第一話 初仕事は修羅場ってました。

 そんな一幕があった日の、一週間後。

 

 講義を四時限まで受け大学を出た俺は真っ直ぐ家に帰るでもなく、バイトに直行するでもなく、スマホ片手に見知らぬ住宅街を歩いていた。

 

 時刻は十七時前。茜色に染まった街にはちらほらと制服姿の学生が見受けられる。中学・高校の授業が終わるのは大体十五時半なので遊びながらでも帰っているのだろう。




「……それにしても家でかすぎないか、ここ?」




 地図アプリを開き辺りを見回しながら歩いているが、立ち並ぶ家々はどれも豪邸といっても差し支えないものだった。

 縦も横も一般的な住宅の二倍はあるだろうそれらの豪邸はいずれも新築のように輝いており、おまけにありえないくらいに広い庭が付属している。

 庭にはついでとばかりにガーデニングが施されていて、塀から除くお洒落な木々が異様に広い道路にはみ出しいかにも高級住宅街といった様相を醸し出していた。

 ここの家に比べれば、俺の部屋があるマンションがただの箱に見えてくる。


 

 ――と、俺がわざわざ高級住宅街に単身で突っ込んだのは、さも住人のように歩いてお金持ち気分に浸るためではなく……もちろん目出し帽で悪事を働くためでもない。

 言わずもがな、家庭教師のバイトだ。あの日大学でバイトの話を聞いたあと、俺はすぐに朱莉の利用している家庭教師派遣会社に電話をかけて仕事をしたいとの旨を伝えた。すると社長からすぐにでも会って話がしたいと返事があり、翌日、その事務所に伺ったのだが――


『今葉……蒼真くんだね? 大学一年生、素行に問題は特になし、成績も上々……うん、採用採用。それじゃこれ、柚木さんから回ってきた依頼だから。来週から任せたよ』


 ――即採用。呆気なさすぎて聞き直したぐらいだ。

 てっきり厳しい学力検査をやるものだと思っていたけど、社長の中林さん曰く他の家庭教師から推薦された場合は信頼が置けるということで検査は行わないらしい。

 

 ちょっと心配になって、この会社大丈夫なのかと朱莉に聞いてみたところ、


「ん? ああ、それは大丈夫だよ。みんな中林社長が怖くて仕事は真面目にやってるの。あの人、昔学校で剣道の顧問をやってて『鬼人・中林』って呼ばれてたらしいよ」


 ……なにそれ怖い。鬼人て。あんなにおっとりした見た目なのに……。

 

 ともかく、中林さんがしっかりした人なのはわかったので次は給料について朱莉と話した。

 採用の手続きをしている際、中林さんはこの会社の家庭教師の平均的な時給は2200円と言っていた。

 これは正直――かなり高い。今までのバイトと比べると、下手したら1000円も高い。

 これなら金欠を脱出できる、と目をお金マークにしていたほくそ笑んでいた俺だが――同時に不安でもあった。なぜなら、初仕事のはずなのに「訳あり」の依頼を託されているからだ。

 この依頼を受けた人みんなが途中でお手上げになったと朱莉から聞いているが……


 もしかしてこの会社、そういう他の会社が手を付けられない依頼を仕事にしているんじゃないか? 家庭教師を派遣してくれるのがこの会社だけだから、依頼主は高いお金を出し結果給料が高くなるということか……? 

 今度はそんな不安に駆られ、裏社会の闇に触れてしまわないよう恐る恐る朱莉に尋ねたが――


「え、なんでこんなに給料が高いか? あはっ、それ私も最初はちょっと怖くなったんだけどね……実はここ、他社と違って社長自身も家庭教師をやってるんだよー。小規模だから社長もそうせざるを得ないらしいんだけど、これがけっこう人気でね? 中林社長、難関大学を首席で卒業して超一流のシステム会社に就職したんだけど、合わないからってすぐに辞めちゃって、学校の先生になったんだって。そのあと退職してこの会社を起業したって話。だからそこら辺の塾講師より教えるのが上手いし、実際担当した子の成績は鰻登りなの。親御さんの間では『ノーベル先生』なんて呼ばれてるらしいよ」


 ……もうなんでもありかよ中林さん……。あんなににこやか、ゆったりとした顔で鬼人とかノーベルとか。人は見かけによらないとは言うけどこんなに乖離していると恐怖すら覚える。

 

 でもまあ、そんなすごい家庭教師がいる会社なら人気も出るか、と給料のことは納得できたのだった。


「ま! 蒼真、私もいるし他の人もおんなじ大学生なんだから、気楽にやってこうよ!」


 そんなわけでバイトに関する(未だ底が知れない社長を除き)不安は払拭され、本日めでたく初派遣。

 数々のバイトを経験してきた俺には初仕事だからといってあまり緊張はしない。ゆえにいつも通り、給料分の仕事をきっちりこなすまでだ――と思っていたのだが、今回はそうはいかない事情があった。

 なにせ俺に回ってきたのは訳アリの授業依頼なのだから。


「家庭教師をやるのはいいけど、なんで初仕事がこんな難題なんだよ……」


 中林さんから依頼の詳細は聞いている。今回授業をするのは、以前朱莉に聞いた通り高校二年生の女子。五人姉妹の一番下で、成績は上の下といったところ。毎週水曜日と日曜日に数学と社会を中心とした授業を希望。そして、今までに七度家庭教師を依頼している。


「手を付けられないぐらいに乱暴、とかじゃないといいんだけどなぁ」


 家庭教師というのは立派な教職だ。だからこそ単に知識だけでなく、解答のプロセスを教える説明力、何がわからないのかを掴む理解力、円滑に授業を行うための十分なコミュニケーションが必要になる。ただ知識を振りかざすだけの研究者になってはいけない。

 前半二つは相手が高校生ということもあってなんとかなるだろうが、問題はコミュニケーションを取れるか否か、だ。

 週二回、数時間にわたって一対一で接するとなると必然、お互いにその存在を意識するようになるだろう。

 その上で友好な関係を保つことは非常に重要だ。仲が悪ければそもそも授業にならないし、逆に良すぎても公私が混同してしまう。

 

 そんなわけで家庭教師の俺としては、物わかりの良い子であってほしいと願うばかりなのだ……果たして、この訳あり依頼にはどんな結末が待っているのやら、心配で仕方がない。


 悶々とした気持ちで歩いていると、スマホが目的地に到着したことを告げた。

 表札を確認しようと顔を上げた――ところで思考停止。


「い、いや待て、ここじゃない、よな……?」


 どっしりと俺を待ち構えていたのは――どこかの庭園かと見紛うほどの、巨大な巨大な、日本家屋。

 親の実家にあるような瓦屋根の戸建てなどではなく、旅館みたいな、それこそ由緒ある家柄の富豪が住んでいそうな。

 

 門からして造りが違う。周りを見ると、ほとんどの家は門などなく敷地にそのまま入れるようになって、ところどころに門がついている家があってもカギなど手すりを上下されるだけの簡単なもので、しかも小さい。だがこの日本家屋はそれらとは趣がまったく異なる。鳥居のように高さがあり上部は鬼瓦で装飾され、門自体は黒い木材を寄せて隙間なく造られていて、閂でガッチリと閉ざされている。


 まったく想像だにしていない家がきた……が、とりあえず落ち着こう、俺。


「表札……は合ってるか」


 水無瀬家――それが今回の依頼を出した家だ。授業を頼んでいるのはその五女、水無瀬玲歌。なるほど名前からしてお嬢様な感じたけど、こういうことだったのか……。


 ゴクリと唾を飲み込んで意識を仕事モードに切り替える。ここから先、俺は家庭教師として振る舞わなければならない。……正直、家を見ただけで緊張しているし怖くもある。

 訳アリと言われる少女が一体どんな人間なのか。自分が何をされてしまうのか。担当してきた他の家庭教師と同じように辞めてしまうのではないか。

 ついでに白状すると、一番怖いのは家主だ。

 だって、こんな立派な日本家屋の持ち主が強面で偏屈で頑固じゃないわけがない! 

 顔を見せた瞬間に「おいアンタ、ちょいと表出な」とか言われて漢と漢の勝負が始まりそうで怖すぎる!


 ……いかん、緊張しても仕事は悪い方に進むばっかりだ。

 ふぅー、と小さく深呼吸。

 

 同時に、家庭教師が初対面で注意すべきことは何か、以前朱莉から聞いていたことを思い出す。 


『いい? 人間いちばん大事なのは温度だよ! 最初っから暑苦しい人は面倒臭がられて距離を置かれるし、逆に冷たすぎるのも論外。だからといっていつも通りに接しても蒼真の場合は会話が壊滅的に、それはもうシュールストレミング並みに終わっちゃってるから効果はないの。そこで目指すのが爽やかってわけ! 過度に関わろうとはしないけどこちらが近づいたら歩み寄ってくれる、それでいて相手の気遣いもできる爽やかな人っていう印象がベスト!』


『頼りがいがあって爽やか、か。そりゃ確かに好印象だろうな』


『で、そんな風に思われるために重要なのが素を見せること。一度着飾ってない自分を見せておいて、普段はしっかりしてるけど実はこんな一面もあるんだなって思わせるの。そしたら普段の印象が二割増で良く見えるって寸法ね!』


『素を見せる、て言ってもな……そもそも常時素なんだが』


『そこっ、そこだよ蒼真! あんたはほんとに人への対応が雑すぎ! てなわけで蒼真……私を愛して?』

『何がてなわけでだよ寝言は寝て言えこの野郎』

『ふ、ふざけてるわけじゃないよっ! 人間、自分の好きなものの前だったら素にならずにはいられないでしょ? だから蒼真が私を好きになって愛のツーショットを見返すたびにデレデレしてれば、ああこの人は一途なんだなぁ……って思ってもらえるはずなの! だからほら、来て! 愛の言葉を囁いちゃって! 私の唇を奪っちゃって、今ならお買い得だよ! はいどーんどん!』


『予想以上にまともな思考で驚いてる。同時にそんなわんこそばみたいなノリで愛の言葉を要求するお前の性格にちょっと引いてるぞ? そんなんいいから、さっさと真面目に方法を伝えろ』


『うぐぅっ……なんか華麗にスルーされた……。――こほん。それで、一途なところを見せれば相手の印象を引き上げられるんだけど……中林社長がわかりやすいかな。あの仕事のできる社長が娘さんにぞっこんなの、知ってるでしょ?』


『ああ、この前休憩時間に社長が誰かの写真を愛おしそうに眺めてたのは見たな。……印象は良くならなかったけどな』

『え、そうなの?』


『ああ。俺が「それ、娘さんですか?」って聞いたら、あの人鬼の形相で睨んできて、凄まじい速さで俺の背後に周って両腕で俺の首を固めながら「小僧、言いふらしたら死ぬと思え」とか言われたぞ?』


『――…………まあまあ、それはそれだよっ! とにかく肝心なのは相手に勘違いさせること。爽やかに、でも気張らず、素を見せることで普段の印象をアップさせる! これさえ覚えてれば失敗しない!』




「爽やか、か……」


 どんな子かわからないが、とりあえずそれを意識して話してみよう。門に設けられたインターホンを鳴らす。一回押すと一回音が鳴るタイプのやつだ。

 ……頼むから、強面の父親とか出ないでくれ。ここに足を踏み入れるということは、とか覚悟を問われそうだ。しかもなにか粗相をしたら腹切りとか言われそう。できれば親切で物腰柔らかなおばさまがいい。

 



 ――などなど思考を巡らせること数十秒。

 いっこうに、インターホンからの応答がない。




「……誰もいないなんてことはないよな、授業を頼んでるわけだし」


 それはそうだろう。現在の時刻は十七時きっかり。遅れてもいないし早くもない。  

 家庭教師が来るのだから、少なくとも生徒くらいは家にいるはずだ。もう一回インターホンを鳴らす。

 

 もう一回、もう一回。

 何度鳴らしてみてもやはり返事はない。なにか作業をしていてインターホンが聞こえていないのだろうか。


「す、すみませーん、家庭教師の者でーす!」


 門をノックして声をかけてみる。が、やはり返事はない。本当に誰もいないようだ。


「とりあえず、社長に電話かな……」


 家に人がいないなら、授業なんてできたものではない。だからといってこのまま引き返したら、実は家に帰ってくるのが遅れていただけ、なんてことになるかもしれないからな。そう考え、スマホを取り出して社長を呼び出す――その、直前。


「――……っぐ」


 微かな声が耳朶を打った。


「ん?」


 空耳か? でも今確かに、どこかから人の声が――


「――……っう、ぁ、いや……」


 今度はよりはっきりと聞き取ることができた。間違いない、誰かが声を上げている。


 ――それも、泣き声を。


「っ!? どこだ!?」


 バッと辺りを見渡すも、人影は一つもない。目につく範囲では、ベランダや庭に出ている住人もいない。


「……? もしかして……この家、なのか?」


 可能性としては、あとはこの中の様子が伺えない水無月家しかない。よくないとはわかっていつつも門にそっと耳を当ててみる――が。

 

 木造りの荘厳な門扉が俺の押す力を受け止めることはなく、なんの抵抗もなしにスッと奥に開かれた。


「ぅううわっ!?」


 とっさに開いていない方の門――運良くこちらは動かなかった――に手をかけたため転倒は免れたが、体勢を崩した俺は敷地内に足を踏み入れてしまった。

 

 ――鍵が掛かっていない。

 

 門の中は緑で溢れていた。玄関まで伸びる道に沿って、豊かな葉を枝垂れさせる松、柳、桐が植えられている。一見すると無秩序で華やかさに欠けるその光景は、しかし、質素の奥に和の美しさを感じさせ、独特の雰囲気を醸し出していた。

 門の右側には、それこそ日本庭園にあるような広い池があり、色とりどりの鯉が何匹も窺える。逆に左側には特別なにががあるわけではなく、ただ砂利が敷き詰められて飛び石と尖った石が置かれていた。

 しかしながら人の手が加えられているようで、砂利には規則的な線状の模様がつけられていた。

 これほど手の込んだ庭に対して肝心の家屋は、それにも勝る木材の具合からしてかなりの歴史を感じさせ、流麗な瓦屋根は古城のそれを思わせる。実は重要文化財だ、と言われても驚きはしないだろう……


「……ってか、これ駄目だろ」


 遅れて、不法侵入している事実に気づく。いくら家庭教師とはいえ相手の家に許可なしに入っちゃならんだろう。悪意があってこうなったわけじゃないけど、声を聞きたくて門に耳を当ててみたらうっかり入っちゃいました、なんてのもそれはそれで犯罪だ。

 誰かに見られて面倒なことになる前に退散しなければ。そう思った俺は、水無月家に背を向けて門をくぐる――


「……にしても、あの泣き声はなんだったんだろうな」

「――……っぐぁ、ひぅっ……ぅう、やだ、ぃ、いやぁっ……っ!」


「……多分、空耳……だよな。はは」

「……やめ、て、うぅっ……あっ、んんっ……おね、がい、しますっ……あ、あぁぁっ!」

「……」


「ぁ……い、いやですっ……! もうさわらないでっ――…………っきゃぁあああっっっ!?」

「……」


「あっ」

「……」


「……………………………………………………」


 ………………………………「…………いやなにがあった――ッッ!?」


 振り返り思わず声を上げてしまう。

 

 なんだよ「あっ」って! 最後の一言が「あっ」だととんでもないことが起きた感がする! 崖からスマホ落としたみたいな、もう手遅れなときに出る声だぞそれ!

 

 耳に届いたのは女の声だった。大人ではない、中学生か高校生の声だ。

 嗚咽混じりで、何かに抗うような必死さが滲んでいた。


「――…………ぅぐっ、ん、んぁっ、いやぁっ……あ、あああぁぁぁ…………」

「…………こ、このっ、大人しくしてろッ……!」


 

 ……さて。俺はここでどんな行動を取るべきだろうか?


 

 ――ピロン。


  

 不意にスマホが鳴った。


『今葉君、初仕事はうまくいったかい? 授業が終わったら駅前の焼肉屋でも行こうじゃないか。僕が奢るから一緒に祝杯を上げよう』


 お、お……?


『水無瀬玲歌さんの話を是非聞かせてほしい。なんてったって今までの担当全員が音を上げた生徒だからね。柚木君に推薦された君ならどうにかできるかもしれない』


 あれ? なんか俺が仕事達成した設定になってない? 家にすら入れず絶賛職務放棄中なんですけど?


『ちなみに、恐れをなしてなんの成果もなく帰ってきた場合は、それ相応の対応が待っていることを覚悟しておいてほしい。……若いからって甘えが許されると思わないでね? まあ、君も男だから、いくら初仕事でも家にすら入れないなんてことはないよね。ははは、当たり前だよね。もしそうだったら僕、掴みかかってあばら骨一本ぐらい折っちゃういそうだよ(笑)』


 ――――おのれナカバヤシぃぃいいいいい―――――――――――ッッッッッッッ!!!!!!! 

 あんたの鬼畜な性格のせいで突入せざるを得なくなっただろうがっ!! というか多分この状況を知らずに言ってるんだろうけど、なんでこうあんたは無自覚に人を怖がらせる!? 退いたらあばら骨一本とおさらば、進んだら犯罪の現場だぞ!? 酷にも程があるだろっ!!

 

 ぜぇはぁと肩で息をしながら、一旦落ち着こうとする。

 れ、冷静に考えよう……なんて言ってる場合じゃない! 


 否が応でも、脳裏に中林社長の顔が浮かぶ。満面の笑み。……目が怖い。確実に何人か葬ってるだろ!?

 こんなこと言われちゃ退こうにも退けない! 選択肢は犯罪現場にのこのこと足を踏み入れて「あ、家庭教師の者です☆」と挨拶することのみ。

 まさかこんなところで命の危機に立たされるとは。俺バイトだよ、大学生だよ? 神は死んだのか?

 

 ……でも、まあ。

 だからといって、逃げ帰るようなことはしないんだけどな。

 

 どんなバイトにも手は抜かない。

 それは俺が俺自身に誓ったこと――お金を稼いで、親孝行するために。


 だから、これはある種の試練なのかもしれない。

 

 


 ……待ってろ犯罪者。俺がお前らの犯罪を阻止し依頼主にはきっちりと授業を施してやる。


 

 そうだ、現場に突入する前に、手始めとして嫌がらせをしよう。


 

 少女の泣き声と男の怒声から察するに、男のほうが襲いかかって暴力を振るっているのだろう。……いやほんとに修羅場だな?

 それを止めるというのなら、男が少女に集中できないような状況を作り出せばいい。例えば――


 ピンポーン。……ピンポ~〜ン。…………ピンポ~〜〜ン。ピンp………………



 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピピピピピピピピピピピピピピピppppppp――――



『ううううるっせぇな静かにしろこの野郎ッッッ!!!!』


 ピンポン連打作戦、成功。どうだ俺のプロ◯カで鍛えた連打力は? うるさすぎてまったく集中できないだろ?


『すみません……その、御手洗を貸していただきたくてですね、』


 もちろんこれは真っ赤な嘘。だが必要なことだ。


『あぁ!? ふざけてんのかアンタ、さっさと失せろッ!』

『で、でも、近くにトイレなんかなくて……ほんとにギリギリなんです、お願いします!』


 白昼堂々、住宅街で「もうすぐ漏れる」と宣言する俺はどんなふうに見えているんだろう。周りに人がいなくてよかった。


『見知らぬ人間を家に入れるやつがいるかよ! 頭どうかしてるんじゃねえのか!?』

『そこをなんとかっ!』

『しつけぇッ! いい加減にしろよ! こちとら忙しいんだ、痛い目見たくなかったら今すぐ――』


 そのとき。俺はインターホン越しにを聞いた。男のものではない、別の誰かの、鼻をすする音とともに漏れた「ひぐっ」という嗚咽を。


『……あれ? もしかしてお子さんがいらっしゃるんですか? すみません、うるさくしてしまいまして』

『はっ、はぁ!? こ、子供なんて、いるわけねぇだろ! 俺一人だ!』


 プツッ。

 はい、確定。反射的に嘘をついたことが仇になったな。家に子供がいるというのに自分一人だと言い張っているからには、なにかしら後ろめたいことがあるのだろう。

 

 すでに声は聞こえない。砂利道の先にある玄関まで歩き、耳を押し当てる。

 やはり声はない。ピンポン連打が効いた……ってわけじゃなさそうだな。声が漏れないように男がなにかしたのだろう。

 引き戸に手をかけると、簡単に動いた。こちらも門と同様に鍵がかかっていない。


 ……なんだろう、すごく嫌なかほりがするぞ。


 音を立てないようゆっくりと戸を開けて忍び込む。家の中は外観からのイメージ通り和風で、木の骨組みが所々に覗き、歴史と威厳の窺える和風な造りとなっていた。

 

 まあそんなことは今どうでもいい。

 檜の床を静かに進んでいく。耳に届くのは靴下の擦れる音だけで、近くに人はいないようだ。

 前方では広い廊下が一直線に伸びていて、その左右には分岐した廊下が何本もある。息を潜めながら前進し、三つ目の角に到達したとき、ひとつ明かりが漏れている部屋を発見した。襖同士の隙間から細い光が出て廊下に線を描いている。

 誰かが、いるのだろう。


 

 ……よし、行くぞ? 今葉蒼真。俺はもう家庭教師、虐待だろうとなんだろうとこの手でやめさせる!

 

 そろりと部屋に近づく。勢いよく襖を開けて転がり込み、「なにやってんだお前!」と男を止めにかかる――ことはなかった。

 



 なぜなら、見えてしまったのだ。


 

 あられもない姿で横たわる少女とその上に跨る男が。



 少女は制服を着ているがボタンは外れており、また下着も下ろされて、その豊満な乳房を外気に曝してしまっていた。

 馬乗りになった男の方は、片方の手で少女の胸を荒々しく揉みしだき、もう片方の手でか細い首を締め付けていた。少女は抵抗しようと手を動かすが、満足に息ができないためか虚しく宙を掻くだけだった。


「……ぅあっ、う……」

 

 

 ……なるほどな。あの泣き声はこういうことだったのか。



【コメント】

 敬語の女の子のヤンデレって、最高に重くて燃えますよね。

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