第9話 待ち焦がれた文化祭
今日は土曜日。待ち焦がれた文化祭当日である。ここを乗り越えることによって、月曜日に振替休日が付与されるという、俺にとってのボーナスイベントであった。
「いらっしゃいませー。写真、撮りましょうか?」
俺は、午前中のシフトに組み込まれていた。約一時間、マニュアルに沿った接客をこなすだけで、その後は終了後の点呼まで自由時間だ。なんと簡単な仕事か。
私は、来訪する学友たちや地域の人からスマホを預かり、一組ずつ写真を撮った。背景には、多量のスパンコールとライトを付けて月を模した飾りが煌々としている。教室内の明かりは落とされていて、ライトの明かりだけが我々を照らし出していた。
「昼、どこで食べるか」
「食堂で何かイベントあったろ?それ見ながら食おうぜー」
「そうするか」
俺と同じ時間帯のシフトに組み込まれた男子3名は、仲良く談笑中。俺に仕事を全投げ。しかし、来訪者の写真撮影に応じるだけという簡単な仕事なので、それでも構わないと思う。むしろ、一緒に仕事をするほうが心理的なストレスになる。
写真を撮ってほしいと願い出があれば、写真を撮る。それを繰り返すだけの、脳の回転を必要としない単調な仕事は、実に楽なものだ。
(あと30分、この退屈な仕事をやったら解放される……)
俺は、廊下の方をボーッと眺めていた。意外と、俺に写真撮影を願い出る人が少なくて、何も考えずとも時計の針が、みるみる進んだ。
メイド服を着た女子、ドラゴンの面を付けた男子……それらを見ていると、小説のアイデアが浮かんでくるようだった。異世界に転生するファンタジー系の小説を、今度は書いてみようか。近代のメイドや執事の生活は本で読んだことがあって知っているし、ドラゴンについてはヨーロッパの神話世界から読み解くことができる。
そんな思考を巡らせていると、あっと言う間に定刻がやってきた。午前10時を、時計の針は指そうと、秒針を昇らせている。
「次、お願いします」
俺は、秒針が12を指した瞬間に、廊下で待機していた次のシフトの人たちに教室を託した。
(スマホ、弁当、メモのノート……世界史の教科書も持っていこうか)
手早く、例のトイレに籠る準備をしていると、背後から既知の声が掛けられた。
「お疲れ様~羽田くん。お客さんの数、どうだった?」
それは、早瀬さんだった。俺は、自分のバッグを漁りながら応えた。
「ま……まばらって感じでした。あんまり忙しくはなかったです」
「おお。それなら楽かもね。」
早瀬さんは、コスプレ衣装を用意していたらしい。制服のブレザーを脱いで、赤を基調としたエプロンをワイシャツの上から着て、カチューシャを頭に飾り付けた。
「ねぇ、もし良かったら、一緒に回らない?私たちのシフト終わったらだけど。赤城さんとか、松田さんとか、西園寺さんが一緒のグループで」
「え……」
俺は、小説ノートをカバンから取り出しながら、我が耳を疑った。俺は咄嗟に、
「ごめん。コンピューター部のみんなと回る予定だから」
断りを入れて、そそくさと教室を出ていた。これも嘘である。コンピューター部の人たちとは長く顔を合わせていないし、そもそも今日はトイレに籠城するつもりだ。
俺は上機嫌に黒マスクの下、小さな囁き声で、あのアーティストの新曲を歌いながら、第三校舎を目指して廊下を歩いた。学友たちの喧噪もぼやけて、新曲のメロディーと歌詞だけが、俺の脳内を駆け巡っていた。
「汝、敬虔な教徒の皮を被った抵抗者~♪疑え、殺せ、奪え、墜とせ、墜とせ、墜とせ、異教徒どもの審判に賭けよ~♪」
第三校舎には、文化祭期間中、不要な机や椅子が運び込まれている。その間を縫って潜って、校舎の隅の男子トイレに辿り着いた。もちろん、人の気配は皆無で、校舎の屋根を打つ雨音と、換気扇から吹き込む冷たい風の音しか聞こえない静寂がそこにあった。
スマホを開いて、新着のメールをチェックした。
(39話まで読みました。ヨーロッパの歴史に対する造詣が深くて、読んでいて面白かったです。これからも頑張ってください!応援しています)
俺は、小説投稿サイトに届いたメール文をそのまま音読していた。
よし。今月から投稿し始めた歴史小説も、順調に閲覧数を伸ばしている。それに、直接感想文を送ってもらうなんて、はじめての経験だ。
「読んでくださり、ありがとうございます。これからも楽しんで執筆してまいりますので、またお暇な時に是非、読みに来てください。感想ありがとうございます。」
俺は、感想文を送ってくれたアカウントに感謝の意を示した。返信を打つ指は、いつもに増して速かった。
今日は暇な時間がたんまりと有るから、6000文字を目標に書いていこう。
トイレには、スマホのキーのカタカタという操作音と、校舎天井を打つ雨音と風の音だけが、静寂を割って響いていた。
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