夢見の舟を漕ぐキミと

第九葉：心の淀み

　白一面の夢の世界。すでに鳴子は一本笹の横に居て、笹舟に乗って待っていた。ワタシも鳴子も制服（今回は夏服）着用なので、この場の基本衣装は制服なのかもしれない。

「櫂凪ちゃーん、おーい」

「眠るの早くない？」

「今日はたくさん走って、バッチリ疲れたから！」

　舟後方で櫓に手をかけ、鳴子がサムズアップ。

　ワタシは前方に乗って櫂を持ち、二人で涼香の夢へと舟を漕ぎ出した。

「小清水さんの夢に入ったとして、作戦は？」

「変化に合わせて、いい感じに動く！」

「行き当たりばったりってことね。変化が無かったら？」

「うーん……」

　眉間に皺で悩む鳴子。その間に黒い渦の壁が進行方向に出現。微かにスポーツの歓声が聞こえるので、涼香の夢で間違いなさそう。

　櫂を動かし渦へ進路を調整していると、鳴子がポツリと呟いた。

「……変化が無くても、今回は動いてみるよ」

「あのさ、動くってことは──」

　幸せ（そう）な夢を動かすということは、つまり。考えを言い終える前に、舟は渦の中へと飛び込んだ。

～～

「──暑っ……」

　眩しい日差し、まとわりつく湿気、茹だる熱。暗転した視界が戻った時には舟も櫂もなくなっていて、ワタシは陸上競技場の観客席に座っていた。前回と同じく全中陸上の真っ只中で、老若男女たくさんの観客が席を埋めている。部活見学で見かけた涼子ファンの顔もあった。

　そしてまたしても、鳴子の姿が見えない。

「どこにいったんだか──」

『──こちら鳴子。櫂凪ちゃん聞こえますか？　どうぞ』

「声？？　鳴子の？？？」

　突然の鳴子の声。上のような横のようなで、出所は不明。辺りを見回していたら、再び聞こえてくる。

『ヘアピンを通して話してるよ。夢に変化があったから、今回は別行動になりそう』

　声の出所は、横髪につけていたヘアピン。なんとなく通信機の真似事でヘアピンに手を触れ、返事。

「別行動って、鳴子はどこに？」

『スタート地点！　見てー！』

　言われるがまま視線を陸上トラックへ。観客席反対側の短距離走スタート地点に、見覚えのある姿があった。橙色のセパレートユニフォームを着た鳴子が、飛び跳ねて手を振っている。

『わかるー？』

　バキバキに鍛えられた足腰や腹筋が、布地の少ないユニフォームに強調されて目を惹いた。仕上がり具合は、周りの他の選手にも一切見劣りしていない。

「わかったけど、なにその状況、なんで？？」

『自分そっくりな登場人物がいたから合体した！　見学の時の模擬レースで、わたしのことが印象に残ったんだと思う！』

「合体（そんなこと）できるの？？！！」

『できた！』

　初めてやったらしい口ぶり。反応したくなる気持ちは置いておくとして、涼香の夢に変化が起こっているのは確か。……鳴子はこの変化に、どう関わるつもりだろう。

「そのまま出場する気？」

『……うん。涼香ちゃんのそばで様子を観察しつつ、勝ちを狙ってみる』

　勝ちを、と言われて、ここに入る直前に言いそびれたことが口をついた。

「それって、良い雰囲気をひっくり返すってことだよね？」

『……。……そうだね』

　質問を重ねるごとに、鳴子の声が弱くなっていく。気が進まないことなら、どうして？

「それってリスク冒してまでやる必要あるの？　まだ悪夢なのか確定してないし」

『……』

「あっ、ごめん……」

　ついに鳴子を黙らせてしまい、後悔。ただ気になって聞いただけとはいえ、言い方が悪かった。

「その、責めるつもりはなくて──」

『──わかってる。それでもやるから』

　普段聞かない真剣な声色。

　前回と何が違うんだろう。

「どうして急に？　前はそこまで気にしてなかったのに」

『……陸上部のコーチが言ってたんだけど、涼香ちゃんの動き、キレが落ちてたらしいんだ。病気や怪我は無いらしいから、悪夢で眠りの質が悪くて、体調が整わなかったんじゃないかって』

「調子悪いから悪夢って、考えが飛躍してない？」

『……してると、思う。だから確かめるため、ここに立ってみたの。そしたらますます、悪夢だって思えてきて。上手く説明できないけど、悪夢らしい嫌な空気を感じるんだ』

　ここまで聞いて、やっと鳴子の考えがわかってきた。

「あぁ、そういうこと。夢に入る時の『動く』はトラックに立つことで、それで悪夢の可能性が上がったから、今からリスクを冒してでも『勝ちを狙う』ってことね」

『そうなの！　……わたしったらごめん。一人の気分で決めちゃってた』

　遠目でもわかるくらい、鳴子がしょんぼりと肩を落とす。

「理解したからいいよ。悪夢だとして、思い切って動くってことは、それだけ深刻な状況なの？」

『いや、まだわかんない。わかんないから、少しでも早く涼香ちゃんに気づいてもらいたいと思って。本人が自覚してない悩み、心の淀みに』

「心の淀み……」

『夢ってなぜか、意識がある時には小さすぎたり、蓋をしちゃったりすることが表に出やすいの。それが良いことだったら流れの穏やかな良い夢だけど、悪いことだったら流れのおかしい【悪夢】になる。でもそれは、流れの中にいる夢の主には気づきにくいんだ』

「……確かに」

　言われてみれば、ワタシも自分の夢の異常さに気づいていなかった。鳴子の介入でやっと、自分が悪夢を作っていたと認識できたワケで。

『だからわたしは、客観視できる他者として淀みを伝えてあげたい。心に飲みこまれる前に、本人が動けるよう。もちろん、解決のお手伝いも』

「……わかった。素人質問に答えてくれて、ありがとう」

『こちらこそ、聞いてくれてありがとうだよ！　考えを振り返れるし、わたしが悪夢に飲まれてないかの確認にも──っと。出番だからもう行くね！』

　出走の順番が来たらしく、視線が外れる。他の選手に混じって、鳴子はトラックでウォームアップ。係員の指示に従って、スターティングブロックについた。

「勝ちを狙うって言ってたけど、そんな上手くいくかな」

　夢の中でもここは、全国大会の舞台。実力者は涼香だけじゃない。そう上手くことが運ぶとは──。

「──速っ」

　号砲が鳴ってすぐ、心配は杞憂だとわからされる。夢の中での鳴子は突発的に眠らないだけでなく、動きから違った。超反応のスタート、素早い加速、減速しないカーブテクニック、速度を維持する持久力。どれをとっても突出している。

　抜きん出てゴールしたタイムは、涼香に肉薄する予選二位。ヘアピンを通して感想を伝える。

「お疲れ鳴子。言うだけあるね。でも、こんなに速かったっけ？」

『夢には慣れてるし、色々と暗示も仕込めるから。ちょっと出来すぎだけど』

「出来すぎ？」

『なぜだか、背中を押される感覚がして』

「？　精神的な意味で言ってる？？」

『ううん、そのままの意味。アシスト自転車みたいに──あ、涼香ちゃん～～』

　ゴールから少し進んだ先で、涼香が鳴子に話しかけた。ヘアピンでは音を拾いきれず、聞こえる会話は途切れ途切れ。

『～～スタートも、スパイクにも慣れて～～だから～～負けないよ！』

『私も～～楽しみに～～』

　ライバル同士の、爽やかな宣戦布告。二人はスポーツ漫画さながらに視線を交わし、観客席からは見えない待機テントの陰に控えた。

　その瞬間、パッと視界が真っ白に。

「……場面転換ね」

　視界が戻る。電光掲示板には、『女子２００ｍ決勝』の文字。決勝戦まで時間が進んだ。会場内に、女性声のアナウンスが響く。

『トラックでは女子、二百メートル決勝が行われます。この種目の日本記録は～～』

　スタート地点には、軽く走ったりジャンプしたりとウォーミングアップする、九名の選手達。黄、黒、青、臙脂（えんじ）、緑、橙など、カラフルなユニフォームが並ぶ。４レーンが涼香で、５レーンが鳴子。

『～～九レーン、××××。××中学～～』

　スターティングブロックに選手が戻り、順番に紹介された。それが済んで、全員がクラウチングスタートの構え。いよいよ競技が始まる。

　観客その他に静寂が促され、『オン・ユア・マークス』『セット』の音声と、僅かな静寂。

　号砲が鳴った。

「ッ……！」

　涼香と鳴子が好スタート。どのレーンの選手より上の加速と最高速度で、カーブへ突入していく。始まりから二人の勝負と言っていい。

「カーブも上手い！」

　現実ではテクニック差が出てしまっていたが、夢（ここ）では違った。鳴子は涼香並みに綺麗なコース取りと走行フォームで、少しも速度を落とさない。カーブ出口の時点で、二人は横並び。レーン毎あらかじめの差が埋まっただけなので、ここまでほぼ同速ということ。

　既に他の選手は置き去りで、最後の直線は完全な一騎打ち。

「が、がんばれっ、鳴子！」

　真剣な二人を見て、夢だとわかっていても応援してしまう。周りの観客も声を張り上げていて、歓声が空気を揺らした。

『やれー！』『一強を崩せー！』『倒してしまえー！』

　まるで、一つの結末を期待しているかのような。……スポーツ大会の盛り上がりってこういうもの？

『あの子が勝ったぞ！』『よくやった！』『大番狂わせだ！』

　二人がゴールラインを駆け抜け、遅れてその他選手が通過。観客の興奮冷めやらぬうちに、確定した順位やタイムがアナウンスされる。

『一着、舟渡鳴子～～』

　スロー映像でないと順位を判別できないほどの横並び。接戦を制したのは鳴子だった。

「本当に、鳴子が勝った」

　これで展開が変わるのか。ゴールの先から観客席の方向（にある待機用テント）へと戻ってくる鳴子と目が合った。こちらを見上げるばかりで、喜ぶ様子はない。ヘアピンを押さえて……、あ、何か言いそう。

『……櫂凪ちゃん、聞こえる？』

「聞こえてる。狙い通り勝てたね。小清水さんの様子は？」

　涼香は鳴子の後ろを歩いているが、視線を下に向けている。

『ショックそうだけど、普通の、当たり前の反応だと思う』

「取り乱してないなら、上手くいったってこと？」

　おかしなところがないなら、良い意味の変化を起こせたかもしれない。そう思った矢先、鳴子は首を横に振り、こちらを指差した。

『まだ、なんとも。そっちが変なことになってるから』

「そっちって……、観客席（ここ）が？？」

　観客の興奮はまだ続いていて、鳴子達が近づくにつれ声が大きくなっていく。

『やっと面白くなった』『エリートが勝ってばかりで辟易してたんだ！』『どうせ勝てるって天狗になってたんだろ』

　歓声というには強く、トゲのある言葉。勝者の鳴子を称えるというより、涼香を貶めているように感じる。もしかして。

「変なことって、観客？」

『うん。なんだか嫌な言い方が多くて。声をぶつけられてるみたいで怖い』

　言われるまで、異常さに気づかなかった。プロスポーツはブーイングがあると知っていたので、少年スポーツも同じだと思っていたからだ。

「……普通じゃなかったんだ。ワタシてっきり、そういうものだと」

『中学生の大会じゃ普通ないよ。～～涼香ちゃん、大丈夫？』

　鳴子は話を切り上げ、涼香の側に寄る。俯いた涼香の足取りは、観客席に近づくにつれ、どんどん重くなった。

『気にしなくていいから～～次はどうなるか～～』

　どれだけ話しかけられても、まるで反応せず。涼香は顔を少し上げ、観客席に視線を向ける。あんな震える瞳の涼香、今まで一度も見たことが無い。

　瞳に映ったのは恐らく、冷めた顔で観客席を去る夕霞の生徒達。

『本当にガッカリ』『あんな子に負けるなんて恥ね』『時間を返して欲しいわ』

　口々に吐き捨て、生徒達はどこかへ消えた。涼香は何も言わず、批判的な観客席を視界に捉え続けている。

　それでも夢は、ループせずに進んだ。

「これで、いいんだよね……？」

　ループ時が悪夢だとすれば、この光景は涼香にとって悪夢じゃないのかもしれない。まだ悪夢の延長線上、もしくはここからが悪夢だったとしても、その確認ができただけで収穫。解決したのか、継続中なのか。問題を切り分けるため、いったん様子見でも悪くはなさそう。

　ワタシならそうする。……でも。

『～～涼香ちゃんと走れて、わたしとっても嬉し～～』

　ヘアピンから聞こえる鳴子の声。反応がなくとも、涼香に寄り添い続けている。そうであるなら、【鳴子を手伝うワタシ】がすべきことは静観じゃない。

　席を立って、観客席の一番前まで階段を駆け下りた。手すりから身を乗り出し、お腹に力を込める。

「あのっ、ワタシ、小清水さんのこと何にも知らないけどっ」

　上ずる声を発した瞬間、背筋にゾクリと嫌な感覚。とても確かめる気にはならないが、背中でもわかるくらい、観客席中から注目されている。……う。

　つい、視界の奥や端に観客席を捉えてしまった。光の無い黒々とした瞳がたくさんワタシへと向いていて、無表情なのに（だから？）ゾワゾワと怖い。横髪に留めているヘアピンを外して、御守りに握る。

　怖かったけど。恐怖心がかえって声を大きくした。

「アナタや皆が走っているのを見て、圧倒された！　年齢や体格はそう変わらないのに、ワタシが走るのとは全く別物で」

　スポーツのことはよく知らないから、何を言っていいのかわからない。だから、感じたことを言う。別物と感じるほど鍛えられた、走るという動作。勉強に置き換えれば、鍛える努力の過酷さは理解できる気がする。

　そして、涼香がワタシより先のステージ──逃げ場のない表舞台──に居ることも。

「速く走る才能があって、活かすためにたくさん努力したんだって、勝手に解釈してる。才能と努力の輝きが、ぶつけあって起こる火花が、とても眩しかった。だから、その、えっと……」

　勢いで話し始めたから、まとまらなくなってきた。涼香はこちらを見ている（と思う）けど、反応がないので届いているのかは不明。それでも。

「眩しい瞬間を観せてくれて、ありがとう！　……それだけ！」

　伝えられることは伝えた。涼香はすでに観客席下の待機テントに引っ込んでしまっていて、ここからじゃ様子はわからない。……あっ。

☆☆☆☆☆