助け舟

わたくし、リリアス・フォン・ルソラ……貴方のおっしゃる『淫魔の女王』がご助力に参りました。……とはいっても、私のお願いを聞いてくださったのですから当然なのでしょうけど、ね。」


 紫の髪と体にまとった白いローブを揺らしながら微笑む女性に最初に感じたものは安心だった。

 どこか馴染みのある匂いを振りまき、ローブの上からでも分かる大人らしさからは想像もできない程子供らしく笑う。

 これだけで安心どころか堕ちる男もいるのではないだろうかと思うほどの笑みに思わず呆けてしまうが、咄嗟にかぶりを振って冷静になった。


 そうだ、呆けている暇などなかった。

 一応壁を作ってもらったことで追手の問題は解決したかも知れないが、根本的な解決は一切していないのだ。このままじゃあの地図の指示に従うどころかこの町を出られるかどうかも怪しい。

 だからこそ、今目の前にいる救世主がどんな助け舟を出してくれるのかだけが僕の頭を占めるほぼ全てな訳だが……


 そうしてルソラという女性の言葉を待っていると、突然彼女はふふっと笑った。


「あぁ、いえ。申し訳ございません。貴方様のお顔が餌を待つひな鳥の様に見えてしまって……とってもお可愛らしいですよ」


 そう言って、こちらの頭を撫でる彼女。

 ……これは褒めているのだろうか。それとも暗に待つことしかできない僕を馬鹿にしてる?


 真剣にそんなことを悩んでいる僕を他所に、彼女はくるんと回ってこういった。


「さて、脱出の方法についてですが、そこについてはご安心ください。完璧なプランをご用意しております」


 おぉ‼流石は女王!して、そのプランとは?


「それは……と、言いたいところですが残念。無粋な輩がやってきてしまいました。どうやら説明している時間は無いようです。ですがご安心を。もとよりこんな場所に長居するつもりもございませんので。」


 それと同時に突然、せりあがった壁の向こう側が騒がしくなるが、そんなことは関係ないとばかりに、彼女は手を宙に突き出した。

 するとその手の平に集まりだす紫の光。


「まぶしッ」

 

 そんな光に目を覆った僕だったが、落ち着いたと判断したのちに腕を下ろして、驚いた。

 僕の視線の先に有ったのは、紫のカギをこちらに向け…………何故か胸元を開いた彼女の姿だったのだ。

 

 密室なのに気になる世間体、不意に高鳴る鼓動。

 そんな僕が普段通りで居られない様な要素が僕に襲い掛かるが、それを何とか飲み下した僕は一言。


「……何してるんですか?」


 そう訊ねると、彼女はいたって真面目な様子でこういった。


「あぁ、説明も無しに申し訳ございません。このカギを私の体のどこかに挿して頂ければと」


 そう言って彼女は手にしていた紫のカギを手渡してきた。


 えぇ……そんななんでもないことの様に言われても……

 

 内心そう困惑しつつもそのカギを受け取って目を上げる。

 そこには純白のコートを開き、挿しやすいようにか、とこちらに上半身を突き出している彼女の姿。

 そのコートの下でさえもビキニとそう変わらない物を着ているらしく、かろうじて秘所が隠れているというこちらの精神衛生上、非常によろしくないシチュエーションではあったのだが、


「失礼ながら貴方様。少し急いだほうがよろしいかと」


 コートを開きながら胸を突き出すという馬鹿げた格好のまま、すました顔で彼女はそう言った。

 そしてその彼女の言葉を裏付ける様に、


 カーン、カーン


 まるでつるはしで物を砕くような音が先ほど仕切った壁の方から聞こえ始めたのだった。もしかしなくても追手だろう。だが、


 えぇ……でもどうしよう。一体どこに挿せばいい?

 

 こっちもこっちで大惨事なのだ。

 

 当の本人は、さっきからここに差して欲しいとでも言わんばかりに胸を突き出してくるが、そんなところを触れられる筈が無い。いや、実際触るのはカギだがそんなことクソ童貞の前ではほぼ同義なのだ。

 そういう点で言えば額なんかも良いのかもしれないが、淫魔とはいえ相手は王族だ。

 頭を触る等、不敬罪で処罰されそうだからこれも怖い。

 あぁ、そうするといよいよどこに……


「あの~、貴方様?私は大丈夫ですのでお早く……」

 カーン、カーン、カーン


 そんなやんわりとこちらを急かす声に、悪意を持って急かす音。

 そんな二つに迫られた僕は、


「あぁもうどうにでもなれってんだ‼」


 そうしてついに吹っ切れた僕は、彼女の喉にカギを突き立――パシュン


 ――――――――――――――――――――――――



 ……ーン、カーン、カッ……カッ、カッ、ガッ。ガラガラガラ


 初めはつるはしの先端が顔を出し、直に屈強な足によって蹴破られる壁。

 その自らが崩した残骸を乗り越え、何人もの男たちが先ほどまでルソラたちが居た空間へと乗り込んできた。

 その中で、尤も最初に入ってきた軍服の様な物を来た男は、隣の紳士風な男へとこう話した。


「……おい、ここで間違いないんだな。」

「はい、痕跡もありますし間違いないかと。」

「しかし奴らの姿は無い。……つまりこれは」

「えぇ、『魔法』、でしょうなぁ。どうやら我々が一足遅かったようです」


 そう言って杖を両手でつかみなおす紳士に、壁に寄り掛かる軍服。

 

 そうして懐から葉巻を取り出し、先端を少し鞘から出した剣で切る。

 それを紳士の差し出した炎を上げる石に近付けるてそれを咥える。

 そののち、一つ煙をふかして軍服はこう言った。


「解散……次は逃がしやしないぞ。悪魔ども。」


 ―――――――――――――――――――――――――


 パシュン


 そう短く響いた音を最後に、僕は四方を桃白色の靄に覆われた不思議な空間に居た。

 その空間にあるのは、前述の通りの靄に、簡素なテーブルと椅子。

 そしてその椅子に……


「はい、お疲れ様です」


 ニコニコと笑うルソラと僕は向かい合って座っているのだった。


「一体ここは……」


 靄しか見えない辺りを見渡してそう尋ねると、ルソラは笑顔のままこう言った。


「ここは私の夢の中。とはいっても、現実の貴方様があの場所で眠っているということではございません。ですから……そうですね。私の夢、と言うより、私が作った別の世界と言った方が伝わりやすいかも知れませんね。」


 ぱちん


 そう言ったルソラが手を叩くと、今まで靄しか見えなかったその空間はベッドに勉強机のあるやけに馴染みある光景へと早変わりした。

 これは……


 「はい、貴方様のお部屋です。馴染み無い景色より、馴染み有る物の方が良いかと思いまして。勝手ながら貴方様の記憶の中から拝借させて頂きました。」


 前述の通りのベッドや勉強机。

 確かにノートや本などは綺麗に並べてあったが、ベッドに染みついた血の跡に、日に焼けた壁紙。

 ざっと辺りを見渡してみたが、どうやらそんな無くても良い様なモノ細かい所まで再現されているようだった。

 人を招くことも無かったので多少横着して暮らしていた自覚はあるが……こうもまざまざと見せつけられると普通に恥ずかしいというかなんというか……


「あ、おイヤでしたか?でしたら私の城の応接間に変えさせて頂いても……」

「いえ、僕の不徳の致すところですので……真摯と受け止めさせていただきます。……それよりそうだ。結局今回はどういった件で?僕を救いに来てくださっただけ、と言うことでも無いのでしょう?」

「……流石は貴方様。お話が早くて何よりです」


 そう微笑んで言った後、ルソラは背筋を正してこう言った。


「改めまして間宮まみや 火継ひつぐ様。この度は私の願いを聞き届けてくださったこと。心からの感謝を申し上げます。」


 ……まぁ、無理やり連れてこられたようなモンだけど。ここは言わずが花か。


 内心そう静かにつぶやきながら僕はルソラに首肯を返す。が。


「……は?」


 帰ってきたのは、そんな唖然とした声だった。


「しょ、少々お待ちください?あの子はちゃんと説明しなかったのですか?それ以前に同意していただかなかったというのはどういう……あぁもう‼」


 混乱したように捲し立てた後、ルソラはテーブルに身を乗り出し、じっと僕の目を覗き込んだ。

 そうしてそのまま動かなかったかと思うと、


「はぁ~……」


 長い長い溜息を吐いて力なく机に突っ伏すのだった。


 な、なんだ?この短い間に一体何が有ったというんだ。……と言うより、先ほどの言葉。


 『それ以前に同意していただかなかったというのはどういう……』


 これってまんま僕がさっき心でつぶやいたことへの返事だよな。だとすれば、ルソラは心が読めると考えるのが妥当、かぁ?

 まぁ、悪魔と言うぐらいだしそれぐらいできても何の不思議もないが……それより問題なのはルソラの落ち込みようか。

 

 実のところ、あの悪魔には感謝こそすれど、恨むような気持ちは無かったりするのだ。

 確かに飛ばされた最初こそ困惑したものの、ちょうどあちらのもろもろには嫌気がさしていた所だった。

 だらだらと苦しんで生きるより、必死にあがいてあっさり死にたい。

 そんなことを考えていた時にちょうどあの悪魔が来たのだから実際渡りに船だったと言えよう。……まぁ、入って来る方法と態度には多少イライラしたが。


 そんな思いを少し変えて伝えれば多少の慰めにはなるだろうか。

 そんなことを考えて僕はその思いをルソラに話してみた。

 すると、ルソラはゆっくりと体を起こして、悩まし気にこう言うのだった。


「……はい、お気持ちはうれしいのですが……そうですね。分かりました。では、こちらを」


 すると、返事に返ってきたのは紫でビー玉ぐらいの小さな球だった。

 中身に何か細工があるとかそう言う物ではなさそうだが異様にキラキラと輝いている。

 なんとなく上品なイメージを受けるが……

 

「これは?」


 そう訊ねると、ルソラは申し訳なさそうな顔をしながらこういうのだった。

 

「こちらはつい先ほど貴方様に向かわせたあの子を加工して作った『呪術珠』と呼ばれる道具です。少し後に改めて説明しますが、これが有れば人間である貴方様でも色々と出来るようになりますので……どうかお納めください」


 そんな言葉と共に、ルソラは両手を突き出してきたのだった。


 「えぇ……」


 だが、突然そんなことを言われて困惑するのは僕の方である。

 だって……加工って、アレだよな?加工だよな。

 皮を剥いで、臓器を取り出して……って。確かにろくな関係では無かったとはいえ、一応顔の知っている相手がそうなったって聞かされるのはあまり気分がよろしく無いのだが……


 「あぁ、いえ。実は、あの子。一度死んでみたかったようでして。まぁ、悪魔が死ぬことは無いんですが、死んだことの無い若い悪魔には多いんです。そういうの。なんでも、他種族の恐れる死という物を経験してみたいとかなんとか。それで、一度経験してからは死ぬ間際が気持ちいからという理由で自殺にハマる悪魔なんかもいることですし……ねぇ?」


 そんな新事実を告げると共に、自分の手の平の上に乗ったガラスに微笑んで見せるルソラ。

 勘違いかひとりでに珠が震えている様に見えたのだが……まぁ、きっと見間違えだろう。


 そんなことを考えながら、僕はその球を受け取るのだった。

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