壁の理由

 アナスタシアは、少しずつ余剰の魔力を人々の生活を支える仕組みに活用できるよう、日々研究を進めた。

 既存の機構の効率をあげる為の術式を施して回り。また、魔力を有さない人々でもある程度のところまで組み立てられるように、魔力をこめた道具を作り資料をまとめた。

 役に立ったのは、密かに研究していた事ばかりではない。

 王を支える王妃として出来得る限りの知識を、と学んでいた都市整備についての知識が土台を整えるのに役に立ったのだ。

 エリオットは学び続けるアナスタシアを、どこか冷ややかに見つめていた。余計なことを、とでも思っていたのだろう。

 常冬の荒野に春を呼ぶ、という試みは長丁場になるだろう。

 その為の土台となる民を取り巻く環境を整えて、腰を据えて取り組みたいと思ったのだ。

 何故、ここまで異郷の為に必死になっているのだろう、と思う事もある。

 しかも、意思とは関係なく、半ば無理やり連れ去られたようなものなのに。

 ここを追い出されたなら、行く当てがないと思うからかもしれない。

 受け入れてくれる場所の当てが全くないというわけではないが、アナスタシアの立場を思えば難しいのだ。

 今のアナスタシアは、王太子妃殺害未遂の罪人であり追放者である。もしかすると、追放先から逃げ出したことになっている可能性とてある。

 それを考えれば、当てといえる相手がアナスタシアを受け入れるのは障りがある。

 ただ、そればかりではないとは思う。

 シュタールが言った言葉が今もまだ裡に不思議に響いているのだ。

 聖女の称号を奪われても。アナスタシアにそう呼ばれるに足る魔力と叡智があることに変わりがないと。

 アルビオンの宮廷に集う貴族達のように優雅な美辞麗句で取り繕うことのない、飾り気のない率直な言葉。だからこそ、真意を疑う事が出来ない。

 シュタールと出会ってからまだそう時を経ていないけれど、見えてきた人となりはある。

 怜悧な美貌を誇り、堂々たる体躯の美丈夫。

 近寄りがたく冷たそうな印象を与えてしまうが、実際は気さくで面倒見が良い。

 戦いに秀でた獣人達の中でも、最も強いと言わしめるほどの戦士であり。思慮深くありながら勇猛果敢であり、人々に慕われる獣人達の王。

 シュタールは、折に触れて少しずつ自分の事を話してくれた。

 彼は雪豹の獣人であること。

 雪豹の血と骨は人間の迷信で神秘の霊薬となるとされている為、血族が人に狩られた過去があること。姉と二人で幼くして天涯孤独となったところを先代の王に引き取られ、長じて王の指名を受けたこと。

 過去について聞いた時、それなのに何故自分に温かく接してくれるのだろうと思った。

 その疑問を感じ取ったのか、シュタールは笑いながら言った。

 アナスタシア殿と、密売人達は違う人間だろう、と。


『人を憎んだ事がないといえば嘘になる』


 戸惑いの眼差しを向けるアナスタシアに、シュタールは己の心を静かに語った


『けれど無差別に人に憎しみを向け、また、憎しみを続けていくことをしたくない。誰かを憎み憎まれる負の連鎖を、自分で断ち切れるならば断ち切りたい』


 そう告げたシュタールの表情は、眩しく思う程に真っ直ぐで強い意思に満ちていた。

 思わず俯いてしまい、シュタールの目を見ることができなかった。

 どうしたら、そう強く揺るぎなく在れるのだろうかと思ってしまって。

 自分を振り返り、比べて。眩しい光の前に、あまりに自分が卑屈で小さく思えて。

 シュタールがアナスタシアを尊重し、心からの言葉をかけてくれているとわかっているのに、頼ってはならないと思う。

 信じて心を預けてはいけない、と自分を戒める自分が居る。

 大事に思えば失った時により辛い。信じていれば、裏切られた時により痛いからと。

 シュタールも、フロイデもロイエも良くしてくれている。真心を以て接してくれている。

 それなのに、同じ物を返せない自分が情けなく思うのに。

 作業を手伝ってくれるアインマールの獣人達は最初こそ渋々といった様子であったし、中には明確に拒否する者達も居た。

 アナスタシアにより目に見えて王都を取り巻く環境が改善していくにつれ、言葉をかければ頷いてくれるようになったものの、それでも目に見えぬ壁が消えることはない。

 今もアインマールの民たちがアナスタシアを見る瞳には意識せずとも警戒が交じり、何処か遠巻きである。

 彼らの気持ちを考えたなら致し方ない、当然のことだと思うけれど、気付かないようにしても、心に小さな痛みのようなものが生じるのもまた事実。

 自分は獣人ではない。アインマールの民ではなく、ただの異邦人に過ぎないのだ、と理屈を自分に言い聞かせて納得しようと思っても。

 受け入れてくれる人々を。そして、帰るべき場所を持たぬ身である事をその度に思い知り、寂しいと思ってしまうのは否定できなかった。




 数日して、その出来事は起きた。

 その日も、王都の魔術回路を整える作業を進めていた。

 だが若い男女数人が、従うことを拒否したのだ。

 明確に言葉によって拒んだのではない。アナスタシアに対して冷ややかな眼差しを向け、一歩も動こうとしなかった。無言の拒絶をしたのである。

 それを、遅れてその場に現れたシュタールが咎めた。

 王の叱責を受けて彼らは動き出した。

 シュタールは消えていく背を見据えながら苛立たしげに息をはいたが、アナスタシアは何とか笑みを浮かべて彼らを責めないでくれと願った。


「皆さんのお気持ちを考えたら、仕方のないことです」


 裡を押して微笑みながら言うアナスタシアを、シュタールは思案しながら見つめる。

 ややあって、もう一度息を吐きながら、シュタールは首を傾げる。


「アナスタシア殿は、何故そんな風に笑うのだ?」


 言われた言葉に、思わずアナスタシアは目を見張ってしまう。

 何故そのように笑うのだ、と問われてもと思ってしまう。今まで投げかけられた事のない問いに、その真意を測りかねて複雑な表情になってしまった。

 不自然な笑い方をしてしまったのだろうか、と訝しく思い俯くアナスタシア。

 アナスタシアの様子を見てシュタールは、これを言ってもいいものか、と率直な獣人王にしては珍しく躊躇っているようだった。

 思った事をそのまま言動に反映するのは考えなさい、とフロイデに言われているのを思い出しているのかもしれない。

 そんなに可笑しな表情をしていたのだろうかと不安に思っていると、シュタールは意を決した風に一つ大きく息を吐き、話し始めた。


「アインマールの民たちは確かにアナスタシア殿に対して壁を作ってはいる。理由は幾つかあるだろう。だが、恐らく原因の一つは……その笑顔だ」


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