第22話 すれ違い
食事が済んで、会計を待つのみとなった。俺と信濃の男子コンビは、トイレへと向かった。俺の少し後に、信濃が付いて来るという具合。
「羽田氏……」
「なんだ?」
俺の隣の小便器で用を足す信濃は、前の壁を見つめたまま、俺の名前をいつもの調子で呼んだ。
「羨ましいっすよ……」
「何が?小説のこと?」
「それもそうですけど……早瀬さんのことっすよ!」
信濃と俺は水を流して、隣り合って手を洗っている。俺は、信濃の真意が掴めず、首をちょっと傾げた。
「早瀬が、どうした?」
「まだ気が付かないんっすか……!?鈍感過ぎません?」
信濃は、指を弾いて、手の水気を切っている。ハンカチを忘れた様子だったので、彼が袖で拭こうとする前に、手ぬぐいを貸してやった。彼は、「サンキュっす」と言って、手の水気を拭きながら続けた。
「早瀬さん、多分……羽田氏のことが好きなんすよ……!!」
信濃は、何やら深刻そうな面持ちで俺に耳打ちして囁き、手ぬぐいを返してくれた。
「俺のことが好きって?そんなこと、早瀬は言ってないだろ」
「ああもう!そうじゃないっすよ……!早瀬さんが言っていた、タイプの人間って、あれ全部、羽田氏のことっすよ……!!」
信濃は、俺の指先や頭、それから黒いパーカーと十字のネックレスを順に指さした。彼の黒瞳は、いたって真剣な色をしている。
早瀬が西園寺との恋バナの中で話していた「タイプの人間像」について思い出してみる試みだ。その記憶を、信濃が復唱してくれた。
「小説というものに一途で、爪切ってて、おしゃれな服装してて、話の聞き上手で、落としたペンを拾ってくれる雰囲気の落ち着いた人は、まさにあなた……羽田氏じゃないっすか!!あと、俺たちに気を利かせてジュース持ってきてくれたり、こうやってハンカチ貸してくれたり……」
列挙羅列した言葉の数々が、俺の特徴と一致すると、信濃は主張した。その主張を聞いて、俺は特段感情が揺れ動くことはなかった。
「ワンチャン、早瀬さんは俺のこと好きかなって思ったんすけど、服装とか雰囲気を客観視して、違うな、って思ったんすよ。爪も、微妙に長いし……」
信濃は、息が切れ切れになりながらも、一息の間を設けて、さらに俺に畳みかけた。
「それから、早瀬さんに『夏輝くん』って名前で呼ばれてるの、俺らのクラスであなただけっすよ!?気が付いてます!?」
「……確かに。気がつかなかった」
俺は、3年A組の教室での早瀬の姿を想起してみた。
過去の早瀬は、仲の良い人を苗字だけで呼び捨てしている。それから、さらに仲の深い人とは、あだ名で呼び合ったり。しかし、俺の場合のような名前で呼んでいる人が、特に思い当たらなかった。
「まあ、偶然だろ」
「絶対偶然じゃないっす!!早瀬さん、話しながら、羽田氏のことずっと見てたんすよ……!!」
早瀬は西園寺とのトークに夢中であったから、その邪魔にならないようにデザートのプリンを食べていた。下を向いてそれを貪っていて、早瀬の視線は気にしていなかった。
「やっぱり偶然だろ。俺は、人から好かれるような人間じゃないし」
「自己客観視できてない!?今の羽田氏、最高にイケてるっすよ!?」
「俺、昔から姉によく言われるんだ。引きこもり特性持ちの、愛嬌も無い根暗豚野郎って。もし、そんなやつを好きって言う人がいるんなら、頭おかしいだろ」
「それは……過去のあなたの事じゃないっすか……多分。今は、それとは真逆の光のような存在っすよ!というか、あなたのお姉さん口悪いっすね……」
それに、もし早瀬が俺のことを好きだとしても、変わらず「これからも仲良くしてください、よろしくお願いいたします」と言うだろう。俺の中での早瀬、それから信濃と西園寺は、大切な「友達」という存在に近づきつつあるのだから。
「間違ってたら恥ずかしいから、早瀬には聞かないでおいて」
「ええ!?俺、言いましたよね!?早瀬さんは、羽田氏のこと好きなんですって」
「正直、偶然だと思う。それより、またこのメンバー4人でごはん食べに行こうぜ」
俺は、トイレを出た。信濃も、俺の背中に続いた。
****
食べ放題の時間が終了して、会計をば。軽く話し合った結果、4人で割り勘ということになった。
「おいしかったし、楽しかったよ~」
早瀬は骸骨の飾りのパーカー越しに、自らの細い腹を手でさすっている。
今回の食べ放題は、早瀬が最も肉とごはんを食べてくれたから、元を取ることができた。この食欲は、一体どうやったら備わるのだろうか。やはり、幼い頃からの習慣と、元バレー部という多大な運動量の賜物か。
西園寺と信濃は、駅からは反対側に家がある。俺と早瀬は西口にて、二人としばしの別れを惜しんだ。
「みんなの熟とか、バイトとかの都合が合ったら、また食べに行こうね」
「また、俺も誘ってもらえるんすか!?」
「いいよ。このメンバー、グループワークでも息ピッタリみたいだし、仲良しグループだよね」
「私は、専門学校の受験、早めに終わるから……年明けとかにゆっくり会えるかな……?」
「会えなくなるわけじゃないっすよ?学校行けば、また会えるじゃないっすか」
「ごはん食べに行く時の話でしょ?」
こうして、次の晩餐会の予定は定まらないまま、俺たちは西口の広場にて、写真を一枚撮って、解散した。時刻は午後10時。かなり話しに夢中になっていたようだ。
「またね~」
「またね、冬ちゃん、羽田くん!」
「また学校で会いましょう!アディオス!」
信濃と西園寺が、駅の高架下へと延びる階段を降りて行って、見えなくなった。
「さ、帰ろ」
「うん」
俺と早瀬は、同じ電車の車両に乗り込んで、帰路に就いた。
——電車内、なぜか過剰に、早瀬の視線が気になった。俺の頭頂部からつま先までを、じっくり眺めるような視線だった。
「なに?」
「ううん。何でもないよ」
早瀬は、その真意を明かさぬまま、いつもの駅で降りていった。
「じゃ、またね~おやすみ~」
「うん、また」
電車の車両の窓越しで、彼女は小さくこちらに手を振った。
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