第10話 スイ

 バグつきの少女は名前を「スイ」と言った。俺はひとまずスイを師匠の隠れ家に連れて帰ることにした。


「――落ち着いたかい?」


 師匠が優しく尋ねると、暖炉の前で毛布に包まっていたスイはこくんと頷いた。到着したときは飢えと凍えでかなり衰弱していたが、師匠特製のスープと温かい暖炉の火で活力を取り戻したようだ。


 ふと、師匠が俺の方を見てニヤニヤと笑みを浮かべた。


「まさか、グリムが女の子を連れ帰ってくるなんてねぇ。なかなかスミに置けないじゃないか」


 俺はスープの鍋をかき混ぜながらため息をつく。


「ふざけてる場合ですか。その子、『バグつき』ですよ。ちょっと見てあげてください」


「はいはい」


 師匠はスイに向き直ると『看破』のスキルを発動した。師匠の瞳に薄く光が灯る。その様子に、スイは怯えたようにビクリと体を震わせた。


 そして次の瞬間、スイの姿が消えた。


「えっ?」


 俺は目を見開いた。スイの羽織っていた毛布がぱさりと床に落ちる。同時に、俺は右腕に重さを感じて振り返った。


 そこには、スイが立っていた。さっきまで暖炉の前に座っていたスイは、一瞬で俺の隣に移動したのだ。スイは怯えたような目をしたまま俺の腕を掴んで震えていた。


 師匠は顎の下に手を当て、うーんと唸った。


「どうやら、今のが彼女の『能力』みたいだね」


「瞬間移動、ですか?」


「わかりやすく言えばそう。正しくは『座標の書き換え』かな。自分の存在している位置座標を上書きして反映する感じ」


 師匠の『看破』スキルは精度が桁違いだ。大概のスキルや能力は一度見ただけでなにが起こっているのか理解することができるらしい。


 俺と師匠がスイを見つめていると、スイの顔色はみるみるうちに青ざめた。俺の腕から手を離すと、


「ご、ごめんなさい……ごめんなさい……!」


 突然、そう言って床に頭を擦り付けた。師匠がすぐに駆け寄って、スイの前で膝をつく。


「大丈夫だよ。誰もキミを叱ったりしないから」


 師匠がそう言って笑うと、スイは落ち着きを取り戻したようだった。


「よかったら、キミのことを少し教えてくれないかな。どうして一人で森にいたの?」


「あ……私たちは……この森に連れてこられて、捨てられたの……」


 スイはぽつぽつと話し始めた。


「私は呪われた子だから……家でもずっと『存在しない子』として扱われてきて……ある日、村の食料が足りなくなって……。選ばれた人たちが森に捨てられることになって……」


 なるほど。俗にいう「口減し」というものだ。恐ろしい風習だが、そのようなことを行なっている地域があるという話は聞いたことがある。


「私と一緒に捨てられた人たちはみんな……モンスターに襲われて……私だけ……なぜか逃げ延びられて……」


 スイの瞳からぽろぽろと涙が溢れた。そんなスイを師匠はぎゅっと抱きしめると、


「辛かったね。もう大丈夫だよ。さぁ、お湯を張ってあるから温まっておいで。あ、それとも三人で一緒に入る?」


 そう言って俺に向かってウィンクを飛ばしてきた。俺は冷ややかな視線で応じる。


「いけずだなぁ。昔はよく一緒に入ったじゃないか」


「記憶を捏造しないでください。一度もないでしょう」


 師匠はスイの頭を優しく撫でながら、つんと唇を尖らせた。


「あーあ。出会った頃のグリムはもっとかわいらしかったのに。なにかにつけて、ししょー、ししょーって私の後をついてきて。今じゃすっかり反抗期になっちゃって」


「俺は師匠の言うことには忠実ですよ。ただ、寝言まで聞く必要はないというだけです」


 ひどいなぁ、と師匠は笑う。それからスイの手を引いて、


「さ、じゃあ一人でゆっくり入っておいで。これからのことは後で一緒に考えよう」


 そう言って脱衣所まで連れて行った。一人戻ってきた師匠は、艶のある黒髪を手でぐしゃぐしゃと掻きむしりため息を吐く。


「……モンスターだらけのこの森であの子だけ生き延びることができたのは、危険を感じたら無意識に能力を使っていたからだろうね。あの弱り具合、何日間森の中をさまよったのやら……」


「師匠、あの子をどうするつもりですか?」


「キミと同じだよ。あの子にも選択肢を与える。ここで力をつけて、私の『復讐』に協力するか。ここを出て一人の力で生きてゆくか」


 師匠の『復讐』。その内容について師匠はいまだに教えてくれたことはない。


「それにしてもグリム。キミ、ずいぶんあの子に懐かれているね」


「そうですか?」


「うん。さっきあの子が咄嗟に能力を使ったとき、キミのところに移動しただろ? 多分無意識にキミの近くが安全な場所だと認識しているんだよ」


「はぁ……」


 それは嬉しいような、ちょっと困るような。


 俺は椅子に座って、自分の分のスープに手をつけようとした。


 その瞬間。


 がたーん!


「おわっ!?」


 派手な音を立てて、俺はひっくり返った。床に仰向けに倒れたまま、何かに体を押し付けられて立ち上がることができない。


 そう、何か柔くしっとりと湿ったものに……。


 顔を上げると、ぱっちりとした瞳と目が合った。


 それは俺の上で馬乗りになっている、一糸纏わぬ姿のスイだった。


「お、お風呂場にカエルが……」


 スイは涙目でそう呟く。師匠はそんな様子を見ながら「あらー」と気の抜けた声をあげていた。


「びっくりして瞬間移動が暴発したのかな? にしても、やっぱりグリムに懐いてるんだねぇ」


「……いいからどかしてください」


 その後、俺に気がついたスイは顔を真っ赤にして慌てふためいていた。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




 昼の喧騒とは打って変わって、静かな夜だった。俺は家の外で一人、軒先に座って月明かりの下で手袋を修繕していた。


 手袋は俺にとって大切な道具だ。俺の能力は『素手で物体に触れる』ことが発動条件になる。まだ能力の制御が上手くできない俺にとって、手袋は能力の暴発を制御するリミッターの役割を果たす。


 ふと、背後に人の気配を感じて振り返ると、玄関の扉を開けてスイが立っていた。


「あの、先程は大変失礼しました」


 スイはそう言ってぺこりと頭を下げた。湯浴みを終えて泥を落としたスイは、改めて見るとかなりの美少女だ。


「別に、気にしないでいいよ」


 俺がそういうと、スイはなぜか俺の隣にきてストンと腰を下ろした。


「その、お師匠から聞きました。あなたも私と同じような境遇であったと」


「ん? ああ……まぁ、そうかもな」


 家族に忌み子として扱われていたことや、森に捨てられたことなど、確かに俺とスイには共通点が多いのかもしれない。だからって相手の辛さが全てわかるなどと思い上がったりはしないが。


「その、これからどうするんだ?」


「はい。ここでお世話になることになりました。恩人であるお師匠の『復讐』をお手伝いさせていただきます」


 そうか。スイもその決断をしたんだな。ここで自分の『力』の使い方を学び、強くなる道を彼女も選んだのだ。


 スイは姿勢を正すと、どこか熱に浮かされたような目で俺を見つめてきた。


「あなたも私の恩人です。グリム様。先刻はモンスターから助けていただきありがとうございます。何か、私にできることがあればなんでも言ってください」


「なんでも、か」


 俺は白い息を月に向かって吐き出して、修繕の終わった手袋をポケットに仕舞った。


「じゃ、呼び方を変えてくれ。『グリム様』はどうにも慣れない。グリムでいい」


 スイは一瞬きょとんとして、すぐに花が咲いたような笑顔を浮かべた。


「――はいっ! グリム様!」


 ……いや、全然伝わってないな!?

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