第6話 ちょっと緊張の二者面談
俺の名前は、「羽田 夏輝」だから、名前の順番でいうと「早瀬 冬紀」さんの一つ前である。
「あ、来た来た」
早瀬さんは一足早く、先生との二者面談が行われている廊下の角で待っていた。
「どこに行ってたの?」
「あ、いや……保健室行ってました。」
早瀬さんに迫られたように感じて、再びその場凌ぎの嘘をついた。この受け答えは、正直失敗だったと、脳内で反省する。これでは、早瀬さんに心配をかけてしまって、余計に問い詰められそうだ。
「大丈夫?羽田くんって、中学生の頃から、たまに学校お休みしたりするから、その度に心配になるよ?」
「あ、あの、俺、体が弱くってよく体調崩すんです。でも、今は大丈夫、です」
手に汗を握りながら答えたこれは、真実である。俺は、学校で人と顔を合わせることが苦痛で、吐き気をもよおしたり、腹痛を抱えてたりといったことがよく起こるのである。
「そっか。それなら良かった」
早瀬さんは、俺の後ろに回って、二者面談の列に並んだ。
すると、担任の森下先生が、壁の影からひょっこりと顔を覗かせた。結構年配の先生なのだが、その一挙手一投足にちょっとした若さとコミカルな感じがある。
「次、羽田くん、どうぞ~」
「あ、はい。よろしくお願いします……」
俺は、背後を振り返ることなく、森下先生に手招かれるままに壁の影に置かれた椅子に腰掛けた。
****
「えー、羽田 夏輝くん。よろしくお願いします」
先生と対面に、机を挟んで俺は座る。先生は手元に名簿を広げていて、そこには入学時に書いた書類の数々が挟み込まれていた。
俺は、小さく頷くように一礼した。
「早速、色々お聞きしますねー。自宅からは、どのように通学されてます?」
俺は、迷うことなく、ハキハキと答えてみせた。心臓の鼓動も、呼吸も、荒れることなく落ち着いている。目線は、バッチリ先生の瞳と交わっていた。
「はい。私は、自宅を出て徒歩で最寄りの駅に向かってます。東本線から乗り継いで、東新台駅に行きます。そこから本校までは、自転車で来ております」
「うんうん。なるほどね~東本線から駅、自転車……」
先生は、俺の言ったことを事細かにボールペンでメモしている。次いで、質問は続く。
「どうですか?高校生活も半年近く過ぎましたけれど、学校には馴染めました?」
「はい。クラスの皆さん、優しい方々ですので、私も馴染むことに苦労しませんでした」
俺は、背筋をピンと伸ばしたままに、丁寧な口調で答えた。
クラスの皆が優しいということは、真実である。休み時間になれば、友達同士で参考書の問題を出し合ったり、談笑したりすることに、それを確認することができる。
しかし俺の現状は、馴染めているとは程遠い状態だ。友人はゼロ人。一言も言葉を発さないまま、自宅に帰ることも珍しくない。学級委員の早瀬さんと、俺をコンピューター部に誘ってくれた信濃くんが、時々話しかけてくれるぐらいか。
「……うんうん。分かりましたー」
俺は胸を撫でおろした。先生はどうやら、その説明で納得したらしい。
「仲の良い人、教えてくれますか?」
先生の次の質問に、心臓がきゅっと締め付けられたような思いをした。しかし、相手がかなり年上の先生なので、あまり緊張せずに、答えを言葉に紡ぎ出すことができた。
「早瀬さんと、信濃くん、です……」
俺は、ちょっと声を落として答えた。なぜなら、後ろで待機する早瀬さんに聞こえてしまうかもしれなかったからだ。俺の主観から言わせると、早瀬さんとは、仲が良いとは言い難い。俺から積極的に話しかけたことが無いのだから、それは世間一般で言えば、「仲が良いとは言い難い」に当てはまるのである。
先生は、無言で頷いた。そして、相変わらず丁寧にメモを取っている。上下逆さまでも分かるのだが、早瀬と信濃の名前を書き込んでいる。
「はい。わかりました。では、あなたのことについて、聞いてみますね」
先生は、挟み込んでいた書類を取り出して、机の上に置いた。
「趣味が、小説を書くことですか。いいですね~今時、珍しい。わたしも国語の先生だから、小説はよく読むんですよ~。何の小説が好きですか?」
小説の文体を学ぶために、小説はたまに読む。過去に一読したことのあるその本の題名を伝えた。
「太宰治の『人間失格』と、三島由紀夫の『金閣寺』は、面白かったですし、小説を書く上で参考になりました」
「うわー!その二人を読むって、いいセンスですね~。私も読んだことあります。三島の文学は、滅びの文学なんて言われていて、ねぇ、結局三島自身の最期は、市ヶ谷の駐屯地でね~……」
「私は、三島由紀夫の心に惹かれました。あと、ボディービルとか、剣道をやっていたのは知っています」
「おお!そこまで知ってるか!」
先生の渋い声が上ずって、明らかに表情が晴れやかだった。なんと、俺と先生は、読んだことのある小説を仲介として心を通じ合えたらしい。
「羽田くんはさぁ、どうして小説を書こうと思ったの?ちょっと個人的に聞いてみたくなっちゃった」
ニコニコとした笑顔を浮かべながら、先生はペンを指でクルクルと回している。
「言葉は……私がもし死んでしまってもこの世界に残ります。なので、生涯で一冊でも本を出したいと思って、ペンを持ちました。今は、パソコンで打ち込むんですけど」
「へへへ。凄いなぁ~、高校生でこんな答えが返ってくるなんて、思わなかったよ。是非、自分の興味が続く限り、楽しんでくださいねぇ~」
俺は、先生と話していて、妙に落ち着いていた。そして、先生が本当に文学が好きだということも、雰囲気から分かった。この人は、授業でも楽しそうに指し棒を振っていたが、やっぱり本当に授業を楽しんでいたのだ。
その後に、いくつかの質疑応答を経て、俺は二者面談を終えた。
「羽田くん、なんか凄い頭よさそうな会話、先生としてなかった?」
と、柱の影から出た俺を、早瀬の声が引き留めた。
「……そうかな。先生と、楽しい話ができたよ」
俺は一言、早瀬に言ってから、また第三校舎のトイレに向かった。
「次は……早瀬さん、どうぞ~」
先生が、また柱の影から顔を出したようだ。先生の早瀬さんを呼ぶ声が、俺の背中の側から聞こえてきた。
俺の気持ちは、かなり晴れやかであった。これが、人と通じ合える、共鳴するという喜びなのか……
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