春の賑わい
青天の霹靂とも言える魔力回路の停止から、はや一月。
アルビオンの王都は未だ混乱を極めたままだった。
巡る魔力も、都市機能が復調する兆しもまったくなく、国の上層部は何から対処して良いのかすら分からない有様だった。
魔力の恩恵にて行っていた全てを、人の手でやらなければならない。
生活を維持する為に必要な事をこなすだけでもその分人の手が必要になるし、生活を支える最低限に今ある人員を全て割かねば日々の暮らしは成り立たない。
当然それまでのように体裁を保つ付き合いに費やす余裕などあるはずもなく。以前は華やかな社交で賑わっていた様々な場所は、火が消えたように静かになっていた。
だが皮肉なことに、都市機構の恩恵を受けられぬ者達――王都でも比較的貧しい者達や、支配階級に打ち捨てられ蔑まれていた者達は、左程大きな影響を受けなかった。
如何に多くの者が魔力の恩恵を受けて暮らせる都市であろうと、暮らす全ての者がそうであるわけではない。
そもそもが回路が行き届かぬ地域にて魔力に依らぬ生活をしていた者達は、回路が停止していようがいまいが日々にそう変わりはなく。
故に下町と呼ばれる場所ほど立ち直りが早く、日常を取り戻した彼らは慌て続ける上流の人間達を冷ややかに見つめていた。
下町にある歓楽街にて、第一王子は苦い顔で溜息を零した。
上を下にの大騒ぎをしている王宮では、何とか立ち直らされたエリオットが何よりも先にしたのは、フロースの皇帝へ助けを求める使者を送ることだった。
原因を探るよりも、魔力に頼らない応急処置を講じるでもなく。無論、民を落ち着ける為に手を作るわけでもなく。
なくなったなら、技術も魔力もある場所に助けてもらえばいい、という弟の安直な考えに、セオドアは頭痛すら覚える。
伝え聞いていた話では、弟の元婚約者は以前から折に触れては魔力が減りつつあると危惧し、魔力に頼らぬ方策をと忠告していたらしいのに。
それを馬鹿馬鹿しい、と聞く耳持たなかった事を後悔しているだろうか。
いや、していないだろうな、とすぐさま盛大に再びの溜息を吐く。
普段から優秀な婚約者を煩わしいと避け、その言葉に賢しら口をと顔を顰めていたエリオットのことだ。アナスタシアが警告してくれていた事すら覚えていないだろう。
サイサリスは、アルビオンに起きた未曾有の出来事に心を痛めてはいるらしい。
だが、原因が分からぬ以上当座の凌ぎ程度しか支援できないだろう……と曖昧な言葉にて返答は保留されているらしい。
セオドアは、固い表情を浮かべたまま手にしたものへと視線を落とす。
それは、他ならぬ皇帝からの親書だった。
フロースはアルビオンに対する幾つかの点において早急に対応する準備がある、と。
実はアルビオンに混乱が起きてからすぐ、セオドアはサイサリスに当座の凌ぎでいいからと支援を要請する手紙を送っていた。
原因究明は必要だが、まず当面の生活を安定させねばそれすらままならない。
自分もエリオットも、それぞれサイサリスに支援を要請した。
だがエリオットが送った使者に対する返答は保留され、自分が密かに送った使者には即座に返事を持たせて送り返してきた。
それが、サイサリスの意思なのだ。
エリオットは今も感情的に周囲を振り回すだけで先に進むことなく、彼の妻は王宮の奥つ城に籠り今でもなお獣人の宝石を持ってこいと叫んでいるらしい。
有事であるというのに王太子夫婦がさらすあまりの醜態に、官吏たちはもうエリオットの指示を仰ぐ事なく独自に動き始め、貴族たちもまた王家に背を向けつつあるという。
胸にじわりと沁み込むように広がる苦い思いに唇を噛みしめるセオドアに、追い打ちをかけるのは皇帝の手紙の結びの一行である。
『支援の見返りは唯一つだ』
――……そろそろ寝たふりはやめろ。この国がどうなってもいいのか?
その一文は、あの日に投げかけられた問いに対する明確な答えを求めるものだった。
セオドアとて、もう分かっている。
エリオットの『本性』が完全に人々に露見してしまった今、傍観者で居続ければこの国がどういう結末に辿り着くのか。
病に臥せろうとも、父が王太子に位を譲るのを先延ばし続けていたのは何故だったのか。
これから自分が選ばなければいけない選択肢は、何なのか。
自身が大きな流れの分岐点に居る事に、第一王子は気付いてしまっていた。
見捨ててしまえばいいと思う事もある。
仮面にて本心を隠しながら水面下で傷つけあう人々が、セオドアの母を追い詰め続けた。
結果として死を選んだ母を思えば、憎み疎む思いこそあれど、救わねばという思いなど起きようはずがない。
普段お高く留まり、誇りだ面子だと上辺だけを取り繕い澄ましている貴顕淑女とやらが取り乱す様は滑稽と笑ってやりたいとすら思う。
けれど同時に彼の脳裏に浮かぶのは、下町に集う人々の屈託のない笑みだった。
けして楽ではない日々を必死に生きる人々の儚くも強い姿だった。
この国は支配階級だけのものではなく、生きるのは貴族だけではない。
アルビオンという国が揺らいだら、苦しむのは王族や貴族だけではないのだ……。
暫く低く呻きながら俯いていたセオドアは、やがて力任せに手の中の手紙を握りしめた。
勢いよく顔をあげると、窓外に広がる空の元、今もなお混乱の極みにあるであろう王宮を見据える。
「ああ…‥わかったよ。起きればいいんだろ?」
決意の宿る言の葉を吐き捨てるように呟くと、第一王子は踵を返しその場から消えていった。
一方、その頃の『白の荒野』では。
混乱の最中にある王国とは対照的なまでに穏やかに日々は過ぎていた。
精霊が助力した為に、人が住まう辺りではもう『白』という色で形容することが難しくなりつつある。
雪の下にて永き間耐えていた大地にて眠りについていたらしい草が芽吹いたのを皮切りに、死に絶えていたと思われていた大地から次々に緑が芽吹き、やがて花を咲かせた。
それは小さくか弱げで、王国や帝国においては雑草と一笑にふされる程度のものだったかもしれない。
だが、生まれてから一度として生きている花というものを見た事がないアインマールの人々は、開いた小さな花を見て涙を零した。春が来たという事が、揺るぎない現実であると感じて……。
アナスタシアは動かしていた手を止めて、ある方角を――アルビオンがある方へと視線を向けた。
アルビオンにおける混乱については、切れ切れにでも聞こえてきている。
そこには、アナスタシアに出来る事があるかもしれない、
憎いというわけではないし、生まれ故郷である事にも変わりはない。
だが、今はこのアインマールの地において出来る事をしたい。注げる力を全てこの国の為に使いたい。
薄情と言われるかもしれない。それでも、聖女と呼ばれた者かと。
構わない、とアナスタシアは思った。
自分を受け入れてくれたアインマールの国は今漸く春を取り戻し、新たな時代へと歩み始めている。今は、その手助けにこそ持てる全てを捧げたい。
人々は忙しく駆けまわりながらも、顔には楽しそうに輝くような笑みを浮かべていた。
厳しい寒さと雪に備える事を第一にしていた都市の在り方から、徐々に四季を巡る在り方へ変わっていくために。
王は各集落と連携を取り多くの者達と話し合いながら、矢継ぎ早に様々な指示を飛ばし続けている。
王の指示を受けて、大地にて作物を育てる試みの為に種苗を求め奔走する者がいる。
終わらぬ冬に耐え続け、限界を迎えた施設を修復するために駆けまわる者達がいる。
雪と氷に閉ざされていた場所に何があるのかを確かめるために派遣された者達がいる。
アナスタシアもまた、シュタールに続くように出来る限りの手段を講じた。
女性達と共に春や、それに続く季節に応じた衣類や調度に関して、あれこれと用意するだけではなく。出来る限りの伝手を頼り、農業に関して人々を指導できる人間を招くように話をつけた。
エリオットに反発してアルビオンの僻地に隠棲していたその技術者は、アナスタシアからの申し出を受けて、すぐさま使いに出した者と共にアインマールにやってきてくれた。
その一方で、春を告げる為に行った大規模な術式に関してまとめた資料を、約束通りにサイサリスに送った。
それに対してサイサリスは、手紙をある研究者に持たせて寄越した。
種苗の研究をしているのだというその女性が手にしていた手紙には『アインマールの大地に適応する種苗の研究をしたいという研究者を一人、受け入れてくれるかな?』という従兄の言葉が綴られていたのだ。
話を聞いたところによると、彼女は常冬の荒野に春が戻ってきたと聞いて是非とも調査に行きたい、と皇帝に申し出たらしい。
後から研究用として沢山種苗が届きます、と笑顔で言われてアナスタシア達は彼の国の皇帝に深く感謝したのだった。
緩やかに、けれど目まぐるしく。まるで訪れた春を逃したくないとでもいうように人々は走り回り続け、喜びに満ちた喧騒が王都を始めとした各地に満ちていた。
シュタールは慌ただしく常に歩き回っている状態であり、都を空ける事も増えていて、アナスタシアと話す事も減ってはいたが。
二人はそんな中でも折に触れて二人で進捗を話し合う時間を設けていた。
自分が知らない時間を相手がどのように過ごしたのかを知り、離れていた間を埋め合える時間が、アナスタシアはとても愛しく思う。
シュタールはどう思ってくれているのか、と思い彼を見つめれば、視線を感じたシュタールは心から嬉しそうに笑ってくれる。
アナスタシアにとっては、それだけで体中に力が満ちる程に嬉しいのだ。
幸せな騒ぎに過ぎていたある日の事、アナスタシアと二人でいつもの会話の時間を迎えたシュタールはおもむろにこう告げた。
未だ忙しい渦中にあるものの、皆を労い、これからに対する英気を養うためにも春が来た事を祝う祭りを開きたいと。
今までは精々が辛うじて年を重ねる事が出来た新年に、慎ましく各家庭で心づくしの食事を用意する程度に留まっていた。
だがせっかく春がきたというのなら。これから、巡る季節に生きることになるのなら。
新たな始まりを記念する催しをしたい、と多くの者達が口にしているのだという。
とはいっても大きな事はできないが、と苦笑するシュタールに、アナスタシアは是非にと協力を申し出たのだった。
その日から、慌ただしさに嬉しい慌ただしさが重なった。
シュタールは慣れぬ宴の采配に一生懸命に取り組み、アナスタシアもそれを助けながら準備に奔走する。
疲れ果てて寝床に倒れ込むようにして眠ってしまう事も多かったけれど、そんなアナスタシアの寝顔はとても幸せで満ち足りたものだった。
男性達は広場に祭りの舞台となるものを作り上げ、女性達は振舞われる食事を作るのに協力し合う。
子供達も精一杯に手伝い、または親達の代わりに弟妹の面倒を見るなどして。
人々の心が一つとなり、やがて祭りの日はやってきたのだった。
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