意外な解決策

 そうして歩き始めた道中だったが、どうやら旅の出だしとしては中々悪くないスタートを切れたようだった。

 というのも、赤ん坊が入っているバスケットの中、つまり赤ん坊が眠っているシーツの下にはちょっとした空間があり、その中に有った通貨とみられるコインや短剣、そして、地図を見つけることが出来たのだ。

 

 しかも、その地図の手の込みようが凄いのなんの。転移した僕がどこに出るのかまで事前に決まっていたようで、スタート地点から目的地までしっかりと記されており、どこへ行くにはどこをどう通っていくとこんなメリットデメリットがあり、逆にこの道はこうこうこう言う理由でおすすめしない!等のコメントが角と羽が生えた可愛らしいミニキャラと一緒に描かれていた。

 これならどう間違っても道に迷うようなことは無いだろう。

 ただ惜しむらくは、余白をひろげるために縮尺が大きく作られているため、使えるのは最初の内だけと言うことだろうか。

 だがそれを抜きにしても有ると無いとでは大違いだ。

 最初の町に着くまでは存分に活躍してもらおう。

 

 そんなことを考えながら、僕は改めて向かう予定の場所を地図で見直した。

 ここら一帯に広がるだだっ広い平原で唯一流れる川の傍。嫌そうな顔で鼻をつまむミニキャラが指を指している地点がその目的地だった。

 その名もグライセ。他の町に比べ比較的治安は悪いようだが、その分検閲は緩いらしく、この町で冒険者ギルドに所属し、社会的立場を得よう!……という旨のコメントが地図に書いてあった。

 

 別にその言葉通りにすることになんの疑問も不満も無いのだが……治安的に大丈夫なのだろうか。とは正直思う。

 実のところ、僕は生まれてこの方誰かと正面切って殴り合ったようなことは一度も無いのだ。

 それなのに赤ん坊まで守らないといけないとなると、どう転んでも逃げられる未来すら見れない。

 一体僕はどうすれば……まぁ、いいか。


 そうした不安に沈みそうになった頭をその言葉で無理に引っ張り上げる。

 今はあくまで人づての話を聞いておびえているだけだ。そういう噂が起きるという以上、確かに治安は他より悪いのかも知れないが、それもあくまで一部かもしれない。

 真剣に考えるのは実際に自分の目で見て、危険だと判断してからでも遅くないだろう。

 そう考え、改めて歩き出そうとした、その時だった。


 ふぇえぇ!ふぇえぇ!


 僕が持っているバスケットの中から、そんな泣き声が響きだしたのだ。


 「うおっ!そっか、そうだよな。ごめんごめん」


 赤ん坊が泣くという当たり前のことをすっかり失念していた僕は、そう謝りながら日よけに使っていた真っ白な布をどけた。

 すると、そこにはまだ半年も経っていないであろう小さな赤ん坊が居た。

 まだ皺の寄った真っ赤な顔をさらにゆがめ、小さな手足をぎこちなく振り回す。そんな赤ん坊が。

 

 うわぁ、懐かしいな。こうして赤ん坊を見るのは弟ぶりだ。

 ……しっかし不思議だ。赤ん坊の動きってなんでこうも機械的、というか変に緩急が有るのだろう。


 そんな感想を覚えながら、僕はバスケットを置き、膝をついて赤ん坊を持ち上げた。そして、


「おぉ……」


 思わず声を上げる。

  まるで鳥の羽でも持ち上げているかのような体重とは裏腹に、確かに命を抱いているという実感を感じる燃えるような体温。やっぱり……


「可愛いなぁ……」


 何故だろう。赤ん坊の熱を感じている時はいつもそう思うのだった。この小さなぬくもりに顔を埋めたくなるような、離したくなくなるような。これが父性と呼ばれる様な物だろうか。正直……それとはまたちょっと違う気がするんだが。


 そんなよく分からない衝動を抑えながら数分。体を揺らし、膝を曲げ。手を変え品を変えて赤ん坊をあやしては見ているんだが……赤ん坊は一向に泣き止む様子すら見せなかった。

 

 いや、これは流石におかしくないか?機嫌が悪いだけと言うのなら、そろそろ泣き止んでもいい頃合いだ。

 一応先ほどしもの方も見てはみたが、どうやらトイレという訳でも無いようだった。

 だとすると……


 「あぁ……」


 ふととある可能性に行き着いた僕は思わず空を仰いだ。


「ごはんかぁ……」


 赤ん坊のご飯……つまりはそう、おっぱい。

 そんなもの、女でも経産婦でもない僕に一体どうやって準備をしろと……ってちょっと待った。もしかすると見落としただけでバスケットの下が三重底になってるとか……無いな。

 

 そんな無い物に希望を見出す程度には悩んでいたその時だった。


「お?おぉ?」


 思わず戸惑う。なんせ、僕の体が突然発光を始めたのだ。体の一部が、なんてもんじゃない。まるで僕自身が白熱灯になったかのように全体から、細胞単位での光り方。

 こんな物、誰だってきっと戸惑うだろう。だが、僕はそれと同時にふと思い至った。


 これはマズい、と。


 いや、僕も学者ではないから確証は持てないが、赤ん坊の未熟な器官と言うのは使い慣れた僕たちのソレとは違い、強い刺激には弱かった筈だ。そう考えると今この状況。……こんなよく分からないモンでこの子が体のどこかに障害を残す様な事が有れば死んでも死に切れん‼


「ッ‼」


 そう思い至った僕は、左手で尻を、右手で首と頭を支え、まるで天に捧げる様に赤ん坊を持ち上げた。当然泣いている赤ん坊は体を動かして暴れようとするが、僕は手でそれを固定することだけに心血を注ぐ。

 嫌だろうが、すまん!耐えてくれ!


 そんなことを念じて約5秒。

 突然光りだした僕の体は、始まった時と同様、徐々に光を弱め、直に完全な元の肌色へと戻ったのだった。


 ふぅ、やっとか。それにしてもさっきのは一体何だったのだろう。

 ……いや、それより早く赤ん坊を下ろしてやらねば。飯も食えない上に行動を縛られる等赤ん坊のして良い経験では……うん?


 そうして赤ん坊を下そうとしたところで思わず僕は硬直した。

 赤ん坊、こんなに重かったっけ、と。

 いや、おかしいのだ。赤ん坊は先ほどから何も変わってなどいない。僕の左右の腕の動脈が未だにぴったりとくっついていることがその証拠だ。

 それなのに赤ん坊の重さだけが倍になったかのように……もしかして、これがさっきの光の……って、


「うわぁ‼」


 そんな違和感が原因で、バランスを崩した僕は派手にすっころんでしまった。

 

 い、いてててて。

 赤ん坊は僕をクッションにしてなんとか助けられたが、僕自身は少し強く頭を地面にぶつけてしまったのだ。幸い、雑草がクッションとなったため、あまり痛みはないが、少し危ないかもしれない。なんせ視界が霞み、目の前に大きな山が見えるのだ。

 何やら黒く大きい二つの山。先程までそんなものは無かったため幻覚だとは思うのだが……ずいぶん長く居座るなこの幻覚。

 脳の揺れによる幻覚ならもう消えてもおかしくない位の頃合いなのだが……

 そんなことを考えていた時だった。


  ふにゅん


 突然、今まで感じたことの無い様な部位に感じたことの無い感覚が僕を襲った。

 体の正面にあり、なにやら柔らかい様感覚。

 触ったのはおそらく赤ん坊だと思うのだが……もしかして?いや、確認してみるか。


  僕は赤ん坊の脇を持ち上げ、上体を起こした。

 そうして視界を上げる。


 錯覚の山は消えた。


 今度は目線を下にしてみる。


 錯覚の山が現れた。

 

「……まじかぁ。」

 

 そんな光景からゆっくりと得たとある確信に、思わずそう溜息を吐く。赤ん坊の触れている部分と、感じる感覚的な部分が同じような気がしたから確認してみたのだが……どうやら間違いないらしい。


「僕、女になってら。」


 そう結論を下した後、僕は改めて自分の体を見てみることにした。

 先ず視界を下にやれば、足元が見えない程度には大きい胸。

  もともと肌は白い方ではあったが、女になったせいか、肌はより白く、すべすべとしたものへと変わっていた。

 ここまでの時点でもまぁ、女っぽいが……まぁ、そういう体で行くのならやはり確認すべき箇所があるわけで、


「あぁ、やっぱり無いんすね」


 自分の股間に腕を伸ばした僕は思わずそう呟いた。

 目の前の赤ん坊とは違い、僕はどうやら正真正銘の女になったらしい。まぁ、理由も原理も一切が分からない訳だが。

 だが、それはそれとしてこれはチャンスなのでは無いだろうか。


 そう考えつつ、僕は黒いシャツを引き上げ、突然生えてきた乳を放り出した。

 

 無論、経産婦でなければ母乳が出ないというのは常識ではあるが、これは紛れもなく赤ん坊のための部位だ。先程思いついても実行する勇気が無かったおしゃぶりの代わりに乳首を差し出す作戦にはもってこいでは無いだろうか。

 足りなかった勇気も女になった今では当然という体で出来る。

 赤ん坊も、先端がとがってるだけの板より、全体的に出ているこっちの方が咥えやすいに違いないだろう。

 そんなことを考えながら、左の乳首を咥えさせて……


 「……ん?」


 そこで思わずぴたりと動きを止めた。

 

「……出てる」


 出てる。そう、出てるのだ。

 何がと聞かれたら、それはやはり答えるまでも無く、


「母乳出てるわ……えぇ」


 そう正しく現状を理解して、僕は思わず困惑した。

 一体何がどうなってるんだ?

 童貞はもちろん、処女も捨てた覚えは無いんだが……あれか?処女受胎とか言う奴か?となれば僕はアレか。聖女だ。

 そうなれば子供が居ないことが疑問点だが……あぁ、もういいや。疲れた。


 そんなどうでも良い様なことを考えながらも、僕は少し座り込んで赤ん坊を眺めた。

 まだ歯も生えていない歯茎で突起に噛みつき、懸命に生きようとちうちうと乳を吸う。

 言葉にしてみると、利己的この上ないが、そんな様子はやはり愛おしさとして僕の胸に突き刺さるのだった。

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