月数回しか会わない教え子の美少女たちに闇のような愛を注がれてます。どう考えても全員病んでる。

夕白颯汰

プロローグ 同情するなら飯をくれ





「……いい仕事ないかなぁ」





 誰もいなくなった大学の広い食堂で、椅子に座ったままぐぅっと体を伸ばす俺――今葉蒼真は何の気なしに呟いた。


「ほんと、全然見つからないぞ」


 右手には自分のスマホではなく、やけに分厚い紙束……求人誌が握られている。蛍光色で目立つそれは、いつの間にか所々から付箋が飛び出て表紙もくたびれており、思った以上に長く使っていたことがわかる。


 清々しいくらいに余白を埋め文字を敷き詰めた、読ませる気が毛頭なさそうな書物。

 ネット上での経済活動が当たり前になったこの時代、求人を紙媒体で探す大学生、いや社会人なぞなかなか見られない。需要があるとすれば、働き手の募集が少ない田舎住民かスマホを使わない高齢者であって、東京の大学に通う自分がそんなものを読むのはいささか物珍しい。俺自身でもそう思ってはいる。

 というか隣の席のやつが休憩時間に求人誌なんて見ていたら、どんだけ金無いんだと心配になってしまう。


 でも俺がこんなことをしているのには、深い訳が――

 


 ぐぅぅううううっ。


 

 腹の虫が盛大に鳴いた。

 そりゃそうか、朝から何も食べてないもんな……。ごめんよ俺のお腹、もう少しの辛抱だ。

 

 大学に入学してから三ヶ月、俺は情けないことに金欠になっていた。埼玉にある実家から仕送りはもらっているが、俺の親はシングルマザーなのでその額はごく僅か。 

 いや、送ってもらえる時点でものすごく有り難いことだが、仕送りはすぐに食費や光熱費に溶けてしまう。比較的安いアパートを借りて、家具も最低限のものを買い、今も積極的に節約をしているけれど気休め程度にしかならない。

 

 さらに、もしも自分の生活を自分で賄えるようになったとしてもそれで万歳とはいかない。女手一つで俺を育て、大学にまで行かせてくれた母に恩返しというやつをしなければならないのだ。


 そんな経緯があって俺は割のいい求人を探している。こうやって求人誌を利用しているのも、バイトアプリに比べるとこっちは好条件のものが多いからだ。

 

 ……まあ、かれこれ三週間ぐらい探しても全く見つからないんだけど。


 もう、適当なところで妥協するしかないか……。


 そんな、諦めの溜め息をつきながら立ち上がったとき。


「――そーうぅーまぁっ!! やほーっ!」

「ぅぐへっ」


 やたらと元気な声とともに、強烈な勢いで首へと腕が回される。


 ……はぁ。もう慣れっこなんだけど痛いものは痛いぞ?

 首をがっちりホールドされながら、声の主を見ずに言う。


「あのさ、柚木。いつも言ってるけど……なんで俺を見かけるたびに攻撃しないと気がすまないんだ?」

「ちょっと! その言い方だと私が小学生みたいじゃん!」

「ちなみに普通の大学生は背後から首固めを極めたりしないんだ。知ってたか?」

「えぇ……そう?」


 会話の隙を見て腕から脱出すると、案の定俺を拘束していたのはやけに距離が近い同級生、柚木朱莉だった。

 

 中学入学のときから度々同じクラスになっていた彼女は、言ってしまえば腐れ縁。

 大学に入ってからも関わりは切れず、お互い気兼ねなく話せるということで校外でもちょくちょく会っていた。

 男女的な仲ではなくあくまでも友人で、その証拠に俺は彼女を名字で呼んでいる。 

 ちなみにあちらが名前で読んでくるのはもうどうしようもない。昔からわがままで我が強いやつだった。


「あれ、蒼真また求人誌買ったの? 先週読んでたのとは別だよね?」


 ふと、朱莉が机の上にあったそれを指さしながら問うた。


「ああ……なかなかいいのが見つけられなくてさ。結構探してるんだけど」

「ふぅーん……」

「ところで柚木、俺に何か用だったのか? 無いなら早く帰ってくれ、もうお腹が空きすぎて睡眠以外したくないんだ」


 お腹をさすりながら早く用件を告げるよう言う。

 すると、俺のその言葉を待っていたかのように朱莉の顔がパッと明るくなって、


「あっ、そうそう! 蒼真、どうせ今日もご飯食べてないんでしょ? 食べてないよね? うん食べてないよ」

「いや勝手に決めないでくれ?」


 ぐぅううううっ。


 一際大きく鳴ってしまった。な、情けない!


「ふっふーん……実は今日、そんなこともあろうかと弁当を持ってきたのよ!」


 なっ……!?

 じゃーん、と掲げた右手には確かに風呂敷に包まれた弁当箱。


「ほら」


 誇らしげに突き出してきたのでとりあえず受け取る。


「……柚木、金ならないぞ」


 朱莉の渡してきた弁当箱をまじまじと見つめて思わず呟く。

 そりゃ仲はいいほうかもしれないけど、単なる友だちに弁当をあげるやつなんて滅多にいないだろ。ましてや俺は男なんだし……こいつ、なにか企んでるな?


「えっ、いや、べべ別にさ、話しかけやすくて頼み事をしたら案外早く折れてくれる蒼真と取引をしようとしてる、わけじゃないんだよ?」


 うん。もはや自明だった。


「……はぁっ、それで? 万年金欠で飢餓に喘いでいる俺に何の用が?」


 風呂敷包を解きながら不承不承問う。

 え? 企んでいるって気づいているのに、なんで弁当を受け取るのか? 

 いやいやここで頂かないわけにはいくまい、だって眼の前にタダ飯があるんだから。それに、頼みを聞く前に弁当すら拒否したら朱莉が泣きそうだ。

 包みから現れたのは曲げわっぱ。蓋を開けると、色とりどりの野菜と肉、卵やサラダが詰まっており俺の胃袋を刺激した。

 

 いただきます。


「えへっ、ちょっとね、蒼真にやってもらいたいことが」


 なんだこのハンバーグ美味いな、でも味に覚えが……あ、冷凍か。くそ。


「私が家庭教師やってるのは知ってるよね? それでさ、ちょーっとばかり蒼真の力を借りたくて」


 もぐもぐ。ごくり。


「……俺のか? 他にも家庭教師ぐらいできるやつはいるんじゃないか?」

「それがね……まあなんというか、曰くつきとうか……」

「なんだそれ」


 家庭教師の仕事で曰くつきってなんだよ。子供がガリレオ並みの天才で誰にも手がつけられないとか?


「授業の依頼をしているのは高校二年生の女の子で、五人姉妹の一番下なんだって。家柄が立派みたいだから時給もかなり高いらしいけど……今まで担当してきた人たち、全員途中で諦めちゃったの。家庭教師そのものを辞めた人もいるみたい」


 高校生が大学生にそれだけのダメージを与えるって、何があったんだ。というか家が立派な五人姉妹の末娘ってだけで怖いな。俺だったら怖くて到底務まりそうにないし絶対にやりたくな……あれ?


「ゆ、柚木? お前の頼みって、もしかして……」

「うん、蒼真にその子の家庭教師をしてほしいってこと! 実は私以外みんな依頼を受けたことがあってね、誰も続けられなかったからとうとう私に回ってきたんだけど……やりたくないから蒼真、お願い!」


 うわぁ……自分がやりたくないからって俺に振るのかよこいつ……。


「お願いって言われても、俺家庭教師なんてやったことないぞ? というかいきなり入ったやつがそんなすぐに派遣してもらえるのか?」

「あ、そこは大丈夫だから! うちの会社小さいから人少なくてさ、蒼真のこと相談してみたら即日でもオッケーって言ってたよ」


 何故か俺が了承する前提になっていた。……いや、家庭教師なんてしんどそうだから毛頭受け入れるつもりはない。たとえご飯を恵んでもらおうともな。


「柚木、すまないがそれには応えられない……別の人をあたってくれ」

「えぇー!? なんでよ蒼真ぁ、ひどい! 私と蒼真の仲じゃん!」

「だって家庭教師っていうのは立派な教職だろ。柚木みたいに教育学部の人間には簡単かもしれないけど、ただの大学生の俺じゃ務まりはしない」

「でっ、でも相手は高校生だよ? 蒼真だって半年前までは高校で勉強してたんだから、わかんないことなんて――」

「それでも、だ。問題を解く力と相手にわかるよう説明する力っていうのは別物なんだよ。それに依頼した子の勉強を見るってことは、冗談抜きに将来を左右することになるんだ。下手に素人がやろうとしたら逆効果だし責任も負えない」

「……そ、そりゃそう、だけど」


 俺に正論を突きつけられて沈黙する朱莉。中学からの腐れ縁なのだからできることなら頼みは聞いてやりたいが、家庭教師になれというのは荷が重すぎて無理だ。


「弁当だってつくったのにぃ……」

「あ、それは本当に助かった、柚木。ごちそうさまでした、美味しかったよ」


 冷凍料理を詰め込んだものを弁当と呼べるかは怪しいけどな。それでも空腹でやつれていたところを彼女に助けられたのは事実だから、手を合わせて礼を言う。


「柚木、俺もうそろそろ講義始まるから。それじゃ……」


 食堂の時計を見るともう、次の講義まで十分もなかった。頼みを断られてがっかりしたのか俯いて何も言わない朱莉に弁当箱を押し付け、そそくさと去ろうとする。

 

 だが――立ち尽くした朱莉を背に講堂へ向かおうとしたとき。


「――そっかぁ、仕方ないよね。ざんねんざんねん」

「……?」


 突然、黙っていた朱莉が明るい声を上げた。思わず振り返ると、言葉通り心底残念そうな表情を浮かべていた。


「人には向き不向きがあるもんね。無理にお願いしちゃ駄目だよ」

「……そ、そうだな……? ははは……、わかってくれたようでなにより――」

「蒼真は家庭教師なんてやりたくないよね。あんまり人と話すの得意じゃなさそうだし、多分自分の時間を大事にしたい人だから。好きでもないことを進んで仕事にするなんて嫌に決まってるよね――たとえ、お金がたくさん貰えても」

「なっ……!?」

「いやぁ、そんなの当たり前じゃんね! 私だって嫌だもん。ごめんねこんな話に付き合わせて……忘れてもらっていいよ。ほら、もうすぐ講義始まっちゃうから、それじゃあね、蒼真」

「ちょちょっと待て、柚木っ!」


 俺の横を通り過ぎて足早に立ち去ろうとする朱莉を慌てて呼び止める。……「お金がたくさん」、だって?


「お、お前、いまなんて」

「ん? だから、嫌いなことを仕事にさせちゃ悪いよねー、って」

「その前だ。お金がどうとか……」

「え、どうしてそんなこと蒼真が気になるの? お金積まれても嫌なものは嫌でしょ? 余程の金欠でもない限り」


 これはもう、勝てる流れではなかった。そんなことを言われて無視できるわけがない。だって、余程の金欠は俺のことなんだから……。


「あぁ、その、なんだ……ちょっと気が向いてきたかな家庭教師! 面白そうだから話聞かせてくれないか、柚木」

「そう? ならよかったぁ」


 にっこり笑顔になってみせる朱莉。……こいつかなりのやり手だ、もう怖い。


「でもほんとにいいの? 人に教えるのは自分で解くのと大違いなんでしょ、無理しなくていいよ?」

「いえ、聞かせてください是非そのお話……!」


 ――はぁ。後悔してももう遅いけど、このとき俺はまんまと嵌められたんだな。おかげで家庭教師になって、朱莉の代わりに曰くつきの依頼を受けることが確定してしまった。


「えっとね、家庭教師には二種類あるんだけど、全体的に一般のバイトよりは時給が高いの。派遣された場合で言えば、そうだなぁ……平均的には時給2000――」

「――できますやります! すぐ行きます――ッ!」


 朱莉の肩を掴み声高に宣言した。


 金欠よいざ征かん、家庭教師バイト――!

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