02_シャンプーしてもらう

 ワラビーは俺に覆い被さるように、真正面から接近してきた。

「それじゃ、にらめっこです」


「ふざけてないです」


「最適な髪型を見極めるためには、お客様の顔の形や骨格を見極める必要があるんです。普段写真で見てる先輩と実物は違うので、じっくり観察する必要があります」


「だから先輩も、洋子をじっと見つめてください」


 お、おう。

 ワラビーが俺を見つめる必要があるのは分かった。

 けど、俺がワラビを見つめる必要はない気もするが……。


「じーっ……」


「じーっ……」


 ちゃんとお化粧してるんだなあ。睫毛が長いし目の下がキラキラしてる。

 な、なんか、照れるな。


 俺が顔が熱くなってきたなと感じるのと同じタイミングで、ワラビーの顔が赤くなった。

「……て、照れないでくださいよー」


「赤くなってません! 私、プロですよ!」


「じーっ……」


 ワラビーは視線を逸らすと、上体を反らして俺から離れていった。

「すみません。嘘、つきました。私、やっぱ、ちょっと、照れてます……。ちょっとだけですからね?」


「ちょっと深呼吸……」


「では、少し、前髪、触りますねー。ふむふむ」


「右の耳周り、触りますねー。なるほど。なるほど。あはっ。先輩、ビクッとした。くすぐったかったんですか?」


「左の耳周り、触りますねー。あはっ。またビクッとした。面白い……」


「決まりました。先輩の骨格と髪質と本日の服装に似合うのはモヒカンですね! 世紀末って感じの!」


 ポンコツだ、この美容師!


 俺が抗議するとワラビーはお腹を抱えてケラケラと笑う。

「あははははっ。冗談ですって」


「でも、一緒にFPSしてる先輩なら分ってくれると思いますけど、ふふっ、私、禿げとかモヒカンとか、大好きですよ」

 微かに笑いながら言われても説得力がない。


「えっと、真面目に言うとですね。全体的に髪の量を減らして、長さはあまり変えずに、耳の周りはバリカンですっきりって感じにしようかなーと思うんですけど、どうですか?」


 うん。それで頼む。


「はい。では、プランは決まったので、先にシャンプーしますね。では、シャンプー台に移動します。こちらへどうぞー」


 俺はワラビーについて行く。

 それにしても、良い雰囲気のお店だな。

 アロマか整髪料か分らないけど、なんだか落ちつく香りがする……。

 知り合いが対応してくれているというのが大きいのかもしれないが、陰キャの俺があまり緊張していない。


「美容院って髪を整えるだけでなく、寛いでもらう場所ですから、そう言っていただけると嬉しいです」


「はい。こちらに座ってください」


 と言われても、椅子の向きが逆だぞ?

 洗面台に背中を向けているが、いいのか?


「どうしました? 椅子を倒して仰向けで洗うので、こっち向きに座っていいんですよ」


 そうだったのか。


「美容院ではお客様のお化粧を落とさないように、仰向けになってもらうんです」


 なるほど。確かに。


 ワラビーが背後に立ち、俺の首周りにタオルをまく。

「では、タオルで首絞めまーす」


「あははっ。苦しくないです?」


 楽しそうで何よりだから、俺はふざけて「ぐえー」と苦しむ


「いす、倒しまーす」


 カチッという小さなスイッチ音が鳴ったあと、静かな駆動音でゆっくりと椅子が背後に倒れていく。


 ワラビーが俺の右側にやってきた。

「ふふふっ。先輩はもう、一切の抵抗ができずに、なすがままです。動かずに、じっとしていてくださいね」


 悪巧みしているような言い方が気になるが、ちゃんと丁寧な仕事を頼むぞ。


「気持ち良くなったら寝ちゃってもいいですからねー」


 シャワヮァァー♪


「熱くないです?」


「あっ。目や口にお湯が入ったら大変なので、喋らないでください」


 お、おう。


 シャワヮァァー♪


「冷たくないです?」


「あっ。だから、目や口にお湯が入ったら大変なので、喋らないでください」


 ……くそが。


「冗談ですって。何かあったら、私をトントンって叩いて教えてくださいね。では、もみ洗いしていきます」


 シャワヮァァー♪


 シャカシャカシャカ:指で髪を掻き回す音


「気持ちいいですかー?」


 シャワヮァァー♪


 チャプチャプ:指で髪の毛を軽く掴んで揺らしてすすぐ音


「あれれー。お返事が聞こえないなあ。先輩、気持ち良くないんですか? 気持ち良かったら一回、気持ち良くなかったら二回、洋子のことトントンって叩いてください」


 そうは言われても、女子の体を触るわけには……。


「あははっ。女の子の体を触ってセクハラになったらどうしよう、って思っているんですよね? 先輩、なんにもできない。まさに、まな板の鯉。私も、まな板の恋、なんちゃって。あははっ。意味は分らなくてもいいですよー。単なる自虐ギャグです。シャンプーつけてジャブジャブしていきますねー」


 シャクシャク:髪の毛にシャンプーを馴染ませて揉む音


「かゆいところ、あります~? 私と先輩の仲ですし、遠慮せずに言ってくださいね」


 シャワヮァァー♪


 シャカシャカシャカ:指で髪を掻き回す音


「本当にかゆいところないです? 本当はかゆいところあっても言えない、美容院あるある~。背中がかゆいけど言ってもいいか分らないあるある~」


 シャワヮァァー♪


 チャプチャプ:指で髪の毛を軽く掴んで揺らしてすすぐ音


「仰向け中に背中がかゆいって言われてもどうにもなりませんけど、前半身ならどこでもかいてあげますよ」


 ろくでもないことを思いついたらしく、ワラビーは「にしし」と笑ってから続ける。

「どこでもって言いましたけど、セクハラは駄目ですよー。変なところかかせようとしないでくださいね」


 シャワヮァァー♪


 シャカシャカシャカ:指で髪を掻き回す音


「お鼻の先っちょ、くすぐったいでしょうから、かいてあげますね。こしょこしょ~。え~? くすぐったくないんですか~? あはは」


「では泡を洗い流しますね」


 シャワヮァァー♪

 ジャブジャブジャブ♪

 シャワヮァァー♪


 キュキュキュッ:蛇口を閉める音


「髪を拭きますねー」


 ふきふき:髪をタオルで優しく拭かれる音。


「どうです? 私のトークスキルのおかげで、シャンプーが退屈せずに一瞬で終わりましたよね?」


 まあ。確かに一瞬だったな。


「では起こします」


 カチッという小さなスイッチ音が鳴ったあと、静かな駆動音でゆっくりと椅子が立ちあがる。


「はい。お疲れ様でーす。どうです? 気持ち良かったですか? あはっ。素直で何より。では、元の席に戻りまーす」


 俺はワラビーについていき、最初の席に戻る。

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