第七葉:いざ、夢の世界へ

☆☆☆☆☆


「おーい、櫂凪ちゃーん!」

 手を振って駆け寄ってくる、白い霧に浮かぶ人型のシルエット。アレが本物なら成功。

「本物の鳴子、でいいんだよね?」

「うん!」

 ぼんやりと見えてきた鳴子はワタシと同じように、眠った時のパジャマではなく制服姿。理屈はよくわからない。

 鳴子が近づくにつれて霧が晴れ、視界が開けた。

「……ここ、どこ?」

 見覚えのない景色だった。高さも広さも無限に見える、見渡す限り真っ白な空間。ワタシ達以外に存在するのは、背丈ほどの大きさの青々とした笹が一本だけ。

 他に目印もないので、笹の前で鳴子と合流する。

「もう誰かの夢の中?」

「わたしの夢だよ」

「鳴子の……」

「何にもなくてびっくりするよね?」

 びっくりとまではいかないものの、らしくない気がした。

「ちょっと意外だったかな。部屋の鳴子側みたいにモノで溢れてるのかと」

 何気なく言った言葉に、鳴子は鼻息を荒くする。

「その方がいいよね?! わたしも色々飾りたい! 物心ついた時からずっとこれで飽きちゃった!」

「ずっと? 自分の夢なのに??」

 明晰夢(?)に慣れていないワタシでも、自分の夢でハサミくらいは出せていた。それなのに、鳴子は何も出せないらしい。

 試しに鳴子は掌を上に目を瞑って念じたが、何も出ず、何も起こらなかった。

「人が居てもダメかー。わたしの夢、あれ以外存在できないっぽいんだよね」

 ワタシも念じてみたが、何も出ない。……あぁ、なんて。

「退屈しない?」

 ただ一本の笹しかない、殺風景にもほどがある夢の世界。

 鳴子は眉をハの字に困り顔。

「正直、してる。体を動かすアイデアは尽きちゃったし、ボーッとしてたら目が覚めちゃう。……誰かの悪夢に入るの、ほっとけないのもあるけど、そうしないと耐えられないからかも。自分勝手だね、わたし」

 退屈しのぎも、時間に意義をもたせるモノもなく。与えられた選択肢は、時間が過ぎるまで耐えるか、悪夢へ飛び込むかの二択。

「……。ワタシてっきり、他人の悪夢へは直通だと思ってた」

「大体は自分で漕いで行ってるよ!」

 明るく言って、舟を漕ぐゼスチャー。

 想定が甘かった、と言いたかったのだけど。まぁ、置いておく。

「あの時の小舟ね」

「あっ、そうだ!」

 鳴子は思いついた顔で笹から一葉取り、両端を折るなどいじって舟の形に成形。足元に置いた。瞬きの間に笹舟は、人間サイズの舟に変化する。

これだけは、ここでも結構いじれるんだよ!」

「こうやってできてたんだ。前はヘアピンだったよね?」

「ヘアピンがいい? ちょっと待ってて!」

 そういう希望はなかったけど、訂正するほどでもないので作業を眺める。鳴子はまた笹から一葉取って笹舟を作り、両掌で包み込んだ。数秒後に開いた掌には、緑色のヘアピンがちょこんと一つ。

 この夢の世界で唯一、所持や加工が可能な物体。よく見れば笹には、葉を取られた跡がところどころにあった。

「どうぞ!」

「ありがとう。でもコレ、ワタシに扱える?」

 手渡されたヘアピンは、見た目も感触も現実のヘアピンそのもの。横髪に留める。

「わかんないから試してみよう! ヘアピンは舟で、それに乗って夢から出たいって思えば、目が覚めるハズ! 緊急時の脱出に使えるんだー」

「脱出って、物騒な」

「悪夢によっては襲われたり、苦しい状況になったりして……。どんな状況でも笹の葉は使えるから、やってみて!」

 促されるまま目を瞑り、ヘアピンに念じた。

「(ヘアピンこれは、舟。ワタシはその舟に乗って、夢から脱出する)」

 頭の中で、ヘアピンを舟に戻すことをイメージ。急に足元が揺れる感覚がして目を開けると、ワタシは舟に乗っていた。周りに霧が広がって白んでいる。


「(夢に入った時みたい。なんだか、目が覚めそ──)」


☆☆☆☆☆


「(──う。……覚めた。まだ、夜中?)」

 瞼を持ち上げる。部屋は真っ暗で、目の前には鳴子の寝顔。ワタシの手を握って、静かな寝息を立てていた。コロコロ変わる表情がない分、どこか寂し気に見える。

「(戻ろう。要領もわかったし)」

 再び目を瞑り、息をゆっくりに。眠りに落ちるのはあっという間だった。


☆☆☆☆☆


 白いばかりの夢の世界。一本笹の横で鳴子が手を振っている。

「おかえり櫂凪ちゃん! どうだった?」

「ただいま。ちゃんと目が覚めたよ。さっきの舟は?」

 笹のそばに出してあった舟が消えていた。

 鳴子は指を組んで、もじもじ。

「迷ってて。本当に、いいの?」

 伺う視線。ここで止めるなら、『一緒に』なんて言い出さない。

「その気がなかったら言ってないよ。でも……。退屈だけが問題なら、こうして二人でお喋りしてるのもアリかもね」

「それは──」

 少し迷いながらも、鳴子は首を横に振った。

「──ううん。わたし、悪夢で困っている人を助けたい。それが、わたしが夢に入れる意味だと思うから」

「意味、ね。そう思わされてるだけかもよ? この悪夢に」

 人の考えに水を差すつもりはない。ワタシみたいに、悪夢の影響で思考が偏っていないかの確認。返事は落ち着いていた。

「可能性はある、けど。きっと退屈は悪夢じゃないよ」

「そう? 十分悪夢だと思うけど」

「わたしが行動を選べるってことは、夢の良し悪しはわたし次第なんだと思う。誰かの悪夢に導かれても、そこを良い夢に変えちゃえば、わたしにとっても良い夢! かも!」

「ポジティブだね、鳴子は」

「もっと辛い夢、見たことあるから。……と言う訳で、櫂凪ちゃんとのお喋りにもすっっごく心惹かれるけど、わたしは悪夢を解決したい! それに、わたし個人の退屈解消のためだけに、櫂凪ちゃんを束縛できないよ」

「まぁ、うん。わかった」

 束縛。妙に強い表現で引っかかるけど、話が逸れるのでスルー……したつもりが、顔に出ていたらしく、鳴子が不安そうにする。

「あの、その、嫌になったり面倒になったりしたら、遠慮なく言って! 協力してくれるって言ってもらえただけで、とっても嬉しいから!」

「そういう遠慮はしないよ、ワタシ。勉強に差し支える時は断るから。まぁ、断る以前に素人が役に立てるのか怪しいけど」

 未知の世界への懸念を伝えたつもりが、いつにも増して明るい調子が返ってきた。

「視点が増えるって、すごく心強いよ! わたしだって失敗ばっかりだし! じゃあさっそく行こうっ。出でよ、ニュー笹舟!!」

「……は?」

 制服のポケットから投じられた笹が、舟に。しかしどういう訳か、見た目がさっきと大幅に変わっている。櫓付きの伝統的な形状ではなく、極めて細長い本体に一人二本のオール(と固定するフレーム)が飛び出した形状。いわゆる競技ボート。

「えっと……ダブルスカル?」

「えへへ、一度乗ってみたくて。助けに行くなら速い方が良いよね?!」

 力作なのか、鳴子が胸を張る。

 どうやって笹で作ったんだろう……、じゃない。

「いきなり尖り過ぎ。ワタシ、フィジカルもテクニックもないよ?」

 競技ボートの操作には、凄まじいフィジカルとテクニックが必要。夢の中とはいえ、できる気がしない。

 渋るワタシを見て、鳴子はわかりやすく肩を落とした。

「……ごめん。ちょっとテンション上がっちゃってた。元に戻すね」

 出したそばから、圧縮して回収されるニュー笹舟。文句は言ったけど、全否定する意図はないので、笹舟を拾う鳴子の手を取った。

「待って。協力はするつもりだから。別の……、櫓櫂舟ろかいぶねとかにしようよ」

「! する!!」

 喜びわかりやすいパッチリ目。鳴子が両手でワタシの肩を掴んだ。それはもうガッシリと。……なんで?

「櫂凪ちゃん、ちょっと失礼するね」

「ぐぇ?!」

 唐突に、こめかみを触られる。触られたどころか、頭に手が沈んで(?)いる。痛くないけど目が回り、足の裏をくすぐられた時みたいに脳の表面がくすぐったい。

「ひゃに、ひゃってるの?!」

「イメージ通りに仕上げたいから! 櫓櫂舟ってどんなもの?」

「知らないで返事してたの?! ……あっ、あっ。形状は、推進力として舟後方に櫓があるのはそのまま。方向転換等操縦のため、前方にも櫂や棹を使う漕ぎ手がいて~~」

「~~うんうん。大きさは?」

「大きさは~~」


「……はぁ、はぁ」

 質問に答えること、恐らく数分。知識の中に巨大な手が現れ笹を加工する様は、衝撃的だった。

「貴重な体験をさせてくれてありがとう……。いつか、鳴子にもやったげる……!」

「ご、ごめんね! だけどおかげさまで、イメージ通りに作れたから!」

 鳴子が目の前に広げたのは、ワタシの知識そのままの櫓櫂舟。前の舟よりサイズが大きくなり、後方の櫓に加えて、船内に太い櫂と細い竿が一本ずつ置かれている。オマケに、明るい橙色の救命胴衣が二着も。

 何はともあれ、これで準備完了かな。

「じゃあ、今度こそ出発?」

「ちょっと待って! 予備を作っておきたいから!」

「うぐぅ……」

 再びワタシのこめかみに手を突っ込み、鳴子は新しい笹舟と同形状の物をいくつか作成。ヘアピンに変換した。お互い身に着け、残りは予備でポケットに。


「よーし、しゅっぱーつ!」

「相変わらず、いきなり浮かぶのね」

 気を取り直して、舟に乗り込み出航。前方のワタシが進路微調整担当、後方の鳴子が動力担当。景色は白いばかりでどこが岸でどこが川(海?)なのかわからないけど、乗り込んだだけで舟が揺れ、水に浮かぶ感覚がした。

 棹で軽く岸を押し、離岸。鳴子が漕いで舟が進み始める。

「このまま進めば、誰かの夢に入るってこと?」

「うん。何もしないでいると、距離が近い悪夢のどれかに」

 波一つない舟旅。聞こえるのは、水音と互いの声と木の軋み(笹舟だけど)くらい。方向転換の必要はなさそうなので、鳴子を眺めてしばらく雑談。

「何もしないならってことは、行先を選ぶ方法があるんだ」

「相手の側で眠ったり枕下に写真を入れたり。強くイメージできれば行先が固定されるよ」

「ふーん。夢に入る時ってどんな感じ?」

「色々あるけど、大体は吸い込まれる感じ。ほら」

 指差された前方を見る。白い世界にいつの間にか、渦巻き模様の黒い壁(?)が出現。近づくほどに舟が引っ張られる。壁の先は見えず、白波が暴れた。

「ぶつかる?! これ進んで大丈夫なの?!」

「大丈夫! 行った先で離れ離れかもだから、現地で合流しようね!」

「それって大丈夫じゃなくない?!」

 笹舟は、あっという間に壁まで到達。成す術無く壁内の暗黒空間に飲み込まれた。

 視界は暗闇、体には浮遊感。……違う、落ちてる。落下だ。

「鳴子っ、いる?! 落ちてるんだけど??!!」

「いるよ! 安心して! 落ちてるけど、最後まで落ちるんじゃないから!」

「どういう意味??!!」


 天地がぐるぐる変わり、眩暈。

 それと、遠くから声が聞こえてきた。『わー、わー』と熱狂する多人数の声。


「なにが、どうなってっ……!」

 段々と大きくなる声に、別の、スピーカーを通した女性のアナウンスまで加わる。

『トラックでは女子、二百メートル予選が行われます。この種目の日本記録は~~』

 トラック? 何かしらのスポーツ?? なら多人数の声は……、歓声???

 わけがわからないうちに目の前が強く光って、視界が真っ白に上書きされた。


~~


 眩しい。

「……暑っつ。……。……は?」

 強い光は、強い日差しで。戻った視界いっぱいに広がる青空と、白く大きな入道雲。じりじりと肌が熱せられる感覚は、まさしく。

「夏だ。……どこの?」

 視線を横に。見ず知らずの老若男女が、青いイス並ぶ観客席を埋めている。ラフな夏の装いで帽子をかぶっていたり、首にタオルをかけていたり。ワタシは白ワイシャツにチェックスカートの夏服で、近くの席に同じ制服の子が十数名いた。

「何かのスポーツ大会? ……。……全中陸上だ」

 今度は視線を前に。シチュエーションは理解できた。電光掲示板に映る、『全日本中学校陸上大会』の文字。全舗装のトラックでスターティングブロックの調整を行う、女子選手達。学校ごと色の違う、カラフルなセパレートのユニフォーム。

 ワタシは今、陸上競技大会を観戦している。

「そうだ、鳴子は──」

「──いやー、暑いね、櫂凪ちゃん!」

「冷たっ」

 後ろから聞こえた声と、頬に触れる冷たさ、頭に被せられる麦わら帽子。振り返ると、制服姿の鳴子がいた。首にかけたタオルと頭のキャップの白が眩しい。

「ドリンク! 暑いから買ってきた!」

 頬に当てられたのは、良く冷えたスポーツドリンクのペットボトル。促されるまま受け取る。ここ、夢だよね?

「夢なのに飲み物? と言うか、本物の鳴子でいいんだよね?」

「本物だよっ。飲んでも意味はないけど、まずは夢に馴染まないとだから」

 横の席まで回り込んで来て座り、鳴子が笑う。

 馴染むのはわかったけど、その前に。

「ここって本当に悪夢? 現実とほとんど変わらないし、平和だよね?」

「うーん、吸い寄せられたから悪夢だと思うけど……」

 背筋を伸ばして、鳴子は周囲やトラック内を観察。遠くのスタート地点を指差した。

「あの子が、この夢のあるじだよ」

 主、と言う意味はすぐにわかった。ここにいるあらゆる登場人物の中で、小物も含めた見た目が明らかに鮮明な人物が一人。夕霞と記載された橙色のセパレートユニフォームに、ボーイッシュな褐色黒髪ショートカット。王子然とした中性的な美形。

 ワタシでも誰か知っている。

「確かに、一人だけ解像度が違──」

「──しーっ。始まるみたいだよ」

 ワタシの唇の前で、鳴子が人差し指を立てた。会場のスピーカーから『オン・ユア・マークス』、『セット』と音声が続き、スタート合図の号砲が鳴る。勢い良く選手達が走り出し、観客席で歓声が上がった。

 トラックを回ってきた選手が眼下の直線へ。先頭を走るのは夢の主、夕霞女子学院中等部三年、陸上部エース【小清水涼香】。

「小清水さんって、現実でもこんな速いの?」

「うん。涼香ちゃん、今年は全中優勝も狙えるって言われてるよ」

 同級生ながら、本気の走りを見るのは初めて。……夢なので、見たうちに入るかわからないけど。涼香は軽やかながら力強い走りで進み、余裕の一位ゴール。爽やかな笑顔で観客席に一礼、手を振った。

 他の観客がポツポツと、涼香の走りを評価する。

『前評判通り』『やはり強い』『番狂わせはないのか?』

 予選はその後も続いたが、最後まで涼香のタイムは一位。危なげなく決勝進出を決めた。遺憾なく実力を発揮する、順風満帆な夢。これが悪夢だとしたら……。

「決勝でトラブルとか……?」

「……」

「鳴子? どうかした?」

 今のところワタシには、気分の良い夢に見える。しかし鳴子はじっと注意深く、周囲や涼香の観察を続けた。

「もう悪夢が始まってたら、って考えてた」

「これが? 順調そうだし、小清水さんだって笑ってるよ?」

「ううん。涼香ちゃん、こっちを見る時に一瞬、浮かない顔してた」

「そう?」

 表情の変化になんて気がつかなかった。もしそうなら、タイムへの不満とか怪我の兆候とか?


『トラックでは女子、二百メートル決勝が行われます。この種目の~~』

「えっ……?」

 瞬きの間に、場面が変わった。アナウンスの通り、電光掲示板には『女子200m決勝』の文字。現実そっくりの景色ながら、時間や場面の急な移り変わりには、夢らしい唐突さがある。

『一レーン、××××~~』

 一レーンから順に選手紹介。名前と校名が読み上げられた選手は観客席に一礼し、『がんばれ』とか『ファイト』とか、声援を受けた。

『~~四レーン、小清水涼香、夕霞女子学院~~』

 涼香も紹介され、頭を下げる。見た目の良さと所作の優雅さで『かっこいい』とか『涼香さまー』とか、黄色い歓声が上がった。

 全員の紹介が済み、『オン・ユア・マークス』『セット』の音声で、選手達はクラウチングスタートの姿勢に。号砲が鳴ってレース開始。

「……あ、勝った」

 決勝だけに皆速かったが、ここでもあっさり涼香が勝利。予選ほどの余裕はないにしても、しっかり勝つ安定のレース運び。……問題はどこに?

「怪我じゃないなら、フライングで無効とか……」

 電光掲示板にリプレイ映像が流れ、少し経って結果が確定。着順そのまま、涼香の優勝が決まった。トラブルなど何も起こっていない。

「鳴子、わかった?」

「ごめん、何も。わたしの勘違いだったのかも」

 横で見ている鳴子は、口元に手を当て難しい顔。視線の先の涼香は、声援を受け、にこやかに手を振って応えている。悪いことは起きてないし、なんなら理想的な、気持ちの良い夢。目覚めた時にちょっとガッカリすることはあっても、悪夢ってほどじゃない。

 あれこれ考えているうちに、視界いっぱいに白い霧が広がった。

「目が覚めるやつ?」

「たぶん違う」

 鳴子が眉間に皺を寄せる。

 霧が晴れ、再び聞こえるアナウンス。

『トラックでは女子、二百メートル予選が行われます。この種目の日本記録は~~』

「なっ……?」

 夢に入った時と、そっくりそのまま同じ言葉。目の前に広がる光景も同じ。老若男女が観客席を埋め、トラックで涼香達がスタート準備を進める。

「ループした?!」

「そういう悪夢、かなぁ」

 そこから先の展開も、さっき見たものと全く同じで。危なげなく涼香が予選を抜け、決勝も涼香が勝利。軽やかで力強い走りも、爽やかな応対も、何もかも同じ。


 繰り返すこと、十数回。展開の変わらない競技はいつまでも続いた。


「ねぇ鳴子、これ、なんとかなる……?」

 同じ出来事が何度も続くと、こうも苦痛なのだと。初回から音を上げるなんてだらしないと思っていても、逃れられない飽きの感覚にウンザリした態度が漏れ出てしまう。

 ガッカリされると思っていたら、返ってきたのは意外な反応だった。

「これは……、ならないかも。今日は撤退しよっか」

「わかった。……って、いいの?!」

 考えずに相槌をした後、二度見。

 鳴子はあっさり観客席を立ち上がって、ヘアピンを外す。

「一生懸命考えてもお手上げな時は、仕方ないよ。解決に時間がかかることも、解決できないことだってあるもん」

 そういうものなんだ。

 未解決への心残りをいったん置いて、話しながら観客席を出口の方向に進む。

「極端な話だけどさ、無理やり行動して引っ搔き回したらダメなの?」

 変化がないなら起こすのはどうか。観客席で暴れたり、トラックに乗り込んで涼香に話したり。何かは起こるハズ。

 我ながら浅はかな問いに、鳴子は笑わず答えてくれた。

「できなくもないけど、夢のシチュエーションから外れ過ぎたことをすると、夢の主が目覚めちゃったり、夢から弾き出されたりするんだ」

「なるほどね。だけど、それだけなら試す方がメリットあるんじゃない?」

 続けて質問。

 今度の鳴子は疑問顔の後、少し間を置いてハッとした。

「……? ……?? ……あっ。わたし、リスクの説明してなかった! 行動によっては、相手の潜在意識に残っちゃうことがあって……、そのせいでやんわり嫌われることもある感じで……。本当にごめん!!」

 慌てて説明して、鳴子が肩を落とす。かなり重要事項なので説明不足ではあるけど。

「謝ることないよ。勝手についてきたワタシが気にしなきゃいけないことだし。潜在意識ってことはつまり、ワタシ達の行動は夢の主の記憶には残らないけど、精神には影響するってことだよね?」

「うん。軽いものなら、良いことも悪いことも薄っすら残る感じ」

「ワタシの時だと、目が覚めたら気分スッキリで、なんとなく鳴子を良い人に思うとか?」

「絶対とは言えないけど、たぶん?」

 なるほど、理解。だけど良いパターンは前置きで、ここからが本題。

「じゃあ、重い悪いことをした場合は?」

 ハッキリと鳴子は言い切った。

「現実の精神に、強い負荷をかけちゃう。記憶に残ることもあるよ」

「……そっか。……ん?」

 観客席出入口の前で、トラックをチラ見。涼香と目が合った。ちょうど、十数回目の優勝決定のタイミングだった。

「どうしたの?」

「小清水さんと目が合ってさ。浮かない顔してたかも」

 鳴子が言っていた通り、涼香の表情は暗かった。俯いて落ちる視線、光のない瞳。本人やこの夢のキラキラしたイメージとはまるで違う。

 優勝が決まった場面で同級生が帰っていたら、そうもなる?

「ワタシ達が帰ったからかな」

「ずっと見てたならそうかも。とっても観客こっちを気にしてるね。うーん、繰り返すってことは結果に関することかなぁ。でも、試合展開は同じだったから~~」

 小さく口に出して整理する鳴子。けれど観客席に戻ることはなく、すたすたと競技場外の緑地まで出て、木陰でヘアピンを笹舟に変換。乗り込んだ。

「本当にいいの?」

「気になるけど、せっかくだから別の方法も試してみたいなって」

「別の方法?」

 ワタシも舟に乗り、棹で地面を押して離岸。地面に舟が、周りの景色が真っ白な霧に覆われていく。


~~


「ねぇ、櫂凪ちゃん。ちょっと相談なんだけど……」

 ためらいがちに聞かれ、今さら断ることもないと思いつつ返答。

「どうしたの、改まって」

「明日の放課後、涼香ちゃんに会ってみない? 悩みがないか聞いてみたいんだ」

「う、うん。いいよ」

 了承した。……ちょっと面倒だと思ったことは、秘密にしておく。考えてみれば、悪夢は現実の人間に起こっているのだから、現実で原因が分かれば話は早い。

 返事に喜んだ鳴子は、その後でちょっと苦笑いした。

「ありがとう! ……でも、本当に面倒だったら断ってくれていいからね?」

「もしかしてバレてる?」

「櫂凪ちゃん、結構表情に出るから……」

 全く取り繕えてなくて、ワタシも苦笑い。自分の時間が減るのも、他人と関わる気苦労も、正直に言うと面倒。かなり。

「まぁ、うん。面倒だとは思ってる」

「う……、そうだよね。無理に付き合わせちゃってごめ──」

「──でもね」

 だけど、だ。鳴子が頭を下げないよう、話しを遮った。


「こういうのって、乗りかかったなんとやら、でしょ? 協力させてよ。友達として」


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