番外編 夏の思い出

38話 その後

 大学生活は、夏休みへと突入した。セミの歌が鳴りやまぬ日々の中で、俺はバイト先のカラオケ店へと向かい、大学課題を済ませるために机へと向かい、小説を完成させるために電子世界へと飛び込み、出版の為の諸々の関係で電車に揺られて街を歩き……


「マジで疲れた……」


 ベッドで横になりながら動画を見ていた俺は、深いため息をついた。しかし、それは単純な疲れから出たそれであって、以前の生活とは対比となって、活力に満ち溢れていた。


 スマホの電話機能を開いて、通話を繋いだ。相手は、高校で仲良くなった早瀬という人である。


「もしもし、冬紀?」

「お、夏輝。こんな時間にどうした?」


 電話は、たったの3コールで繋がり、早瀬の芯が通った声が明瞭に聞こえてきた。


「疲れたから、冬紀の声が聴きたくなった」

「えぇ、なにそれ?私の声聞いただけじゃ疲れは取れないでしょ」

「いやいや、精神的に全然違うから」


 早瀬は、通話越しでも分かるぐらいに声が上ずっていた。


「今さ、大学の夏休みの課題やってたんだけど、難しいんだよ、内容が。現代日本における外国人労働者の問題について、3000字で書けって、分かんないよな?」

「うわぁ、何か難しそう……」

「小説だったら、3000字なんて数時間で書けるのになぁ」


 俺は通話を繋ぎながら、階下に続く階段を降りた。リビングで談笑する母や姉和葉、父の姿があって、部屋の隅の机には、本とパソコンが並んで置かれている。それは、大学の図書館で借りた本だ。


「夏輝と同じで私も、結構疲れてるかも。夏輝みたいに大学の課題もあるし、今週はバイトのシフト結構入ってるし……」


 どうやら早瀬の方も多忙らしい。そういえば高校の仲良しグループとは、しばらく集っていない。早瀬とは時々電話越しに話しているが、直接会って話をした機会は、この自宅でのたこ焼きパーティー以来、無かった。


「大丈夫?休憩の邪魔とかになってない?急に電話かけたからさ」

「ううん。むしろ、話相手が居てくれて、リラックスできるわ」

「俺も」


 カレンダーを一枚めくる。8月は、バイトのシフトが落ち着きそうだ。他方、姉の和葉と母は、多忙な感じが見受けられる。日にちの枠を飛び出してまで、予定が書きこまれている。


「おお、夏輝も変わったよね~」

「え、何で?どこが?」

「人と話してて落ち着くなんて、高校とか中学の時の夏輝と真逆じゃん」

「あ、そういうことね」


 俺は、ふとした早瀬の言葉によって棺桶の中に置いてきたはずの悪い記憶が蘇ってきて、袖を引かれたような気がして、腹がキリキリと痛んだ。口下手という盾を前面に押し出して、小説の世界に閉じこもっていたあの頃の記憶は、忘れたいことの方が多い。


「黒歴史を思い出して、お腹が痛くなってきたぞ……」

「ははっ!大丈夫だって。過去の歴史あっての、今の夏輝じゃん?」

「確かにそうだけどさ、恥ずかしい記憶が多すぎるんだって!電車途中で降りるし、文化祭はトイレで一人だし、町中で泣き出すし、一人で勝手にどっか行くし……」


 そんな自らで作り出した壁に挫折しなかったのは、回想してみて、早瀬や信濃、西園寺さんとそれから、家族のお陰だったのだと思う。自らの力には恵まれないところがあったが、周囲の「良き他者」には恵まれたことを幸運に思う。


 カレンダーを改めて凝視して、早瀬にちょっと聞いてみた。


「冬紀、8月の末って、予定どんな感じ?どっか旅行でも行きたくない?」


 大学の夏休みの始点が遅く、9月の中ほどまで休日が続くことに気が付いた俺は、早瀬や信濃、西園寺さんで旅行へ行く計画が脳裏に描いていた。それも、二泊三日ぐらいの、まとまった時間で。


 しかしながら、俺も早瀬もバイトの労働の時間があって、信濃はそもそも社会人として働いていて、西園寺さんは専門学校で多忙の日々を過ごしていると聞いた。予定を合わせることは、容易ではないだろう。


「いいね、行きたい!8月の末は……」


 通話越しの早瀬の声が上ずっていて、どうやら乗り気なようだ。


 俺は、生涯で最もな賭けをしている。みんなを誘い、思い出をつくれることを願って、車の運転免許証まで獲得して、バイトまで始めてお金を貯めたのだから、是非とも、この機会を実らせたいものだ。


「まあ、私は大丈夫だと思う。旅行って、どんな規模よ?」

「二泊三日の、群馬・福島旅行なんてどう?」

「おお!めっちゃ楽しそうじゃん!私は、一日ぐらい有給取れば、大丈夫そうだよ」


 よし!賭けは良い流れに乗りつつある。早瀬は、参加できる可能性が高まっている。


「あと、信濃と西園寺さんも一緒がいいな。せっかくなら、いつもの4人で集まって行きたいでしょ?」

「あー、そうねぇ……とりあえず、二人にも連絡とって、聞いてみたら?」


 早瀬は、渋々といった感じだった。やはり彼女も、3日間に4人が予定を合わせることの困難を思ってだろう。


「そうする。じゃ、一旦切るわ」


 通話の終了のボタンをタップしようと、指をかけた。


「えーまだ話そうよ~」


 しかし、早瀬はまだ話し足りないご様子だったので、そのまま指を横にスライドさせた。通話の終了ボタンは、押されるこはなかった。


「何を話す?」

「色々あるでしょ~」

「……分かった。いいよ」

「いえーい♪」


 その後しばらく、俺と早瀬は話し込んだ。主な話題は、近況のことであった。大学で如何に過ごしているか、講義の手ごたえはどうか、単位は取得できたか、などなど……


 どうやら早瀬は、新しい友達にも恵まれて、前期の単位も完全に取得するに至れたらしい。俺はそのことを、我が事のように喜んでいた。他方、新たな友達には恵まれずとも、充実した大学での学びを持てた俺自身のことを、早瀬は祝福してくれた。


 時計をちらっと見て見れば、すでに午後11時を回っていた。

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