40話 朧月夜

 ちょうど日付が変わった時刻。俺はハンドルをギュッと握りしめて、高速道路の入口に辿り着いた。


 隣の早瀬は、丸っこいクッションを胸元に抱いて、目をぱっちりと開けている。


「眠くないの?」

「私は大丈夫だよ?ワクワクしてて、眠気も吹っ飛んじゃうってね」


 胸の内側の心臓の高鳴りを制して、俺は料金所を通過した。ETCカードは問題なく作用して、ゲートを通過した。……よかった。もし反応しなかったらどうしようかという心配が、内側に棘のように刺さっていたのだった。


 真夜中の高速道路は、空いていて、長距離を走っているであろう大型トラックが、一定の間隔で連なって走行していた。夜の更けるこんな遅くまで、お疲れ様です。


「夏輝こそ、眠くないの?居眠り運転しない、大丈夫?」

「それは大丈夫。4時間ぐらい仮眠してきたから」


 早瀬はそう言いながら、あくびをしている。


「眠くなったら、そのクッション頭にあてて寝なよ。休憩所着いたら、起こすから」

「うん。お気遣い、ありがと」


 大型トラックに挟まれて、ちょっとした緊張感のあるドライブが、しばらく続いた。早瀬は、自分で持参したらしいジンジャーエール味のグミをつまんでいた。


……小腹が減った。こんな遅くに起きていて頭をフル回転させて集中しているからである。


「俺にも、ちょうだい」

「ほい。口開けてあーんして」

「ん、サンキュー」


 早瀬の指から、グミの二つぶが口に放り込まれた。俺の口の中に、炭酸飲料の味の爽快さが広がった。


 車内には、静かなる朧月夜おぼろつきよに相応しいオルガンの音が響いている。これは、俺が好きなあの人のアルバムの内の一曲、『恥多き生涯』である。


「この曲は?」


「恥多き生涯っていう曲で、太宰治の小説『人間失格』がインスピレーション元になっているんだよ。『恥の多い生涯を送ってきました』って、小説の最初に書いてあるのは有名でしょ?このパイプオルガンの音が、神との対話を表現していて、作者の人生における恥と罪を、全部神様に告白する歌詞が支えているんだよ」


「へえ……分かんない」


 あまりに流暢な俺の解説に、早瀬は思考を放棄してしまった。グミをまた一つ摘まんで、口の中に放り込んだ。


 早瀬とのスローペースな会話が延々と続き、そうこうしている間に、休憩ポイントと定めたサービスエリアに到着した。


 こんな夜中の時間帯だから、トイレも閑散としていて……というか、男子トイレに限っては俺一人だけだった。周囲に虫が歌う音色だけが響いていて、心が落ち着かされた。


 しばらくして、早瀬もトイレから出てきた。


「ごめん、ハンカチ貸して~車の中に置いてきちゃった……」

「はい」


 俺は、早瀬に手ぬぐいを貸してやった。


 そんな何気ないやりとりで、過去の景色がまた想起された。初めて四人で夕食を共にした時、このように、信濃にハンカチを貸してやったなと、思い出された。水族館にて、服を濡らした早瀬にタオルを貸してやったことが、しみじみと思い出された。


「アイス食べない?蒸し暑くって我慢ならないや」


 8月が終わろうとしているが、ここは現代日本。まだまだ残暑厳しく、夜であっても、蒸し暑さが退くことはなかった。そんな暑さへの対抗策が、アイスクリームを食べることだ。



「食べる、食べる~!」

「はい、予算1万円。冬紀のお父さんから貰ったやつ」


 俺は、渋沢氏をヒラヒラとさせて誇示した。それは先ほど、早瀬のお父さんに頂いたお金だ。早瀬と俺のアイス代の一部になれば、お父さんも納得してくれるだろう。


 サービスエリア内の両替機で1万円を1000円札の十枚に。さらに、そのうちの一枚を500円玉二枚に替えて、アイスクリーム専門の自販機の前へ。ベンチで隣り合って、俺はチョコミントの棒アイスを。早瀬は、バナナ味の棒アイスを咥えて食べた。


「食べる?」


 早瀬は、自身の食べかけのアイスを差し出してきた。


「いや、いいよ。自分のあるし」


「せっかくなら、シェアして色んな味のやつ食べたいじゃん?」


 俺は渋々と、早瀬と食べかけのアイスを交換した。できるだけ無心となって、アイスの味に集中する。すると、バナナの味と脳天を突くような冷たさが口の中に広がった。


 時計の針は、午前3時半を指し示している。予定よりも、少し早めだった。




 高速道路を降りて、コンビニに寄った。そこで、今日の朝と昼に食べるおにぎりとサンドイッチを購入。クネクネと曲がりくねった山道を慎重に走っているところだ。


「うわっ!?」


 俺は、急ブレーキを踏んだ。


「何ごと!?」


 うとうとと瞼が閉じかかっていた早瀬も、これには両の瞳を見開いた。


——暗闇の中から、なんと鹿が飛び出してきたのだ。車の前に棒立ちになって、立ち塞がっている。


「鹿!?めっちゃかわいいじゃん~」

「……マジでびっくりした。初めての事故が鹿とか……さすがに笑えないよな」


 早瀬は慌ててスマホを取り出して、パシャリと一枚、撮影した。フロントガラス越しでライトに照らし出され、キョトンとした黒瞳をしながら草を咥える鹿の姿が、中央にバッチリと捉えられていた。


「まあ、自然の住人だし、たないか」


「ふふ……」


 下らない俺のダジャレに、早瀬は小さく笑ってくれた。鹿は、こちらに気を留めることなく、林の木々が並び立つ斜面を登っていった。車は、何ごとも無く走り出した。


 

 そうしてまた数時間走り続けた我々は、無事に目的地の駐車場に到着する。時刻は午前五時を回ったところである。


「お、涼しいな」


 閑散とした駐車場に車を停めて、運転席のドアを解放した。冷涼で澄んだ空気がなだれこんできた。標高が高くなったことで、空気が冷たく、カラッとしたものに代わっていたのだ。


「というか、ちょっと寒いかも」

 

 早瀬は身震いをした。スマホの天気アプリで確認をしてみれば、一日の天候は概ね晴れ、現在の気温は16度らしい。


 肌寒さを否めない俺と早瀬は、それぞれ持参した長袖の上着を羽織った。彼女の胸には、相変わらず大きな骸骨が描かれていて、こちらを睨み付けている。


「よかったでしょ、上着持ってきて」

「そうね。山の方って、こんなに涼しいもんなんだね」



 俺自身は、幼い頃から祖父母に山へ連れていってもらっていたから、この空気の冷涼さには覚えがある。やはり夏は、日差し照りつける海よりも、空気の澄んだ避暑地の尾瀬の山に限る。


 数時間の運転は、免許を取得して以来、初めての経験だった。高速道路は滅多に走らないし、山道の走行も初めての経験だった。どっとした疲れが、俺との間合いを詰めて寄ってきた。しかし、新しいことに満ちた今の現状に、心は、この空のように晴れやかであった。


 ふと、新しい日を迎えた空を見上げる。そこには、あかね色に輝く朝焼けが広がっていた。


「早瀬、あっち見て。朝焼け」

「わお。シャッターチャンス!」


 早瀬はスマホを取り出して、前かがみになりながら朝焼けの空を写真に閉じ込めた。どうやら、駐車場の隅っこの側溝の近くに咲く白ユリの花と一緒に撮影がしたかったらしい。


「どう?いい感じに撮れたよ」


 早瀬に写真を送ってもらった。朝焼けの茜を浴びて黒のシルエットを浮かべる白ユリが美しく捉えられていた。


「綺麗に撮れたね」



_____メール______



5:02 【早瀬だよっ】 こっちは朝焼けが綺麗でした!↓(写真)



5:04 【なつき】 こっちは気温17℃。ちょっと寒いぐらい


6:00 【なつき】 予定より早いけど、出発しまーす




6:04 【信濃@美月推し】 おお、すっげえ!! 


6:21 【西園寺】 涼しいのいいね!うらやまし~気を付けて行ってらっしゃーい(^^♪〈楽しんで!

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