第十葉:お目覚めは突然に
「……う。なんで? 目がさめた??」
前触れなく目が覚めた。現在時刻は……、起床の鐘が鳴るだいぶ前の、午前五時。それなりの時間眠ったのに、今まで体験したことがないほど体が重い。
鳴子も起きたらしく、横でモゾモゾ動いている。
「かいなちゃん、おはよう……」
ふにゃふにゃ声を出しながら、鳴子が上体を起こした。瞼をほとんど閉じたままで、とても眠たそう。
「おはよう。何が起こったかわかる?」
「たぶん涼香ちゃんが、起きたんだと思う……。ぴぴぴぴって、目覚ましの音が聞こえた気がするから……」
「前に入った時より短くない??」
「夢って時間の流れがとっても曖昧だから……。わたし達は、全部を見てるんじゃないの……。ループしてた時より、涼香ちゃんの心の中で、動きがあったんだろうね……」
夢の主が目覚めてしまっては仕方ない。ワタシの視点では唐突に終わったけど、鳴子視点ではどうだったんだろう。
「鳴子は、小清水さんの悪夢は解決したと思う?」
「……わかんない。今日の放課後、聞いてみるね。部活前なら、話題に出しやすいと思うから……」
そう言って鳴子は、力尽きて横になった。二度寝だ。
ワタシはどうしようか──。
「──あれ?」
考えていたつもりが、気づけばカンコンと聞こえてくる鐘の音。ワタシも二度寝した。こんなことは普段ない。悪夢に入るのは思っている以上に、体に負担があるらしい。
──
─
夕方の教室。終礼の鐘が鳴る。スクールバッグ片手に鳴子の席へ。
「行く?」
「うん!」
二人して一番に教室を出た。涼香に会うため陸上部を目指したのだが、廊下を進む脚は途中で止まった。
「やぁ、鳴子さんに、伊欲さん。ごきげんよう。ちょうど良かった」
「涼香ちゃん?!」「小清水さん?!」
涼香もまた、ワタシ達のクラスへと向かっていたらしい。ばったり出くわした涼香は、相変わらずの爽やかな笑顔で気さくに言う。
「二人に話したいことがあるんだ。時間をもらえるかな?」
「いいよ! 何のご用事??」
鳴子の二つ返事に、涼香は周囲をきょろきょろ。小声になった。
「あんまり人に聞かれたくない話だから、場所を変えても良い?」
「もちろん!」
そうして誘われたのは、校舎最上階の端。下校時の騒がしさから外れた、空き教室のベランダ。陸上トラックや校庭が一望できる、良い風の吹く場所だった。
「気持ちの良い場所だね! 涼香ちゃんのお気に入り?」
「ご名答。気分転換に良いからオススメ。長居し過ぎると施錠の人が来るけど」
鳴子はベランダの柵に手をかけてはしゃぎ、涼香も横並びに。……場所も相まって、恋愛の告白シチュエーションに見えて落ち着かない。
ソワソワするワタシを涼香はチラと見て、苦笑いしつつ話した。
「さっそく本題に入ろうか。我ながら荒唐無稽な話だから、笑われてしまうかもね」
「笑わないよ! 誓って!!」
「ありがとう。……実は昨晩、鳴子さんを夢に見てね。伊欲さんっぽい人も居たかな」
「へ、へぇー、そうなんだー」
棒読みセリフの鳴子。尋ねるつもりが、涼香から夢の話題を出されたことに、分かりやすく動揺している。ワタシもワタシで、夢の主が覚えていた場合どうするか聞いていなかったので、黙るしかない。
様子のおかしいワタシ達に、涼香は不安そうにした。
「ゴメンね、変な話をして。それで私、二人に言いたいことがあるんだ。言われても困るだろうけど、どうしても」
「困ること……?」
鳴子が首を傾げる。ワタシの頭にも疑問符が浮かんだ。
涼香は鳴子へ向き、片手を取って握手。その後、振り返ってワタシにも。
「二人とも、夢に出てきてくれてありがとう。おかげで気分がスッキリしたよ」
「「えぇ?!」」
「む、これじゃおかしいか。夢に出てくるきっかけになった、部活見学に来てくれてありがとう、だね」
言い直されて、鳴子と二人、ホッと胸を撫で下ろす。ワタシ達が夢に入ったことに気づいていたのかと思って焦った。
何も知らない
「えっと……、わたし達、夢の中で何かしたのかな?」
「してくれたとも! 夢でも負けを怖がる私に、敗北の練習をさせてくれたんだ」
トラックに視線をやった涼香は、普段の凛々しい感じとは違う同級生らしい表情。良い意味で、気を張っていない感じが伝わってくる。
「鳴子さんにはカッコつけて、『不安も悩みも無い』なんて言ったけど……。恥ずかしい話、本当は夢でも負けられないくらい、私は敗北を恐れていて」
その言葉で、涼香のループする夢が何だったのか理解できた。アレは敗北を恐れる心が作り出した、淀んだ夢だったんだ。
「去年までは、まだ二年生だったから言い訳できた。同級生には負けナシだったし。でも、今年はそうはいかない。勝って当然の優勝候補が負けようものなら、皆ガッカリする。私はそれが、どうしようもなく怖かった」
いつも自信に溢れて見える涼香の、隠された胸の内。声色にも陰がある。
「全中への参加指定大会が近づいてきて、意識しちゃったんだろうね。ここ数日、ずっと同じ夢を見るようになって。全中で走るんだけど、何度やっても勝ち続ける夢。最初は気分が良かったけど、すぐに嫌な気持ちになった。競技者として、勝負に絶対がないことくらいわかっているから」
どんなに強い選手も、勝ち続けることは難しい。その当たり前をイメージできないことが、涼香に強いストレスを与えていたらしい。
「負けたらどうなるのか。常々思っているのに負けられない。結果、怖さだけが膨らんで、いつか来る敗北にますます怯えた。だけど──」
涼香は再び鳴子を向いて、スッキリと笑う。
「──そんな八方塞がりを、鳴子さん達は壊してくれた。夢の中で鳴子さんは真っ向から私を下して、敗北と向き合わせてくれたんだ。もちろん全て私の想像だけど、部活見学で良い勝負をしてくれたから、イメージできたんだと思う」
鳴子も笑顔になって、元気に言い切る。
「涼香ちゃんが勝ち負けと真剣に向き合っていたからだよ! 怖いと思うのだって、観てる人みんなを喜ばせようとしてるからだろうし!!」
「ありがとう。そうだといいな」
円満な雰囲気。どうなることかと思ったけど、一件落着っぽい。
「そして、伊欲さんにも感謝を」
「へ?」
話が終わった気でいたら、涼香がワタシを向いた。
「夢の中の貴女の声で、敗北の怖さがずいぶん和らいだんだよ」
「ワタシの?」
「残念ながら内容は忘れてしまったけど、夢の中で伊欲さんだけが、負けた私に声援を送ってくれてた。おかげで、負けてもどこかで誰か一人くらいは応援し続けてくれるかもって思えてきて。……鳴子さんのお友達なのに、勝手に想像で味方にしてごめん」
本当はワタシが実際にやったことなのに、涼香は自分勝手な想像だと思って話しづらそうにしている。なんだか申し訳ない。
「い、いいけど、ワタシそんなことするかな」
「きっとしてくれるよ。伊欲さんって周りに流されないって評判だし」
「悪評の間違いじゃない?」
「あはは。冗談言うなんて意外。面白い子だって知ってれば、もっと早く声をかけたのに」
面白がる涼香。
冗談じゃなかったけど。
「ハハ……。まぁなんにせよ、ワタシは何もしてないよ。小清水さんが、自分で悩みを解決できる人だっただけ」
「……普通に考えたら、そうだね」
ちょっと寂しそうにしながらも、涼香は普段のカッコイイ顔つきに戻った。
「二人とも、今日は妄想話に付き合ってくれてありがとう。おかげで気持ちがスッキリしたし、いざという時の心構えができた。夢ではショックで動けなかったけど、現実で負けちゃった時は、勝った人をちゃんと称えようと思う」
晴れやかな涼香を見て、鳴子が嬉しそうに返した。
「こちらこそありがとうだよ! 部活見学しただけで眺めの良い場所を知れて、涼香ちゃんとたくさんお喋りできた! わたし達には良いことばっかり! ね? 櫂凪ちゃん!」
「う、うん。部活をちゃんと見たの初めてだったし、良い勉強になったかな」
「……キミ達は優しいね」
今度こそ、話は終わりの雰囲気に。
涼香が軽く手を振る。
「じゃあ、私はこれで。近々全中へ向けた参加指定大会があるから、気が向いたら観に来てくれると嬉しい」
電車賃が無いから難しいな、とか考えているうちに、涼香は空き教室を経由して廊下へ。姿が見えなくなった。
周りに誰もいないことを確認して、鳴子に聞いてみる。
「これで悪夢は解決?」
「うん! ここまで上手くいくことなかなかないよ。ありがとう! 櫂凪ちゃん!!」
満面の笑みで、鳴子が抱き着いてきた。両腕のしっかりとしたホールドによって密着した体から、高い体温がじんわりと伝わってくる。女子らしい柔らかさと、鍛えられ引き締まった感触が……って、そうじゃない。こんなところを誰かに見られでもしたら、あらぬ誤解をされてしまう。
「わ、わかったから、ストップストップ!」
「ごめん……」
鳴子はしょんぼりしてワタシを解放。長居し過ぎても良くないので、二人で廊下まで戻った。
「涼香ちゃんの大会、一緒に応援行こうよ!」
「うーん……。電車賃無いから厳しいかなぁ」
「そっかー、残念」
「ワタシのことはいいから、鳴子は行ってきなよ。……ん? あれは──」
「──あ! 涼香ちゃんとメアお姉様だ」
廊下奥の階段前に、涼香とメアさんが居た。話していてちょうど終わったらしく、涼香だけが階段を下っていく。
声をかけるか迷っているうちに、鳴子がさっさと早歩きで行ってしまった。
「ごきげんよう、メアお姉様ぁー」
臆することない元気な挨拶。
気が付いたメアさんは、夕日で輝く艶やかな金髪をなびかせてこちらを向いた。
「あら、ごきげんよう。鳴子ちゃんに、櫂凪ちゃん」
「何を話していたんですかー?」
「お父さ……理事長の代理で、今年の大会への激励を伝えたの。放送でのお呼び出しもできたのだけど、姿を見かけたから直接、ね」
「そうだったんですね!」
「二人こそ、どうしてこんな場所に? もしかして……、逢引とか?」
ニヤリといたずら顔で、メアさんがワタシと鳴子の顔を覗く。とんでもない誤解なので、鳴子が何か言う前に否定。
「違います。鳴子共々、小清水さんに呼ばれて話していたんです」
「……うふふ、知ってる。さっき涼香ちゃんから聞いたわ。二人が精神的な助けになってくれた、って」
事情を聞いていて、メアさんはワタシ達をからかったらしい。本当に困った人だ。
「イジワルしないでください」
「ごめんなさい。頻繁に会えない分、短い会話で印象に残らなきゃ、って」
「一目お見かけするだけで、十分印象に残りますって……」
「それって良い意味で? どういうところが??」
ガラス細工のような碧眼をキラキラさせて聞いてくるメアさん。茶化した質問とわかりきっているが、抵抗しても答えるまで逃がしてもらえないので、取り繕わない。
「良い意味です。綺麗で、優雅で、目を惹かないところがありませんから。生徒のほとんどが憧れていることくらい、ご存知でしょうに」
「知っていても、面と向かって評価されると嬉しいでしょう?」
「共感し兼ねます」
「そうかしら? 試しに櫂凪ちゃんのことも──」
「──結構です」
「つまんないの。……と、もっとお喋りを楽しみたいところだけど、お父様が探しに来ちゃうから、この辺でね」
そう言って、メアさんはスッと階段を降りた。踊り場で振り返って、にこりと笑う。
「あぁ、そうだ。二人ともに提案なのだけど。涼香さんの大会、わたくしと共に応援に参りましょうよ。一人より同乗者がいる方が、エコだし退屈もしないわ。時期が近づいたら、改めてお誘いするわね」
「メアさ、お姉様とワタシ達がですか?」
「えぇ、もちろん。では、ごきげんよう」
短く答えて、メアさんは階段を降りて行ってしまった。同乗ってことは、メアさんの家の車にでも乗り合わせるんだろう。ワタシの経済状況を気遣っての提案なのは間違いない。
追いかけて詳細を聞き直そうか、どうしようか。鳴子に聞いて──。
「──鳴子っ?! 大丈夫?!」
「う、うん……」
浅い息遣いで、鳴子が肩を震わせる。急に黙った時点で気づくべきだった。階下から僅かに聞こえる、理事長の声。気配を感じ取っていたんだ。
「落ち着いて。離れてくれるまでここに居よう」
「……ごめんね、ありがとう」
足音が遠のくまで、鳴子の肩を支えた。弱っている姿を見てワタシは、夢の中での鳴子の言葉を思い出した。
『~~客観視できる他者として淀みを伝えてあげたい。心に飲みこまれる前に~~』
ここは夢の中じゃないけれど、同じかもしれない。
「ねぇ、鳴子、あのさ──」
それからしばらくして、鳴子が落ち着いた頃。ワタシは、傷つけるリスクを冒してでも尋ねることにした。鳴子が何を恐れているのか知り、どうにか解決……はできなくとも、その心に寄り添うために。
「──鳴子が男の人を怖くなった原因、聞いてもいい……? 何か、その、できることがあればって……」
返事には多分、さほど間はなかったと思う。でも、誰もいない静寂と問いかけへの不安が、たった一秒二秒を長く長く感じさせた。
「……うん、いいよ。少し長い話になるから、また、夜に」
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