幕間・巡る報い

 未だ混乱から回復できずにいるアルビオンの王宮にて。

 エリオットは、慌てふためきながら周囲に怒鳴り散らしていた。

 マデリンの姿が見えない。きっと、誘拐されたのだ。すぐさま助け出せと。

 狂乱しきった様子で妻の名を呼び、探せと叫び続けるエリオットは不意に動きを止める。


「アナスタシアだ……」


 地を這うような低い声音で、かつての婚約者の名を口にする。

 その声には、聞いた人間の背筋に冷たいものを走らせる、怨念じみた感情が満ちていた。


「アルビオンを裏切ったアナスタシアが、雪原の蛮族どもと手を組んで怪しい儀式をしたから、王都の魔力が消えたんだ!」


 アインマールの地において大規模な術が行使された事については、アルビオンにも伝わってきていた。その術によって、常冬の荒野であった彼の地に春が訪れたということも。

 エリオットは『白の荒野』に春が訪れたのは、豊かなアルビオンに嫉妬した獣人達が魔力を奪ったからだと喚き散らす。

 王都に凶事が続いているのは、追放された事を逆恨みしたアナスタシアが呪いをかけたからだと。

 マデリンを誘拐させたのもアナスタシアに違いない、と錯乱して叫び続けるエリオットは気付いていない。

 傍に控える侍従や侍女達も、既に彼を冷ややかな目で見つめている事に。

 王太子は気付かず、事態を打開する為には獣人達の国を討伐するしかないと言い始める。

 誰も止めず、彼の言葉に従わず。

 奇妙に冷めた空気が満ちていたその場に、溜息交じりの男の声が響いた。


「ある程度は予想していたが。……予想以上に醜態を晒していて溜息しか出ない」

「セオドア! 誰の許しを得て王宮に立ち入った?」


 エリオットは眦を吊り上げて、声の主を睨みつけた。

 彼がぎらついた眼差しを向ける先にいた男――彼の異母兄であるセオドアは、大仰に肩を竦めてもう一度溜息を吐く。


「ここは一応、俺の家でもあるだろうが」

「下賤な下町に入り浸っている放蕩者が! 大人しく塒に帰るがいい!」


 側室腹とはいえセオドアは正式に王子として認められている以上、エリオットが咎めるのは見当違いである。

 兄に対する敬意がないのはいつもの事とはいえ、もうそこまで分からなくなっているのか、とセオドアの口からは溜息しかでない。

 かつて……聖女を婚約者としていた頃は、多少頼りなくともまずは申し分のない王太子と呼ばれていたはずなのに。

 ここまで堕とされたか、と心に苦いものが満ちるけれど違うのだ。弟は『堕とされた』のではないのだ……。

 セオドアは、そのままでは剣を抜いて威嚇しかねない程にいきり立ったエリオットに対して『何か』を突きつけた。


「悪いが、ここは本格的に俺の家になるんだよ。……出ていくのはお前だよ、エリオット」


 訝しげに突きつけられたものに視線を向けたエリオットは、それが何であるか知ると顔色を変えた。

 凍り付いたように動きを止めながら、記された内容を何度も読み返していたエリオットは漸く気付いたようだった。

 目の前にいる兄が、普段のだらしなく気崩した平服ではなく、儀礼に臨めるような正式な礼服を纏っていることに。

 そう、まるで……かつて、エリオットが父王から王太子の宣下を受けた時のような。

 セオドアが手にしていたのは、エリオットが幾度も目にした覚えがある、正しい王の命令を記したもの――厳格な筆跡にて記された王の勅書だった。


「父上……国王陛下の勅命だ。お前を廃嫡、王都から追放すると。そして俺をお前に代わり王太子とする、と」


 すっかり蒼褪めて目を見張り、呆けたように口を開いたまま絶句してしまった弟に、第一王子たる兄……いや『王太子』となった兄は告げる。

 セオドアの言葉と全く内容を違える文章が勅書に綴られているのを見て、エリオットは愕然とする。


「馬鹿な……! 父上がそんな事を命じるはずがない!」

「『第二王子』殿下。残念ながら『王太子』殿下の仰られた事は、全て事実でございます」


 セオドアの背後から現れたのは、王に長年仕えてきた側近達だった。

 彼らはセオドアの側に控えながら、エリオットに冷ややかに告げる。

 今まで自分を時代の王として敬ってきた者達の言葉に、エリオットは唇をわななかせる。


「僕に……僕に、何の罪があると……!」

「妃と共に、国内外の政情を著しく混乱させた罪だ」


 言われないとわからないのか、とセオドアはまたも深い溜息を吐く。

 自分で気付けるならそもそも今日のような事態には至っていないだろうとは思っていた。

 その一方で、他の人間が『解けた』ようにもしかしたらと儚い希望を抱いてもいたのだ。

 セオドアは、この異母弟を憎んでいたわけではなかった。だからこそ、溜息は複雑な重さを帯びている。


「……父上が何も言わないのはおかしいとは思ったが。お前、父上が臥せっているのをいい事に何も知らせてなかったんだな。呆れたよ」


 病の父王に代わり、エリオットが政治に携わる事が増えていた。

 いずれエリオットが王位を継ぐのだし、それについては特に不思議に思う事はなかった。

 だが、父王が一連の出来事に対して何の表明もしない事について徐々に違和感は生じて。

 意思を定め訪れた時、セオドアは弟が父に対して一切の情報を遮断していた事を知る。


「お前は、不当な理由で他国への無理な要求を突きつけ、国家間の関係を悪化させた」


 表情を厳しいものに展示、険しく鋭い眼差しを向けながらセオドアは弟の罪を述べる。

 唇を噛みしめ自分を睨みつける弟を、負けぬ勢いで睨み返しながらセオドアは続けた。


「アインマールに心臓石を寄越せと無理難題を言った挙句、腹いせに物流を止めただろう」

「何が国家だ! あんな蛮族どもが暮らす属領が国なものか! アルビオンの支援がなければ困窮するしかないけだもの達!」


 エリオットが妻の為にアインマールの国に突きつけた理不尽について触れると、エリオットは嘲笑う。

 セオドアは弟がアルビオンの上流階級の人間と同じく、獣人達の国を属領扱いして蔑んでいる事は知っていた。

 正す者達が居なかったのだから、仕方ない認識と言えなくもない。

 だが。


「お前は認めなくとも、父上は認めた」


 他ならぬ彼らの父である国王は、息子と違う見解を示した。

 国王は病の床にありながら、息子の愚行を知ると自ら筆を執り謝罪の手紙を認めたのだ。

 手紙を携えた正式な勅使は、今頃必死にアインマールに向かって駆けているだろう。

 それに、と更にセオドアは続ける。


「サイサリスもアインマールの王と国に先ありと見込み、正式に『国として』支援した」


 聞いた瞬間、エリオットが更に愕然とした様子で言葉を失う。

 彼にとっては、それは更にあってはならない事だった。

 蛮族の集まりと蔑んできた相手を父が、そして大国の支配者が正式に『国』と認めた。

 アルビオン王国、そして大国であるフロース帝国が認めたとあれば、様子見していたその他の国も次々と続くだろう。

 アインマールは近い将来、諸国と正しく国交を結ぶ事となるはずだ。


「あんな……。食うにも事欠いて、弱っているだろう奴らを、国なんて……」


 エリオットは呆然とした面もちで宙空を見つめながら、独白のように呟いた。

 それを聞いたセオドアは、もう何度目か分からない溜息と共に口を開く。


「お前が思う程、アインマールは弱っちゃいないぞ」

「は……?」


 兄の言葉を理解できない、といった表情で、エリオットは胡乱な眼差しを向けてくる。

 セオドアは、弟の眼差しを冷めた眼差しで受け止めていた。


「フロースの支援以外にも……俺が、水面下で取引していた。必要な物資は、お前が腑抜けている間にあの国に滞りなく流れていたんだよ」


 お前は知ろうともしていなかったが、と前置きをおいて、セオドアは弟を静かに見据えながら淡々と告げる。

 エリオットは、更に理解できない、と言った風に頭を左右に振り。やがて、有り得ない、と呟いた。


「そんな金や人間を、どこから……」

「俺が無駄に歓楽街に居たと思うのか」


 上流階級の人間が眉をひそめて近寄りもせぬ場所であっても、あの街には様々なものが集う。金であり、人であり、物であり。表には流れぬ情報とて集う場所だ。

 劇作家を気取って見せながら、セオドアは以前から密かに情報を集め続け、それを必要なものに流し。

 情報は金となり、伝手となり。やがては彼の元に、多くの資産と人材を集める事を可能にする程になっていた。

 サイサリスにはバレバレだったが、と裡に呟く。

 自身の元に集めたものを利用してアインマールへの密かな協力者となり続けていた。

 一方的に取引を打ち切るよう命じられた事を快く思わぬ者達は、知っても知らぬ振りでセオドアに従う事を選んだ。


「更には、民の崇拝の対象である聖女を冤罪で追放した」


 それを聞いた瞬間、エリオットは弾かれたように顔を上げた。

 瞬時に宿った怒りにぎらつく瞳で兄を睨みつけると、叫ぶ。


「アナスタシアはマデリンに毒を盛って殺そうとしたうえに、僕の子供を……!」

「子供は嘘だった。医者が脅されて診断したと証言している」


 エリオットの勢いを挫くように告げられたセオドアの言葉は、冷静そのものだった。

 は? と理解が追い付いていない様子のエリオットに対して、セオドアは更に追撃のように続ける。


「侍女も観念して白状した。他でもないマデリン自身に言われて軽い毒を茶に仕込んだと」


 マデリンが姿を消した後、侍女は突然自分が何をしでかしてしまったのかにか気付いて震えあがった。

 それこそ、何かの悪い魔術をかけられていて、それが解けたような感じであると言っていた。

 自分が自分ではなくなってしまって、ただマデリンの言葉が崇拝すべき正しいものとしか思えなくなっていたと。

 恐ろしい事をしてしまったと罰を求めて泣きじゃくっていた侍女や、子を人質に取られて恥ずべき偽証をしたと命を絶ちかねない様子で悔やむ医師の姿が脳裏を巡れば、自然とセオドアの表情は険しくなる。

 まさか、そんな、とエリオットは未だ理解出来ていない様子だ。

 いや、信じたくない、という感じなのだろう。定まっていた者を押しのけるほどに愛した女が、よりにもよって自分を騙していたなど。

 確かに信じたくない事ではあるだろうが、現実から逃げる事を許してやれるほど、セオドアとエリオットのある立ち位置は甘くはないのだ。

 セオドアは一度瞳を伏せ沈黙し。そして、決意を定めたような様子で再び目を開くと、弟を真っ直ぐに見据えた。


「最後の罪は。お前が、王太子である事を自ら放棄した事だよ」


 突きつけられた最後の罪状に、弟は目を瞬いて首を傾げるばかりだった。

 その様子を見た兄は苛立ったように弟の腕を掴むと、力任せに引いた。


「実際に聞かなきゃわからないっていうなら、来い!」


 セオドアは、必死に暴れて抗うエリオットを窓のある方向へと引きずっていった。

 そして、窓を開くと外の露台に突き飛ばすようにしてエリオットを放り出す。

 踏みとどまる事もできず、露台に転げるように倒れたエリオットは確かに聞いた。

 王宮に詰めかけた人々があげる、彼への怨嗟の叫び声を。

 彼が偽りの罪を聖女に着せて追い出した事が今日のアルビオンの混乱の原因である事を知った民が、彼を糾弾する怒声を。

 王太子は、王都が混乱しているにも関わらず、何の対策も講じてくれなかった。

 救いを求めて集った我らを蹴散らすように命じて、訴えを聞く事すらしてくれなかった。

 何の方針も見出せず日々の暮らしにも困る人々を、王太子は見捨てた。

 何れ国王となるべき王太子でありながら、国民を省みる事をしなかった。

 お前が聖女を追放しなければ。お前が獣人達に無茶な要求さえしなければ。 


 ――お前が、真の罪人である女を妃にさえしなければ。 


 城を揺らすのではないかという程の怒号に、エリオットの顔から完全に色が消えた。

 王都の民は知っている。今日の彼らの混乱の原因が何に……誰にあるのかを。


「民衆に知らせたのは、お前か……?」

「俺は、芝居の台本を一本書いただけだよ」


 エリオットは聞こえくる憎悪の叫びに呆然としながら、背後に立つ兄に問う。

 せめて少しでも人々の心を慰めようと劇団が簡素な芝居を行い、それを見た人々は街のあちこちで劇中歌を響かせた。

 それを目にした人々は、耳にした人々は。劇作家を仮の姿とする第一王子が『何』を題材として書いた台本であり歌であるかをすぐに気付いた。

 そして、そこにどんな真実があったのかにも。

 元より、マデリンの力が作用しない魔力がさほど高くない者達……殊に、一般の国民たちの間ではアナスタシアの罪に疑問を持つ者が多く居た。

 アナスタシアの功績は聖女と呼ばれる事を疑うべくもない立派なものであり、慈悲深い心根と行いに救われた者も多いのだ。

 そこに、第一王子から齎されたのは理不尽な濡れ衣であったという事実。

 自然と、王太子を、そしてその妃を糾弾する声は広まっていく。

 セオドアが視線で命じると、近衛兵達が進み出てエリオットの両腕を捉える。

 もはやエリオットに抵抗するだけの意思も力も残っていない様子であり、抵抗する事なく腕を引かれ歩き出す。


「お前の命運を分けたのは、アナスタシアを追放した事だ」


 魂が抜けた表情で連れられていくエリオットの背を見つめながら、セオドアは苦く呟く。

 聖女との婚約を破棄し、彼女に濡れ衣を着せて追放した。

 その出来事こそが、彼の破滅の直接的な原因ではあった。

 だが。


「お前が見せた負の側面は、元々お前の中にあったものだ。それを、アナスタシアが抑えてくれていただけだ」


 多くの者は、エリオットはマデリンに魅せられたが故に狂ったのだと思っているだろう。

 しかし、違うのだ。

 かつて、時折弟が見せる事があった短慮さや残酷さを思い出しながら、兄は思う。

 彼を破滅に導いた気性は、元々彼が備えていたものだった。それを聖女が癒し、落ち着け、封じ続けていてくれただけだったのだ。

 だからこそ、聖女の手を振り払った瞬間に彼の命運は決していたのだ。


「お前は、堕とされたんじゃない。……自分から堕ちたんだ」


 マデリンはただのきっかけにすぎなかったのだと、セオドアは苦い表情で息を吐く。

 そして、俯きかけた顔をあげる。

 正式に地位を得た今のセオドアには、感傷に浸っている時間はない。

 彼には、響き渡る憎悪の叫びを、齎された安寧に喜ぶ声に変えるという義務がある。

 立ち止まっている暇はない、とセオドアは何かを断ち切るように身を翻すと、確かな足取りで歩き始めた――。



 後にエリオットは、廃嫡された後に辺境の監獄に幽閉されることとなる。

 そこは、奇しくも彼が妻となるはずだった女性を送ろうとしていた場所だった……。

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