愛情(サクロ視点)

 宮殿内にある鏡の廊下は、地区中から集められた十二人の職人が制作したと言われている。

前の皇帝陛下が一番力を注いだ技法はエナメル装飾で、華麗な絵付けの施されたガラス製品を買い漁り、エナメル絵付けの施されたガラス製品を持つことを権力の象徴のように考えていた。

頭上の千平方メートルを超える空間は地区の歴史的寓意画家が手掛けた天井画で埋め尽くされている。

 装飾や芸術作品は古代の神々や英雄を題材にすることが大半だけど、皇帝陛下の地区制度改革を題材に、皇帝陛下の政治と軍事面での偉業が描かれていた。

 壁も天井も床も全てが区民から搾り取られた税金で出来ている部屋の中で、わたしはくるくると回る。


 天井画は全部で三十シーンも描かれており、まさに前の皇帝陛下世の自己顕示欲の象徴と言える部分だろう。

天井画の下には、精巧を極めた全部で五十四個のシャンデリアが輝いている。

回廊に沿って左右に並んでいる飾り大燭台も職人が手掛けたもので、さっき数えてみたら八十体もあった。

燭台下の台座の像は子供の像と女性の像の二つのパターンがある。

 純銀製の調度品が数多く飾られていたけど、地区の教育制度の立て直しの費用調達の目的で売却してしまい、今は半分以下になってしまった。

宮殿から売りに出された調度品は、全て一流の金細工職人によって精巧な彫り込み細工が施されている。


 この地区で一番偉い人が住むはずの宮殿で、どうしてかわたしがその一番偉い人をしていた。

 ずっと、触れられないものがある。

わたしの手には到底、届かないものがあった。

 手を伸ばすように広げて、足を大きく動かして優雅に踊る。

時折、爪先を細かくクルクルと回しながらステップを踏む。

 わたしは嘘を本当にしたかった。

だから、わたしは嘘を吐く。

本当の為に嘘を吐くなんて、酷い皮肉だろう。

嘘を吐くのは、昔から得意だった。

特に、自分を守る為の嘘は。

 わたしはわたしの為なら何だって出来る。

他人を踏みにじっても心が痛まないから、ちょっとでも長く、嘘を真実に出来るように本気で嘘を吐く。


 でも、らっくんは頭が良いからすぐに気づいてしまった。

それでも、わたしを好きだと言う。

怖いのはずっと前から変わらなくて、理解できないのも変わらなくて、でも彼からの好意も変わらない。

特別扱いされていることには気づいている。

「うふふ!奥様、ご機嫌ですわね」

 え、と声が一つ漏れてしまった。

背後から声をかけてきたのは、おばけちゃんだ。

おばけちゃんは手を胸の前で触れ合わせて微笑み、わたしは愛くるしい表情を作る。

「おばけちゃん!……そう見える?」

「ええ!何か楽しいことを考えていたのですの?」

「らっくんのこと」


 その一言でおばけちゃんの目つきが変わった。

真っ直ぐで強い視線。

「まあ!奥様は、お父様の気持ちが気になって仕方がないんですのね!」

「そう、だよ」

「うふふ。恋の話ですのね!もっと聞きたいですわ!」

 好奇心で瞳を輝かせながら、ずいずいと距離を詰めてくる。

 嘘を吐いているのではとか、何かを誤魔化しているのでは、と思うことはないのだろうか。

ない訳ではないだろう、おばけちゃんは馬鹿ではないのだろうから。

それでいて、わたしの言葉を疑うそぶりを見せないのはどうしてだろう。

 おばけちゃんがらっくんのことをお父様と呼ぶ理由を、わたしは知らない。


 親子と呼ぶには顔つきがまるで似ていないし、らっくん本人からも否定されている。

でも、おばけちゃんがらっくんを大切に思っていることはわかっていた。

らっくんは、周りから必要とされる人だ。

「どうしてらっくんはわたしのことが好きなのかな、っておもったの」

「まあ!……うふふ、お父様に直接たずねてみたらいかがでしょう?」

 おばけちゃんは口元に手を当て上品に笑い、メイド服のスカートをはためかせながら仕事に戻っていく。

 皇帝陛下が殺されたその日から、わたしの思考はずっと循環していた。

その手に掴まれたから、全部が欲しくなる。

一度報われてしまったから、幸せになりたくなった。

まるで、童話のバチがあたる人間みたいな心地だ。


 他人なんてどうでも良かったはずなのに、彼の気持ちが気になって仕方がない。

どうしてだろうと思うけど、多分、わたしが家族というモノに執着する理由と似ている。

 夜の帳が下りる頃、ノックの音がして、らっくんがわたしの部屋に入ってきた。

「こんばんは。今日も、始めようか?」

「……うん」

 椅子に座り、わたしはらっくんの言葉を聞きながら、本に書かれた文字を視線のみで追い掛ける。

この本に書かれているのは国際経済についてだ。

らっくんに勉強を教わるまで、わたしは他の国の戦争事情なんて考えたこともなかった。

「ねえ、らっくん」

「どうしたの?」

「らっくんは」

「うん」

「らっくん、は」


 わたしは彼から一方的に貰ってばかりだ。

そう考えると、自分はなんと酷い人間なのだろうかと涙が溢れてきた。

「どうして、わたしなんかのことが、そんなに好き、なの……?わたし、ばかだし、あなたに、なにも、できてない……」

 裏返った声は悲鳴みたいで、視界は溶けている。

 彼が可哀想だった。

わたしみたいな人間の世話をして、可哀想だと同情した、もっと他のことに時間を使わせてあげれば良かった、わたしの為に時間をかけたのに、こんなの搾取じゃないのか、上手く出来ないわたしのせいで労力を使わせてしまっては、可哀想だ。

 らっくんは微かに目を見開き、少し考えるような間の後で小さく二度、頷く。

それから、わたしを見据えると形の良い唇を開いた。


「……そもそも、俺はあなたと過ごしていて何も不自由などなかった。どうしてそこまで自分を卑下するのかは分からないが……そうだな。少なくとも六百四日前までは、特に理数系に関しては初等教育程度の学力しか無かったあなたが、今ではこの地区の高等教育程度の学力がある。それは、あなたが努力した結果だ。誇っていい。あなたが気にしていることは、もしかしたらあなたの長所なのかもしれない。だからね、できれば自分の全てを愛してあげて」

 機嫌良さそうに目を細めて、らっくんがほんわかと頬を解く。

らっくんの笑顔は不思議だ。

昔はあんなに恐ろしかった笑顔が、今となってはわたしの胸に自然と温かいものを流し込む。

まるで、眠れない夜に飲むホットココアみたいに。

「あなたは知らなかったんだね。俺があなたと居られて、どれほど幸福を貰っていたのか」


▼ E N D

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