異物(ラニ視点)

「タクディールさまを俺だけのものにしたいのにどうしたってタクディールさまは俺のだけのものにならないし、殺したって食べてみたってこれっぽっちも俺のものにならないんでしょう。俺のだけものにならないタクディールさまが好きだけど、なによりも愛しているけど、でも俺だけのものにしたいんです、ねえ、どうしたらいい、どうにかしてください、どうにかしてください。お願いします、お願いしますっ」

「……そうか」

「タクディールさまのことが好きなんです。本当に本当に好きなんです、その目で俺のことしか映してほしくないし、俺もタクディールさましか見ていたくないんです。そのまま死ぬなら別にそれでいい、満足なんです、だから俺が死ぬところを見ていてください、お願いします。それでいいんです、本当」


「……今あなたの瞳に映っている俺は他の人間の目には映らないんだ。映らないんだよ。これで満足してくれないか」

 だから生きててくれないかなあ、と俺が答えると目の前の男ははにかみながら「はい♡」と言った。

 お腹空いたなあ。

俺は眠気覚ましに淹れてもらったアールグレイを飲みながら、手作りのりんごのパウンドケーキを頬張った。

腹を空かせるバターの香りたっぷりなそれは目の前の男の得意料理らしく俺の男親によく作っていて、なぜか俺にも時たま渡してくる。

今は中々に次期王位継承者の教育プランが詰まってきて本来ならゆっくり午後のオヤツタイムを楽しんでいる場合ではないのだが、使用人達が丹精込めて作ったケーキがあるなら話は別だろう。


 何か毒や薬でも盛られていることを疑うべきなのかもしれないが、生憎この身体は毒が効かないので気にしていない。

薬も効きにくいから何かあった時に不便であるが、そのような考え無しの反骨精神の塊がこの宮殿にいるわけが無い。

「我々のような使用人は、基本として休みがありませんが。この宮殿は中央地区の美術館が目じゃないほど美術品に溢れていますから……好きなものに関われる仕事なので楽しいですよ」

「美しいものには時間と手間をかける価値があると、俺もそう思うよ」

 目の前の男は頬を赤らめ、俺が飲み干したカップに新しく紅茶を注ぎ足すと廊下を出て持ち場に戻っていく。

残ったパウンドケーキを口に放りこんだ。

あの使用人の男から「お一ついかがですか」と差し出されたのは、何の変哲もないパウンドケーキである。


 しかし、よく見るとプレーンな生地にりんごの黄色が散らばっていて綺麗だった。

 結局、俺は皿に乗っていたパウンドケーキを完食してしまう。

次は山ほどのシュークリームが良いな。

ああ、クロカンブッシュが食べたい。

 お腹空いたな。

悩むとお腹が空いてくる、困ってもお腹が空いてくる、いっそ何もしなくてもお腹は空いてくる。

ただそこで生きているだけでエネルギーを消費してしまう。

人間は時間が経てば空腹になるし、空腹になると頭がネガティブなことしか考えられなくなる。

昔、対毒訓練の影響で食事が上手く出来なかった時期があるから、飢餓感の苦しみは分かっているつもりだ。


 神様がいたら貧困に苦しむ区民の生活は変わってくれたりするんだろうか。

それなら全力で神様を探していきたい次第だが、無茶な話だろう。

 隣人が神様だったら信仰も罰も手っ取り早いのかな。

 でも、きっと使用人達の信仰は神様相手でないといけない。

神様代わりの人間は、きっと早々に腐るだろう。

 腐るからこそ人間は人間でいられる。

 気持ちには防腐剤を仕込めない、はずだ。

別に、宮殿の使用人達は壊滅的な馬鹿じゃない。

少しチャンネルを合わせてやれば、日常会話だって出来る。

俺は他の人間の頭の中なんて逆立ちしたってわからないけど、使用人達の世界で俺がどれだけ異物として扱われているのか。


 それが如何につまらなくて、くだらなくて、笑うだけの価値があるか。

推し量れないものが、人間は無様に怖いのだろう。

 そんなことが。

 俺の頭がもっと悪ければただの狂人扱いだったろうし、頭が悪ければ俺は自由に生きられたのかもしれない。

俺は他の人間の賢さに興味があるかと言われたらそこそこ、知性よりは明日を生きて明後日をより善く生きる方に興味がある。

どんな人間も自身の幸福を追求する権利があるはずなのだ。

井の中の蛙で一生を終えることになっても、それは決して悪いことじゃない。

 他の人間からしたら、俺の気持ちには防腐剤でも入ってる風に見えるのだろうか。


 それについて、特に不満はない。

 特に希望もない。

 希望を抱いて生きるにはこの宮殿は狭いし、あまりにも足りない。

 なにがって、いや別になんだって足りない。色々と足りないから、生活も享楽も不自由しない地区を謳っているが、どうにも嘘っぽい。

宮殿の外に出てしまえば、区民はどこか退屈そうで、顔は暗くて瞳は濁っている。

 身体のあらゆる感覚や神経と呼ばれるところは、考えることを辞めれば機能しなくなってしまう。

それは人間に限らず、地区の場合でも変わらない。

 部屋の窓を開けると、視線の先には分厚い雲が湧き立つように形を変えている灰色。

分け入ってどこまで進んでも、その果てに青い空は見えそうにない。


 未だに新芽の気配のない、枯れ果てた桜並木。

 静寂に殺されそうな夕刻だった。

ちくたく、ちくたく、時計の針の音が思考をゆるやかに過去へと連れ出した。

「あなた様を、お慕いしております。私の宿命」

 そうか、お腹空いたな。

「雨に負けても、風に負けても、泣いても吐いても弱くても、タクディールさまと一緒に生きて死ねるような人間になりたかったです」

 お腹空いた。

「タクディール様と出逢える人間になりたかったです」

 お腹空いた。

「ラニ、お前は強いな」

 嘘、全部嘘だよ、本当は空いてない。

俺はひとりで平気なのがわかってる。

本当は宮殿なんてほっぽり投げてどこにだって行けた。


 あの使用人が容れたアールグレイは、甘くフルーティーな香りがして、心地良い余韻を残す。

二十九日前に、彼が作ったオニオングラタンスープも美味しかった。

 だから、俺への感情を理由に死なれるのはあんまりだろう。

生きていてよ、生きて役に立って、その方が幾分マシだ、死ぬのなんでいつだって出来るだろう。

例え、俺を見下ろすその瞳が、狂信に染まっていたとしても。

「あーあ……」

 俺はまだまだ世間知らずな、十歳の取るに足らない子供に過ぎないはずなのに。

窓から風が通り抜けた、不思議とさみしげな音色だった。


▼ E N D

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