第17話

 正吾は夢を見ていた。

 暗く、肌寒い世界。山が噴火し、マグマが山沿いを流れ落ちる。闇夜に浮かび上がる赤い川。

 ギラギラと輝き、不気味さを醸し出している。

 まるで地獄のようだ。そんな風に正吾が思った時、上空に誰かいることに気づく。

 空に浮かぶ人影。紫のローブ着ている。フードを目深に被り、羽を広げて浮かんでいた。天使のような美しい羽ではない。

 コウモリに似た不気味な形。人影はゆっくりと回り、こちらに目を向ける。

 瞳が見えた。深く、暗い、どこまでも冷たい目。

 魔族か? それとも――

 そこまで考えた時、世界が揺れた。火山が次々と噴火し、世界が崩壊していく。

 フードの魔族はどこかに飛んでいってしいまう。

 正吾は手を伸ばしたが、なにも掴むことはできない。無力感を覚えた瞬間、ハッと目を覚ました。

 手を天井に向かって突き出している。


「なにやってんだ、俺……」


 変な夢を見たな、と思っていると、部屋全体が揺れていることに気づく。

 地震か? 上半身を起こして辺りを見回す。障子を隔てて、隣の部屋にいたエリゼの声が聞こえてきた。


「正吾様! なにかがおかしいです」

「ああ、俺も感じるよ」


 これはただの地震ではない。途轍もないプレッシャーを感じる。魔族たちが放っていた圧迫感……いや、むしろ親父。ニーズヘッグの放つプレッシャーに似ている。

 だが、親父ではない。もっと禍々まがまがしく、もっと強大なだ!

 正吾が布団から飛び起きた時、押し入れが吹き飛ぶ。莫大な魔力の柱が天井を突き破った。正吾は腕で顔を防御し、一歩、二歩と後ろに下がる。

 正吾は顔をしかめながら思い返していた。

 押し入れには『UR』のガチャカプセルを置いていた。

 まさか、勝手に蓋が開いたのか!?

 エリゼが襖を開け、こちらの部屋に入ってきた刹那、莫大な魔力が弾け、部屋全体が爆発した。

 正吾は空中に投げ出され、気づけばアパート前の敷地に落下していた。

 なんとか着地し、見上げれば、無残に破壊されたアパートが目に入る。

 正吾の部屋は見る影もないが、周辺の部屋も無事では済まない。

 カプセルの暴走か? あるいは魔族の襲撃か!? 正吾はキョロキョロと辺りを見回す。

 だが、魔族の姿はない。ふと見れば、パジャマ姿で剣を構えるエリゼがいた。


「大丈夫か、エリゼ! 怪我はないか!?」

「私は大丈夫です。それよりも――」


 エリゼが上空を見上げていた。正吾も釣られて空に視線を向ける。

 そこになにか浮かんでいた。浅黒いローブを着た人影。フードを目深に被り、コウモリのような羽を広げている。


 ――夢で見たヤツだ! なんなんだ? あいつは!?


 よく見れば、それほど大きくない。いや、むしろ小さいぐらいだ。

 魔族じゃない。だとすれば、やはりカプセルから出てきた小さなモンスター。正吾は奥歯を噛む。最悪の事態だ。

 ヤツは押し入れに保管していた『UR』のモンスターに違いない。

 だとすれば『SSR』だったニーズヘッグよりも上。そんなヤツに勝てるのか!?

 正吾が動けずにいると、空からヒラヒラと紙が落ちてくる。

 足元に落ちたそれに視線を落とした。


『ウルトラレア 悪魔王サタン』


 上空に浮かんだ人影は、緩慢な動作で右手を振るった。その瞬間、足元から無数の影が伸びてくる。これは――


「細身の魔族が使ってた魔法! あいつも使えるのか!?」


 正吾が横っ飛びでかわすと、同じく影を避けていたエリゼが叫ぶ。


「あれは闇魔法、ダークバインド! 掴まると厄介です。避けて下さい!」

「分かった!」


 正吾は敷地に飛び散った瓦礫の中から、長い剣を見つけ出す。怪物男が使っていた大剣。正吾は剣に飛びつき、一回転して態勢を立て直した。

 剣の切っ先を相手に向け、上空の魔王――サタンを睨む。


 ――なんとかしてあいつを倒さないと!


 正吾は四方八方から向かってくる『影の手』を避け、スキル【豪腕】を発動した。走っている途中で急ブレーキをかけ、足を踏み込んで剣を振るう。

 放ったのは【空牙】だ。あんな上空にいる敵を倒すには、この技以外にない。

 空を飛ぶ『斬撃』はまっすぐサタンに向かっていく。

 直撃だ! と思った瞬間、斬撃はなにかに弾かれ、雲散した。


「なんだ!?」


 正吾が目を凝らして見ると、サタンの周囲に透明で丸いものがある。まるでサタンを守る結界のように展開している。

 間違いなく、ニーズヘッグが使うバリアと同じものだ。

 ひょっとするとサタンが使うバリアのほうが強力かもしれない。正吾が剣を引いたまま、顔をしかめていると、背後から不機嫌そうな声が聞こえてくる。


『なんだ? またしても騒々しい。ゆっくり眠ることもできん』


 空間に裂け目ができ、中から現れたのはニーズヘッグだ。


「親父! 大変なんだ、とんでもねえヤツが現れやがった!!」


 正吾が大声で叫ぶと、ニーズヘッグはまぶたを擦りながら上空を見上げる。


『あれは……サタンか』

「知ってんのか!? 親父!」

『ヤツとは因縁がある。かつて我が眷属・竜の軍団をもってヤツの勢力とぶつかったが、我ら竜族は敗北。多くの仲間が死んでしまった』

「そんなに強ええのか!? あのサタンってモンスターは?」


 正吾は血の気の引いた顔でニーズヘッグに尋ねる。


『強いなどというものではない。まさに最強の魔族。そして我と同様、数多の眷属を従える闇の王でもある』


 ゴクリと喉を鳴らした正吾は、改めて上空を見る。悠然と浮かぶサタンからは、息が詰まりそうになるほどのプレッシャーが放たれている。

 このまま普通に戦っても勝てる訳がない。

 正吾は隣にいるニーズヘッグに視線を向ける。


「親父! あいつを倒すの、手伝ってくれねえか!? 俺一人じゃ勝てねえ」

『フンッ! 当たり前だ。我でも負けた存在が、お前ごときで超えられる訳がなかろう。もっとも、我が助力したところで、勝てるかどうか分からんがな』


 ニーズヘッグが初めて口にする弱気な言葉。それほどまでにサタンは強いということだろう。だが、このまま指を咥えて見ている訳にはいかない。


「親父! やるしかねえんだ。あいつはやる気満々だし、なにもしなかったら殺されるだけだ! 今は協力して、あいつを倒すしかねえよ」


 正吾の言葉に、ニーズヘッグはわずらわしそうに顔を歪める。


『やれやれ、面倒事ばかり起こす従者だ。困ったものだが、確かにやるしかなさそうだ。それに、負けっぱなしで引き下がるのも性に合わん』

「そうこなきゃ、親父!」


 正吾は剣を構え、ニーズヘッグは空を睨める。サタンはこちらを見下ろしたまま、動く気配はまったくない。

 正吾は【爆炎操作】を発動、剣に炎を灯す。


「喰らいやがれ!!」


 剣を振り抜き、燃えさかる【空牙】を放つ。ニーズヘッグも黙ってはいない。口を大きく開け、熱線を吐き出す。

 二つの攻撃はサタンのバリアに直撃した。爆発して炎が舞い、煙が広がる。

 どうだ! と見つめていた正吾だが、晴れてきた上空には、傷一つないサタンが浮かんでいた。バリアが破れなかったのだ。

 サタンはゆっくりと手を上げ、両の手の平をこちらに向けてきた。

 サタンの周囲に球体が浮かぶ。闇の魔法か? と思った正吾だが、違っていた。

 三つの球体は炎の槍となり、三つの球体は雷の槍となる。さらに三つの球体は氷の槍となった。


「おいおいおい! なんだ、アレ!?」

『ヤツは全系統の魔法を使える。気をつけろ! 八坂!!』


 上空から九つの槍が放たれる。正吾は慌ててその場を飛び退いた。炎の槍が地面に突き刺さり、爆発する。

 爆風で正吾は吹き飛ばされた。少し離れた場所にいたエリゼも踏み止まれず、敷地の端まで転がっていく。

 正吾は腕で顔を守りながら立ち上がり、後ろを振り向いた。

 

「これは……」


 信じられない光景が広がっていた。アパート前の敷地に、巨大なクレーターが出現し、地面が溶解している。

 ハッと見上げれば、ニーズヘッグが浮かんでいた。

 どうやら無事だったようだ。だが、よく見れば、今までと明らかに違うと気づく。 ニーズヘッグが展開するバリアにヒビが入り、ボロボロと崩れていた。


「親父!」

『心配はいらん。攻撃は喰らっておらんわ。しかし、防ぎ切ることもできなかった』


 正吾は信じられない気持ちになった。襲撃してきた魔族がいくら攻撃しても、ニーズヘッグのバリアは傷一つ付かなかった。

 それが完全に破壊されている。正吾は上空のサタンに目を移した。

 小さいとは言え、ヤツの魔法は半端じゃないんだ。

 

 ――本当にこんなヤツに勝てるのか!?


『八坂! 来るぞ!!』


 ニーズヘッグの声で我に返った。周りから手のような影が無数に伸びてくる。

 闇魔法のダークバインドだ。正吾はその場から飛び退き、剣で影の手を打ち払う。数が多すぎる! 防ぐのに精一杯で、攻撃に手が回らない。

 正吾がなにもできない間に、サタンはまた魔法の球体を生み出している。

 炎に雷に氷、それに加えて『風』の球体も生み出す。十二の球体は魔法の『槍』となり、切っ先をこちらに向ける。


「ヤバいぞ! 親父!!」


 正吾は泡を食って逃げ出す。エリゼも距離を取ろうとした。

 唯一、ニーズヘッグだけは迎え撃とうと、その場に留まる。正吾が振り返った時、ニーズヘッグの周囲に無数の球体が浮かんでいた。 


 ――あれは、見たことのない魔法だ。親父が使う取っておきか!?

 

 正吾が少しでも離れようと飛び上がった時、ニーズヘッグは魔法を放った。無数の球体から野太い熱線が撃ち出される。


黙示録の咆哮アポカリプス・ロア!!』


 七つの熱線は魔法の槍とぶつかり合い、大爆発を引き起こす。衝撃でアパートや周囲の建物は破損し、爆音と爆風は遙か彼方へと広がっていく。

 正吾やエリゼも衝撃には耐えきれず、何十メートルも飛ばされてしまった。

 辺りに残ったのは粉塵と黒い煙。

 正吾は「いてて」と頭を押さえながら起き上がる。周囲を見回して息を飲んだ。 

 アパートの敷地はデコボコに隆起し、建物も破壊されている。死人が出ていてもおかしくないぐらいだ。

 よく見れば、地面の一角に黒い竜が倒れていた。


「親父!!」


 正吾は急いで駆け寄った。ニーズヘッグは仰向けに倒れ、完全に伸びている。

 

「大丈夫か? 親父、しっかりしろ!」


 正吾はニーズヘッグの体を抱きかかえ、必死に声をかける。すると、竜は『う~ん』と唸り声を上げた。まだ生きている!


『情けない限りだ……かつては国一つを滅ぼすほどの威力だった【黙示録の咆哮アポカリプス・ロア】が、この程度の威力にしかならんとは……』

「良かった、親父。大丈夫そうだな」


 ニーズヘッグは起き上がり、羽をはばたかせて、また浮き上がった。


『今回は生きながらえたが、次はそうはいかん。なにしろ、ヤツの魔力はほぼ無限。我やお前が奮闘したところで、いつまでもつか』


 正吾も立ち上がり、上空を睨む。

 サタンは微動だにせず、表情も変えず、ただ悠然と正吾たちを見下ろしていた。

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