第二話 愛してるから、ずっと一緒に。
「…………ぅ、ひぅっ、うぁ…………」
「……ひひっ、これなら大丈夫だ! 首を絞めさえすれば声なんて誰にも聞こえねぇよ! た、助けを求めても無駄だぜ!? ……ああ、大人しくしてたほうが身のためだと思うぞ? 抵抗するってんなら、もっと、もっと、もっと」
「…………ぁぅ、ぁぁ…………」
「……ほら、くっ、苦しい、だろ……!? 死にたくないなら、俺を受け入れろ……ッ!」
どうして。どうしてこんなことになったの?
私はただ、誰もいない家で勉強をしていて、家庭教師の方が来るのを待っていただけ。そこでインターホンが鳴って、少し早いけど来たのかなと思って門を開けたら、私の従兄弟がいた。
門の隙間に足を挟んで、話があるから家に入れてほしいとまくし立ててきた。
突然のことだったし、なによりもうすぐで授業だったから私は断った。でも彼は引き下がらず、強引に門を開けて家に上がり込んできた。一応私のほうが年下なので言い返すこともできなかった。
家庭教師の方が来れば彼も帰ってくれるだろうと思った私はお茶を出した。
私が反対側に座るなり、彼はこんなことを言いだした。
『お前と結婚することになったから、今からでもいい、俺を愛せ』
御冗談を、と愛想笑いをして誤魔化した。だけど彼が笑い返すことはなく、
『この俺が、お前なんかと結婚してやるんだ。言うことには全て従ってもらう。――とりあえず、服を脱いでみせろ。お前の取り柄なんて身体だけだからな』
流石に笑えなかった。何も言えず固まってしまった。
すると彼は私に近づいてきて、服を掴んで無理矢理脱がせようとしてきた。咄嗟に抵抗したけど、彼はそれが気に入らなかったのか、
『ふざけんなよ、お前ッ! なに抵抗なんかしてんだ、余所者のくせによぉ!』
と叫びながら掴みかかってきた。押し倒された私は、馬乗りにされて身体を弄られた。
胸を触られた。下着を触られた。脚を触られた。
私の力では彼を振り払うこともできず、しばらくはそんな行為が続いた。
途中でインターホンが鳴った。彼はそれを無視した。時計に目をやると、すでに授業開始の十七時を過ぎていた。
でも、しばらくするともう一度インターホンが鳴って、今度は何度も何度も繰り返された。騒音にいい加減耐えられなくなった彼が応答している間に、私はいそいで服を直して開いていた窓から逃げようとしたけど、間に合わなかった。
お腹を殴られて、私は蹲った。動けない私を彼は抱え上げて、誰も使わないような部屋に連れていった。
そこで、私は。唇を奪われた。首を絞められて声も上げられず、もう無理なんだと思った。
余所者の私はこういう運命なんだと思った。
好きでもない人に初めてを全部奪われて、無理矢理結婚させられて、服従させられる。今までもそうだった。この家に来てからの十年間、私はたくさんのものを奪われて、嫌なことを強制させられて、尊厳すらも踏みにじられた。
死んでもいいと思った。こんな人生が続くのだったら、もういっそ、殺されてしまいたいと――
「…………ぅっ、うううっ、ぅああああ……………っ!」
涙が溢れる。なんで。私が。こんな目に? 彼が私の下着に手をかける。
――いやだ。いやだ、やめて、放して、許して。そう言いたくても声にはならなかった。
――誰か。誰でもいい。私を、助けてよ――――
バァァァァァアアアン――――――――ッッッ!!!
部屋の襖が蹴り倒されたのは、そう願ったときだった。
◆ ◆ ◆
……こういうときって、なんて言うのが正解なんだろう。
「あー……その、なんだ。無理矢理はよくないと思うぞ?」
「なッ、なんだよアンタっ!? どっから入ってきやがった――ぐふぅッ」
少女にのしかかる男に近づき、とりあえず腹に軽めの一発。
「さっさと離れろよ。嫌がってんだろ。……というかお前、随分個性的なファッションだな?」
「んだとこの野郎! クソッ、邪魔すんじゃねぇ――」
男が立ち上がり殴りかかってきた。まったく、後先考えずに行動するやつだ。
飛んできた拳(勢いがない)を右手で受け止める。左手で髪を鷲掴みにし、顔面を俺の膝に衝突させる。
「ぐがぁっ……」
苦しそうな声が男の口から漏れる。後ろによろめいたところへさらに一発、一発、一発と掌底を加えていく。
――ああ、ボディガードのバイトやっといて本当によかった……っ! まさかこんなところで役に立つとはな。
今まで一体いくつのバイトをやってきたのかはわからないが、こういう肉体労働系のものは経験値になっていい。
「……あ、アンタ、なにもんなんだよ……!!」
腕で顔を覆い防御態勢になった男が、そんなことを言った。
「ただの家庭教師だよ、その子の」
尻をついて怯えている少女を指差す。……肌や下着は見ないようにして。
「……家庭教師なんかがなんで出てきやがるッ!!」
言われてみれば、そうだ。普通の家庭教師ならばこんなことはしないだろう。だが俺は、どんなバイトにも手を抜かない――お金を稼いで、きちんと親孝行するために。
……まあ、中林社長が怖いっていうのもなくはないけど。
故に、俺はこう答える。
「家庭教師だからだ」
「あぁ……!? だからなんだってんだ!!」
「家庭教師はあらゆる面で手を引っ張ってやるのが仕事だ。勉強を、解法を、最適なプロセスで伝えるのが役目――」
「なら、アンタが関わってくる理由なんてねぇだろうがッ!」
「――っていうのは、建前な」
「はぁ!?」
そう、そんなことは建前でしかなくて、どうでもいい。
すぅと息を吸い、男を睨みつけ――言う。
「――俺の教え子に、手ぇ出してんじゃねえよ」
◆ ◆ ◆
「――……さん、水無瀬さん!」
「あ、はっ、はいっ!」
俺が名前を呼ぶと、水無瀬さんは我に返ったかのようにビクッと体を跳ねさせた。
「えっと……大丈夫? なかなか集中できてないみたいだけど」
「すすすっ、すみません! ちょっと私、ぼーっとしてたみたいで……」
「そうか? 水無瀬さんの具合が悪いようなら、今日はこれで終わりにしてもいいけど」
「あ、いえ! 具合が悪いわけではなくて……ただなんとなく変な気分になってるだけです」
変な気分、とな。……もしかして俺が隣にいるのが嫌だとか? 初仕事失敗したのか、俺?
「そうだよな……同じ部屋に見知らぬ男と一緒だなんて、水無瀬さんもやっぱり嫌だよな」
「そ、そういうことでは! 変というのは、なんだか、こう……勝手に胸が熱くなるような感じです」
水無瀬さんは手を胸の前に抱いた。
「命を救っていただいたお方が、次の日には私の部屋に来て……私の側で、あれこれ授業するだなんて」
「ああ、そういうことか。なるほど……そりゃ変な気分になるよな」
握っていた赤ペンを机に置き、俺はぐうっと伸びをする。
――あの日。水無瀬さんに暴行を加えていた男は、俺を見た途端果敢に殴りかかってきたものの拳をもろに受けて気を失い、程なくしてやってきたパトカーに気絶状態で乗せられていった。泣き声を聞いた近隣住民が家に車が停まっていないのを不審に思って通報したらしい。
水無瀬さんに目立った外傷はなかった。馬乗りで首を絞められていたため首を痛めていらしいがそれも軽傷で、無事と言って差し支えのない様子だった。
ただ、精神的なダメージは大きかったようだ。警察が到着するまでの間、彼女ははだけた衣服を直すこともせず、自分の身体を抱いて小さく震えていた。その目に涙が浮かんでいたのはよく覚えている。
それもそうだ――なにせ、男に押し倒されて身体を汚されそうになったのだから。それが血縁関係のある者ともなればショックは大きいだろう。
男が連行されたあと、俺は警察官に捕まった。他所の人間が家の中に侵入していたのだから犯罪に加担したことを疑われるのも当然だ。
署に同行したが、結局、自分が家庭教師であることを話し社長に電話で事実確認をして、一時間ぐらいで解放された。どうやら被害者の彼女が正しく説明をしてくれたようで、あらぬ疑いで逮捕される事態にはならずに済んだ。
その後、再び水無瀬家に戻った俺は少女の両親と会った。随分と高圧的な話し方の人物ではあったのだが、こちらも少女が言葉を尽くしてくれたおかげで糾弾されることもなく、最終的には娘を助けてくれたものとして頭を下げられた。不承不承、って感じはしたけど。
授業の方は明日に回してほしいと言われた。未遂とはいえ事件があったのだから書類やらなにやら面倒臭い処理があるはずだ。それでも明日でいいと言うとは、これが金持ちの力か――なんて思ったのは口にせず、特に予定もなかったので同じ時間帯なら大丈夫だと返事した。
そして、今に至る。
俺が授業を依頼されていたのは「水無瀬玲歌」――男に襲われていた少女その人だった。
流れるような長い黒髪と藍色の瞳が美しい、儚げな雰囲気を纏う少女。
話してみると、大人びた外見に反して案外人見知りだということがわかった。常に敬語で、おどおどした話し方をするのだ。
両親への挨拶と自己紹介を済ませ、一日遅れで始まった初授業――それが、今この時間だ。
「そ、そういえば……先生、私の方からちゃんとお礼が言えていませんでしたよね。――昨日は私を救っていただき、ありがとうございました」
水無瀬さんはが正座で俺に向き直り、額を床につける。お手本のように綺麗な座礼だ。
「いや、お礼はいい。女の子の鳴き声が聞こえて助けに向かうなんて、誰でもできるし、当たり前のことだからな」
「……そう、でしょうか」
「そうだと思うぞ、俺はな。だから礼なんていらない……というか水無瀬さんはちょっと真面目すぎだ」
そう言うと、当の水無瀬さんはむっとした顔になって――何を思ったのか、俺に体を預けてきた。少女の体温を感じて、思わず驚いてしまう。
「……っ、水無瀬さん!? あの、距離が……」
「先生、私だって好きで真面目に振る舞っているわけじゃないんです。そう教え込まれたというだけで。本当はこんなふうに、不真面目なことも……できるんですよ?」
そんなことを言う水無瀬さんの顔は、真っ赤に染まってしまっている。……恥ずかしいならやらなきゃいいのに。
俺よりも小さなその体を押し返す。
「水無瀬さん、冗談でもそんなことはしちゃ駄目だ。男っていうのはみんな狼なんだから――あ、ごめん」
「いえ。いいですよ、先生」
触れられたくないだろう話題になりかけてしまい、即座に謝る。
「……でも、先生には話してみてもいいかもしれません。私のことを……事件のことを」
「大丈夫、なのか?」
思えば、彼女の口からあの事件について語られることはなかった。
「はい。……聞いてくれますか、先生?」
「もちろんだ。教え子がそう言うなら、聞くよ」
水無瀬さんは俺の手をぎゅっと握ってきた。歳上なのに心臓が高鳴ったのは否定できない。
口が開き、言葉が紡がれる。家庭教師として、俺は彼女の言葉に耳を傾ける。
「……私、本当は――――」
◆ ◆ ◆
「――それでは、失礼します」
彼はお辞儀をして門から出ていった。その背中が見えなくなったところで、少女はカーテンを閉める。
途端、へねへなと床にへたり込む。緊張の糸が切れて、力が抜けてしまったかのように。
「はぁっ……私、だいじょうぶだったかな……? 先生に、女の子として見てもらえたかな……?」
少女は頬に手を当てる。
「大変だったなぁ……先生の前で、発情しないようにするの」
先ほどまでのことを思い返し、少女はだらしない笑みを浮かべる。
「先生、私のこと心配してくれてた……。傷つけないようにって、気を遣ってくれた。私の話を聞いてくれた。自分がいるからもう怖くないって言ってくれた。手を握っても振り払わなかった。私のこと名前で呼んでくれた。先生のこと名前で呼んでも嫌がってなかった。……私が先生に触ると、ドキってしてた…………」
少女の呟きは止まらない。
「あはっ……私、先生じゃないと無理だよ。先生以外嫌だよ。私をかっこよく助けてくれた先生じゃなきゃ、絶対に、だめだよ」
「先生のこと考えてると、私、おかしくなっちゃいそうだよぉ……」
「あんな男いなくなって、お父さんもいなくなって、先生以外の男がみんな消えればいいのに」
「そうしたら、先生とふたりきりだよね……!? ああっ、想像しただけで嬉しいなぁ……」
「先生はどう思うかな? 私と二人きりでいたいって、思ってくれる……?」
「ううんっ、そんなの私がどうにかすればいいんだ……! 私が先生に尽くして尽くして尽くして、愛して愛して死ぬまで愛して――あれっ、先生も私も、いつか死んじゃうのか……嫌だなぁ」
「でも今は幸せだから、あとのことは考えなくていっか! 先生は私の先生、先生は私だけのもの……」
「家なんて帰らないで、私と一緒に寝ればいいのに。私、ずっと一緒にいたいのになぁ……」
と、そのとき。少女は先ほどまで二人で使っていたローテーブルに、それを見つけた。
「あぁっ、先生せんせいせんせい……っ!」
黒く細いそれ――一本の毛髪をつまみ上げ、少女は蕩けきった表情になる。
「私よりずっと短いから、先生だよね……! ああ、せんせいの髪だ、せんせいの一部だっ……」
掌に乗せると、匂いを嗅ぎ、頬ずりし、舌で舐める少女。
「あっ、そうだ……!」
しかし、なにかひらめいたような声を上げる。――かと思えば。その毛髪を、彼の毛髪を、親指と人差指でつまんで、口元に運び――口に含んで、ゴクリと飲み込む。
「あぁっ♡」
体が急速に火照っていくのを、下腹部が疼くのを少女は感じた。この上ないくらいに興奮している。興奮故に吐息がハァハァと荒くなる。
「先生……これで、ずっと一緒にいられますね……?」
少女は下腹部に手を当てる。そこに、なにか愛しいものがあるかのように。
「あぁ……わたしのナカに、先生がいるんだ……っ♡♡♡」
少女は、彼の毛髪をこころゆくまで味わった。
それと同じ頃。
「……っぐしゅ」
家路についた彼が、ひとつくしゃみを漏らした。
「うう……なんだ、誰か俺の噂話でもしているのか……?」
【コメント】
ロックオンされてるぞ、蒼真。
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