第4話 魔女の家
「――はっ!」
ぼくが目を覚ましたのは硬いベッドの上だった。そこは薄汚れた古い木造の小屋で、すぐ脇には灰の積もった暖炉があり薪が燃えていた。
「ここは……?」
「やぁ、起きたかい?」
ハッとして振り返る。そこに立っていたのは森で見たあの『黒い魔女』だった。
魔女はニコニコ笑いながら暖炉に近づくと、火の上に吊り下げられていた鉄鍋を取り出してテーブルへと置く。
「いやーびっくりしたよ。目の前で急に倒れるんだもん。そんな経験初めてだから、そりゃ焦ったよね」
タハー、という風に笑う魔女。
「あ、あの……あなたは……黒い魔女、ですか?」
ぼくの質問に、魔女はひらひらと手を振って応じた。
「そうだよー。私がこの森に住む黒い魔女。よろしくねー」
……噂で聞いていたイメージと随分違う。確かに噂通り全身真っ黒な服装をしているが、魔女の顔つきはぼくが思っていたよりも随分と優しく朗らかだった。まどろむ猫みたいな瞳に、綺麗に筋の通った鼻と薄い唇。
簡単に言ってしまえば、魔女は美人だった。身長が低めなこともあって、可愛らしい雰囲気を漂わせている。
「とりあえずさ、ご飯にしようよ。お腹空いてるでしょ?」
魔女はそう言って鉄鍋の蓋を持ち上げた。湯気と一緒に美味しそうな匂いが部屋に溢れる。
「!! もしかして、そうやって優しくしておいて、ぼくを太らせてから食べるつもりじゃ……」
「ん? なんか言った?」
「な、なんでもないですっ! あ、あの、ぼくビスケットを持ってるから、食べ物は大丈夫です!」
慌ててそう答えると、魔女は顔から笑みを消した。
「あのさ、そのビスケットなら食べない方がいいと思うよ」
「え?」
魔女はどこか言いづらそうに言葉を続けた。
「キミが寝てる間に少し調べさせてもらったんだけど、そのビスケットには強力な睡眠作用がある。多分、即効性の睡眠薬を混ぜてあるんだろうね」
魔女の言葉にぼくは絶句した。
即効性の睡眠薬? 何でそんなものがビスケットに?
決まっている。ぼくを眠らせるためだ。眠らせて、森に置き去りにするため。
――ぼくは、家族に捨てられたんだ。
薄々勘付いてはいたがこれで決定的となった。シャレル家は『バグつき』であるぼくの存在が邪魔になって森に捨てる計画を立てていたのだ。
でも、今そんなことはどうでもいい。ぼくにとって重要なことは他にある。
瞳から涙が溢れた。歯がカチカチと音を立てて、やがて体が震え始めた。
(――ありがとう、グリム)
お母さんの声が脳裏を過ぎる。ぼくは声を上げて泣きじゃくった。
「え!? ちょ、ちょっと、どうしたの!?」
魔女が慌てて駆け寄ってくる。ぼくは構わずに泣き続けた。
ぼくが泣いてる間ずっと、魔女も泣きそうな顔でぼくの周りをおろおろと動き回っていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「――落ち着いた?」
散々泣いて、泣き止んだぼくに魔女は優しく話しかけてきた。ぼくは頷いて手で目元を力一杯拭う。
魔女はぼくが泣き止むまで後ろから抱きしめてくれていた。落ち着きを取り戻したぼくは、こんな状況だというのに背中から伝わる魔女の胸の柔らかな感触に少しどきどきしてしまった。
そのあと、ぼくは魔女の作ってくれたスープを飲みながらこれまでのことを全て話した。生まれながら呪われていたこと、シャレル家での日々、自分が捨てられたという事実を。
「やっぱりキミ、『バグつき』だったんだね」
「気づいてたの?」
ぼくは驚いて魔女を見た。
「寝てる間にちょっと体を調べさせてもらったんだよね。そしたら色々わかっちゃってさ」
魔女はそう言って、猫のような瞳を細めてぼくを見た。
「……面白い力だね。インベントリに格納した物体を増やす力。まぁ、正しくは『格納したと言う事実を消す力』って感じかな」
魔女の言葉の意味はよくわからなかった。じっと見つめられるのが居心地悪く、ぼくは空になったスープの皿へと視線を落とす。
スープの皿とは反対に、ぼくの頭の中は「これからどうするか」という現実的な悩みで一杯だった。
もうシャレル家に戻ることはできないだろう(戻りたいとも思わないが)。自分はまだ子供だ。たった一人で生き抜いていけるだけの知識も技術も持っていない。どこかで働かせてもらうにも『バグつき』であることがバレたらすぐに追い出されてしまうだろう。
「ねぇ、ちょっといい?」
伏せていた顔を上げると、魔女が笑みを浮かべてぼくを見ていた。
「提案なんだけど、もしよかったらここに住まない?」
「え?」
やっぱり太るまで待ってから食べるつもりじゃ……?
疑いの目でじっと見返すと、魔女はあははと声を上げて笑った。
「別にとって食ったりしないよー? でも、もちろんタダじゃないけどね。キミには私の計画に協力して欲しいんだ」
「計画、ですか?」
魔女は頷く。
「簡単に言えば、復讐、かな」
復讐。その物騒な言葉に思わず背筋が冷たくなった。
「私が衣食住を保証する代わりに、キミには来るべき復讐の日に備えて力をつけてもらう。私が『力』の使い方を教えてあげるよ。キミはそれを使いこなせるようになるんだ」
「どうして、魔女さんがそんなことを教えられるの?」
「私も『バグつき』だからね」
ぼくは驚いて魔女の顔を見た。自分以外の『バグつき』に会うのは生まれて初めてだった。
「さぁ、どうする? 選ぶのはキミだよ。もしここから出ていくというなら王都までは送ってあげる」
魔女はそう言って、ぼくの返事を待つように口を閉ざした。
ぼくは少し考えてから、
「……ここにいさせてください。ぼくに、『力』の使い方を教えてください」
そう答えた。
どうせ王都に戻ったところで生きてゆくあてなんてない。魔女の提案は願ってもないものだ。
「うん。契約成立だね。よろしく」
魔女はそう言って、ぼくに片手を差し出した。ぼくはその手を握り返しながら尋ねる。
「あの、魔女さん、名前はなんていうの?」
魔女はにっこりと微笑んで、
「リオン、だよ。でもキミは私のことを『師匠』と呼ぶように!」
そう言って「えっへん」という音が聞こえてきそうなほど胸を張ってドヤ顔をした。
これがぼくとリオンの――ぼくにとって生涯の師となる『黒い魔女』との出会いだった。
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