第三話 彼女の本心

 大学のカフェテリアはいつも混む。


 格安で提供される学食を食べる者、弁当を持参してきて食べる者、はたまた誰かに奢ってもらう者――様々いると思うが、俺はもちろん弁当組。


 自分で作る弁当は、美味しさ・カロリー等をかなぐり捨てて安さだけを追求すれば学食にも勝る。つくる手間こそあるが金欠の俺からすればそんなのは些細な問題で、毎日大助かりだ。

 ちなみに、朱莉の弁当をいただいたあのときは、バイトの都合でたまたま弁当をつくる時間が取れなかっただけ。

 ……そうだ。今度はこっちが弁当をつくってやろう。タダ飯食らっただけじゃなんか申し訳ないし。それじゃあいつに借りを持ってることになりそうだし。幸い俺にはバイトで磨かれた料理の腕があるし? どんな顔が見られるか楽しみだ。

 

 

 そんなことを考えながら、俺はいつもの席につく。カフェテリアの窓際、緑豊かな中庭を望める位置だ。この近くは机と椅子が二つずつしかないので、友人たちと食事しながら談笑する学生は存在しない。

 

 さあ、今日も金欠お手製弁当でぼっち飯と洒落込もう――…………


「あ、蒼真じゃん。またひとりでご飯食べちゃって……ん、なにそれおいしそう! もらっていい? ……うーん、これ私好きかも」


 お気に入りのおかず、その名もちくきゅうに箸を伸ばしたとき、前方から別の箸が襲来した。

 かと思えば、恐ろしいことに俺が取ろうとしていたものを掴んで、口の中へと誘拐した。


 お、俺のちくきゅう――ッ!


「……柚木。前から言ってるけど人との会話を大事にしような。返事を待たずに行動しちゃ相手が悲しむことだってあるんだぞ」


「えへ、ごめんごめん。それにしても蒼真、このきゅうりとちくわのヤツ、なかなかにおいしいね?」

「俺のお気に入りだ。そのお気に入りを、しかも三本しかないうちの一本をお前に捕食されたわけなんだが、俺は泣いてもいいか?」

「そのときは私の胸が空いてるから、是非!」

「寝言は寝て言おうな?」

「そんなに怒んないでよー、おいしいって言ってあげてるんだからそれぐらい許して! ……でも私、これほんとに好きだなぁ……君の手作りを毎朝食べたいなぁ……(チラッ)」

「いい加減にしないとお前もちくきゅうにするぞ」

「これちくきゅうって言うんだ? なるほど、ちくわの穴にきゅうりをにゅるっと挿入したからちくきゅう……なんかえっちだね」


 よし今すぐここから放り出そう。そんでスーパーの惣菜コーナーにでも置いてこよう。


「ちょちょっ、いたいいたい! やめてそうま首をつまむのはやめてーっ!」

「やめてほしくばお前のおかずを俺に捧げるんだな」

「えぇー……しょーがないな、一個だけ。ほら」


 朱莉が自分の箸でミートボールを掴んでこちらに差し出してきた。無論、このまま食べて「きゃーっ間接キスぅっ!」的なイベントに発展させるつもりはない。というかこいつにやけてるな。絶対それを狙ってる。

 朱莉の手を押し返して、俺は聞きたかったことを尋ねる。


「なんの用だよ。まさか、自分お弁当だけじゃ足りないなんて言わないよな」

「いや流石に私もそんなことはしないよ……多分!」


 多分、とか宣いやがる朱莉。もしかしたらこれは本当に食糧危機に陥るかもしれない。新しくバイトを始めたとはいえ、まだ食費の支出はでかいんだ。


「……それで、どう? あれからバイトの方は」


 ちゃっかり俺の反対側に座って自分の弁当を食べている。帰る気はないようだ。


「なんだ、そんなことか……最初の方はギクシャクしてたけど、今は割とうまくやれてると思うよ」

「へぇっ、意外! 金欠ぼっちの蒼真のことだから、女の子と二人っきりの状況に耐えられなくなって逃げ帰ってくると思ったんだけどなぁ」

「お前は俺をなんだと思ってるんだよ。バイトなんだからちゃんとやるさ」

「ふーん、蒼真って案外真面目なんだね。……じゃあ水無瀬玲歌さんはどうだった? あの子、『訳アリ』って言われてるけど」


 そう言われて、俺は思い返してみる。


「……大人っぽくて、静かな子だったな。いかにも立派な家のお嬢様って感じだ。ずっと敬語で話してるし。というかどこが『訳アリ』なのか全くわからなかったぞ」


 そう。今まで数多の家庭教師を泣かせときには退職にまで追い込んだ『訳アリ』の水無瀬さんは、何の問題もなく授業しやすい優等生として俺の目に映った。乱暴なんて欠片もないし、不真面目でもない。地頭が良いらしく内容はすぐに理解するし、とても素直で俺の言ったことには全て「はい」と返してくれる。……ちょっと懐きすぎている気もするが。


「えーっ! なら蒼真に押し付けなければよかったよぉ! 給料めっちゃ高かったよねあれ!?」

「お前押し付けたって自覚あったんだな。……ま、それは自業自得だろ」

「ううっ、ずるいよー……」


 不満げな表情の朱莉だ。


「じゃあ、『訳アリ』っていうのはなんだったんだろうね?」

「さあな……それまで担当してきた教師があらぬ噂でも流したんじゃないか」


 意外とありそうだ。あの豪邸で授業するのが怖くなって依頼を断り、言い訳として適当なことを吹聴したとか。


「うーん……もしかしたら、蒼真に惚れちゃったから、とかかな。初日に命を救われてるわけだし」

「なわけないだろ。あんなの誰にでもできることだ。それに水無瀬さんは、あの事件についてちゃんと整理をつけてたぞ」


 何度か授業してわかったが、彼女はもうあの日のことは気にしていないようだった。もちろん、それに関わった俺のことも単なる家庭教師をとして接してくれている。


「まあなんだっていいだろ。『訳アリ』じゃなかったなら、それで」

「うん……噂の発端は永遠の謎ってことだね……――あ、それもーらいっと」


 結局。朱莉は話しかけてきたというのに何の役にも立たず、新たな謎が生まれただけだった。そして俺の最後のちくきゅうはあいつの胃に収まった。許すまじ。


 ◆ ◆ ◆


 その部屋で、玲歌は一心不乱にペンを動かしていた。


『今日は最悪な一日だった。

 私が席について本を読んでいると、知らない女子三人のグループが話しかけてきた。「ちょっと話そうよ」「ねぇ、水無瀬さんってドラマ好き?」「今度うちらと一緒に遊び行かない?」とか猫撫で声で。笑える。仲良くしたいだなんてこれっぽっちも思ってないくせに、偽の笑顔貼り付けて。どうせ私を思い通りに動かせる手駒にしたいだけなんだ。姉さんたちみたいに。

 体育の授業でバスケをしていたとき、男子が私の体を見てきた。何人も、先生ですら、ずっと私の胸だけを見ていた。気持ち悪い。気持ち悪い。汚い目でよくも。目で犯されたんだ。あんなやつらに。欲望の塊、豚共に。許せない。発情されるくらいなら私が死んだほうがマシ。

 学校から帰ると、一つ上の姉さんに帽子を貸せと言われた。私が大事にしていた、母の遺した帽子。姉さんは私の部屋からそれをひったくっていった。お前が触っていいものじゃない。汚らわしい、もう使いたくても使えない。ごめんなさいお母さん。

 みんないなくなればいいのに。私を見ていいのは先生だけ。私に触っていいのは先生だけ。私の唇を――ああ、これはダメなんだ。あの男のせいだ。憎たらしい忌々しい。私を抱くのも、あそこに入れるのも、全部先生。蒼真さん……ああっ、やっぱり恥ずかしい! でも先生が私のものになったみたい……いつか名前で呼んでみよう。どんな反応するのかな。びっくりするかな。喜んでくれるかな。抱きしめてキスしてくれるかなぁ……。先生のこと考えただけなのに、あつくなってくる。私、すっかり先生のものになっちゃった。先生、先生先生、先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生先生――――――――――――――』


 コンコン。


「水無瀬さん? 入って大丈夫か?」

「あっ、はい! ちょっと待ってください!」


 玲歌は慌ててそのノートを閉じ、引き出しの中に隠す。


「先生、いいですよ」

「わかった」


 玲歌の部屋にカバンを背負った蒼真が入ってくる。玲歌は彼の匂いを感じ、気づかれぬほどに小さく体を震わせた。


「準備、もうできてるんだな」

「はい。先生の授業がとっても楽しみで」

「……そ、そっか。そりゃ嬉しいよ」


 蒼真は笑いながら頭を掻いた。


「じゃ、早速だけど授業を始めるか」

「ええ。今日もよろしくお願いしますね、先生!」




 ◆ ◆ ◆




 ……本当に、水無瀬さんは素直な子だな。それに優しくて穏やか。どこぞの柚木という人間とは大違いだ。


「――お、もうこんな時間か。ちょうどキリもいいし、今日はここで終わりだな」

「先生、私はまだいけますよ。あと十時間くらいなら」


 さらっとすごいこと言ったな。そんなに勉強が好きなのか?


「いや、授業を勝手に延ばすわけにはいかないぞ。親御さんにこの時間まで、って依頼されてるんだからな」

「……じゃあ先生、こういうことにしませんか? ここから先は生徒の私がお願いしたもので、先生が決めたことじゃない、と」

「まあ、確かにそれなら問題ない気はするけど……」

「そうですかっ! なら授業は終わりで、今から先生との自由時間ですね! えへへ、何しようかな……」


 俺を置いてけぼりにして、水無瀬さんは話を進めていく。

 本当はこのあと野暮用があったのだが、仕方がない。教え子のわがままに付き合うとしよう。


「水無瀬さん、十分だけだぞ」

「はいっ!」


 嬉しそうな返事が返ってくる。家庭教師として、教え子に喜んでもらえたならなによりだ。


「それじゃあ、先生……あの、少し、お願いがあるのですが……」


 水無瀬さんがもじもじしながらそんなことを言った。


「ん、なんだ? 遠慮なく言っていいぞ」

「その、えっと……先生、後ろを向いてもらえますか……?」

「っ!?」


 予想外なお願いが飛んできてしばし言葉を失う。……待て待て。俺はてっきり、勉強とか高校とかの話だと思ったんだが? いや、別に他のことでも特段おかしくはないか、今は授業中ではなく自由時間なのだから。その上で「後ろを向いてもらえますか」とは……いったい水無瀬さんは何がしたいんだろう。

 とはいえ断るようなことでもない。


「……これでいいか?」

「大丈夫ですっ、ありがとうございます……っ!」


 後ろから満足げな水無瀬さんの声。

 どうしてこんなこと――と問おうとしたが、それは俺の口から発せられる前に遮られた。

 彼女が後ろから抱きついてきたのだ。


「――っっ!? ちょっ、あっ、水無瀬さん……っ!?」

「うふっ……、あぁ先生、先生だぁ……」


 柔らかな二つの感触が背中に広がる。それは子どもと言うには成熟していて、しかし大人とも言い切れない、発育途上の――って何考えてんだ俺!?


「水無瀬さん、なにして……離れてくれっ……!!」

「うぅん……先生ぃ……せんせい……」


 水無瀬さんは何故か、俺の背中に頬ずりをしている。――愛しくてたまらないというように。


 しばらく俺と水無瀬さんの押し合いへし合いは続いた。家庭教師の身では彼女に強く触れることができないためだ。

 

 そのまま数分が過ぎた――そして不意に水無瀬さんはに顔を離した。


 恐る恐る後ろを見ると、彼女の顔はうっすら上気していた。


「あ、あの……水無瀬さん?」

「先生。先生、先生先生せんせいっ!」


 そのとき俺の目に映っていたのは、いつもの大人しく淑やかな水無瀬さんではなく。

 だがもちろん、目の前の少女は水無瀬さん以外の何者でもなくて。


 それ故に、俺はひどく混乱した。


 彼女の瞳もまた、俺だけを捉えており。

 見たことないくらいに熱っぽかった。


 閉じた唇が、おもむろに開かれる。


「先生……もう私、我慢できません……」




「愛してます……っ。あの日あなたに救っていただいたときから、ずっと……だからいつまでも一緒にいてください、このまま、私と隣で……ねぇ、先生………♡」


 それは――教え子の少女が。


 家庭教師の俺に向けた言葉。

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