同調罪

和泉茉樹

同調罪

     ◆


 都市伝説として「同調罪」というものがある。

 俗に「誹謗中傷規制法」と呼ばれるいくつかの法律の施行から派生したものだと思われる。

 ネット上で不用意に悪意ある情報に同調することで、突然に警察を名乗る人物がやってきて拘束され、その後の行方が分からなくなるという。

 そのような事実はないから、全くの空想である。


     ◆


 僕はその日もネット上で交わされる発言を眺めていた。

 例えば、歌手でありタレントでもある人物のテレビ番組での言動が揶揄されていた。

 罵詈雑言に大勢が高評価を与え、また拡散している。

 中にはその口汚ない発言に同意しているものもいる。

「◯◯の言ってることはデタラメという意見には完全に同意!」

「なんで◯◯がテレビに出ているのかわからない。誰も見たくないだろ」

「今時、テレビを見てるのは老人だけ」

「老人が作って老人だけが見ているのは世界の終わり」

 全てに何かしらの同意があり、一人の意見は大勢の意見として無制限に膨らむ。

 水を差すような意見もある。

「誰が◯◯に何を期待しているんだ?」

「◯◯はあれがデフォ」

 そんな発言の他にも冗談もある。

「下手な発言すると同調罪で逮捕されますよ」

 同調罪。

 僕はその表現に笑いそうになる。

 世間では「誹謗中傷規制法」と呼ばれる法律がやっと定着してきたけれど、厳密には適用されていない。それは自転車を乗るならヘルメットを着けなさいという法律が完全に無視されている場面や、そこらの酒場で殴り合いが起こっても両者の間で決着して通報されないのに似ている。

 ネット上での誹謗中傷は減ってはいるがゼロではない。むしろ、ネット上においては誹謗中傷こそが主流という向きさえ残っている。黎明期から数十年の間、ネットとは誹謗中傷の場であり続けた。その名残らしい。

 ともかく、そんな風潮はいくつも悲劇を生み出し、ネットと現実社会の価値観、表現が強引に擦り合わされる結果になった。

 その結実が「誹謗中傷規制法」である。

 ただ、同調罪というのは、まったくの空想だろうと言われている。

 ネット上で他人の誹謗中傷に同調したことで罪に問われるという。しかも、一度、逮捕されると二度と社会に戻れないという。そんな異常な刑罰が法律に盛り込まれるわけがない。

 ある人は逮捕されるのではなく、処刑人に殺されるのだという。処刑人は黒い背広に黒いネクタイで、まるで喪服ような服装だらしい。

 ある人は、逮捕されるのでも処刑人が来るのでもなく、誹謗中傷を受けた人間が報復に来るという。

 ある人は、そもそも人間ではなく、かつてネット上の誹謗中傷で自殺した人物の霊が現れ、呪い殺し、この世から消してしまうという。

 つまり、全くのでデタラメ、創作なのだろう。

 しかしネット上では同調罪はまことしやかに囁かれることもあれば、自制を求めるために使われることもある。そして、別の場面では空気を煽るような力もある。

「同調罪とか本気で言っているのは草」

「同調罪警察キタ」

「でも本気で俺の友達、逮捕されたけどね」

「友達が犯罪者なの笑えないな」

「マジで友達いなくなったけど、寸前に誹謗中傷に同調してたんだけど」

 次々と発言が連なっていく。

 僕はそんな発言の数々を見ながら、僕は少し笑っていた。

 ネット上というのは面白い。様々な意見があり、様々な人間がいる。価値観も様々なら、人格も様々だ。些細な言葉選びに、それらが滲んでいる。

 僕はそういう全てをただ眺め、やり過ごしている。

 同調罪も何も、誹謗中傷する理由がわからない。

 何がそうさせるのだろう。

 僕の前を、次々と情報がかすめていく。


       ◆


 僕は愕然としていた。

 応援していた女性アイドル「立山えみり」が、男性芸人「トキサダ」と結婚したのだ。

 突然の報道で、感情の整理がつかなかった。応援するといっても、何度かネット越しに短い時間を話した程度だった。それでも部屋の壁にはその女性アイドルの名前がプリントされたタオルが何枚も貼ってある。

 僕はネット上を飛び交う意見を見ていた。

「えみりん結婚マジか」

「やっと結婚したかと思ったけど、相手が驚きでしかない」

「えみりんガチ恋勢は死亡確定」

 意見の中には別の視点もある。

「トキサダを選ぶ神経がわからん」

「トキサダと結婚するくらいなら俺と結婚してくれ」

「トキサダの顔でもアイドルと結婚できるんだな」

 そして、その意見を僕は見た。

「トキサダと結婚するとか、えみりは頭悪い」

 指が微かに震えた。

 意見はさらに続く。

「えみりの頭おかしい価値観」

「立山えみりは人生捨てたな」

 僕は端末を手にして、短い意見を投稿していた。いくつも意見に僕の意見も埋没していく。

「えみりはきっと不幸になる。いや、なるべき」

「もう誰もえみりに興味なんてないだろ」

「えみりもトキサダもすぐ離婚するの確定済み」

 僕は端末をそっと置いて、さらに続く発言を見ていた。

 その意見の群れを見ているうちに、自分の発言が酷く醜いものに思えてきた。周りの意見に乗ってしまったが、それは本当に僕の意見なんだろうか。

 それとも、これが同調なのか。

 同調罪の対象になるような……。

 しばらく僕は端末を見ていたが、そのうちにやめてしまった。

 自分の発言を消すべきか、とも思ったけど、結局、消しはしなかった。僕のたった一つの意見など無数の人間が生み出す膨大な情報の中では、砂漠の中の一粒の砂だ。

 その時、不意に部屋のベルが鳴った。

 僕は立ち上がり、ドアの覗き穴から外を見た。安い家賃のワンルームにはカメラ付きのインターホンなどないから。

 覗き穴の向こうには、背広を着た男性が立っている。

 誰だろう?

 不審には思ったけれど、相手が再びベルを鳴らす。ドアに張り付くようにしているので、ベルの音がいやに強く響いた。

 僕は鍵を開け、ドアを開けた。チェーンで中途半端にドアは止まる。

 相手は、黒い背広を着ていて、ネクタイも黒。

 まるで喪服ようで。

 僕は都市伝説を不意に思い出した。

 ドアを閉める間もなく、相手が口を開いた。



(了)

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