39話 思わぬ恩返し

 結局、信濃と西園寺さんとは、予定が合わなかった。


「いやぁ……まだ会社入りたてなんで、有給もらえないんっすよねぇ……」


 信濃は通話越しに、落胆の色が透けて声を落とした。


「難しいか……まあ、その代わりに、近いうちにみんなでバーベキューしに行くってのは?一日だけなら、お前も行けるんじゃないか?」

「ああ、それなら行けるっす!」


 やはり、働き詰めで週休二日制の下の信濃に三日の余暇を求めることは、厳しいものがあった。


 続いて西園寺さんに通話を繋ぐ。しかし、彼女からも難しいという知らせが届いた。


「ごめーん。せっかくのお誘いなのに……」

「忙しいなら、そっちの予定を優先してください。あと、信濃とも約束したんだけど、その代わりとして、今度みんなでバーベキュー行かない?近いうちにさ」

「それめっちゃいいね!お誘いありがとう~予定の調整で何とかしてみる」


 とりあえず、信濃と西園寺とは、バーベキューの開催を約束した。今回の旅行のお土産も、たんと買って帰ろうか。



****



 旅行の出発日の深夜となった。予定としては、


 早瀬を迎えに行く、山に到着後に車を停めて、尾瀬沼までハイキング。山小屋に一泊というのが、一日目の大まかな流れである。


「楽しんでおいで~」

「行ってらっしゃーい」


 深夜にも関わらず、姉の和葉と母と父が、俺を見送りに玄関に来てくれた。俺は、持ち物の確認のために、鞄と斜め掛けのバッグを開いた。


 高速道路の通行のためのETCカード、お守りとしての頭痛薬と解熱剤、運転免許証、保険証のコピー、スマホ本体と充電器、財布、雨具、着替え、予定や道順をまとめたメモのコピーが挟まったファイル……おそらく、忘れ物はない。


「行ってきまーす」


 俺はアクセルを踏んで車を走らせ、家を出た。ここに戻ってくるのは、三日後の夜になるだろう。周囲の田畑から、はねを擦り合わせる虫の合唱が聞こえてきた。




****





 早瀬の家の前で車をとめて、スマホからメールを送っている最中に、窓のガラスがコンコンと叩かれた。


「こんばんわ、夏輝」

「ああ、こんばんわ!」


 そこには、大きなカバンとリュックを持つ早瀬の姿が。そして、彼女の背後には、早瀬のご両親の姿があった。


 俺は、運転席から降りて、お二人に挨拶をしに行った。


「君が、夏輝くん?」

「は、はい。羽多夏輝はたなつきと申します」


 早瀬の母から尋ねられ、俺はなんとか、言葉を詰まらせないように答えた。


「えっと、冬紀さんのお母様、退院なされたのですか?」


 俺は、早瀬の母にちょっと聞いてみたいと思って、開口した。


 早瀬から、母は病気で入院していると聞いていた。その母の姿が今ここにあるということは、病気から回復したということだろうか。


「そうなんですよ。お陰さまで」

「それはよかったです。私も彼女から、お母様の調子が優れないことを聞いていたので、安心しました」


 俺は、自然な笑みを作れるように努めた。すると、早瀬の母は俺に微笑み返してくれた。その微笑みの上を、白い月光と街灯のほのかな明かりがキラキラと流れている。


「夏輝くん、君には、とんだ迷惑をかけてしまった。受け取ってくれ」


 すると、早瀬の父が申し訳なさそうに、頭を深く下げながら、両手で「あるもの」を俺に差し出した。それは、「渋沢栄一」が4人であった。


「これは・・・」


「君が冬紀に渡してくれた分のお返しと、謝罪の意をこめてだ。受け取ってくれ。これは、君が君のために使ってほしい」


 早瀬の父から差し出されたそれを見て、瞼の裏側には懐かしい光景が思い出された。


 水族館を巡り、星々に見守られながら早瀬の悩みを聞いたあの夜の光景が、眼前に広がっているかのように鮮明に描き出された。傍から見た俺は、笑顔が引きつっていた。


「・・・わかりました。お父様の心からのお気持ちを、受け取らせていただきます」


 渋沢さん4枚を受け取った。早瀬の父は、もう一度深々と頭を下げた。


「冬紀と仲良くしてくれて、ありがとうね、夏輝くん」


「あ……はい……」


 早瀬の母にも頭を下げられて、とても気恥ずかしく、いたたまれない気持ちに苛まれた。早瀬のリュックを預かりトランクに積み込み、彼女を助手席に招いた。


 車を出す時に、早瀬の両親が手を振っていた。


「お父さん、お母さん、行ってきまーす」


 早瀬は、手を大きく振りながら、俺の隣の助手席へと身をおさめた。ご両親は、月明りと鈴虫の歌の下、彼女に手を振り返している。



「夏輝くん、冬紀のことをよろしくお願いします」


 早瀬の母が、俺に一礼で頭を下げた。

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