03_髪の毛をカットしてもらう
ワラビーは俺の背後に立ち、櫛で髪を梳く。
「これからカットしていきますけど、何か読みます?」
「ファッション誌や美容情報誌ばかりだから……。あ。休憩室から私物の漫画雑誌持ってきましょうか?」
「別に気にしなくてもいいですよ。髪の毛が挟まっても、持って帰ってチョコレートに入れたりしませんから。って、入れるのは私の髪の毛かー」
冗談めかしていたかと思ったら、ワラビーは急に「あっ!」と驚き、慌てて続ける。
「毎年あげているのには入れてませんからね! ちゃんとレシピどおり、市販のチョコレートを湯煎で溶かして、型に入れて作りました。髪の毛も唾液も、何も入れてません!」
お、おう。
「で、では、カットしますね。……最初にサイドをバリカンでカツアゲしますね」
カツアゲェ?!
「冗談ですって。毎回ちゃんと反応してくれて嬉しいです。カツアゲじゃなくて、かりあげていきます。右耳からいきますよー」
ヴィーン:バリカンの駆動音。
シャリシャリシャリ:右耳周辺の髪が切られていく音(草刈り機じゃないので、バリバリ言わない)
バリカンの駆動音に紛れて、何かぼそぼそ聞こえてくる。
「チョコレートに何も入れていないって言ったけど……。愛情はいっぱい入れたんですよ……」
……?!
なんか聞こえたんだが?!
え?
聞き間違い?
愛情を入れた?
薄々とそんな気がしていたけど、まさか、こいつ俺のこと好きなの?!
い、いや、わざと偶然聞こえたようにして、俺をからかっているだけか?!
「左耳いきますよー」
ヴィーン:バリカンの駆動音。
シャリシャリシャリ:左耳周辺の髪が切られていく音
バリカンの駆動音に紛れて、何かぼそぼそ聞こえてくる。
「鈍感な先輩は、卒業後も後輩ちゃんが毎年手作りのチョコレートをプレゼントする意味を、もっとよく考えるべきですよ。お父さんに作るついでなんて、嘘に決まってるんだから、信じないでくださいよ」
くそっ。耳を澄ましていたけど、バリカン音に紛れて、はっきりとは聞きとれなかった。
カチッ:スイッチ音。
バリカンの駆動音がとまった。俺は鏡越しにワラビーの様子を観察するが、特におかしな点はない。さっきのはやはり聞き間違いか。
「チョキチョキしていきますねー」
チャキッ。チャキッ:右耳周辺の髪の毛先をはさみでカットする音
「ふんふふ、ふーん♪」
上機嫌に髪の毛をカットしてくれている。
うーん。俺への好意を仄めかすようなことを言っていた気がしたか、やはり気のせいだったか。
ワラビーが普段と違って、可愛い、じゃなくて、綺麗、だから俺が意識しすぎているみたいだな……。
「お客様。当店には初のご来店ですが、どこで当店のことをお知りになられましたか?」
どこでも何も、お前が来てくれって言ったんだが。
俺が軽く突っこみを入れると、ワラビーは短く空笑いをする。
「ははっ。そうでしたね。私が紹介しましたね。……では、左もカットしますね」
チャキッ。チャキッ:左耳周辺の髪の毛先をはさみでカットする音
「お客様、ご趣味はなんですか?」
……?
夜中、いつも一緒にゲームしているから、そんなの言わなくても、分かるよな?
「あ、あはっ。そ、そうですよね。あははっ。知ってます。いつも一緒にゲームしてます」
なんか、様子が変だ。まさか――。
俺が追及すると、ワラビーははさみを退かしてから、早口で言い訳を始める。
「ち、違います。どうせ聞こえないだろうからと、バリカン中に恥ずかしいこと言っちゃって、それを思いだしてテンパってるなんて、そんなことないです。単に私のトークデッキ最上段にセットしてある話題をそのまま引いちゃっただけです。美容師あるあるトークです」
早口すぎて嘘くせえ。
「と、とにかく、手元が狂うといけないので、今のことは追及しないでください」
……おう。
「前髪カットします。長さはほんの少し短くする感じで、これくらいでいきますね」
チャキッ。チャキッ:前髪の毛先をはさみでカットする音
なんだかんだいって、ちゃんとした美容師なんだな。
器用に櫛で俺の髪を梳いて、切っていく。
手先に戸惑った様子はなく、滑らかな動きだ。
ん?
ワラビーは手を止めると、俺の右耳に顔を近づけて囁く。
「ねー? 先輩、ずっと私の胸、見てません?」
酷い誤解だ!
「目線の位置、変えてください」
チャキッ。チャキッ:前髪の毛先をはさみでカットする音
「あの。手元を見られると、緊張しちゃうかも……」
チャキッ。チャキッ:前髪の毛先をはさみでカットする音
「あ。仕上がりは気になると思うんで、目は閉じなくていいですよ」
チャキッ。チャキッ:前髪の毛先をはさみでカットする音
「見るところないなんて言わず、私を見つめてくれていいんですよ」
「冗談です。鏡越しでも見つめられたら手元が狂います」
「長さ、こんな感じでいいですか?」
うん。文句なし。
「では、ブローしまーす」
ブゥゥゥゥ:ドライヤーの音、やや弱め。髪の毛に櫛を入れながら、風を当ててくる。
ワラビーは作業しながら、ボソボソと呟く。
「アピールしてるのに、先輩、ぜんぜん気づいてくれないし……。どうしたら、先輩のこと、好きって伝わるんだろう……」
……?!
待って。なんて言った。ドライヤーの音に紛れてはっきり聞こえなかったんだが?!
俺のこと好きって言ってない?
髪の毛を「梳く」って言っているのか?
カチャッ:ドライヤーを停止する音
ゴソゴソ、カチャカチャ:ワラビーが前方に移動し、台の上に置く音。
ワラビーは鏡を手にすると俺の背後に戻る。
「後ろこんな感じですけど、見えます?」
「私好みにしてみましたけど、こんな感じでどうです?」
いい。俺は素直に、満足していることと気に入ったことを伝えた。
「えへへ。どういたしまして。先輩の写真を見ながら、イメージトレーニングいっぱいしたので、実は絶対に似合うって自信あったんですよ」
「では襟足、剃っていきますね」
ショリショリショリ:襟足を剃られる音
背後の首筋からショリショリ音が聞こえてきて、なんか、くすぐったい。
「あー。美容院によってはするところもありますけど、うちは男性用の顔そりはないんです。髪の毛を整えるために、襟足はそりますけどね」
「あっ!」
な、なんだ、その声、失敗したのか?
俺が不安になっていると、右耳に顔を近づけて囁いてくる。
「ふふっ。冗談です。失敗してませんよ」
ショリショリショリ:襟足を剃られる音
「あっ!」
お、おい、今度はな、なんだ。
「どんまい!」
そんな明るく言うなよ。お前、何をやらかしたんだ。
俺が追及するとワラビーは、悪戯を成功させた子供のようにニコニコと笑う。
「もちろん冗談ですって」
「ふふっ。このあとは、癒やしをウリにした当店ならではのサービスがあるので、期待していてくださいね」
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