第3話 最悪の誕生日

 その日、ぼくたち一家は王国の北にある森へと紅葉を見に出かけた。


 馬車はどんどん森の中を進み、やがて湖のほとりで止まった。あたりの木々はすっかり赤や黄に染まっており、確かに美しい景色が広がっていた。


 が、ガエルとギルは早々に飽きてしまったのか、木剣を取り出して剣術の訓練を始めた。お父さんはそんな二人のことを「さすが俺の息子だ」と得意げに眺めていた。


 ぼくはガエルとギルにいじめられるのが嫌で、ひとりで森の奥へと逃げ、大きな木の影に隠れていた。


 そんなぼくを見つけたのは、お母さんだった。お母さんはぼくに優しい言葉をかけ、木陰にシルクの絨毯を敷いてくれた。ぼくとお母さんはその上に座って二人でお茶を飲んだ。


 お母さんが焼いたビスケットを出してくれて、ぼくはそれをたくさん食べた。とても幸せな時間だった。今年の誕生日はとてもいい日になったと、ぼくはそう思った。


 気がつくと、ぼくは眠っていた。なぜだろう。ちっとも眠くなんてなかったはずなのに。


 目を覚ましたとき、あたりは日が落ちて暗くなっていた。そして、隣にいたはずのお母さんがいなくなっていた。


「……おかあさん?」


 ぼくはぽつりと呟いた。


「――おかあさん!!」


 今度は大きな声で呼んでみた。が、その声は森の暗闇へと飲み込まれて何も返ってこなかった。


 お父さんも、お母さんも、ガエルも、ギルも、周囲には誰もいなかった。あるのはただ、どこまでも鬱蒼とした暗闇の森だけだった。


 どうしていいかわからず、ぼくは月明かりを頼りに森を歩き始めた。


「お母さん、どこに行っちゃったんだろう……」


 どれほど歩いても景色は一向に変わらなかった。途中お腹が空いてきたので、ぼくは「インベントリ」と呟いた。空中に半透明のウィンドウが現れる。


 ーーーーーーーーーー

 所持品:

 ・ビスケット × 102

 ーーーーーーーーーー


 ぼくはインベントリからお母さんの焼いてくれたビスケットを三枚だけ取り出して食べた。


 ぼくが何かを手にすると、いつの間にか数が増えてインベントリに入っていることがある。これも『バグつき』のせいだって周りの人は不気味がるけど、今だけはこの不思議な力をありがたいと思った。ビスケットを増やせば、食べ物に困ることはないだろう。


 そこでふと、目の前の暗がりから人の気配を感じてぼくは足を止めた。


「……だれかいるの?」


 恐る恐る暗闇に問いかける。


 問いかけに答えるように暗闇から姿を現したのは、全身を真っ黒なローブで覆った黒髪の女性だった。


 『黒の魔女』だ! ぼくは恐怖のあまり悲鳴を上げることもできず、金縛りにあったかのように硬直していた。


 そのとき、突然視界がぐにゃりと歪んだ。


 黒の魔女に何かされたのだろうか? 訳もわからないまま、ぼくはその場で意識を失ってしまった。




 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇




「いいか、グリムなんていう子は最初から存在しなかったのだ。肝に銘じろ」


 北の森から王都へと向かう馬車の中で、デューク・シャレルは顔色ひとつ変えずにそう言った。


「でも父さん、アイツ自力で戻ってくるかもよ。どうせなら縛って湖にでも沈めてやればよかったのに」


 そう言って口を尖らせたガエルの裾をギルが引っ張った。


「大丈夫だよ、ガエル兄さん。森には『黒い魔女』がいるんだぜ。グリムのやつ、今頃そいつに喰われちまってるさ」


 それもそうか、とガエルが言って、二人は楽しそうに笑う。


 デュークは腕を組んで窓の外を眺めた。

 

「呪われた子――『バグつき』をいつまでも家においておくわけにはいかんからな。シャレル家の威厳に関わる」


 デュークはふんと鼻を鳴らした。


「俺はアイツの七歳の誕生日まで待ったのだ。『バグつき』といえど、もしかしたら騎士としての素質がどこかで開花するのではないかと……が、無駄だった。アイツはやはり失敗作だった。このまま家においていては、いつか必ずシャレル家の名に泥を塗ることになっていただろう」


 デュークは隣に座る妻――イザベル・シャレルの方を見た。


「お前も、よくやってくれた。アイツはお前によく懐いていたからな。ビスケットに睡眠薬が入っているなど疑いもしなかっただろう」


 それからデュークはガエルとギルへと向き直った。


「お前たちも、いいな。グリムのことはもう忘れろ。お前たちに弟などいなかったのだ」


 二人の子供たちは「はーい」と呑気に返事を返す。


「でもガエル兄さん、これから誰でスキルを試せばいいんだろう?」


「確かにそうだな。アイツは実験台としては優秀だったもんなー」


 森へ向かうときよりも一人分軽くなった馬車は、一度も速度を緩めることなく月夜を駆けてゆくのだった。

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