第23話 金閣寺が焼ける前に

 いよいよ、大学受験の足音が迫る。俺はリビングの机にて、相変わらずキーボードをカタカタ言わせていた。共通テスト受験ではなく、気が楽な指定校推薦で大学へ進学しようと決めた。


 この選択であれば、より小説の執筆に集中できるだろう。


 メールの通知音が鳴り、スマホを確認した。


(10月初旬、都内のビルにてお待ちしております)


 このメールを受け取って、俺は一人で歓喜していた。


「よしよしよしよしよし……」


 俺が早瀬に紹介していた小説『地球牢獄』が、サイト内の中編小説賞を受賞した件だ。肝心の出版のための諸々を決定するべく、都内に招かれたのである。


 挿絵や表紙のイラストレーターは誰にするか。原作の改変部分の調整、受賞の感想のインタビューや、受賞に伴う賞金と賞状の受け渡しなどが行われる予定。


 両親にはただ一言「諸事で、都内に行ってくる」と。それで、賞金の10万円と立派な賞状を持ち帰ったら、二人はどんな顔をするだろうか。俺をバカにした姉は、ぎゃふんと言ってくれるだろうか。楽しみである。


「えっ……」


 俺は、メールを確認する流れでSNSを開いてちらっと見た。トレンド情報に、俺の好きなアーティストの名前が。


「こ、これ、本当か?」



 動画投稿サイトで活動していたアーティストが急逝、という書き込みが目立って見えた。俺は、我が目を疑って、その人の名前を検索にかけた。


「あ、本当なんだ。本当なんだ……フェイクニュースじゃないんだ……」




(ファンの惜しむ声)


(人気アーティストが急逝。自殺か)


(今朝、投稿された曲目は、「FREEDOM」)


(最後の投稿の言葉はただ一言、「私は、永遠に自由だ」)



 ニュースサイトの数々が、彼がこの世界を去ったことを報じている。




 俺は、悲しむでもなく、惜しむという気持ちも湧かず、すぐさま過去の曲を聴くために、動画投稿サイトへと飛んでいた。


「レコンキスタ」


「精神解放戦争」


「私は醜い地球人」


「1984年にまた会いましょう」


「原罪」


「恥多き生涯」


 彼が過去に発表した曲の題名が、スクロールするごとに目についた。


 高校受験のプレッシャーと戦っていた時期も、小説を書くときも、気持ちが鈍重で鬱っぽい時も、俺はあの人の音楽の隣に在った。彼の歌詞は、音楽は、俺が抱えるよりも暗い闇を誇示しながら進言してくれた「こっちには来るな」と。


 嗚呼、もう新しい曲が聴けることはないのか。俺の中心にポッカリと、あの人の形をした穴が開いてしまったようだった。


「そうか、そうか」


 あの人は、ダークファンタジー風の曲調や歌詞の中に、現代人の有様のメタファーを忍び込ませることで人気を得ていた。俺も、彼が作り出してくれた「泥沼」にはまり込んでいた。新曲を聴いた次の日には、突発的に新しい小説を書き始めるぐらいに影響されていた。


 最後の言葉は、「私は、永遠に自由だ」最後の曲の題は、FREEDOM……



 あの人は、自らの死をも芸術に昇華させたのか。それに気がついて、ハッとした。





「どうしたの、母さん!?」



 姉の叫び声で、俺はバッと顔を上げた。自分が机に涎を垂らし、目尻に涙を溜めて虚ろな目をしていたのだと、今更に気が付いた。呼吸も忘れていたらしく、息が乱れている。肺が酸素を求めて叫んで、俺の内側で震えていた。


「壮馬が交通事故に遭ったって、学校から連絡があって……」


「ええ!?壮馬は、無事なんだよね……!?そうでなきゃ……」


 母は、首をガクガクと震わせ、洗濯機の淵にしがみついて、心乱れりといった様子だった。姉は、母の背中をさすってやって、それで母は冷静さを取り戻した。


 学校から母のケータイ電話に連絡が入ったらしく、その内容を姉に伝えようと開口した。


「壮馬は、軽いケガで済んだって……膝を擦りむいただけで済んだって、先生が言ってた!」

「じゃあ、安心できるじゃん。私、車で中学校まで行ってくるよ。壮馬を迎えに行く」

「私も来てくださいって言われてるから、送ってほしい!」

「わかった!」



 姉と母は、急いで身支度を整えて家を出ようとしていた。


「トラックとぶつかったって……」

「前向きに考えようよ!それで擦り傷で済んだって、奇跡だよ!」



 姉は、慌ただしく自分のバッグと財布と免許証を握りしめて、玄関を飛び出していった。母は、今日はパートのシフト上では休みだったため、化粧も済んでいない。それでも、弟壮馬を思いながら、胸に手を当てながら姉の背中を追って家を出て行った。




「……壮馬が、死んでいたかもしれない?」



 安心よりも、それに気が付いたことの恐怖によって、俺は背中に汗を伝わせた。




 扇風機の羽の音だけがするリビングのど真ん中で、大の字で仰向けになった。白い天井を見上げれば、消灯中の電灯が張り付いている。


 ふと、俺の顔の横にあった未開封のカップ麺の容器を見た。これは、姉がバイトから疲れて帰ってきて食べるためにと、買い置きされていたものだ。


 


 俺は、そのカップ麺の容器を積み上げた。全部で7つ、縦に積み上げようとした。しかし、6つ目の容器を積んだ時に容器のタワーのバランスは悪くなり、遂に音を立てて崩れた。


「……」


 俺は、それを無言のうちに見て、立ち尽くしていた。そして、顎に手を当てて、崩れた原因を考察した。



 扇風機の風を受けただけで、「積み上げたもの」は崩れた?積み方が悪かったから、バランスを保てなくなって崩れたのだろうか?




 俺は、静寂に満ちた部屋に倒れ込むようにして横になった。



——幸福の、当たり前という価値の、日常の、命の、人の、なんという脆弱さか。俺はそれに気が付いて嘆き、吐き気をもよおした。



 積み上げたものは、いずれ、あのカップ麺の容器のように破綻を迎えるのだ。それが、速くか遅くかという違いだけが、そこには在るのだと気が付いてしまった。


 それからというもの、俺は失うことの恐怖に怯えるようになった。

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