第13話 余の辞書に不可能の文字はない!

 高校生活の三年目。俺の席は不幸にも、早瀬さんの隣であった。しかも、すぐ目の前の席には、入学当初に俺を部活に誘った信濃くんの姿が。


「羽田氏~。ご無沙汰じゃないっすか~」

「羽田くん、今週の週番、よろしくね」

「羽田氏~最近ハマってるゲームとか無いんですか~?」

「羽田くん、歴史のテスト範囲って、どこからだっけ……?」


 物理的な距離の近さから毎日散々、話しかけられるしまうのだった。


 しかし、見方を変えれば幸運だったのかもしれない。俺は、早瀬さんと信濃くんに散々話をぶつけられ続けたので、その口下手を多少なりとも矯正することに成功した。




——それは、歴史の授業でのことだ。


「じゃあ、班で話し合って、19世紀から20世紀前半におけるヨーロッパ世界の変遷を、模造紙にまとめてください」


 先生が提示した課題は、ちょっと難度の高いものであった。授業での話をノートに取っていて、かつ知識があれば課題を速やかに達成できそうだが……大学のレポート課題みたいだ。


「羽田氏~これ、どうやってまとめればいいんっすか?」


 信濃くんは、お手上げ状態で、シャープペンシルを転がすのみ。彼は、歴史が大の苦手で、歴史のテストの赤点で留年しそうになったぐらいだ。


「四人だから、19世紀の担当と20世紀前半の担当に分かれればいいかな……?」


「それだ。2人ずつに分かれよう」


 もう一人の班員【西園寺】さんは、グループ分けを提案した。その提案に、リーダーの早瀬さんが賛同した。


「……じゃあ、俺は19世紀の担当しようかな。範囲が広くて、難しそうだから」


 他の三人の話の隙を伺って、言葉を紡ぎ出した。俺は、この3人の中で唯一歴史が得意科目だったから、難しそうな範囲を担当しようと胸に決めた。


「お、俺も、羽田氏と一緒でいいっすか?」


 と、信濃くんも俺に追随。


「よーし。じゃあ、そっちは模造紙の上半分でよろしく!私たちは、下半分で頑張る」


 俺たちは、俺と信濃の男子ペアと、西園寺さんと早瀬さんの女子ペアで、課題を打ち倒すことを決定した。


 俺は、教科書とノートを開けて、まとめるべき重要な事柄をメモに起こした。


「あのー……俺、どうすればいいっすかね……」


 頭を抱えて、手持無沙汰な信濃くん。しかし、彼と共に、最も効率的な作業ができるような考えがあった。


「要点をまとめればいいんだ。19世紀のヨーロッパにおいて大切だった変化は……」


 俺は、教科書の太字で重要とされている事項の中から、さらに厳選して、より重要度が高そうなものをメモした。信濃に、そのメモを記したノートの切れ端を手渡した。


・ナポレオンの台頭と没落


・ウィーン体制と革命


・ロシアの改革と近代化


・英独の対立およびビスマルク体制


・クリミア戦争


「信濃くんは、上から順にまとめて。俺は、下から順にまとめていくから」


「うお、めっちゃ分かり易いじゃないですか!?俺は、ナポレオンについて、教科書の要点をまとめればいいってことですね!?」


「そうそう」


 相槌を打って頷く信濃に応えながら、既に黒の油性ペンを模造紙の上に走らせていた。下書きなぞ不要。教科書とノートを見ずとも、ここの時代の事柄と流れは、頭に叩き込んでいる。


「ええと……ナポレオンって王様になったんっすよね……?」


「王様じゃなくて、フランスの「皇帝」になったんだよ」


「ああ、それっす。サンキューっす!」


 教科書に掲載されていた地図を模写しながら、信濃が疑問に思ったところに答える。彼は、歴史が苦手というだけで、情報の要点をまとめる能力に優れているから、作業は順調そのもので進んだ。


 信濃は、ナポレオン率いるフランスの変遷を地図を使って説明し終えて、次のウィーン体制のまとめに差し掛かっていた。俺と、雑談する余裕もあるようだ。


「羽田氏~」


「なんだ、信濃氏?」


「どうしてそんなに歴史が得意なんすか?」


 俺は、西園寺さんと早瀬さんの担当をちらっと見ながら、信濃の雑談にも付き合った。……まだ、一次大戦前のバルカン半島情勢で苦戦中だった。その範囲は、列強諸国の関係が複雑で混乱しがちである。


「えーと……小説を書くために歴史の知識が必要だったから、覚えられたっていうだけ、かな」


「ああ、前に話していたやつっすか。小説が趣味で、授業中の暇な時間にも書いちゃうっていうやつ」


「……ちょっと声が大きいかもな」


 授業以外の勉強をする「内職」を暗に指摘された俺は、信濃に作業に集中してほしいと促した。


 俺たちの目標は、この課題を授業時間以内に終わらせて、皆それぞれの自由な時間を死守することだ。そのために、歴史が得意科目の俺は、一足先に自分の担当範囲を終わらせて、みんなのサポートに徹した。


「なんだけ、ベルサイユ条約って……」


「教科書の360ページあたりに書いてあるはず」


「えっ……教科書のページまで覚えてるってエグ」


 西園寺さんのペンが止まっていたので、俺は内容をそのままに伝えず、教科書のページだけを教えた。これで、俺は班員との協力という目的も達成され、西園寺さんも自らの目で教科書を確認して学ぶことができる。


 ただ、早瀬さんには若干引かれてしまった。


「あの……全部のページを覚えてるわけじゃないです……近代のヨーロッパの歴史が得意で、よく教科書を読み込んでいたから覚えていたっていうだけです……」


「わお……」


「わおって何ですか、その反応……」


 早瀬さんは絶句といった感じで、俺の担当箇所を見つめていた。そこには、表とイラスト少々と地図を使ったうえで文字が羅列された、1848年革命から19世紀の終わりまでの内容が記されている。


「いや、【好きこそ物の上手なれ】っていう言葉があるじゃん?その言葉がぴったりだなって思った」


「……ありがとう」


「羨ましいな〜。そんなに早く文字が書けて、頭も回るって」


 早瀬さんは、そう零しながら、赤色のペンで必死に重要な用語に線を引いている。



 そうして、グループ団結の努力によって、課題は打ち倒された。それも、クラスの班の中で一番最初に課題を終了させたのだった。


「早いですね。お、内容もばっちり良いじゃないですか!お疲れ様でした」


 早瀬さんが授業の終わり際に、模造紙を先生に提出したところ、チェックを易々と通過した。俺たち以外の全班が、来週の授業までの提出を求められ、放課後の居残りを迫られている最中である。


「おい、早瀬の班、もう終わったのかよ……!?」

「早すぎだろ」

「頭良いグループじゃん。作業早いのも、納得じゃね?」


——そうだ、学友たちよ、我らを羨ましがるがいい。俺の知識量と、早瀬さんの指揮能力と、西園寺さんの卓越したイラストと、信濃くんの作業の速さを。


「羽田くん、ありがとう。私、今週も来週もバイトのシフトがキツキツだったから、めっちゃ助かった!」


「は、早瀬さんの人をまとめ上げる力のお陰……だよ」



 俺たちの班は、一番の早さで終わらせたにも関わらず、後に最高のA評価を得ることができた。


 先生曰く、「構図が分かり易い点、班員でよく協力できていた点、文章が明瞭で要点がまとまっていた点、地図や表を適切に引用できている点、飽きさせないイラスト」が評価点だったらしい。



 その後も、多数の授業でグループワークの壁が立ち塞がってきた。大学での学びを意識した、進学校特有のそれか。


 しかし、俺たちは抜群の連携を発揮して、課題の高い壁を難なく乗り越えていった。俺も、数学のグループワークの際は、信濃と早瀬さんに大いに助けられた。



 俺は、グループワークの際の弊害であった口下手の、ある程度の克服を確認した。なんだ、やればできるじゃないか。


 

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