第16話 王都襲撃 その8

 王宮内、玉座の間にて騎士たちは混乱していた。


 人喰いの魔女の襲撃、アスタモンド王が自分たちを皆殺しにしようとした事実。アスタモンド王の娘を名乗るリオン・アスタモンドの介入。


「――遅くなりました。お師匠」


 そしてもう一つ。突如現れ、玉座の間内のモンスター全てをまばたきのうちに殲滅した青髪の少女。目まぐるしく変わる戦場の様相を、騎士たちはただ見ていることしかできなかった。


「なるほど。アンタがその女の隠し玉ってわけ。王都の東に放った合成魔獣キメラを殺したのもアンタでしょ」


 人喰いの魔女が青髪の少女に言う。その背後からアスタモンド王が不機嫌そうに声を掛けた。


「おい。どうなっている。私は直ちに皆殺しにせよと言ったはずだが?」


「大丈夫よ王様。ちょっとした邪魔が入っただけ。何も問題はないわ」


 そう言って、人喰いの魔女は顔の前で手を組み合わせると、人語とは思えない音の羅列を口から吐き出した。


 その瞬間、魔女の背後に漆黒の裂け目が出現し、そこから巨大な手が現れた。やがて手だけではなく、腕、胴、頭、と裂け目から這い出てくる。


 それは牛の頭骨に似た頭部を持ち、両腕には肉切り包丁のような形状をした大刀がそれぞれ一本ずつ握られている。足は四足で馬の蹄のようなものが生えていた。


 その悪夢を形にしたような邪悪な姿に、一人の騎士は息を呑んだ。


(な、なんだこの化け物は。こんなの、勝てるわけが――)


「こいつは今までの合成魔獣とは違うわよ。知性を与えず、代わりに攻撃力と防御力に特化させた破壊の化身」


 人喰いの魔女はまるでおもちゃを自慢する子供のような声色でそう言った。怪物から発せられる圧倒的な「死」の匂いに、青髪の少女は汗を滲ませる。


「――さぁ、ちょっとは楽しませてくれるのかしら?」


 人喰いの魔女がにたりと笑みを浮かべる。それが合図であったかのように、地を蹴った怪物は青髪の少女へと襲いかかった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 騎士団の男は、目の前の光景をどこか別世界の出来事のように眺めていた。


 人喰いの魔女が呼び出した合成魔獣は、文字通り『怪物』と呼ぶにふさわしい戦闘能力を備えていた。二振りの大刀から繰り出される息もつかせぬ連撃。掠りでもすれば致命傷は確実であろう。


 そしてそんな、「当たれば即死」とも言える攻撃を、青髪の少女はもう十五分以上はかわし続けていた。


「――ハァァァァッ!!」


 連撃の合間を縫ってわずかに発生する隙、そこを狙って少女の持つ刀が怪物の脇腹へと切り込まれる。


 が、その一撃は鉄を打つような鈍い音を奏でて弾き返されてしまう。刀は皮膚一枚を切ったに過ぎず、すぐに怪物の反撃カウンターが少女を襲う。


 ごう、と言う風切り音と共に振り抜かれる大刀。人間に回避できる速度ではなかったが、すでに少女はその場から姿を消していた。


「攻撃がまるで通りませんね……」


 少女は怪物から数十メートル離れた位置へといつの間にか移動していた。それは「瞬間移動」としか説明できない現象で、少女がこの怪物と斬り合えているのはこの能力によるところが大きい。


 しかし、それも長くは続かないであろうことは明らかだった。


 少女の呼吸は少しずつ乱れ、その動きは徐々に鈍くなっていたのだ。


 それも当然である。体内から湧き出る無限の魔力によって常に筋繊維の一本まで回復し続けている合成魔獣と違い、人である以上肉体の限界は必ず訪れる。このまま戦いが長引けば、いずれ怪物の一撃が少女を捉えるであろうことは明白だった。


 戦いを眺めながら、騎士の一人はぼんやりと思った。――もしこのまま青髪の少女が敗れたらどうなるのだろうか。


 決まっている。計画通り、アスタモンド王は自分たちを皆殺しにし、そして実の娘であるリオン・アスタモンドも殺されるだろう。ここで話されたことは全てなかったことになる。真実は闇へと葬られるのだ。


(――そんなこと、あってたまるか!)


「総員! あの青髪の少女に加勢しろ!」


 立ち上がってそう叫んだ騎士の男に、他の騎士たちは驚いたように目を向けた。


「あの少女が敗北すれば、俺たちも終わりなんだぞ! 俺に続け!!」


 騎士の男は叫ぶやいなや、合成魔獣へと向かって走り始めた。やがて男が合成魔獣の間合に入ったその瞬間、無造作に振り抜かれた大刀が男の上半身を消し飛ばした。


「――ッ!!」

 

 男の言葉によって動きかけていた騎士たちの足が、その一撃によって再び止まった。全員が理解したのだ。この戦いに介入することなどできない。これまで自分たちの見てきた戦いとはレベルの桁が違うと。


 棒立ちになった騎士たちの視線の先で、合成魔獣と死闘を続ける青髪の少女。やがて合成魔獣の大刀が少女の頬を掠めて、血飛沫が大理石の床へと飛んだ。


「――くっ!!」


 二の腕、足、脇腹、少女の身体に次々と切り傷がついてゆく。


(――あのままでは、あの少女は死ぬ!! そうなれば俺たちも……!)


「おい! 貴様! あの少女の師なのであろう!? なぜ加勢しない!!」


 騎士の一人が、糾弾するようにリオンに向けて叫んだ。リオンは男を一瞥すると、淡々とした声で答える。


「私は呪詛の魔術の効果で、人喰いの魔女の細胞から生み出されたモンスターには危害を加えられない。あの合成魔獣に攻撃出来ないんだよ」


「くっ……! だ、だからって、弟子が死にそうなのになんとも思わな――」


 そこで、騎士の男は初めて気が付いた。


 硬く握りしめられたリオンの拳、そこから滴る血の雫に。


「なんとも思わない、わけないだろう。なんならキミが加勢に加わってくれたっていいんだよ? 即死だとしても、合成魔獣の気を一瞬引くくらいのことはできるかもね」


 リオンは男に目も向けず、低い声でそう言った。が、それから溜息をついて、


「……いや、今のは意地が悪かったね。忘れてくれ」


 奥歯を噛み締め、思わず目を逸らしたくなる光景をリオンは真っ直ぐに見つめた。


「スイ、頼む。耐えてくれ……!!」




◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「グゥオオオオオオオオオオオオ!!」


 咆哮を上げた合成魔獣が、振り上げた大刀をスイに向かって真上から叩きつけた。間一髪、スイはそれを瞬間移動で回避する。合成魔獣の背後へと飛んだスイは、無防備にさらされた背中へと切り込もうとして、がくりと床に膝をついた。


(――!! もう、体力が――!!)


 瞬間移動による撹乱とヒットアンドアウェイ。これによってどうにか合成魔獣の攻撃を避け続けていたスイだったが、つい体力の限界が訪れた。


 合成魔獣が振り返る。一瞬の間をおいて、フルスイングで振り抜かれる大刀の一撃。それをスイはもろに刀で受けてしまった。


 刀が折れなかったのは奇跡というほかない。ビリビリと衝撃が全身を貫き、瞬間移動も間に合わず、吹き飛んだスイは背中から柱に激突した。


「――がはッ!!」


 そのまま床へと落下したスイの口から血が溢れた。ここまでにスイが合成魔獣から受けた「直撃の攻撃」は今のたった一撃だけ。だが、勝負を決めるにはその一撃で十分だった。


(……どうやら、ここまでみたいですね……)


 もはや焦る必要はないと悟ったのか、合成魔獣はゆっくりとした足取りでスイへと向かう。自身に迫る怪物を見つめながら、スイはふと、あの雪の日を思い出していた。


 一人ぼっちで森の中を彷徨ったときのことを。寒くて、怖くて、ずっと震えていたときのことを。


 自分をモンスターから助けてくれた少年のことを。優しく抱きしめてくれた恩師のことを。


(私は少しでも、お二人のお役に立てたでしょうか……)


 死ぬのは怖くない。本来自分の命は、あの日、あの森で終わりを迎えているはずだったのだ。この命を恩人である二人のために使うことができたというならば、生に未練などあるはずもなかった。


 眼前に迫った合成魔獣。とっくに回避できる間合ではなく、もはや瞬間移動をしようとも思わなかった。その行為はごくわずかな時間だけ死を先延ばしにする意味しかない。


 合成魔獣が大刀を振り上げる。確実に頭上へと落ちてくる死の運命。それを静かに、スイは受け入れた。


 ふと、合成魔獣がその手を止めた。合成魔獣は、スイを見てはいなかった。


「……だぁれ? アンタ」


 人喰いの魔女が言う。その視線もすでにスイを見てはいなかった。スイのずっと背後を見つめていた。


(……?)


 スイは振り返って、合成魔獣と人喰いの魔女が見ているもの、その正体を探した。


 歪む視界の先、開け放たれた玉座の間の扉。


 そこに、誰かが立っていた。


 それは、スイのよく知る少年だった。


(――ああ)


 スイの瞳から、涙が一滴溢れて頬を伝った。


 そこには、あの日自分を救ってくれた少年が――グリムが、立っていた。

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