第18話 ファミレス初心者

 俺は、ようやく涙を制してファミレスへと辿り着いた。時計の針は、既に9時を指している。これ以上時間が押すことは、早瀬さんにも迷惑だろうし、母と父に心配をかけてしまうだろう。


 入口の扉を開ける腕も、歩みの脚も、いつもより忙しない感じだった。


 店員に案内された席は四人席で、俺と早瀬は対面で座った。彼女は、斜め掛けのバッグを席の奥に置いた。


「はー、お腹すいた~」


 早瀬さんは、オーバーサイズのズボンと、骸骨のデザインが施された鼠色の長袖パーカーを着ている。どうやら、この急激な気温の低下に合った服装の準備が間に合ったらしい。


 そして、胸元には俺のそれと似た十字のネックレスが、店内の証明の光を一身に浴びて輝いている。


「私とネックレスお揃いじゃん。ちょっと大きさが違うかな?」


「これは、俺の姉さんの元カレのやつを借りたんだ。俺、普段出掛けないからアクセサリーとか持ってなくて……」


「似合ってるね」


「はい……うん……」


 俺も、リュックを席の奥に置いた。週末の金曜夜ということもあってか、周囲の席からは子供の声も聞こえてくる。


 そして、優雅なクラシックが店内音楽として流れている。これは、スメタナの『モルダウ』ではないか。音楽の授業で聞いたことがあった。ということは、この店はチェコがモチーフなのだろうか。否、なぜかナポレオンがアルプスを馬で越える肖像画が飾られている。


「もしもーし?何頼むの?」


「あ、ごめん」


 俺は、周囲の雰囲気に飲まれて、早瀬さんの声を意識の外にシャットアウトしてしまっていたらしい。慌てて視線を戻すと、メニューが表示された液晶タブレットが差し出されていた。


 早瀬は、ハンバーグとご飯の大盛りを注文していた。


「じゃあ、俺はこれにする」


「気にしないで、沢山たのんで良いから」


 俺は、早瀬と同じハンバーグとご飯を並み。さらに二人分のドリンクバーサービスと、シーザーサラダの大盛りを選択した。


「サラダ頼むんだ。私は、野菜苦手だからパスで……これで、注文完了していい?」


「うん。……ドリンク、何がいい?持ってくるよ」


「お、助かる~。じゃあ、ジンジャーエールで。コップ並々。」


 早瀬がタブレットから注文を完了して、俺はドリンクを取りに向かうために席を立った。


 ちょっと息切れしている。店内には暖房が効いていて、背中が汗ばんだ。やはり、公共の場にいるというだけで、緊張してしまう。それも、家族以外の人と二人。経験にない行動には、多量のエネルギーを要する。


「あれ、何だっけ?ああ、ジンジャーエールか」


 自分でも驚きの記憶の喪失っぷり。俺はグラスを手にしたまま、ドリンクバーの機器の手前で石像と化していた。二人分のグラスを手に取って、氷をトングみたいなやつで入れて、それぞれ飲料を注ぎ込んだ。


 早瀬の分は、黄金の色のジンジャーエールを。俺の分は、レモンソーダを。



「お待たせ。ジンジャーエールでございます……」


「サンキュー」


 俺は、早瀬にグラスを手渡した。炭酸の気泡がパチパチと弾ける、爽快な音が聞こえてくる。


 早瀬には、ストローも持ってきてやった。しかし、彼女はグラスに口をつけて、そのままグビグビと飲んだ。なんと豪快な。


「ぷはー!生き返るわー」


 早瀬は、目を細めた。


「なんか、おじさんみたい……」


「正解だよ。私のお父さんの真似でした。ハハっ」


 俺は、完全に早瀬のペースに飲まれるままであった。これでは、俺が聞きたいと思っていたことを尋ねる機会を失うだろう。


 早瀬がジンジャーエールを口に含んだタイミングで、やっと言葉を紡ぎ出した。


「早瀬、どうして俺を誘ってくれたの?」


「ん?んー」


 早瀬は、ジンジャーエールを口に含んでいる。


 なぜ、唐突に俺を夕食に誘ってくれたのか。その理由を最も知りたいと思っていた。俺と時間を共にしたとしても、面白い話は引き出せないはずなのだが。


「ん、は……お礼をしたかったから。あと、単純に聞きたいことがあったから。あと、普通に付き合いも長いから、ごはんぐらい一緒に食べてもいいかなーって思ったから」


 炭酸の効いたジンジャーエールを喉の奥に流し込んだ早瀬は、自らの胸に手を当てて、次いで俺を指さした。よく見ると早瀬の両目は、赤色が少し混ざった黒の双眸だった。こんなに近くで人の顔をまじまじと見たことがなかったので、そういう細かい特徴まで気が付いた。


 つらつらと理由を列挙した早瀬は、順に俺に説明を始めた。


「羽田くんには、お世話になったからね。中学の時にも、一年の時も、三年になった今も」


「俺、何かしたっけ?」


 グラスを回して、中に残った氷をガラガラと鳴らす早瀬は、横の壁をちらっと見た。そこには花とツタの刺繍の模様が描かれている。


 俺は、早瀬の為に何かを為しただろうかと、過去を振り返ってみた。しかし、これといって劇的なものを発見できなかった。早瀬は、俺の過去の如何なる言動を「お世話になった」と思っているのだろうか。


「挙げ始めたらきりがないけど……まず、一年の時、文化祭の片付け、たくさんやってくれたでしょ?」


「任せられた仕事だから、それはまあ、当然に」


 早瀬は、右手の指を折りながら、何かを数えて話を続ける。まさか、俺に対しての借りを数えているのだろうか。それであれば、五本の指だけで十分だ。


「掃除の時間、いつも机を一番多く運んでくれるでしょ?」


「それは……俺が早く帰りたかったから……」


「それから、私に勉強とか、テストの範囲教えてくれたり」


「聞かれたら、……答えるよ」


 幾つも幾つも数えるうちに、片手だけでは数えられなくなっていた。早瀬は、両手の指で数え始めた。そんなあなたに、二進数の指折りの数え方をオススメします。


「三年になってからは、グループワークを主導してくれてるでしょ?」


「それは、授業だから仕方なく……あと、俺よりも早瀬の方が頑張ってると思う」


「私がペンとか消しゴム落としたら、いつも拾ってくれるでしょ?忘れた日は貸してくれるし」


「そんなに些細なことまで……」


「私をナンパ男から救ってくれたでしょ?泣いてたけど」


「最後のは蛇足……」


「私の話を、最後までちゃんと聞いてくれるでしょ?私だけに限らず、誰にでも穏やかに接してくれるでしょ?…………」


「……」


「……」


「……」


 ひたすらに俺の善行?を数えた早瀬と、視線が交わった。そうこうしている間に、配膳ロボットがハンバーグの乗る熱せられたプレートを運んできた。



「ご注文のお料理でーす☆」



 俺と早瀬の沈黙の間を、配膳ロボットの音声が貫いた。

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