第19話 言の葉を交わして

 俺は、ここに辿り着くまでに相当なエネルギーを使ったようで、ハンバーグと白飯に無心で食らいついていた。それもそうか。異常な寒さを凌いで、いかにもな男を撃退して、醜くむせび泣き、早瀬と会話を積み重ねたのだから。


 早瀬は、俺よりも早くご飯の量を減らしていた。それに、一口が大きいこと。食べる早さでも量でも、俺は負けたのだった。俺は、この人に何で勝てるだろうか。


「……で、俺に感謝したかったのは分かったよ。じゃあ、別の理由は?聞きたいことがあるって言ってたよね?」


「ん。そうそう」


 早瀬は、口元に手を当てて返事を寄越してくれた。よく見れば、プレートの上の大きなハンバーグの半分が無くなっていた。ご飯の方は、もう食べ終わりそうな感じだ。


 この短時間に、これだけの量を平らげるとは、驚かされる。俺は食が細いから、その対比で早瀬の食べっぷりがより際立った。


「一年の文化祭とか、体育祭とか、課外学習の打ち上げ、羽田くんって一回も来てないよね?」


「……あれ、気づかれてた?」


「みんなは気が付いてなかったけど、私と先生は、羽田くんが居ないって気が付いてたよ」


 俺は、ナイフとフォークを持つ手が硬直してしまった。


「だから、これはその時の代わり。打ち上げの費用まで出してもらってて、一回も来てないのは、申し訳ないなーって思ったから」


「ああ、ごめん。気を遣わせちゃったみたいで……」


 そういえば、クラス集金の内訳には打ち上げの費用が含まれていたか。俺は、行事を無事に凌げればそれでよかったので、気にかけることなく時が過ぎた。早瀬に指摘されて、記憶の海の底から忘れ去ったそれを思い出したのだ。


「でも、当時の羽田くんは、打ち上げとか馴染めなさそうな感じだったから、無理に誘うのも悪いなーって思ってたり……」


「そんなことまで考えてくれてたのか……ごめん」


 俺は、早瀬が学級委員として、打ち上げの企画や費用の集金の役割を全うしていたことを加えて思い出した。彼女は、なんて視野が広いのだろう。俺の事情まで考えていてくれるとは。


 そして俺は、どうして人に迷惑をかけて、気を遣わせるのが上手いのだろうか。早瀬に借しを返そうとすれば、命が擦り切れてしまうかもしれない。


 俺がクラスの学友と共に在ることを嫌っていたことも、早瀬が気遣いから俺を誘わなかったのも、全てが真実だった。


「頭が上がらないって、このことか……」


 俺は、ハンバーグに刻まれたナイフの切り口から溢れる肉汁を眺めている。もう、早瀬の顔を正面から堂々と見ることは、できなかった。


「気にしないでって。人には苦手なことの一つ二つはありますから~って、先生も言ってたでしょ?」


「丸聞こえかい……三者面談で次の人と壁を隔てる意味……」


 早瀬は、三者面談での森下先生の言葉を引用した。袖をまくって、また継ぎ足したジンジャーエールの入ったグラスを傾ける。


 すると、早瀬の唇に氷の大きな塊が滑って当たって、目を丸くした。


「あ、そうだ。三者面談の時にさ、先生と小説の話してたでしょ。一年の二者面談でも、その話してなかった?」


 グラスの内部で、こもった芯のある声が響いた。氷がグラスの内側でカタカタと音を立てて震えている。


「……してたよ、小説の話」


「だよね。一年の頃に書いてた、あのファンタジーのお話、どうなった?」


 二年前に見せた小説を覚えていてくれたようで、大変驚かされた。俺は、去年のクラスの学友の顔も名前も声も覚えていないというのに、早瀬は人と話したことを鮮明に記憶しているらしかった。


 休み時間において、早瀬が友達と話している声が耳に入ってくるのだが、数年前の話や誰が何と話したかなどを正確に記憶している様子がうかがえる。


「あの話は、もう消した。読み直しの作業してて、面白くないと思ったから」


「え!?あんなにいっぱい書いてたのに?」


「でも、今は別の小説書いてるよ」


 俺は、小説の本編を数話ほど書き終えたら、自分で読み直す習慣があった。事実と因果にズレが無いか、誤字脱字が無いか、登場人物の発言と言葉遣い、他者の呼び方に違和感が無いかなどを確かめる推敲の作業も兼ねているのだ。


 その作業の過程で、「この物語は面白くない」と思ったから消しただけの話である。より面白く、自分の納得のいく作品を目指せるのだから、後悔よりもむしろ前向きな気持ちが強い。


「え、そのでっかいリュックの中に入ってる?あるなら、読ませてよ。てか、貸して。暇な時間に読むから」


 早瀬は、フォークの先端で席の端に追いやられた俺の黒リュックを指し示した。


「いや、パソコンで書いて投稿サイトに投稿してるから、本編は物理的には無いよ。本にもなっていないからね」


「タイトルは?その投稿サイトの名前は?」


 早瀬は、斜め掛けバックからスマホを取り出して、指で画面を操作し始めた。彼女は、俺の黒歴史を晒す気か。


「教えないよ。知り合いに、俺の作品を読ませる気はないから……」


「教えてくれないと、クラスのみんなに、さっきの羽田夏輝の勇姿を教えちゃうぞ……ナンパ男から私を救った正義のヒーローって」


「それはやめてくれ」


「じゃあ、教えて」


「はいはい…………」


 首元にフォークの先端を当てがわれたような、妙な悪寒に全身が支配された。あの醜態の観測者は、俺自身と、早瀬だけだった。クラスの学友たちも、先生も、家族もそれを知らないのだ。


 俺が泣いたか、泣いていないか。泣き面のシュレディンガーの猫を閉じ込めた箱の蓋は、絶対に開けさせてはならない。


「サイトは、ヨコガキ広場。題名は、『地球牢獄』」


「……これか。ペンネームは『人間の犬』」


「まあ、そうだね……」


 早瀬は、メールのやり取りで鍛えられた指の俊敏なる動きで検索をかけて、俺のインターネット世界の住処であるサイトに飛んだ。ホーム画面の、猫耳のキャラクターを提示されて、早瀬が本当に俺の小説を読もうとしていることを確認した。


「揺りかごから墓場まで。誕生、勉学、恋愛、労働、結婚、死…………全てが行政機関に管理・監視された地球という牢獄で、主人公【不知火】は生まれた。彼はその巨大な牢獄の歯車を破壊するべく、自らの命でもって囚人たちに訴えかけた。——自由、平等、友愛を!!」


「やめろ、声には出さないで黙って読んで……」


 早瀬は、スマホの画面を凝視しながら、物語の紹介文を声に出して読んだ。店内音楽と、客の話し声で周囲には聞こえはしない。しかし、聞いている俺の方が恥ずかしくなってしまうので、音読はNGで。


 すると、早瀬は別で検索をかけた。今度は音声入力だったので、検索の内容が俺にも分かった。


「自由、平等、友愛」


 早瀬は、検索の結果を一見して、「やっぱり」と言って、何かに気が付いたようだった。


「何か聞いたことあるなって思ったら、フランス革命のスローガンだって。」


「せ、正解。この言葉は、閉鎖的な社会の支配から、再び人間らしさを取り戻そうとする人たちを描いた物語ということを暗に示している……っていう設定」


「すご!それ聞いただけで、読みたくなったわ」


 早瀬は、いつの間にか注文していたイチゴパフェ(一番大きいやつ)の生クリーム部分をスプーンですくって食べていた。


 俺も、甘いデザートを食べたくなったので、小さいカスタードプリンを注文した。


「え、月間1位って、すごいね!閲覧数とポイント評価で月間1位……」


 早瀬は、俺が自慢したくても我慢していた部分に触れた。話す足がかりを作ってもらったので、俺はその順位について説明した。


「なんか、今年の春あたりから読んでくれる人が増えてね。今では、1500作ぐらいの作品の頂点に昇り詰めたって感じ。嬉しいよ……めっちゃ」


「1500作のトップ!?何でそんなに面白い話、教えてくれなかったの!?」


「いや……単純に恥ずかしいし、自慢するのは何か嫌だなぁって思ったから」


 俺は、目を丸くした早瀬に、自分のスマホの画面を見せた。もういっそ、胸襟を開いて、面白そうな事柄を全て、早瀬と共有してしまえばいい。今日の俺は、どこか勢いに乗っている。


 俺のスマホの画面のそれは、サイトの運営から届いたメールである。


「見て、早瀬。その小説が、本になって出版されるって決まったんだ!」


 閲覧数や評価でトップへ昇り詰めた俺の小説が、サイト内イベントの最優秀賞に相応しいと認められ、本として出版するべく作者本人の諸情報と、小説の本文の元データを送信してほしいという旨のメールだ。


 最初は詐欺のメールかと身構えたものだが、発信元が確かにサイトの運営だったことを確認して一人、静かに歓喜したものだ。


「すごいねぇ。本を出すなんて、頭の良い人しかできないことだから、想像できないな~すごい……」


「……ふふ」


 俺は、頬が緩んだ。


 まあ、最近は出版の敷居が下がっていて、誰でも本を出せる時代ではある。しかし、自分の作ったものが具体的な形となって世に出ることは、素直に喜ばしいと思う。


「嬉しいんだね。すごいニコニコしてる」


「そうかもな、すごい嬉しいかもな」


 俺は、熱心に打ち込んだことを世間様から一定認められて、知り合いにも褒めてもらえて、さらに頬が緩んだ。自然な笑顔なんて、何時ぶりだろうか。こんなにも心が躍り、気持ちが昂るのは久しぶりだ。


 早瀬さんは、早食いでパフェを食べ終える。クリームの若干残ったスプーンを、ちょっと艶めかしく舌で舐めた。


「じゃあ、本になったら読ませてもらおうかな。そうしたら、夏輝にお金が入るだろうから」


「あ、ありがとう。そう言ってもらえて、めっちゃ嬉しいよ……」


 そうして、俺のプリンがテーブルに届いて、早瀬さんとの会話を目いっぱい楽しんだ。


 小説の話から発展して、互いの趣味とか、またの機会に行く店をどこにするかとか、担任の先生の良いとこ好きなところとか、早瀬さんのおすすめの漫画とか……俺が母に約束した10時に迫るまで話が連なって続いた。


 これも、話し上手で聞き上手で、話を引き出すこと上手の早瀬のお陰であった。



 今回は早瀬に奢ってもらった。次の機会は、俺が出すと約束して、店を出る。


……立冬の寒さと錯覚させる、肌を突く冷たい風に全身が震えた。


「駅、どこまでだっけ?」


 俺と早瀬の家は、まあまあ近い。いよいよ夜も更けてきたから、人がまばらになって、同じ車両に乗ることができた。


「綾波川駅まで一緒でしょ。また忘れてたの……?」


「ごめん。もう忘れない」


 俺と早瀬は、電車に揺られて帰宅の途についた。車内の無言の時間は、あっという間に過ぎた。もうすぐ、午後10時になろうとしている。


「じゃあ、また週明けに」


「はい、おやすみ夏輝くん。楽しかったよ」




 早瀬は、俺が乗る車両が見えなくなるまで、駅のホームに居た。

 

 

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