話が違う

 とまぁ、そんな感じにしばらくお乳をあげた後のこと。

 

「よいせっ」


 そう口に出しながら、僕はバスケットを手に立ち上がった。

 授乳を終えてげっぷを出す手伝いまですると赤ん坊は実にあっさりと眠ったため、再び移動することにしたのだ。

 ちょうどここまで歩いて溜まった疲れも取れた頃なので移動するにはこれ以上ないほどのベストタイミングだろう。

 ……あぁ、そういやタイミングと言えば、だ。


 ふと思いついた僕は改めて自分の身体を見直した。

 

 突然の変化ではあったがこの体になったのも意外と神がかったタイミングだったのかも知れない。

 ここから町までは残り15分程度。

 町に着こうが、赤ん坊が空腹で泣いたままだと周囲の目を集める上に、町の中でさえ赤ん坊のご飯を見つけられるかは分からないと考えると、今この時間で赤ん坊に乳を上げ、少しでも街中で動きやすくなったというのはとても大きなことだったのかもしれない。

 そう考えると……そうだな。よく分からんが、この現象に感謝。


 そう思い至り、この現象を引き起こした何者かに内心黙礼していると、


「……あ、戻った」


 ピカッと一瞬光った後、実にあっさりと僕の体は男に戻ったのだった。

 実のところ、一生このままかと不安になっては居たんだが、こんなにあっさりと戻ってしまうとそれはそれで……と言う、まぁどうでも良い僕の感想はさておき。

 実のところ、あれ、これマズイのではと言うのが今の僕の素直な感想だ。

 

 なんせ前述の通り、「赤ん坊のご飯を用意出来るかも分からない」のだ。

 それを解決する術が、自分の身体だったからこれ以上頭を悩ませることはないと一安心していたのだが、あの現象が一過性のものだと言うのなら当然話は変わって来る。

 変身する条件が有る様な物かも分からないと言うのに、いったいどうしたら良いのだろう……

 そう考えてはみるものの、やはり行き着く答えは、


「まぁ、いっか。取り敢えず進もう。」


 自然とそうなるのだった。

 

 『分からないものは考えても分からない』

 

 僕の基本方針スタンスだ。

 いっそ思考放棄と取られる様な方針であるとは理解しているが、それを差し引いても情報不足のままに悩み続けるメリットが見当たらない。

 『備えあれば患いなし』とは言うが、逆に言えば、その患いさえどうにか出来るのなら備えなど必要ないのだ。……まぁ、そう簡単にいかないからこそ出来たことわざということは百も承知ではあるのだが。


 かく言う訳で僕は歩き続けた。

 途中、赤ん坊が目覚めたり、転びそうになったりと色々ハプニングはあったものの、そう大事には至らなかったのでその辺りは割愛して、


「うおぉ……」


 平原の中、僕は静かにそうこぼす。


 僕の眼前には、高くそびえた石レンガの壁が有ったのだ。

 長らく手入れはされていないのか、コケやツタが這ってはいるものの、未だその堅牢さを示すかのように屹立するその様は噂よりずっとまともそうな印象を受けた。

 そう。この場所こそが僕の目指していたグライセ。冒険者と娼婦の町である。

 

 ……って、あれ?こんな文言書いてたっけ。

 

 確認するために再び地図を開いた僕はそんなことを考える。

 町の名前を示す文字の少し下。

 位置こそ違うが、まるでルビでも振られる様に小さな文字でそんな文言が書いてあったのだ。

 こんな場所の文字を見落とすとも思えないが……まぁ、こんなにみっちりと色々書いてあるんだ。移動しながらだからあまり細かく見たりもしていなかったし、やっぱり見落としただけなのだろう。

 ……にしたって、やはり治安がよろしくなさそうな二つ名ではあるのだが。

 

 そんなことを考えながら、僕は辺りを見渡した。目の前には巨大な門があり、その入り口には群がる様に大きな列ができている。

 察するに入国審査のようなものだろうか。

 だがこの地図には……あぁ、そうか。確かに緩いとは書いてたが、無いとは書いてなかったもんな。

 そんな自分の勘違いに納得しながら、僕もその列に並ぶことにした。

 すると、直ぐに分かることが有ったのだが、


「……早い。」


 地図に有った検問が緩いというのはこういうことなのだろう。

 一秒に一人通過しているのではないかと思うほどのペースで列が進んで行くのだ。

 まるで川が流れるような勢いに身を任せていたのだが、そんなペースだと当然僕の番もすぐ来る訳で、


「……」


 今しがた開けた視界の端で、軽装の衛兵らしき男はかったるそうに手招きするのだった。

 

  ごくり


 そんな様子、と言うよりその空気に思わず唾を飲み下しながら、僕はそのサインに従って前へと出た。

 一体何を言われるのか。そんな疑問を考えながら男の正面辺りまで差し掛かったのだが……意外にも男は何のアクションも起こさなかった。

  その……初めてだから何も分からないんだが、これはこのまま通り抜けても良い物なのだろうか。

 緩いとはいえ、こうして検問らしきことをしてる以上ボディタッチぐらいは覚悟してたんだが……まぁ、そうか。素通りするぐらいのことでなければあそこまでの速度は出まい。


 そう思い至った結論に「なぁんだ」と拍子抜けしながら、一度止まった脚を動かし始めたのだが、


「待て」


 背面から飛んだ突き刺さる様な静止の声に僕は思わず足を止めた。

 その声に背筋が冷える思いのまま、劣化したブリキのおもちゃの様に後ろを振り向くと、男の指がどこかを指しているようだった。

 この指が向いている先は……バスケット?


 そう判断して掲げてみると、男は頷いて見せた後、布を捲る様な動きをして見せた。

 どうやらこの籠の中身が気になっているらしい。

 ……面倒なのは分かるが、そこまでくると喋った方が早いんじゃないかな?


 ひそかにそう思いつつ、僕は男に見える様にバスケットの布を剥ぎ、中身を見せつけるように傾けた。すると、


「……おい」


 少し難しい顔をしたのち、男は壁に有る扉の覗き口を開いてそう声を掛けた。

 すると、何名かの男たちが戸の内側からあらわれ、


「どう思う?」

「いやぁ、どうもこうも……」

「とりあえずで良いんじゃないか?」


 こちらに目を向け、好き勝手にそんなことを言うのだった。

 なにやら事情があるようだが、こちらもあまり長居はしたくないのだ。


「あの、僕は行っても良いんですかね。」


 そう考え、引き攣る口で笑顔を張り付けながら訊ねると、


「あぁ、行っていいぞ。その赤ん坊を置いて行くならな」


 そんなことを言われるのだった。

 ……なるほど、論外だ。

 そう判断した僕は、さりげなく赤ん坊にシーツをかけなおしてバスケットを庇う様に体勢を変えた。


 敵は三人……いや、列に並んでいた人間もイライラし始めている様子だ。

 そりゃそうだ。こうしている今この時でさえ、一体何人の人間が入れるんだか。

 それを僕より知っているだろう彼らだからこそ、このまま敵に回らないとも限らない。

 ならば僕が逃げ込める場所は……市中のただ中。そこを置いて他にない。


「どうした?赤ん坊を置きさえすればお前は行っても構わんぞ?」


 僕が赤ん坊を渡したくないということは察したようで、自然を装って周囲を囲われる中、手招きした男は壁にもたれかかったままそう言った。

 コイツらが一体どういうつもりかは知らないが……


「あぁ、そうですね。では、」


 そう言った後、僕は籠を地面に置――――くより早く胸に引き戻して駆けだした。無論、市内に向けて。

 

「囲え、逃がすな」


 僕がそうして飛び出した直後、どこからかそんな命令が飛ぶ。

 見れば、僕よりガタイの良い二人の男が僕の進行ルートへと迫ってきていた。

 どうやら体で進路を塞ぐつもりらしい。

 このままじゃ、二人が進路を塞ぐ方が早いだろう。だが、


「……ッ‼」


 スッ、と素早く息を吸い、僕は赤ん坊にかぶせていたシーツを右手の男へと投げつけた。正直だいぶ杜撰な賭けではあったが、シーツは広がり、


「ぐおっ‼」


 顔を覆われた男はよろめき、もう一人を巻き込んで、仲良く共倒れになった。

 良かった。もし失敗していたらここで詰む所だった。

 そう冷や汗をかきつつ、僕は足元に倒れた体を飛び越えて門の奥へと走り抜けた。

 

 そうして眼前が開けると、そこは噴水のある広場だった。決してあまり広くはないその場所には人がごった返しており、紛れ込むことが出来れば姿をくらませるだろう。

 そう思わせるほどの混雑っぷりではあったのだが。


「おい‼そいつを捕まえてくれ!抜け者だ!」


 ひゅう、と。

 まるで背筋を伝って力が抜けていくような感覚。

 拡声器のようなものがあるのだろうか。

 辺りの喧騒を貫き、そんな声が響いたのだ。

 そうして、


 ぎょろり


 そんな音を錯覚する程一瞬の内に、辺りの視線がこちらに釘付けになった。

 

 ……クソッ、取り敢えず敵がいる可能性の低い方向に逃げた筈がまさか敵を増やされるとは。

 これなら列に逃げた方がなんぼかマシだったぞ!


 内心そう唸りつつ、僕は近くの路地へと飛び込んだ。

 そうして、

 


 ダッダッダッ



 この空間ではそんな音だけが響いていた。

 どうやらここの路地は相当に入り組んでいるようで、多々ある分岐路を適当に進んでいると、いつしか追手の気配は消えていたのだ。だから大幅にペースを落とし、時折聞こえる怒声にビクつきながらもなんとか路地を進んでいたんだが、


「……どうしたもんか」


 思わずため息を吐く。

 完全にノリと勢いでこんなところまで来てしまったが……なんでこんなことになったんだか。

 緩いんじゃなかったのかよ検閲。


 そう愚痴りつつ、頭を掻く。

 

 ……まぁ、順当に考えるのなら、あの地図が書かれた時期と今の間に何かしらの変化が有ったと考えるのが妥当だろう。

 こうなった原因から察するに、変化は赤ん坊に関する物か?

 にしたって狙われる理由が……あぁ、有ったな。


 ふと思い出しつつ、赤ん坊の頭を撫でる。

 

 口頭でしか聞いてないから忘れがちだが、淫魔の、とはいえ王族の子なのだ、この子は。

 それが他国に漏れたって言うのならこの現状もまだ納得も出来る。

 それがどういう風に伝わったかまではは分からないが、まぁ、この状況から考えるに、誘拐だろう。

 そう伝わったのだと考えれば、この子を取り返して国に返せば報奨金が出ると考えるのが妥当だ。

 ……まぁ、実際はそんなものは無いんだが。

 それどころか下手に上まで伝われば、民への伝播を恐れたよって口封じ殺されかねない。

 尤も、他国に漏れるなんてことが起こった今、自国の民にだけ知られていないという事実の方が考えにくいのだが。


 そんなことを考えながら暗い路地を歩いていた時だった。


「グ!!」


 突然の衝撃にそんなくぐもった声を上げる。

 どうやら布のようなもので口をふさがれたらしいのだ。

 それは通過しようとした脇道から手が伸びてきたらしく、僕の顔と口をしっかりと固定していた。

 なんとか抵抗しようと力んでみるが、ピクリとも動かない。

 ……ここは一先ず大人しくして力を温存するべきだろうか。

 ひとしきり暴れた後に、そう判断して力を抜くと、腕は難なく僕を脇道へと引き込んだ。

 そうして、少し力を緩めると、


「シー」


 耳元でそんなことを囁くのだった。

 そしてオッケー?とでも確認を取るように指で輪を作られたため、僕はコクリと頷いた。どうやら殺したいわけでは無かったようだ。

 そうすると、ゆっくりと手が口から外され、


「ぷはっ」


 僕はやっと満足に息を吸うことが出来たのだった。


 未だ肩で息をしながら頭上を見上げると、そこには何やらコートの様な物を纏った影が有った。

 長袖のコートのため、腕は見えないものの、唯一見える手の先はかなり細く、僕をがっちりと固定していた腕と同じものにはとても見えなかった。

 いわゆる細マッチョとか言う奴なのだろうか。

 そんなくだらないことを考えながら見つめていると、フードは突然その細腕を足元へとやった。

 一体何事かと見ていると、


 ズズズズズ……


 そう音を立てて、地面がせりあがり、先ほどまで居た路地とこの路地の入口が分断されたのだった。

 ……魔法という奴だろうか?


 そう考えつつ、フードの意図を掴みかねていると、にわかに今できた壁の向こうが騒がしくなった。どうやら僕を追ってきた奴ららしいが……もしかして、僕を救ってくれたのか?


 ふとそんな結論に思い至り、フードの影に目を遣る。

 すると、ソレはフードを外しながらこう言ったのだった。。


「初めまして、ですね。そしてようやく会えたとも言います。わたくし、リリアス・フォン・ルソラ……貴方のおっしゃる『淫魔の女王』がご助力に参りました。……とはいっても、私のお願いを聞いてくださったのですから当然なのでしょうけど、ね。」


 長い紫の髪と白いローブを揺らしながら、女王は茶目っ気たっぷりに微笑むのだった。

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