灯る明かり
アナスタシアがアインマールに足を踏み入れてから、一週間後。
王であるシュタールの名において、正式にアナスタシアの存在が民に広められた。
アインマールの王都は、雪に閉ざされた『白の荒野』の奥深くに存在していた。
大地の乏しい魔力を結集して張られたという結界の中にあり、捨てられた大聖堂を中心に広がる都市である。
都市と呼ぶには些か小規模であると言えるかもしれない。アルビオンの基準に照らし合わせれば、小さな街、或いは村とも呼べる規模だ。
『白の荒野』には他にも幾つか同様に、何がしかの遺構を核として築かれた、寒さを凌ぐ為の結界に守られた集落が存在しているらしい。
その中でも国の中核を担う場所と位置づけられ、王を始めとした統べる者達が暮らす場所がこの都だとか。
大聖堂に度重なる改築と増築を繰り返したのが、王の住まう『王城』だ。
アナスタシアは、その場所の最も過ごしやすく整えられた部屋を与えられた。
王たるシュタールの居室より上等な居室を与えられたことを知ったアナスタシアは、恐縮して固辞しようとした。
だが、シュタール自身は住まいに対するこだわりはなく、眠れればそれで良いという。
あの美しい偉丈夫は、色々な方面において無頓着なところがあるらしい。
フロイデもロイエも、シュタール様は昔からこうなのでと苦笑いして止める様子もない。
再三申し出てもシュタールは首を縦に振らず、ついにはアナスタシアが折れ、アナスタシアは客人の身でありながら王よりも恵まれた環境にて暮らす事となってしまった。
アナスタシアの身の回りの世話は、改めてフロイデが任されることとなった。
彼女の下に二人ほど配置されているようだが、二人とはあまり言葉を交わせていない。
避けられている、とすぐに気付いた。
無理もない事だ、と思う。元より獣人は、自分達をけだものと蔑む人間達を快く思っていないのだ。
そこに、今回のアルビオンの理不尽による国の困窮だ。如何に王が目的あって連れてきたとはいえ、そのアルビオンの人間を良く思えという方が無理だろう。
彼女達のような態度のほうがアインマールの民としては普通であり、フロイデ達のように友好的なほう特殊なのだと思う。
目に見えて嫌がらせをされるわけではないし、危害を加えられるわけではない。
時折フロイデが彼女達に何か苦言を呈しているのを見かけるが、アナスタシアは静かに首を左右に振る。
仕方ない、と心の中で苦く笑いながら、人前に出る時は穏やかな笑みを浮かべ続けた。
春を呼ぶ、と言っても一朝一夕に方法が見つかるわけではない。
アナスタシアは、遺構に残された資料を集めながら、ある試みも進めることにした。
アインマールの都市機構の改善である。
魔力に乏しい地ではあるが、完全に枯渇しているわけではない。
ただ、結界を張る事にほぼ全て費やされている状態であり、他に回す余剰がない状態なのだ。
調べてみたところ、大聖堂にも各地の遺構にも、魔力を動力源とする仕組み自体残っている。
しかし、動力たる魔力が結界のみに費やされている状態である為、交易にて得た資源を消費して都市を維持せざるを得ない。
今ある魔力量をより効率的に活かす事で生じた余剰を他へと回し、都市を維持するために消費される資源を抑えられないかと思ったのだ。
シュタールにそれを申し出たところ、そんな事が可能なのかと驚いていた。
問われて、アナスタシアは静かに頷いた
「密かに研究していたのです。少ない魔力を効率的に使える回路を敷く方法を」
研究資料こそ残してきてしまったが、理論の全てや術式はアナスタシアの頭の中に確かな形で残っている。
遺構を利用すれば理論の実践は十分可能であると、ここ数日で確信を得た。
シュタールは話を聞いている内に、少しばかり不思議そうに首を傾げる。
「何故、そのような研究を? アルビオンは魔力に恵まれた土地ではなかったか」
彼の言葉の通り、アルビオンは大地を巡る潤沢な魔力に恵まれていた。
豊富な魔力による大規模な魔術機構を都市単位で展開していた為、さして強い魔力を持たない人間の日常生活にもごく当たり前に魔法は溶け込んでいた。
不必要と思われる研究を、何故敢えて行っていたのか。疑問を抱くのはもっともだ。
隠すことなく向けられた疑問の眼差しを受けて、アナスタシアは少しだけ寂しそうに苦笑して口を開いた。
「気付いていた者は少なかったのですが。……アルビオン王都の魔術回路を巡る魔力量は減りつつあったのです」
シュタールが銀灰色の瞳を見張った。
思いもよらぬ言葉に言葉を失っている獣人王に、かつて王都の魔術機構を支える立場にいた聖女は続ける。
「以前は、魔術回路の中枢から不思議な女性の声が聞こえたけれどそれも聞こえなくなり。精霊の姿を見かけることも稀になっていました。それと同時に、魔力量が減りつつあることに気付きました」
機構の核たる中枢部に立ち入ることが出来るのは王族のみだった。如何に王太子の妃と決まっていたとはいえ、婚礼前であったアナスタシアは中枢を見た事がない。
だが、そこから不思議な『声』が聞こえていたのは知っていた。かえりたい、とひたすらに願い続ける悲しい女性の声だった。
語り掛けても応えが返る事はなかったが、その声はいつも誰かを呼び、そこではない何処かを求め続けていた。
他にその声を聞ける者は居なかったようだ。エリオットに聞いても、国王陛下に謁見した際に問いかけても、彼らは揃って首を横に振っていた。
そして声が少しずつ弱まるにつれ、王都において精霊の姿を見かける機会が減っていく。
以前は、日常の中で見かけることがあった精霊達が、意図して探さなければ見つからないようになっていき。
アナスタシアが婚約を破棄される少し前あたりに至っては、探しても見つからないことが増えていた。
その異変と時を同じくして、王都を巡る魔力に変化が生じている事にアナスタシアは気付いた。
意識せねば気付かないほどの量ではあるが、確かに王都を巡る魔力の流れの勢いが弱まっている。
魔術回路自体は問題なく巡り、都市機構に影響が出てはいなかった。だが、循環する魔力量が減っている事に気付いたアナスタシアと、一部の研究者たちは顔を曇らせる。
何故なのかは分からないが、微量ずつであってもこのまま止まることなく減り続けるならば、何れは。
だから、アナスタシアは行動を起こした。婚約者である王太子に相談したのである。
だが。
「再三に渡りエリオットに魔力が途切れた場合の対策を、と申し入れてみたのですが。……まともに取り合ってくれたことはありません」
今でもはっきりと、怪訝そうに眉を寄せるエリオットの表情が思い出せる。
王族であるが故に、アナスタシア程ではないもののエリオットも強い魔力を有していた。
だが。魔力量が減りつつあることは感じ取れなかったようだ。
どれほどアナスタシアが懸念を告げ、警告を発しても。輝かしいアルビオンにそのような不測の事態が起きるわけがない、そう言ってエリオットは顔を歪めて話を打ち切るのだ。
口出しをするアナスタシアを煩わしいとでもいうように、手を振り払いながら。そんな事を気にしている暇があるならば、妃として自分の目を愉しませるように地味な見てくれを何とかすることに一生懸命になってくれ、と。
過りかけた苦い追憶を振り払いながら、アナスタシアはシュタールの様子を伺う。
シュタールは口元に手をあて、何か思案するように沈黙していたが、やがて顔をあげた。
切り捨てることもなく、厭わしいと見せることもなく。
疑いのない真っ直ぐな眼差しにてアナスタシアの目を見つめながら、告げた。
「詳しい話を聞かせてくれ」
資料を交え丁寧な説明を受けたシュタールは、国の中核たる者達を集めた。
話を聞いた皆は、最初こそそのような事が出来るわけがと懐疑的だった。
だが、アナスタシアの説明と理論、示した術式の確かさと、それを指示するシュタールの言葉によって徐々に提案を受け入れる方向へと意見を変えていく。
術式を編み、展開する為の資材を集め、配置し。準備を着々と進め、迎えたある日。
シュタールの招集に応じて集った人々がアナスタシアに向ける目は、どこか冷ややかなものが入り交じっていた。
王が連れてきたとはいえ、彼らにとってアナスタシアはただの異種族でしかない。それも、アインマールの現在の窮状を招いたアルビオンの人間だ。
今や仇敵とも言える人間が一体何をしようというのか。無言の非難を背に感じながらアナスタシアは的確な指示をだしながら、行程を一つずつ進めていく。
人々はまず、アナスタシアが示した膨大な魔力に驚愕する。
獣人はそもそも殆ど魔力を持ち合わせない。だからこそ、尚の事驚きは大きい。
人の身で何故ここまで不思議の力を有し得るのか、と目を見張り展開されてゆく光景を見つめていた。
皆が見つめる前で、今まで王都の魔力の全てを以てしか張り巡らせる事できなかった結界が、聖女の術式にてより少ない魔力にて紡がれていく。
やがて、言葉を失う皆の前に。それまでと寸分変わらない、いやより強く寒さから人々を守る結界が展開されていた……。
結界を張る為に費やされていた魔力に余剰が出来た。
アインマールの民は、その事実を中々現実として受け止められない様子だった。
アナスタシアの提案が現実になったことも、彼女の言葉に偽りがなかったことも。攫われてきた聖女を警戒する者達にとっては、信じがたい出来事だったのだ。
次いでアナスタシアは、生じた魔力の余剰を街に巡らせることにした。
シュタールのたっての願いだ。城よりも、まず王都に暮らす民達に明りと温もりを、と。
あくまで民を思う王の願いを受けて、アナスタシアは新たに入念な下調べを行った。
先の時よりも少しだけ進んで手を貸してくれる者達が増えたことを感じながらアナスタシアは準備を続け。
そして、街の各所に存在する、忘れされるようにして朽ちかけていた街灯に不思議の灯りが宿り、煌々と夜闇を押し返すように街を照らした時。
王は聖女に、手放しで、心からの称賛の言葉を送った――。
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