第18話

 サタンはゆっくりと手の平を下に向けた。また魔法を放つ気だ。

 マズい! と正吾が身構えた時、ニーズヘッグは上空に向かって叫んだ。


『待て、サタン! 我らと戦っても、貴様に利はないぞ!』


 ニーズヘッグの言葉に、サタンは動きをピタリと止めた。手を下ろし、眼下の正吾たちをジロリと睨める。


『ニーズヘッグか……久しいな。お前も私と同様、小さくなり、力を失ったのか』


 中性的だが、女に近い声。サタンは男じゃないのか? 正吾は眉根を寄せる。


『そうだ。何故こうなったのか分からぬが、我とお主が戦っても意味がない。なにより、ここにいる八坂を殺すと厄介なことになる。気づいておろう』


 サタンは黙り込んだまま、ゆっくりと下りてきた。正吾の目線の高さで止まると、わずかに顔を上げる。

 フードから見える顔は、やはり女性のように見えた。妖艶で美しい容姿。ぼぅっと眺めていると、引き込まれそうになる。

 正吾はぶんぶんと首を振り、改めてサタンを睨む。

 身長は四十センチほどか。ガチャから出てくるモンスターとしては、かなり大きいほうだ。

 唾をゴクリと飲み込み、正吾は相手が話すのを待った。


『……確かに……その人間からは特殊な繋がりを感じる。殺すと、どんな影響があるか分からないな』

『それは我も感じた。我らが小さくなった原因。こやつと、なんらかの関係があるのかもしれん』


 正吾は「え?」と思った。モンスターが小さくなった原因? 確かにガチャBOXは拾ったが、モンスターを小さくした覚えはない。


「い、いや……俺は別になんにも……」


 正吾の反論を遮るように、ニーズヘッグはしゃべり出した。


『とにかく! 元の姿に戻りたいなら、この人間は生かしておいたほうがいい。それが我の考えだ。お主はどうする? 魔王サタンよ』


 サタンは考え込むが、しばらくして顔を上げた。


『よかろう、ニーズヘッグ。お前の安い提案に乗ってやる。その男からは、とてもおもしろい気配を感じるしな』


 サタンはフフフと小さな声で笑う。

 なんにしても、ニーズヘッグのおかげで助かったようだ。あのまま戦っていたら、確実に負けていた。

 ギリギリで命を拾った、と正吾は安堵する。


『人間よ。お前……魔獣の魂を宿しているな』

「え? 魔獣の魂?」


 サタンの言葉に頭が追いつかない。魂ってなんのことだ? 困惑していると、サタンは正吾に手の平を向けた。


「えっ!? ちょっと待ってくれ!」


 サタンの手から黒い『霧』が噴き出す。ニーズヘッグがなにか叫んだが、正吾の耳には届かなかった。

 霧は周囲に広がり、正吾は動けなくなる。


 ――な、なんだ!? 


 纏わり付いた霧は、正吾の体からを浮き上がらせる。それはバレーボールほどの球体。ふよふよと漂い、サタンの元へと向かう。


「これは……」


 正吾は戸惑い、なにもできないままサタンの挙動を見つめる。

 サタンは目の前にあるに触れる。黒い霧に覆われた透明な玉。あれがなんなのかは、さぱり分からない。

 

『いい魂だ。人間……やはり、お前は特別な存在のようだ』


 サタンは愛おしそうに四つの玉を撫でる。周りにあった霧は徐々に晴れ、正吾は動けるようになった。

 すぐに振り返り、ニーズヘッグに顔を向ける。


「親父! なんなんだ、あれ!? あいつ、俺からなにを抜いたんだ?」


 ニーズヘッグは『う~む』と唸り声を上げた。


『あれは【ダークソウル】という上位の闇魔法だ。倒したの相手の魂を配下に置くという恐ろしい魔法なのだが……』

「倒した相手? でも、俺はまだ倒されてないぞ」


 正吾が眉間にしわを寄せて尋ねると、ニーズヘッグは首を横に振った。


『例え自身が倒さずとも、己の部下などが倒した敵であれば配下にできる、と聞いたことがある。お前から取り出したのは、かつてお前が倒した魔獣の魂だ。ヤツはその魂を配下にするつもりらしい』

「おれが倒した魔獣? 小さなモンスターのことか?」


 正吾は振り向き、サタンを改めて見つめる。

 サタンの周りに浮いていた透明な玉は、次第に形を成していく。一つは馬に乗った騎士の形に。もう一つはボロい布切れを着た魔導師のモンスター。この二体は見覚えがある。


「SRとして出てきた【暗黒騎士】と【リッチ】だ! それに――」


 あと二つの球体も形を成した。SRのドラゴン・リヴァイアサンと、ゴブリンキングだとすぐに分かった。


 ――四体とも俺が倒したSRのモンスターだ。どうして、それが俺の中にいたんだ!?


 四体のモンスターは、完全に元の姿に戻った訳ではない。どこかかすみがかった、ぼんやりとした姿をしていた。

 後ろにいたニーズヘッグが口を開く。


『お前が倒した魔獣の一部が、お前の体に取り憑いておったようだ。それをサタンが引き剥がした……そんなところか』

「体に憑いてた!? 怖っ! じゃあ、引き剥がしてもらって助かったな」


 四体の小さなモンスターは、サタンの前で頭を垂れる。四体全てがサタンの配下に加わったようだ。

 サタンは満足気な表情で、新たな配下を見回す。


『まあ、悪くない。このまま魔獣を増やしていけば、魔王の軍勢を再構築できるかもしれない。おい、人間――』


 呼ばれた正吾は「お、おう?」と生返事をする。


『どうやら、お前と私にはなんらかの繋がりがあるらしい。そのため、お前が倒した魔獣を使役できるようだ。これは素晴らしい』

「は、はあ……」

『今後も私の配下を増やす手伝いをするのであれば、お前を殺すのはやめてやろう。なんなら私の配下にしてもよいぞ』


 薄笑いを浮かべるサタンに対し、ニーズヘッグがいらついた様子で口を挟む。


『バカなことを言うな! こやつは我の眷属。お主の配下になる訳がなかろう。ちょっかいを出すのであれば、我が黙っておらんぞ』


 サタンとニーズヘッグが睨み合う。強力なモンスター同士の対立だ。正吾は怖すぎてなにも言えなかった。

 そんな空気をサタンが壊す。ふっと視線を切り、正吾に目を向けた。


『人間よ。お前が魔獣を倒し続ければ、また私はやってくる。もし、魔獣を倒さないのなら、お前は役に立たないということ。生きていたいなら、私のために魔獣を狩るのだ。分かったな?』

「あ、ああ……分かった」


 そう答えるのが精一杯。正吾は生きた心地がしなかった。

 サタンは振り返り、目の前の空間に亀裂を生み出す。次元の裂け目を作ったサタンは、四体のモンスターと供に中に入っていった。

 周囲の重々しいプレッシャーはなくなり、いつもの風景が戻ってくる。

 正吾は「はあ~」と大きな溜息をつき、両手を膝についた。


「なんとか乗り切った。今回は死ぬかと思ったぜ」


 安堵している正吾の元に、エリゼが瓦礫を避けながらやってくる。


「正吾様、あの魔獣はいなくなったんですか?」

「ああ、取りあえず、どっかに行ったようだ。でも、いつ出てくるか分からねえからな。早く向こうの世界に行かねえと」

「そうですね。住まいも壊れてしまいましたし、もう出発すべきかもしれません」


 正吾がふと顔を上げると、空が白み始めていた。夜が明けたんだ。


『我は眠ることにする。八坂よ、もし用があるなら、我を呼ぶがいい。気分が向いたら、力を貸してやらんこともない』

「ありがとう親父。また凄え強いヤツに会ったら呼ぶかもしれねえ。そん時は頼む」

 

 ニーズヘッグは、自らが作り出した空間の亀裂に入り、姿を消した。今回も助けられた。ニーズヘッグがいなかったら、確実に死んでただろう。

 エリゼは酷い有様になったアパートの敷地に目を移す。


「正吾様、部屋がめちゃくちゃになってしまいましたが、散乱した瓦礫から持っていく物を探しましょう」

「そうだな。手伝ってくれるか? エリゼ」

「もちろんです! 任せて下さい」


 二人で協力し、部屋にあったはずの物を探す。爆発に巻き込まれ、ほとんどの物は壊れていたが、リュックサックや一部の保存食は無事だった。

 そして――


「あ! これ、壊れてねえぞ」


 正吾が見つけたのは、アパートからかなり離れた場所に落ちていたガチャBOXだ。

 持ち上げて色々確認するが、やはり壊れてはいないようだ。

 もっとも中身が入っていないので、壊れたところで問題はないが。正吾がガチャを片手にエリゼの元まで戻ると、遠くからサイレンの音が聞こえてきた。


「警察か……そりゃ通報するよな」


 正吾はエリゼと供にその場を離れ、近くの公園に避難する。持って来れたのはわずかな荷物。異世界に行くための物を詰め込んだリュック。燃えずに残っていた一部の衣服。ガチャBOXと大剣。靴や財布なんかも残っていた。

 エリゼに関しては甲冑と剣などは無事だった。それでもエリゼは落ち込んでいるように見えた。


「大丈夫か? エリゼの荷物は無事だったんだから、そんなに落ち込むなよ」

「いえ、せっかく正吾様に買っていただいた服などが燃えてしまいました。向こうの世界に行ったら、二度と手に入らない物。とても残念です」

「あ~、まあ、そうか……」


 確かに、もう服を買いに行っている時間はない。警察が来た以上、早々に出発しないといけない。

 正吾はリュックを背負い、明るい表情をエリゼに向ける。


「気を落とすなよ。エリゼの望み通り、俺がそっちの世界に行くって言ってんだからよ」

「そうですね。すいません、暗いことを言ってしまって。正吾様を安全に、かつ確実にガランドにお連れするのが私の役目……必ず果たします」


 夜はすっかり明け、辺りは明るくなっていた。早朝とはいえ、散歩やジョギングをする人もいるだろう。

 行くなら早くしないと、と思った正吾だが、どうやって異世界に行くのかを知らされていない。

 尋ねようとした時、エリゼは右手の甲を空に向けた。

 中指には綺麗な指輪が嵌められている。エリゼがいつも付けている、赤い宝石の指輪だ。指輪の石は陽光を浴び、キラキラと輝いていた。

 その指輪が強い煌めきを放った瞬間――

 エリゼの目の前に、黒い空間の歪みが生まれた。

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