時超える永遠の愛、精霊は歌う。

下東 良雄

永遠の祈り

 夜の静寂しじまに光が満ちる

 星の大河たいがが流れ行く

 あふれた星屑満ちこぼ

 夜がこの地に墜ちてくる


 鏡のような湖上の水面みなも

 墜ちし星屑水面みなもを滑り

 私の前で踊り出す

 ほのかに光る星屑が

 私の前で踊り出す


 鏡のような湖上の水面みなも

 月の光が水面みなもを映し

 銀の小舟が浮かび出る

 星屑たちに誘われて

 銀の小舟が浮かび出る


 鏡のような湖上の水面みなも

 時の流れに水面みなもも流れ

 小舟に乗った私は歌う

 永遠の愛を歌に乗せ

 涙をぬぐって私は歌う


 永遠の愛を歌に乗せ

 貴方を想って私は歌う



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「親父さん、ちょっといいですか?」

「くつろいでいるところ、ゴメンね」


 深夜、森の中にある一軒の小さな宿屋。

 一階の食堂でパイプをくゆらせていた口の周りにひげを蓄えた年配の男性・宿屋の主人に、エルフの男性とドワーフの女性が声を掛けた。


 前衛として戦斧を振るうドワーフの女性・ガズラと、弓矢と魔法で彼女を援護するエルフの男性・シンのコンビ。冒険の準備に手間取り、街を出発するのが遅れたふたりは、目的地まで近道となる森を走る街道を進むことにしたが、日暮れまでに森を抜けることができず、難儀している時に偶然見つけたこの宿屋へ飛び込んだ。

 小さな宿でも中は明るく清潔で、森の幸たっぷりの食事も最高だった。幸せな気分でベッドに潜り込んだふたりだったのだが――


「おや、どうされましたか?」

「それが……その……」


 何やらはっきりしないシンの言葉を遮るように、ガズラが前に出る。


「ホントにかすかにだけど、何だか外から歌が聞こえるんだよね。女性の声で」

「ゆ、幽霊ですか……?」


 小柄だけど筋肉質でがっしりした体型のガズラの影に隠れるようにしている長身で細身なシン。

 そんなシンの姿に、ハッと呆れるガズラ。


「ご覧の通り、連れがビビっちゃってね。私の部屋に来て、ベッドで私にしがみついてきちゃってさ」

「うー……情けなくてゴメン……」

「ハイ、ハイ。今夜は一緒に寝てやっから。ママの代わりに私のオッパイ吸いまちゅか?」

「ボ、ボクは赤ちゃんじゃない!」


 顔を真っ赤にしたシンを見て、大笑いするガズラ。

 宿屋の主人もそんなふたりを見て優しく微笑んでいた。

 ふたりは現状の分析を続ける。


「私は全然嫌な感じはしないし、敵意も感じないからゴーストとかのアンデッド(幽霊・悪霊などの死を超越した魔物の総称)ではないと思う」

「ボ、ボクには、歌い手の嬉しい思いや悲しい思いが伝わってきて……」

「シンがそんな風に感じるってことは、歌に魔力がこもっているってことか?」

「い、いや……こもっているというか……歌が魔力そのものなんだ……」

「魔力そのもの?」

「誰かを攻撃するとか、苦しめるとか、そういう感じではないんだけど……」

「う〜ん……親父さんは何だか分かりますか?」


 宿屋の主人は、少し寂しげに微笑んだ。


「今、ハーブティでも入れるから、ちょっと待ってな」


 食堂の椅子に腰掛けるふたり。

 しばらくして、暖かなハーブティを宿屋の主人が持ってきてくれた。


「はい、どうぞ。お代はいらないよ」

「すみません、急に押しかけて、お茶までご馳走になってしまって……」

「あぁ、ハーブティのいい香りがボクの心を癒やしてくれる……」


 宿屋の主人もハーブティを一口すすり、木製のカップをテーブルに置いた。


「おふたりが聞いた歌だが、アンデッドなどではない。近くの湖で精霊が歌っているんじゃ」

「精霊!? お伽噺じゃないんだから、そんなものは……」

「いるんじゃよ、実際に」


 シンは驚く。精霊は、エルフの間でも子ども向けのお伽噺に出てくるものであり、実際に存在するなどという話は初めて聞いたからだ。


「ふむ……それでは、ちょっと昔話をしようか。この地に伝わる昔話だ」


 宿屋の主人は、ゆっくりと語り始めた。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 その昔、この森にはひとりの男が住んでいた。

 男の名前はクリフ。赤髪のひょろっとした優男やさおとこだったが、木工細工師としての腕は確かで、女性向けの髪留めやコサージュを作って生計を立てていた。宝石や貴金属がついているようなものはお貴族様でもなければとても買えないが、クリフの手で彫られた美しい木彫りのアクセサリーは価格も手頃で温かみもあり、特に花柄模様の髪留めや、生花と見間違えるほどの花のコサージュは庶民の女性たちにとても愛されていた。


 そんなクリフが森の奥の小さな湖のほとりを散歩している時、湖で水浴びをしているひとりの美しい女性と出会った。もちろんふたりとも驚き、クリフは謝りながらその場から慌てて逃げ出した。

 翌日、クリフはもう一度湖に向かった。女性がまだいれば、きちんと謝りたいと考えていたのだ。そして、その女性と出会うことができた。輝くような長い金髪に、透き通るような白い肌。淡いブルーの衣を羽織り、その美しさは人間離れしていたという。クリフはお詫びとして、自分がこれまで作った中でも一番の自信作だった白いユリの花のコサージュをプレゼントした。その緻密な彫刻によって、まるで甘い香りまで漂ってきそうなコサージュを女性はたいへん喜んだ。


 女性の名前はスカルド。精霊だった。

 こうして人間と精霊とは出会った……いや、出会ってしまったのだ。


 それからというもの湖のほとりで、森の中で、クリフの家で、ふたりは仲を深めていく。やがてそれは恋慕へと変わり、ふたりは愛し合うようになった。スカルドは胸に白いユリのコサージュを必ず身につけ、クリフのそばを片時も離れることはなかった。


 だが、それは精霊にとって大罪。

 人間を愛するなど、精霊にとっては許されないことなのだ。


 この状況を知った精霊の女王は激怒した。

 古き時代から森の中にあった精霊界につながる異界の門からは、スカルドを連れ戻すべく精霊の兵隊たちがやってきた。クリフとスカルドに抗うすべはなく、スカルドは兵隊たちに連れて行かれてしまう。

 引き離されるその時にふたりは誓いを交わした。


『あなたを永遠に愛し続ける』


 ふたりの叫びが森にこだました。


 精霊界に連れ戻されたスカルドは、白いユリのコサージュを取り上げられ、そのまま牢獄へと入れられた。その後、何日も、何週間も、牢獄に響き続けるスカルドの嘆き。

 しかし、一ヶ月もするとスカルドは釈放された。そうなればやることはひとつ。もう一度異界の門をくぐって人間界へ向かい、愛するクリフの元へ。この時、なぜかスカルドを止める精霊はいなかった。


 異界の門をくぐって、森の中へ。そのまま足早にクリフの家へ向かう。もうすぐクリフに会えると、スカルドの胸は踊った。


 しかし――


 そこには朽ち果てた廃屋しかなかった。

 廃屋を前に身動きの取れないスカルド。

 そして、スカルドは見つけてしまう。

 薄汚れて苔生こけむした小さな石の墓標を。


『クリフ』


 墓標に刻まれ消えかけた名前。

 スカルドは墓標を抱き締め、泣き崩れた。


 この時、人間界ではすでに百五十年の時が経過していた。時流れの罰。牢獄の中は時間の流れが大きく違っていたのだ。スカルドが異界の門をくぐることをどの精霊も止めなかったのは、スカルドに現実を直視させて、人間を愛することを諦めさせるという女王の考えによるものだった。


 涙が枯れるほど泣き続けたスカルドは思い出す。クリフの木工細工による隠し金庫のことを。

 スカルドは廃屋に足を踏み入れる。そして、家の一番奥の柱に手を触れる。軽く力を入れると、柱の一部がスッと動いた。スカルドは同じように柱の別の場所に触れていき、柱の一部を次々に動かしていく。


 カチリ


 何かの動作音が小さく鳴った。スカルドは柱の一番下の部分を観音開きに開く。小さな空間の中に紙片が収められていた。紙片には――


『君と出会ったあの湖で待ってる』



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



「……そう書いてあったそうじゃ」


 宿屋の主人は、改めてパイプを咥えた。


「まさか、スカルドは湖へ身を投げて……」

「や、やっぱり幽霊じゃないかぁ〜」


 ガズラへすがりつくシン。


「……昔話はそこで終わっとる……はっきり言ってしまえば、今お客さんがおっしゃられたように湖へ身を投げたと言われているが、それではあまりに精霊が救われないと、結末は語らないことになっておるんじゃ」


 顔を見合わせるガズラとシン。


「ねぇ、ご主人。連泊ってできるかい?」

「あぁ、客が少ない宿だからな。好きなだけのんびりしていってくれ」

「明日、ボクたちで湖の様子を見てこようかと……」


 驚く宿屋の主人。


「物見遊山のつもりはないし、精霊を傷つけようなんて考えもない」

「ボクたち、その精霊の気持ちが少し分かるんです。ご主人もその理由が分かりますよね?」


 エルフとドワーフ。それは互いに嫌い合っている種族だ。何十世代にも渡り嫌い合っているが、なぜ嫌い合っているかを知るものはいない。


「私はシンを守るために斧を振るい――」

「――ボクはガズラを守るために魔法の呪文を唱え、矢を射るのです」

「お互いに信頼しあってるし、私はシンが好きだけど……」

「ボクもガズラが大好きです。でも、同族からは中々理解をしてもらえません。石を投げつけられることさえあります……」


 宿屋の主人は真剣な面持ちでふたりの話を聞いている。


「だからさ、その昔話の結末を知りたいんだよね。種族の壁を超えた愛の物語の結末を」

「どんな結末であろうと、それをボクたちは受け止め、そしてご主人にもご報告させていただきます」


 にっこり微笑む宿屋の主人。


「精霊の歌の邪魔にならないようにするんじゃぞ」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――翌日の深夜


 真っ暗闇の森の中をランタンひとつで進んでいくふたり。普段であれば、シンはへっぴり腰になるシチュエーションだが、辺りに漂う清浄な魔力に恐怖心は消えた。そんな少しだけ頼もしいシンを見て微笑むガズラ。

 やがて水の匂いがしてくる。湖が近い。


 森を抜けると、目の前に小さな湖が広がった。池や沼というには大きく、大きな湖とは言い難い、そんな大きさだ。湖上は凪いでおり、波一つない。夜空に輝くミルキーウェイと呼ばれる川のような星の集まりと、美しい三日月が湖面に映り、湖全体が淡く光っている。



<夜の静寂しじまに光が満ちる>

<星の大河たいがが流れ行く>



 歌が聞こえる。精霊の歌だ。

 ふたりは自分たちの心に精霊の歌が干渉し始めたことに気付く。



あふれた星屑満ちこぼれ>

<夜がこの地に墜ちてくる>



 気付いたところで抗うこともできない。

 やがて自分の知らないことが脳裏に浮かび始める。

 ふたりは気付く。


「精霊スカルドの記憶……」



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



『君と出会ったあの湖で待ってる』


 愛するクリフが残したメッセージ。

 しかし、クリフはもういない。湖に行っても、誰も待ってはいないのだ。絶望するスカルド。


『あなたを永遠に愛し続ける』


 クリフと交わした誓いを思い出し、スカルドは廃屋を後にし、ふらふらと湖へ向かっていく。


 甘い香りがする。


 スカルドを包む甘い香りは、どんどん強くなっていく。もうすぐ森を抜ける。もうすぐ湖だ。でも、クリフはいない。もういないのだ。それでも、甘い香りに誘われるように足が止まらない。


 湖のほとりまでやってきたスカルド。

 頬を涙が伝った。


 スカルドの目の前には、何百万本、いや何千万本もの白いユリの花が湖を囲むようにして美しく咲き誇っていた。


 そして、スカルドは土に埋もれかけた小さな石碑の存在に気付く。土を手で払うと文字が彫られていた。


『スカルドへ 君への永遠の愛をここに示す クリフ』


 嬉しそうに微笑むスカルドの身体が輝いていく。


「クリフ、永遠に愛してる……」


 増していく輝きと共に、スカルドの身体が塵になっていく。

 スカルドは肉体を捨てようとしていた。

 精霊と言えど寿命はある。それは肉体的な限界に起因するものだ。

 だからスカルドは肉体を捨てる。永遠の存在になるために。

 スカルドは精霊であることを捨て、クリフの永遠の愛に包まれ、クリフを永遠に愛するだけの魔力の塊になろうとしていた。 


 一瞬、太陽よりも激しい輝きに包まれたスカルドは、優しく微笑む女性の形をした淡いブルーの魔力の塊となった。

 そして、スカルドだったモノは歌う。



<鏡のような湖上の水面みなも

<墜ちし星屑水面みなもを滑り>

<私の前で踊り出す>

<ほのかに光る星屑が>

<私の前で踊り出す>



 その魔力に呼応して、凪いで鏡のように夜空を映していた湖面から、映し出されていた無数の星が光の粒となって湖面から空中に浮かび上がる。光の粒は蛍のように飛び回り、まるで湖上でダンスを踊っているかのようだ。



<鏡のような湖上の水面みなも

<月の光が水面みなもを映し>

<銀の小舟が浮かび出る>

<星屑たちに誘われて>

<銀の小舟が浮かび出る>



 湖面に映っていた三日月が、銀の小舟となってゆっくりと湖面に浮かび上がっていく。スカルドだったモノは湖面を滑るように歩き、銀の小舟へゆっくりと乗り込んだ。



<鏡のような湖上の水面みなも

<時の流れに水面みなもも流れ>

<小舟に乗った私は歌う>

<永遠の愛を歌に乗せ>

<涙をぬぐって私は歌う>



 銀の小舟の上で彼女は永遠に歌い続ける。クリフを想いながら。



<永遠の愛を歌に乗せ>

<貴方を想って私は歌う>



 彼女は永遠に歌い続ける。永遠の愛を込めて。



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ふたりの目の前には、凪いだ小さな湖がある。

 来たときと変わらず、夜空の星と三日月が湖面に反射して、美しく輝いていた。


「……夢?」

「分かりません……ただ、精霊スカルドの記憶の断片を見ていたように思います」

「スカルドは……幸せなのかな……」

「…………」


 ぽろぽろと涙を零すガズラ。

 シンは、ガズラを抱き締めた。


「お願い……もっと……もっと強く抱き締めて……」


 湖畔で抱き締め合うふたりの耳には、精霊の歌が聴こえ続けていた。



<永遠の愛を歌に乗せ>

<涙をぬぐって私は歌う>


<永遠の愛を歌に乗せ>

<貴方を想って私は歌う>



 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇



 ――翌朝


 宿を出発したふたりは、目的地へ向かう前に再度湖を訪れた。

 クリフが遺した石碑に白いユリの花を手向たむけるふたり。


「クリフとスカルドの輪廻りんねの輪がいつか交わり、ふたりがまた出会えますように……」


 石碑を前にひざまずき、祈りを捧げるふたり。

 立ち上がって湖にのぞむ。


「またたくさんのユリの花が見られるようになるといいな」

「そうですね。きっとクリフとスカルドも喜んでくれますよ」


 昨晩の出来事をすべて宿屋の主人に報告したふたり。

 宿屋の主人は、クリフとスカルドの愛が枯れ果てないように、少しずつでも湖の周りにユリの花を植えていくとのことだった。ふたりも宿に立ち寄る際には協力することを約束した。


「私たちは種族も違うし、寿命だって違う」

「…………」

「でもさ、今こうして同じ時間を生きている。それは紛れもない事実だよな」

「うん、そうですね」

「だから私、精一杯生きて、精一杯シンを愛することにしたよ。周りがどう思おうが、何て言われようが関係ない」

「さすがドワーフ、男前な決意ですね」

「こういう時に『あなた以上にボクはあなたを愛してみせます』とか言えないもんかねぇ、まったく」


 くすくす笑うシンに、憮然とするガズラ。


「ほら、行くよ! 今日中に例の街に入らないとヤバいんだから」

「はい、はい、じゃあ参りましょう」


 湖に背を向けて、森に戻っていくふたり。



『ありがとう』



 ふたりは振り向いた。

 誰もいない。

 湖面に朝日がキラキラと反射していた。


「ユリの花、また持ってくるよ」

「いつかきっとクリフと再会できる。ボクはそう信じています」


 ふたりはそう言い残し、湖を後にした。



 今夜も精霊の歌が湖に満ちる。

 永遠の愛が湖に満ちる。

 永遠の時を超え、輪廻りんねの輪が交わるその時まで。



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時超える永遠の愛、精霊は歌う。 下東 良雄 @Helianthus

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