第5話 文化祭準備

 午後の時間を丸々、文化祭準備の作業が占めている。授業は無いようだから、今日という日は楽に終えられそうだ。


「じゃあ、教室の方は皆さんにお任せします。この間に、二者面談やっておきたいので、順番に、そこの廊下のところに来てくださいね~何かあったら、呼んでください」


 俺と早瀬さんが所属する1年Aクラスの森下先生は、顔にシワを寄せてニコニコとしながら、教室を出て行った。国語(現代文、古文)の担当で、非常に温厚な先生だ。


 で、先生が去った教室では早速、学級委員である早瀬が指揮を執り始めた。


「みなさーん。傾聴~」


 早瀬のちょっと低い声には芯が通っていて、騒がしい空間でもよく響く。


「事前の役割分担の通りに、準備すればいいんだろ?」

「大正解。後藤くんの言った通りにしてね~作業開始!」


 早瀬さんの指示を先読みしたクラスメイトは、既に風船を何個か膨らませていた。


 早瀬さんの指示あって、我らAクラスは文化祭に向けた準備を開始した。今回、Aクラスが出す店は、フォトスポット。映える写真が撮れる空間を作り出すことが目標となる。


 俺は、俺の役割である廊下の飾り付けに従事した。キラキラとしたモールの飾りつけをすることが、学級委員である早瀬さんから与えられた仕事だ。


……これ、キラキラした粉末みたいなのが手に付くんだよな。後で手を洗わなければ。


「お、羽田氏。お疲れ様です。」


 と、モールを廊下の壁に飾り付けようとしていた俺に、声が掛かった。振り返ると、そこには見たことある顔が。名前は、えっと……たしか……信濃だ。


 彼は、高校に入学したての俺に一番に話しかけて、コンピューター部への入部を勧めた学友である。俺は、コンピューター部の雰囲気に馴染めず幽霊部員をやっているのだが、彼は部活に出席し続けている、という感じだ。たまに、話しかけてくる。


「お疲れ様……」


「なんで部活来ないんですか~?」


 俺が持つモールの片方を持った信濃は、唐突に問いかけてきた。


 「雰囲気が合わなかったから」と安直に答えることははばかられたので、俺はしばらくの沈黙の後に答えを引き出した。


「バイトが忙しくて……」


——嘘を言った。バイトは経験が無い。俺は、こういう咄嗟の嘘でその場凌ぎをすることが癖になりつつある。もう、誰にどんな嘘をついたか覚えていない、という始末だ。


「なんのバイトしてるんすか?ちなみに、俺はリサイクル店の仕分けとか、簡単な事務とか、接客っす。」


 ああ、どう答えようかな。俺のモールを持つ手には、汗が若干湧き出して、キラキラの粉末みたいなものが付着していた。


「近所のスーパー……品出しと、レジ打ちしてる……」


 苦し紛れに捻り出したこの返答も、嘘である。本当は、母がそこでパート従業員として勤めているだけである。


 すると、信濃はそれに納得したようで、作業に集中してくれるようになった。良かった、俺がこれ以上、神経をすり減らさないで済むようだ。


「羽田氏、何かゲームやってないっすか?FPSとか。」

「……なんで?」

「いや、俺、そういうゲーム好きなんすよ。もしかしたら、フレンドになって一緒にプレイできないかなーって思いまして」


 モールの飾りつけは、思いのほか早く終わった。信濃は、腰に手を当てながら、横の俺にくるっと首を回した。


 FPSとは、一人称視点のシューティングゲームで、銃を持ってプレイヤー同士で撃ち合うゲームが多い。やったことは無いが、動画配信サイトでプロの人の実況をよく視聴するので、内容は知っていた。


 しかし、安直に「やってないけど、知ってる」と答えてしまえば、そこから話が膨らむ恐れがある。推しの実況者とか、ゲームの内容とか……


「いや、やったことないな……」


「そうすっか。」


 信濃は、頭を掻きながら教室の方へ入っていた。俺との間の気まずい空気に、彼の方が耐え兼ねたのだろう。


 俺は、一人で廊下の装飾を終わらせてしまった。他のクラスメイトたちは、互いに談笑しながら作業していたので、効率で俺に劣った。


「よし。仕事終わり」


 赤と青と黄の三色のモールが波打つ装飾は、完璧だった。指示された通りに飾り付けた。


 手持無沙汰になった俺は、扉の隙間からちょっと教室内を覗いてみた。ガヤガヤとした教室の空気が、廊下にまで溢れ出るようだった。


「三権分立を唱えた、フランスの哲学者の名前は?」

「知らねぇよ!」

「えー世界史の時間にやったでしょー」

「ねぇ、木村くんは好きな人とかいるの?」

「え、いる」

「「キャー!!」」


 俺は、クラスの喧噪に紛れるように、教室の壁に沿って自席を目指した。


(机の中に、スマホと世界史の教科書があるはず……)


 窓際に寄せられた机の数々の中から、自分の席を見つけ出した。目印は、机の端の十字の傷だ。その中からスマホと世界史の教科書だけを持ち出して、そそくさと教室を出た。


 【与えられた仕事は済ませた】。その言い訳を胸に、学校の隅の、生徒の使用率が極端に低いトイレを目指した。


——こういう悪いこと、大胆にやってみたかったんだよな。


 静寂に包まれ孤立した、第三校舎の隅の男子トイレ。ここの個室に籠って、俺は世界史の教科書を読むなり、スマホで小説サイトに本番書きするなりして、暇を潰した。


 換気のプロペラが回る音と、その外側から響く雨音だけが、俺を落ち着かせてくれるのだった。同時に、敷かれたレールから逸脱したことによる背徳感の甘美を一身で味わっていた。



(あ、そうだ。先生との二者面談があるんだった)



 俺は、早足でトイレを出て、再び一年Aクラスの教室がある第一校舎を目指して、廊下を歩いた。……あぶない、すっかり忘れていた。


 

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