幕間・皇帝の来訪

 繁栄極めるアルビオン王都の一角に存在する歓楽街。

 軒を連ねる酒場の一つの二階の奥、見るからに上客の為に設えられたであろう部屋に二つの人影があった。

 天鵞絨ばりのゆったりとした椅子に無造作に腰を下ろした男と、それと対峙する影。

 男の名はセオドアという。現国王の第一王子であり、王太子エリオットの異母兄である。

 王子と呼ばれてこそいるが、彼は、国王の子ではあっても王妃の子ではない。

 国王と王妃には、長らく子が出来なかった。

 ある日、王はある女官と恋に落ちてしまう。それも、婚約者が既に定まった女性と。

 王が犯した不義に加えて、女性の側からしても不義。二重の不義と人々は顔を顰め、生まれた男子を汚らわしい生まれと蔑んだ。

 魔力を求められる血筋において、魔力を無効化する魔力耐性という特異な体質を持って生まれたことも災いした。

 王から子として認知され王子として遇される事にはなったものの、セオドアの幼少期はけして幸福とは言えなかった。

 母は、熾烈な王妃とその意向を汲んだ貴族達の嫌がらせに心を病んで命を絶った。

 父は、母とその後見の手前、表だって彼を庇う事が出来ない。

 自身も王妃から虐げられながら成長したセオドアは、ようやく王妃のもとに弟が生まれた時に安堵したのを覚えている。

 王位の気配が自身から離れたのを知った彼は、生き方をかえた。

 彼が居る場所は支配階級の人間達が下賤と顔を顰める下町にある歓楽街の一つである。

 城にいるより歓楽街に居る方が多い、と嘲笑われようとも気にせず。放蕩者と溜息をつかれようと気にせず、気ままに暮らすようになった。

 今は劇場相手に悲劇も喜劇も取り混ぜて台本を書く作家として、多少名を知られている。

 歓楽街における中核であるこの酒場は彼の拠点とも言える場所であり、息をする事すら躊躇われる堅苦しい王宮よりもよほど家と思える場所なのだ。

 上層の人間は立ち入る事すら倦厭するが、活気にあふれたこの街には金や、人や、情報に限らず様々なものが集う。

 刹那の楽しみを求めて暮らす日々を、セオドアは気に入っていた。

 だが、今日はそこに彼にとってはあまり本意ではない来訪者があった。

 国王の側近の一人である壮年の侍従である。


「弟嫁殿がエリオットに心臓石をおねだりし続けている、と。それで、雪原の国に無茶難題をふっかけているわけだ」


 うんざりと言った様子で溜息交じりに言うセオドアを、侍従は静かに見つめながら頷く。

 わざわざ来て何を聞かせるのか、自分にそれを聞かせて何がしたいのか、と王子の表情は如実に語っている。

 侍従の言うところによると、王太子妃は国中の宝石職人たちを連れ去るように無理やり城に集めてもいるらしい。逆らおうとして、死ぬ寸前まで痛めつけられた者も出たとか。

 流石にセオドアの顔に怪訝そうな表情が浮かぶ。

 女性が身を飾る装身具を欲しがるのも分かるし、より美しい石を求めるのも分からなくもない。だが、それにしては行き過ぎていると思ったセオドアは、唸りつつ思案した。


「そこまでして装身具を、ねえ……」

「王太子妃様が作ろうとなさっているのは、宝冠でございます」


 訂正するように告げられた侍従の言葉に、きょとんとした表情でセオドアは首を傾げた。

 目を瞬いて、確認するように相手を見つめるが、侍従は訂正することもなく控えている。


「ティアラじゃなくて……『宝冠』……?」

「間違いございません。それも、国王陛下の戴冠に使われるものよりも余程豪華なしつらえであると……」


 セオドアは顎に手をやりながら、浮かんだ問いを口にする。

 侍従はそれを肯定するように深く頷くと、説明を更に重ねた。

 聞いた内容に一つ大仰に息を吐いた後、セオドアは苦笑する。


「弟嫁は、自分が王にでもなるつもりなのかね?」


 侍従は答えない。だが、それに対して侍従、それに病床にある父王も思うところがあるからこそ、わざわざこんなところまで情報を伝えにきたのだろう。

 妃が、王が被る冠を自分の為に作っている。悪意ある人間が見れば、王位の簒奪でも目論んでいるのではないかと邪推される行いだ。

 エリオットに分別があるならば止めて然るべきである。

 だが。


(止めないだろうなあ、今のあいつなら……)


 エリオットは、婚約者であった聖女を捨てて迎えた妃に心底惚れこんでいる。

 見ていて不思議に思う程に妃に夢中な今の弟なら、妻が自ら王位につきたいと言い出しても従うのではないかと思う程だ。

 不思議というならば、王太子妃周囲の人間達の妃への傾倒ぶりにも大いに首を傾げるところだが……。

 数度顔を合わせたマデリンは、わかりやすく贅沢を好み、良くも悪くも素直。周囲の人間を、度々我儘で振り回していた。

 だが王や夫を退けてまで、自ら王位につく事を狙うような人物ではなかったように思う。

 そもそも、自身に毒を盛った……とされている姉が処刑されようとしたのを止めたかと思えば、何やらきな臭い動きをしていたのを知っている。

 マデリンの狙いと真意を計りかねて。また、それをわざわざ自分に知らせてきた父王の真意に気付いてしまって、セオドアは再び盛大に溜息を吐いた。

 苦い表情で肩を竦めるセオドアに、侍従はもう一つの報せを告げる。

 ある意味では、そちらこそが王宮の外にある彼にわざわざ使いを出した本題とも言える内容だった。


 それを聞いたセオドアは、口を引き攣らせて呻いた。

「やっぱり、来やがったか……」



 数日後、アルビオン王宮において。

 父王に代わり国政を担うエリオットは、国賓を出迎える為の応接間において妃であるマデリンと共に客人を出迎えていた。

 その場には、平素のとはうってかわって堅苦しい礼装をまとうセオドアの姿もある。

 彼らが揃って出迎えた相手は、アルビオンにとって最も重要と言える賓客だった。

 流れるような漆黒の髪を緩く束ねた少し浅黒い肌を持つ美貌の男性が、微笑みながらエリオットと言葉を交わしている。

 朗らかな異国の礼装の男に視線を向けたまま、セオドアは内心で密かに溜息を吐いた。

 彼を出迎える為に王宮に呼び戻されたということもあるが。目の前で展開されている一見穏やかな光景が、うすら寒く感じるからである。


 この異国の空気を纏う客人の名はサイサリス。

 大陸に置いて最大の領土と軍事力を持つ帝国・フロースを統べる皇帝である。


 フロースは外交的に重要な位置づけの国であると同時に、学術的な意味でも重要な国である。

 かの国は政治経済的に大陸中枢というだけではなく、魔術大国とも称されている。

 魔法に関する学問や研究において最先端を行き、昔からアルビオンとそれらの分野において交換留学や共同研究なども盛んに行われており、結びつきは深いと言える。

 先皇帝の崩御と共に若くして位についたサイサリスは、帝位についた後もアルビオンとは平和的な外交を行っていた。

 此度の来訪は、近隣諸国の外遊と共に、アルビオンへ留学している学生達の慰問も兼ねているとか。

 ……それが建前だと気付いているのは、恐らくこの場にいるアルビオンの人間では、セオドアだけであろう。

 一通りの儀礼的なやり取りが終わり、少しばかり場は砕けた雰囲気を帯びる。

 和らいだ空気に微笑みながら、サイサリスはエリオットと並ぶマデリンへと声をかける。


「久しぶりだね、マデリン」

「お久しぶりでございます、サイサリス様」


 マデリンは淑やかに礼をしながら答える。

 この王太子妃の母と、先帝の皇妃たるサイサリスの母は姉妹なのである。つまり、二人は従兄妹同士なのだ。

 サイサリスの母は異国に嫁いだ後も離れ離れとなった姉妹たちを気にかけていた。

 その縁あってか、サイサリスもアルビオンを訪れることが多く、二人は面識があったのだ。

 サイサリスは結婚を寿ぐ言葉をマデリンに伝え、近況を軽く尋ね。マデリンははにかむように微笑みながら答える。

 実に和やかで落ち着いた空間だった。

 だが、ふと皇帝が発した言葉により、空気は一変する。


「それで、私の可愛いアナスタシアはどこかな? 一緒に出迎えてくれると思ったのに、出かけてでもいるのかな?」


 エリオットの顔から、見て面白い程に血の気が引いたのがわかった。

 マデリンは辛うじて笑顔を貼り付けたままではあるが、凍り付いたように動きを止めてしまっている。

 やりやがった、とセオドアは心の中で呻いた。

 何と朗らかで穏やかに、最大級の爆弾を落してくれたものだ。

 そう、マデリンにとって従兄であるということは、サイサリスは彼女の姉であるアナスタシアにとっても従兄であるのだ。

 それも、マデリンよりも深く交流を続けて来た、姉妹よりも仲の良い、本当の兄妹のような間柄の。

 蒼褪めて言葉を失ったところをみると、エリオットは漸く思い出したようだ。

 皇帝サイサリスが、従妹にあたるアナスタシアをとても可愛がっていたという事実を。

 サイサリスは大国の主として、野心家ではあるが相応の度量と落ち着きを備えている。

 だがこの男、事がアナスタシアに関わると理性が危うくなる。

 溺愛とも言える程に従妹を慈しんでいたこの男に、碌に調べもせず、裁判すら行わず、罪人として追放しましたなどと知れたらどうなるか。

 少し考えれば、どう転ぼうと良い事にはならないのが分かる。下手をすれば帝国との関係に皹が入る事態になりかねない。

 それにしても何と白々しい、とセオドアは心の中で大きくため息を吐いた。

 独自の情報網と人脈を手の内に収める、似ても焼いても食えないこの男が、あれだけ公に大騒ぎとなったアナスタシア追放についての顛末を知らぬ筈がない。

 知っていて揺さぶりをかけて、愉しんでいるのだ。終わった事とはいえ、従妹の婚約者を気取っていた相手を甚振って憂さを晴らしているとも言えるだろう。

 サイサリスのことだ。恐らく、アナスタシア追放の原因となった罪状が冤罪であることとて掴んでいる。誰が本当に元凶であるのかも、多分。

 エリオットはすっかり血の気が失せたまま、震える声で意味の通らぬ言い訳を並べ立てるばかり。まだ真相について気付かれていないと、本気で思っているのだろうか。

 隣のマデリンは、笑みを浮かべたまま完全に沈黙してしまっている。

 自らの首を絞めた弟に対して、セオドアは全くもって同情する気はない。警告はしたのだ、国外に敵を作る気か、と。

 その言葉の意味に気付く事もなく自分の怒りのままに突き進んだ弟に、だから止めたのに、と呆れるばかりだ。

 内心では溜息が止まらないセオドアが見つめる先で、エリオットは事情があって居ない、ということで押し通したようだ。

 仕方ないね、と納得した風を装ったサイサリスの言葉に目に見えて顔を輝かせたエリオットは、セオドアに向かってサイサリスを貴賓室へ案内するように命じた。

 気を取り直したように異母兄に対して居丈高に振舞う王太子と寄り添う妃。

 それを見つめる皇帝の笑みに冷ややかなものが混じっていることに気付いていたのは、セオドアのみだった。

 去り際に彼の耳には聞こえた。皇帝が暗く笑いながら言った『精々、毒を薬と信じて励みたまえ』という言葉が……。



 貴賓室へと案内されたサイサリスは、一先ず従う者達を控えの間に下がらせた。

 国威を示す為殊更豪奢に設えられた部屋に、皇帝と第一王子の二人きりとなる。

 

「本当にいい性格しているよな、お前」

「褒められても何もでないぞ?」


 セオドアが盛大な溜息交じりを耳にして、先程までの皇帝たるに相応しい泰然とした様子も落ち着いた声音が消え失せた、気安い調子の言葉が返る。

 二人とも、うってかわって砕けた雰囲気である。

 セオドアとサイサリスは、かつて同じ学院にて学んだ友である。

 見聞を広めるためにアルビオンに一時留学していたサイサリスは、同じ頃学院に在学中だったセオドアと知り合った。

 猫の下の本性を見抜き合ってしまい、いつの間にか打ち解けて話をする仲になっていた。

 お互いにとって、親友とも悪友とも呼べる存在である。

 エリオットがサイサリスの対応を兄に命じたのも、それを知るからでもあるだろう。


「もう一人の従妹にも優しくしてやったらどうだ? 完全に凍り付いていただろうが」

「マデリンか? 大人しくエリオットを奪っただけなら、優しくしてやれたんだがなあ」


 そこで終わっていたなら、むしろ良くやったと褒めていた、と笑うサイサリス。

 セオドアは、サイサリスが先程マデリンと会話していた時、微笑みこそ浮かべていたけれど、瞳には欠片の温かさも無かったことに気づいていた。

 理由については大体見当がついていた。案の定、それを口にしたなら返ってきた言葉は予想通りのものだった。

 恐らく、サイサリスはマデリンを既に従妹と見ていない。場合によっては粛清しても構わない対象と……潜在的な『敵』と見なしてしまっている。

 セオドアは、それ以上何も言わなかった。

 原因は限りなく黒に近い灰色ではあるが、確定するだけのものは彼の手元にないからだ。あくまで想像に過ぎないものを、敢えて口にすることはしない。

 そうか、と呟くと明日からの予定を手短に説明し、セオドアは部屋を辞そうとした。


「なあ、セオドアよ」


 背を向けたセオドアへ、サイサリスが声をかける。

 足を止めた王子が肩越しに振り返り、何事かと問う眼差しを向けたなら。

 皇帝は既に笑みを消していた。偽りも誤魔化しもない、射るようなまっすぐな視線を向けながらサイサリスは告げた。


「お前。……そろそろ寝たふりはやめろ。この国がどうなってもいいのか?」


 セオドアは、一つ息を吐く。

 彼の言わんとすることを正しく読み取ったが故に、口元に浮かぶのは苦い笑みだ。

 一呼吸おいた後、セオドアは自嘲の響きがある声音で答えた。


「買いかぶりすぎだ。俺はただの放蕩者だよ」


 そして、今度は背に声がかかることもなく。

 セオドアも足をとめることなく、その場から去っていく。

 一人残されたサイサリスは、暫しの間沈黙していた。

 だが、やがて誰に聞かせるでもなく低い声で呟く。


「まあいいさ。……そのうち、嫌でも起きる日が来るだろうかな」


 皇帝は翠の眼差しに鋭さを宿して王子が消えた扉を見据えていた。

 そして、次いで窓外の……雪に閉ざされた荒野のある方角へと視線を向ける。

 彼には確信があった。

 何れ、近いうちに。この国は大きく揺れるだろう、と……。

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