永遠(サクロ視点)
昼下がりにわたしは皇帝陛下に呼ばれて、庭園に向かった。
空は晴れて陽射しも明るいが、時折吹く風は既に肌寒さを感じさせる。
宮殿の庭園は約四十年かけて造られ、この国の最高傑作の一つとされていた。
庭園内には少なくとも千四百個以上の噴水が設置されている。
「こーてーへーか様!」
わたしの甘えた声と作られた笑顔に、青年とお話をしていた皇帝陛下は書類から顔を上げて破顔した。
青年はわたしをチラッと一瞥したが、関心を示すような素振りは見せない。
その瞳は底知れぬ夜闇のような深い黒色をしている。
口元は微笑んでいたが、不思議と無表情に見えた。
わたしは彼と挨拶以外の会話を交わしたことは無いけど、洗練されて隙がない立ち振る舞いから、住む世界が違う人なんだろうということだけは分かる。
皇帝陛下は片手を挙げるだけで青年を下がらせて、わたしと二人きりにさせた。
「ああ、ファムよ。我のベビィちゃん。お前はいつ見ても可愛らしく美しいな。それに、賢い。この庭園は広いから来るのは大変だっただろうに。迷わず来れるなんて、ベビィちゃんはなんて賢いんだ」
皇帝陛下は近寄ってきたわたしの両頬を大きな手のひらで包み込んだ。
グイっと近づいた皇帝陛下がくすぐったくて、わたしは無邪気な子供みたいに笑った。
「えへへー。だって、こーてーへーか様のお嫁さんになるんだもん!わたし、ちゃんとお嫁さんできるよね?ね?」
目の細め方に口角の上げ方、全てが欺瞞。
ミリ単位で調律して、わたしはいつだって相手が一番喜んでくれる笑顔をやっている。
みんながわたしを見ていてくれるように、少しでも長く大切にしてくれるように。
だって、それしか知らないから。
わたしは生まれた時から嘘ばかり吐いている。
「あぁ!やはりベビィちゃんは、本当に可愛らしいな。何か欲しいものはないか?なんでも言ってごらん。我の手のひらよりも大きなエメラルドか?新しいドレスか?ベビィちゃんは動物が好きだったな。ベビィちゃんの子分として、白い虎でも飼ってみようか。ファムよ。愛おしいお前の為ならなんだって、我が用意してあげよう。だから……どうか、我の傍に居ておくれ。ずっとその歌声を聴かせておくれ」
皇帝陛下は辛抱たまらないとばかりに、わたしを抱き寄せた。
豆のある硬くて大きな手は頭から肩、背中へと流れてわたしをポンポンと撫でる。
大袈裟だと笑い飛ばしたくなるくらい喜ぶ姿がおかしくて、わたしはキャラキャラと笑う。
甘いよね、こんなので。
それはとっても心地良い充実感なのだろう。
二度と離れることのないような一体感は幻想をもたらす。
わたしの言葉を疑うことなど頭にないくらいには、目の前の男は耄碌していた。
皇帝陛下は最愛の妻が世界一信頼していた側近と性行為をしているところに鉢合わせしてしまい、激怒した皇帝陛下はその場で妻と側近を殴り殺したという。
人間不信に陥った皇帝陛下は地区中から若い女の子をかき集めて、ハレムを作った。
そして、夜な夜なハレムの女の子を呼び出して性行為しては翌朝になると用済みだとばかりに首をはねて殺している。
皇帝陛下の乱心は、地区中を薄気味悪く膿んだ恐怖に包んだ。
そんな中、ついにわたしの元にもお手紙が来た。
売春宿の情婦でしかないわたしが宮殿からの呼び出しを断れるはずもない。
初めて呼ばれた夜、どうせ死ぬのなら少しでも長く記憶に残りたくて、唯一の特技であるお歌を披露した。
そしたら、皇帝陛下はわたしと性行為をする前にぐっすりと眠ってしまい、どうしてか今もわたしの頭と胴体は繋がったままだ。
皇帝陛下からハレムの解体が宣言されて、沢山の女の子が元の暮らしに戻っていった。
わたし、ただ一人を除いて。
空気は僅かにひんやりしていて、月が見えない夜だった。
皇帝陛下から与えられた部屋は、一人で過ごすには広すぎて、空虚さが心を埋めつくす。
天蓋付きベッド、天井を埋め尽くす絵画、綺麗なドレス、どれをとってもさびしくて、夜になっても寝ることが物足りなくなった。
羊を数える代わりに、使用人の方々の名前をブツブツと呟いておさらいをする。
コンコン、と扉をノックする音がした。
わたしはベッドから起き上がって返事をする。
扉が開き、現れたのは庭園で皇帝陛下と話していた青年であった。
「どうも。こんばんは」
「こ、こんばんは。夜這、ですか?」
「……まさか!違うよ。あなたのお喋り相手になってくれと頼まれたんだ。無論、慈愛に満ちた皇帝陛下からさ」
青年こと、ラニ・タクディール。
彼の名前は、ちゃんと覚えていた。
それにしても、随分と皇帝陛下から信頼されているようだ。
「タクディール、さま」
「うん。俺の名前をご存知とは光栄だな。現状、あなたから信頼を得られていないことに不都合はないが。様付けなんてする必要はない。どうか気安く気軽に。渾名でもいいよ」
「じゃあ、らっくん。……わたしね、誰の名前もちゃんと忘れてないよ。宮殿で働いてる人の名前、みんな言えるんだよ」
「……へえ。多いから覚えるの大変だっただろ」
子供や犬が、珍しいものを見つけたときみたいな表情でじっとわたしを見る。
彼はにっこり笑っているようで、やはり淡々とした顔なのだった。
それからゆっくりと歩を進めて、わたしの前に傅く。
童話に出てくる王子様みたいだった。
「たいへんだけど、やるよ。わたし、ばかだけど、やるよ。ちゃんと、やる」
「それは、どうして?」
「だって、わたしの全部をギブしないとみんなわたしのこと見てくれないもん」
いつまでも同じことばかりを繰り返していた。
だって、これしか知らないの。
わたしが、今日も明日もその先も、一人でちゃんと生きていられる方法。
誰かわたしを見ててよ、そしてわたしが必要だと言って。
それさえ言ってくれるなら、わたしはどれだけでも頑張ってみせるよ。
誰か、誰か、誰でもいいから、わたしがここにいることを忘れないでくれるなら。
「わたし、死にたくないの。人間のくせに動物みたいだって、おこる?」
「……怒らないよ。あなたは、永遠が欲しい?」
らっくんは、何か眩しいものを見るように目を細める。
このとき初めて、わたしは彼の淡々とした笑顔以外の表情を見た気がした。
わたしは死にたくない。
でも人間だから、いつか必ず死んでしまう。
ならせめて、永遠に忘れないでいてくれる人が一人でもいたら、それはとても幸せなことだろうと、そう考える。
「くれるなら、欲しいよ」
この言葉は、嘘じゃなかった。
▼ E N D
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