第7話  我が家の闘争

 明日土曜日は、新台東高校の文化祭だ。授業もなく、トイレに籠って趣味に没頭するだけで振替休日が得られるなんて、お得なイベントだ。


 そんなことを思いながら、俺は帰りの電車に揺られ、帰宅の途についていた。


 と、俺のスマホがバッグの中で唐突に鳴った。これは、クラス専用メールの通知音だ。マナーモードに切り替え忘れていたから、通知音が鳴ったらしい。


(文化祭に関して、何か連絡事項だろうか。)


 俺は、スマホをマナーモードに切り替えながら、メールのアプリを開いた。そこには、放課後も準備を行っていた人たちの写真が投稿されていた。


 教室の中心に集まって、集合写真風だった。その数人の居残り組の中には、担任の森下先生と、学級委員である早瀬さんの姿もあった。


(……楽しそうで、結構。)


 俺は、こういう学校のイベントを全力で楽しんだことが無かった。小学生の頃から、「所詮は教育カリキュラムの一環だから」と斜に構えていた。しかし、イベントを楽しむ人々を妬んだりすることは無かった。


——誰かが楽しいと言うのなら、それはそれで良い。俺は、俺なりの過ごし方を考えるだけだ。



「おっ」


 メールを閉じて、SNSの海でのサーフィンを始めた俺は、黒のマスクの下で、小さく声を漏らした。なんと、俺が好きなアーティストの新曲が、夕飯時に投稿されるとの知らせが。これは必見だ。


 俺は、過去に聞いたそのアーティストの曲のリズムを指でトントンと取りながら、上機嫌に駅を出た。




****




「ただいま」


「「おかえりー」」


 俺が玄関のドアを開くと、姉と弟の声がリビングのほうから聞こえてきた。


 羽田家の風呂は早い。弟【壮馬そうま】は、俺がリビングに入った時には既に入浴を済ませていて、ソファーで横になりながらゲームをやっている。ちなみに、壮馬はドライヤーを使って頭を乾かさないから、風呂に入ったか否か、一見してすぐに分かる。今は、黒髪が湿っぽいから風呂に入ったのだと推察できるのである。


「兄ちゃん、僕、もう風呂入ったよ」


「次、夏輝が風呂。早く入れー、臭いから」


「はいはい」


 姉【和葉かずは】は、その弟の隣で寝そべってスマホをいじり、俺に入浴を促した。俺は、蓋付きのゴミ箱にマスクを捨てて、制服から腕を抜きながら、低く返事をした。


 壮馬、俺、和葉、夜帰宅する両親、という順に入浴をすることが、羽田家の生活秩序の一部なのである。


 入浴後に着る衣服を二階の洗濯部屋から脱衣所へと持ってきて、俺は白い湯気が立ち込める浴室へと入った。


 


****




 入浴後、羽田家のリビングを静寂が支配するのである。


 ソファーの端に弟が座ってゲームをやり、その隣で姉が寝そべってスマホを永遠いじり、姉の足元で俺が音楽を聴きながら小説を書くというのが日課だ。皆、それぞれが自分の世界にのめり込んでいるので、無言が常であるのだ。


 で、手狭なL字のソファーを三人で占拠するので、俺はいつも姉の足で蹴られる。


「ねぇ、邪魔。どっか行って。アタシ、脚伸ばしたいの」


「嫌だね。和葉が背筋伸ばして座ればいいだろ。そうしたら、三人でソファーを使える」


 俺は、姉に脇腹を蹴られた。音楽からインスピレーションを与えられながらの執筆に集中していたところを邪魔されて、俺は若干イラっときた。しかしながら、ここできょうだい同士の喧嘩が起きないのが、羽田家である。


 俺はイヤホンを外して、姉に提案を突き出した。


「じゃあ、じゃんけんで負けた方がソファーから撤退する。それで勝負つけよう」


「よし、乗った」


 俺は、ソファーの争奪戦の行方を運試しに託した。姉は、どうやら俺との決闘に乗り気だ。俺と姉はソファーの上、互いに目を合わせることもせず、視界の端で腕を突き出した。


「「じゃんけん、ぽん」」


 俺と姉の低い声が重なった。俺の手は、固い拳の形を。姉の手は、二本の指を突き出した形をしていた。


「はい~俺の勝ち~」


「ちっ、死ね」


 姉は舌打ちをして不満を垂れながらも、クッションの一つを持ってソファーから撤退していった。手にしたクッションを首元にあてがい、仰向けでテレビ前のフローリング床に寝転んだ。


 よし。これで、弟と共にソファーを広々と使うことができる。それに、俺はこれ以上、姉の攻撃で集中を途切れさせられることもない。思う存分、自分の創作する世界に没頭、没入できるというものだ。


「あーあー、バイト休みの日ぐらい、おねえちゃんに席を譲ってくれてもいいんだけどなー」


「……そう言われると、申し訳なくなってくるな」


 姉の声は、イヤホンの音楽越しでも聞こえてくる。それがとにかく、俺の創作の集中を途切れさせるので、俺はしびれを切らしてソファーを立った。


「お、サンキュー。感謝のキスあげるわ」


「キッショ、豚女」


「豚はお前な。外出もロクにしないで引き篭もってると、豚みたいにブクブク太るぞー」


 顔をずいずいと近づけてきた姉の額に、思い切り弾いた中指のデコピンを食らわせてやった。しかし、姉は痛がる素振りも見せず、俺に完璧な言の葉のカウンターを食らわせてきた。


 俺は、リビングの隅に置かれた学習机に向かい、イヤホンの音量を上げた。これ以上、姉からの気持ちの悪い干渉を受け付けないように。



——まあ、三人きょうだいにしては仲が良いほうだよな。弟は優しすぎるところがあるし、俺の暴言は冗談だし、姉は何だかんだで、俺たちに優しくしてくれる。



 そうして、各人が週末の夕刻の穏やかな時間を過ごしていると、リビングの扉が開くのである。



「ただいま~」



 父の帰宅だ。その後に母も帰ってきて、久しぶりの一家揃っての団らんが開催されることとなった。

 

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