ファムファタルの本懐
ハビィ(ハンネ変えた。)
月光(サクロ視点)
「生来愚純なのは前世の業!あなたにも分かるはずだろう?彼女を愛しているのなら!許してくれよ、皇帝陛下。罪人の首を落とすより先に憐れむべきだろう。貴く生まれた貴人なら?」
わたしの旦那さんであるはずの男の遺体の前で、彼は左手を胸に当て、右手で月明かりに手を伸ばしながら、声高らかに述べる。
まるで、先日見に行った舞台の役者さんようだった。
扉の向こうから物音ひとつ聞こえないし、クリスタルシャンデリアと窓から伸びる薄暗い光に包まれている。
わたしの旦那さんであるはずの、皇帝陛下の遺体は柘榴石色のビロードに包まれたシーツの上で横たわっていた。
寝室は、赤い大きな染みのように暗がりに沈んでいる。
窓の両端はカーテンで塞がれており、それより先の景色は見えない。
立っている位置から少し見上げると藍色より少し濃い空、そして不規則に光る星が顔を出しているのが見える。
この宮殿は、立地が良い場所なのだろう。
流石、この地区一帯を治めている王様が暮らしているだけある。
白と銀で飾られた壁が長く続いて、あちこちに神話を元にした名画やら宝石の輝く美術品が飾られ、如何にも豪華で絢爛だが、不思議と重々しい寂しい感じを与える建物だ。
わたしは地区からのお手紙が来るまで、度々王様の暮らしを想像したが、未だかつて宮殿の内装がどんなになっているか考えてみたことはなかった。
いつもお客さんが読んでいた新聞の写真で拝むだけで、恐らくパノラマの絵のように、表ばかりで裏のない、行き止まりの景色のように自然と考えていたのだろう。
現在、目の前に大聖堂のような天井画や絨毯の敷かれた床が見えて、窓の先には広い敷地が果てしなく続いている光景を見ると、何となく元いた売春宿やこの地区よりももっとこの国をかけ離れた、夢の中でしばしば出逢うことのある世界みたいに思えた。
皇帝陛下だった肉塊から、生臭い魚の匂いが漂ってくる。
全ての感覚が認識を無視して、脳内を直接殴るように刺激した。
「おいで」
月明かりを背にした彼が、両手を広げる。
逆光になってよく見えないが、きっとらっくんの表情は淡々と笑顔だろう。
正確に言うと、らっくんはいつも笑顔なので普段通りといった風である。
わたしの目には、彼の笑顔は無表情にしか見えなかった。
らっくんの元に駆け寄ると、彼の胸板に顔を寄せて、現実的な死の匂いを彼の匂いで誤魔化すように鼻をすりつけた。
香水だろうか、彼は濃厚で甘いさくらんぼのお菓子のような香りがする。
甘えられていると勘違いをしたのか、わたしの頭を微かな力で押さえつけるように撫でると、肩を揺らしながら笑う。
「らっくん」
「なぁんだよ?」
「あのね」
「うん」
「皇帝陛下は、わたしのことずっと愛してるっていってくれたんだよ」
「それだけ?」
「ちゅーもしたよ」
「俺とも出来るよ」
ぐりぐりと自身の額を彼の鎖骨に押し付ければ、ちゅ、ちゅと旋毛と耳に唇を落とされる。
口にはされなかった。
わたしがそういう気分ではないことも、彼にはお見通しのようだ。
このキスは、安心をわたしにあげる為のキスだった。
わたしは自分の頭の出来が良くないことに、ずっと昔から気づいている。
軍人さんとして必要な才能やセンスがないことも分かっていた。
わたしは何も出来ない、歌声と見た目しかない娼婦であることは、おそらく周知の事実だ。
それでも、歌声を褒めてくれるお客さんが何人か居てくれたから、わたしは必死になって色んなお歌を覚えて、周りの人間から気に入られるように振舞った。
理由は簡単、死にたくなかったからだ。
地区を良くしようとしてる知識人なら、そんな考え方は自分のことしか考えていない動物だと怒るかもしれないけど、わたしにとってはそれが何よりも大事だった。
それは彼だって知っている。
そんなことも気づかないくらいに従順で可愛い女を演じていればよかったのに、わたしは平均的な思いつきから、彼の愛情に疑問を投げかけた。
「らっくんは、なんでわたしに執着するの。へん、だよ」
「……そうかな?」
「うん。とってもへん!らっくんみたいな男の人は恋なんてしないんだよ」
わたしは言い切ってみせる。
押し付けていた額を離して、らっくんを見上げた。
夜空のように黒い双眸がわたしを反射させる。
この時ばかりは、彼の表情が少しだけ隙があるように思えた。
純粋に疑問で、何かをチューニングしているみたいな、完成されていない無防備さ。
「……俺はあなたに何通りかの口説き文句を披露したし、時にはやさしい顔で贈り物をした。あなたからの訝しい視線を浴びながらも、今のようなあなたの浅慮な反論にひとつひとつ答えてみせたし、それなりの手数の愛を示してきたはずだ。……正直、俺からすればどうでもいい贈り物も山ほどあった。それでも、あなたにかけた俺の時間は、確かに俺のものだった。あなたを欲しいと思った俺の欲求は、変わらずに俺のものだったよ」
人間は自分自身の普通でしか他人をはかることが出来ない。
相手を好きだと思う気持ちが無ければ、相手の言う好きという言葉も信じられない。
不貞を働く人間ほど不貞を疑うように、他人から受け取れる愛情の種類というものは、自分が周りにどれだけの愛情を与えられるかに比例している。
これは宮殿に連れてこられたときに気付いたことだ。
「らっくんは、嘘吐きじゃない?」
「あなたに嘘は吐かないよ」
「ほんとうに?」
「うん。俺のこの気持ちが恋心でないのなら、きっと誰のどんな愛情も偽物だ」
「……わたし、おかーさんとおとーさんも、いないんだよ」
「出自がコンプレックスだというのなら、そんなものは俺の力でどうとでもなるさ。皇帝陛下の遠縁ということにでもしようか?家族というものの絶対的価値の大きさについて、俺はあなたと議論するつもりはない。俺にとっては無価値で、あなたにとっては価値がある。それ以外の評論なら、各自で好きにやらせておけばいい」
「わたしは……きっと、なにもかえせないよ?」
「あなたが傍に居てくれるなら、俺はそれだけで構わない。俺があなたに永遠をあげる。あなたが何を犠牲にしても欲しいと思ってるものを用意できる人間は、一生ずっと俺以外には現れない。だから、せいぜい俺に縋るといいよ」
「……たぶん、らっくんのは恋じゃないよ」
「そうか」
「らっくんは……ちょっとおかしいんだとおもう」
「あなたは受け入れてくれるだろ」
「うん」
▼ E N D
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