電話を受け、はじめてその子に出逢った時、俺と京子は驚愕した。普通の六歳の子供と比べて静かすぎるのだ。まるで中身のない人形のように、達也には記憶と感情が抜け落ちていた。


 しかし


 前の年、俺たちの息子は死んだ。ずっと入院していて何も話せなかった俺達の息子と比べると達也は同じだった。息子が元気な体で帰って来たように、愛おしさが募る。


 一方で妹は寝たきりの重症だった。こちらは僅かに話す事も出来たが、死んだ息子に代わり今度こそは助けてやりたいと願った。

 


 達也と一緒に過ごして、このままではいけないと思った。


 この子は記憶や感情の一切を持っていない。個性も無ければアイデンティティもない。産まれたての赤ん坊ともまた違っていた。完全なる無とは、こういうものかと思った。


 俺達夫婦はこの子を普通の子供に戻そうと決意した。


 ありとあらゆる方法で俺達の愛を注いだ。


 ―― 4年が経過した。

 

 10歳の達也は愛を知り育ち、ようやく幼稚園児くらいまでの知能に成長した。相変わらず鈍感だが、ゆっくりと他人の感情を模倣するようになった。冗談などは通じずらく、言われた事をそのまま受け止めてしまい苦労する事もあった。


 瑠衣の方の病状は最悪で毎日苦しそうにしていた。

 達也も瑠衣も、もう手放せないくらいに俺たちの子供だった。

 

 そんな時、俺と京子は覚醒した。

 

 天の助けだと思った。


 京子のスキルは、【 贈り物ギフト】自分や他人の寿命を使い対象に魔力分の生命力を与えるという特別なものだった。そして、俺のスキルはギフトと相性の良い、魔力を増幅させる【魔力ブースト】だった。


 俺と京子は瑠衣に生命力を与え続けた。ただし、このスキルは等価の交換ではなく、明らかに俺たちの寿命の方が多く減り続けた。

 

 毎日、過剰な魔力を消耗する俺は京子以上に消耗しまともに動けなくなった。


 だが、達也と瑠衣の為なら苦しくても乗り越えられる。



 ―― それから歳月は流れ

 京子が恐ろしい事に気づいてしまう。

 

「達也は私たちを本当の両親だと思っているわ。このままじゃいけないから、本当の両親について話したけど、聞く耳も持たなかった。」

「6歳で記憶を無くした達也は、見た目以上に子供なんだ。受け入れられないことだってある。」

「そういう意味じゃないのよ。私達が居なくなったら、あの子が耐えられると思う? せっかく妹を思う心が少しずつ芽生えてきたの。私達の命を妹に捧げている事がバレたらどうなるの?」


 瑠衣の体調が少しずつ回復してきている矢先だった。たった二人だけの兄妹。俺たちの大切な子供の将来を考えた。

 

 この調子だと俺たちはあと何年持つか分からない。徹底的に教育し、俺たちの事も嫌いになって貰う。何より第一に兄妹の本当の絆を取り戻させる。


「達也。……俺の事が好きか。」

「大好きだよ。父さん。」

 

 許してくれ達也。こんな事でしか愛せない父さんでごめん。

 

「父さんじゃねー……俺はお前の父さんじゃねー。俺はお前の父親の知り合いでお前とは他人だ。」


 本当にごめんなあ。


 スキルを使うよりも苦しかった。慣れもしないし、ずっとその苦しみが続いた。達也の幸せを願った。それからは、俺たちがいない世界で立派に生きていけるように厳しく育てた。


 それなのに達也は、いつも素直に優しさで応えてくれた。

 抱きしめたい気持ちを何度も抑えては、罪悪感は自分の使命なのだと思いとどまる。

 

 

―― 魔力欠乏と寿命の喪失で、俺は完全にニートになる。

 

 瑠衣の体調が少しずつ回復して話せるくらいまで回復した。

 俺は達也と京子に瑠衣の勉強を見るように指示する。瑠衣も少しずつ成長を始める。京子には魔力がなくなるまでの【 贈り物ギフト】を使わせなくなった。


 


 ―― 三年前、達也が覚醒した。


 その頃、義兄さんからの仕送りが途絶えていた。貯金を切り崩しながらの生活を始める。

 

 瑠衣の見舞いに来た高杉から、瑠衣の持つスキルを聞き達也は冒険者になると言い出した。どんな形であれ達也の夢を応援することは、私の生きがいに等しい。だが、鑑定結果が良くなかった。絶対に死んで欲しくはない。


「お前は運び屋にしかなれねえ。装備がないと死ぬかもしれねーな。……おい京子。」

「ちょうどパチンコで大勝ちしたんだ。これで好きな物でも買いな。」


 高杉を呼び出した。

 俺たちに残された時間はあと数年しかないと感じていた。

 

「……という訳なんだ。俺たちに何かあったら達也の事をよろしく頼む。」

 

「幹人先輩。俺は悔しいです。……なんでこうなるまで……今まで黙っていたんですかっ! 言ってくれたらいくらでもサポート出来たんですよっ!!」

 

「それじゃ駄目なんだ。これは俺たちだけの役目なんだよ。義兄さんに頼まれて始まったけど、夢を見ちまった。達也と瑠衣はとっくに俺たちの子なんだって。」

 

「だからってわざわざ嫌われて、何考えてんすか! 嫌われたら意味ないでしょ。」

 

「アイツは俺たちが居ないと駄目な子だった。今は立派に自分の足で、あんな若さで妹の為に働くって……。俺たちはもう役目を終えた。絶対に言うなよ。アイツは今でもまっすぐに俺たちを愛してる。本当の事を知ってしまったら耐えられないんだよ。」

 

「馬鹿だよ。幹人先輩。絶対に間違ってる。だけど、心の底から信頼出来る先輩です。任せてください。秘密を隠したまま達也の事は俺が何とかします。大丈夫。瑠美があと少しだと言っていたんです。」

 

 


―― 1週間前


 

「高杉。もう俺の寿命は長くない。どうにかして、達也を俺たちから引き離してくれ。」


 

 


―― 昨日


 体がだるい。視力も落ちて達也の顔がハッキリと見えない。 


 「叔父さん。叔母さん。今まで本当にお世話になりました。」

 

「ふんっ。自分から出ていくなら、義兄さんからの養育費はこっちで貰うからな。」


 最後まで嫌な奴で、ごめんな達也。お前の笑顔が、私の力の源だった。

 

「あんた。それは当たり前でしょ。これまでだって他人を育ててやってたんだ。」


 京子も付き合わせちゃってごめん。お前はまだもう少し時間があるのに。

 

「本当にありがとうございます。お二人には感謝の気持ちしかありません。」


 ああ。本当にこの子はなんて優しい子に育ったんだ。達也と出逢えて俺はとても幸せだった。お前の成長をずっと見ていたかった。……なのに本当にごめん。

 

「このガキッ。最後までいい子ブリやがって。こっちはお前達に払うべき金で生活してんだよ。文句くらい言え。気持ち悪ぃーな。」

 

「最後に小遣いでも置いてきなよ。これからパチンコに行けなくなるだろ。」


 ギャンブルなんてやった事ないだろ。お前は俺の分まで働いてくれて、本当に苦労をかけた。

 

「やめろ京子。もう本当に他人なんだ。最後のケジメだ。金輪際、関わらねー方が良い。」


 これで最後だ。ごめんな。もう立っているのも辛いんだ。俺のいない世界で瑠衣と一緒に自分の足で幸せを見つけて欲しい。


「そんな事は言わないでください。お金は払いますし、顔くらい、いつでも見せに来ますよ。」


 ありがとう。その言葉だけで俺の人生は全て報われる。

 

「大嫌いなんだよ。二度と目の前に現れるな。だが、そうだな。夢見が悪いから餞別でも渡してやれ。」


 愛してるよ。達也。いなくなってもずっと。

 

「そうだね。ムカつくけど。手切れ金だと思ったらそっちの方が良いわね。……あんた、金目のもんなんてないよ。」

「仕方ねー。結婚記念日のあれ出せ。こいつには何の価値もないと思うが、会いに来られるよりはマシだ。」


 俺たち二人の写真が入ったネックレスだ。俺たちは消えるけど、もし寂しくなったらどうかそれで我慢してくれ。愛を込めて贈ります。


 京子が名残惜しそうに最後の時間に震えている。そんな京子を達也が抱きしめてくれた。ありがとな。達也。京子。


「達也。二度と帰って来ないでよ。あんたと私達はこれで本当に……他人だ。……分かってるよ。どうせ私達の事なんて嫌いだろ。私達もあんたが大嫌いだ。」


 京子が堪えきれずに、気持ちは同じだって伝えている。可哀想な京子。お前まで巻き込んで本当にごめんな。

 

「……嫌いになんてなれません。……最初からずっと大好きです。……お父さん! お母さん! そばにいてくれて、育ててくれて、ありがとうございました。……さようなら。」


 そこには俺がずっと聞きたかった懐かしい響きがあった。これまで何度も夢見てきた言葉だ。まだ俺のことを父さんて言ってくれるんだな。ありがとう達也。お前に出逢えて、俺は世界一の幸せものだよ。

 

「グッ。親なんかじゃねー。こっからは一切干渉しないからなっ! お前等兄妹はこの世で二人だけだ!! せいぜい瑠衣を守る事だな。行くぞ京子。」 

「か……ぅん。」


 達也はどんな顔をしていたんだろう。もうぼんやりとしか見えなかった。瑠衣を守れるのはお前だけだ。絶対に二人で幸せになるんだぞ。


 愛する俺の息子よ。もっともっとその成長を見守りたかった。


 誰よりも強く優しく、愛を持ち愛を与え、みんなを救う英雄になるんだぞ。


 それがお前が繋いでいく俺たちの物語だ。

 


「ありがとうございましたっ!」




 京子が玄関のドアを閉めると、俺達は声を押し殺して、その場に泣き崩れた。


 しばらく足音が消えるのを待つ。


「京子。俺たちの息子。本当に立派に育ったなあ。」

 

「ええ。あなたに似て本当に強い子です。」

 

「優しくて我慢強い所はお前にとても似てるよ。」

 

「あなた。ありがとう。私に二度目の子供を育てるチャンスをくれて。達也や瑠衣に出逢えて、こんな私でも生きる意味を感じられた。とても幸せでした。この思い出は何ものにも変え難い宝です。」

 

 肩の荷が降りた気がした。張り詰めていた緊張の糸が切れた。眠い。ギリギリだったのか。思ったより早く……。

 

「京子を選んで……良かった。……一緒に歩めて良かった。あなたは最高のパートナーでした。きょ……うこ……あい……し…………てる。」


「……幹人さん……幹人さん。」







 



 ――現在 高杉直人


 

 昨日、先輩の中原幹人が死んだ。安らかな死に顔だった。彼は俺の同級生の旦那さんの知り合いで、馬が合い昔は可愛がって貰っていた。


 彼はとても優しく愛に溢れる男だった。


 先輩の死は俺に深い後悔を抱かせる。彼の生き方を尊重していたが、自分にはどうしても納得することが出来なかった。彼の大きな愛に圧倒され、俺には何も出来なかった。

 

 全て無駄になるかもしれない。お節介だとも分かっていたが、先輩の意図を達也に伝えられずにいられなくなった。達也を呼び出し横暴な態度で接し、それが愛であると伝えた。


 しかし、達也は俺が言うよりも先にその意図に気付いていた。自分の浅はかさを愚かに思う。ましてや、全ての想いを無駄にする所だった。


 先輩の深い愛情が達也に受け継がれている事を知ると、涙が堪えきれなくなった。俺は話を切り上げ奥の倉庫に逃げ込んだ。


 そして、泣き伏す。

 

「先輩……大変だったよね。辛かったよね。あんたはやっぱり最高の男だよ……これからは安らかに眠ってください。素直な愛で見守ってやってください。後のことは俺に任せて……俺が必ず……。」

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