第六葉:スクラップブック
宇宙の中を笹舟が進む。たくさんの本棚に囲まれた辺りで、行く先に人影が見えた。
「あれは……」
思い出した。あの人影も、さっきの妹と同じ。悪い存在。
「鳴子、近づきたくない」
「大丈夫。怖くないよ」
「でも、あのワタシは、勝手に本を破くから……」
近づいて鮮明になった人影の正体は、制服を着たワタシ。鳴子はワタシの訴えを聞かないで、舟を目の前に停止させた。
「櫂凪ちゃん。わたしね、わかったんだ。どうしてここが、宇宙なのか」
「?」
ぴょいと舟を降り、上に下にと遊泳。本棚から何冊かの本を取り出して、ワタシの前に戻ってくる。ぱらぱらとめくって見せるページには、関係のない実家の風景。本に落書きされたあの日のこと。
「また混ざってる……」
顔をしかめるワタシに、鳴子は優しく言った。
「不安にならなくていいんだよ。櫂凪ちゃんの記憶は、宇宙なんだから」
宇宙。記憶力も同じで、どこまでも広く余裕があると言いたいのかな。でも。
「たとえ無限の記憶力があっても。覚えたいこと以外、ここに置きたくない。勝手に入ってきたものなんか──」
「──違うよ」
「違う?」
本をワタシに預けて、鳴子はもう一人のワタシの前に立った。
「捨てたく、なかったんだよね?」
もう一人のワタシが頷く。直後、その体は解けて、破れたページの山になった。……そっか。ページだったから、悪夢のバケモノは川に入らなかったんだ。
散らばった山を綺麗な束に揃えて、鳴子はワタシの横に座る。
「ここにあるのは全部、櫂凪ちゃんが覚えておきたいことだと思う」
そう言われて、つい声を荒げてしまった。
「そんなはずない! 興味がないことなんか! 教科書も本も見ただけで覚えちゃうから、どうでもいいことだって同じように、頭に入っただけ!」
「違う。覚えてないよ、櫂凪ちゃんは」
束の一番上のページは、鳴子が転校してきた初日の出来事。流れも、会話も、抜けていない。やっぱり、ちゃんと覚えてしまっている。
「おかしいところなんて、どこにも──」
「──沙耶ちゃんの、わかる?」
「沙耶の?」
ページの中の沙耶を指差し。言動・行動に漏れはない。見た目も普段通りの制服に、赤の髪ゴムで縛ったポニーテール。
意味がわからないでいたら、鳴子は自分の頭のこめかみに触れた。
「コレを見て。わたしの記憶」
引っ張りだされた綺麗なページは、同じ場面の鳴子視点。何か言いたいんだろうけど……。
「同じだよね?」
「ウソぉ?! 全然違うよ!」
驚きと、呆れ? 鳴子は勢い良く、二つのページを並べた。
「ほら、ここ! さすがにわかって!!」
「……。……? ……! ゴムじゃない……」
「正解! 櫂凪ちゃんの記憶は、皆の見た目が大雑把なんだっ」
ワタシの記憶の沙耶は、赤の髪ゴムでのポニーテール。鳴子の記憶の沙耶は、赤の太い髪紐でのポニーテール。味気ない縛り方のゴムと違って、髪紐は飾り結びまでされて、かなり目立っている。
確かに違う。しかし記憶に絶対はない。
「鳴子の記憶違いじゃないの?」
「む。証拠はないけど、自信はあるよ! なんたって、転校初日だったんだから!」
眉を寄せつつ胸を張って、鳴子は言い切った。そう言われたら、そうだった気がしてくる。転校初日のキラキラなページを疑うなんて、申し訳なくなってきた。
光るページは両手で抱えられ、胸の内にしまわれる。出す時はこめかみなのに、しまう時は胸。なぜ。……って、そんなことはどうでもいい。
「覚えてないのは認める。でも、覚えたいことだとは思えない」
「それは……。気持ちの問題だから、わたしが口を出すのも違うね」
ページの束を膝上に、無作為に一枚取って見せられた。
「このページを見て、感想はある?」
「ヨーロッパ旅行自慢の? うーん……。お金持ちは色んな体験ができて羨ま……、違うな。ムカつくとか?」
「じゃあこれは、【悔しい】にしよう! 櫂凪ちゃん、ハサミ貸して! 色ペンとのりも!」
「え? あ、うん」
言われるがまま、ハサミやら文房具を出した。いつの間にか手元にあった。
「小さくして良い?」
「ど、どうぞ」
鳴子はページにハサミを入れ、みるみる小さくしていく。ついでにピンク色のペンで、『悔しい!』と吹き出し書き。それを、どこからともなく用意した茶色紙の本に貼り付け。
「もしかして、スクラップブック?」
「大正解! ワタシ思ったんだ。櫂凪ちゃんが苦しいのは、【要らないけど要る】からじゃないかって!」
「要らないけど、要る……」
「だから作ろう! スクラップブック!!」
自信たっぷりに、スクラップブックが広げられる。……良い記憶、じゃないけれど。貼り付けられたページの切り抜きは、なぜだか輝いて見えた。可愛い丸字の言葉に彩られて。
「どうかな?」
はにかむ鳴子の膝元で、切り抜かれた残りがキラキラの粒子になって消えていく。それが答えだった。
「……作ってみたい」
「よしきた! 一緒にやろう! ハサミは自分で出してね!」
それからしばらく、鳴子と二人。まずは破ったページ、その後は手あたり次第に本をあたって、要らないけど要る記憶をスクラップブックに纏めた。まとめて気づいたのは、ほとんどの記憶が【悔しい】だったこと。
実家のことも、ワタシは悔しかったんだ。
「いよーし、完成!」
「ありがとう、鳴子。なんだかスッキリした気がする」
宇宙に帯を作っていたページが、スクラップブック二冊とちょっとに。こんなに気分が良いのは久しぶり。だけど鳴子はなぜだか、眉間に皺を寄せている。
「何か問題でも?」
「うーん……、少ない……」
手には中身すかすかのスクラップブック。【楽しい(?)】が収まったもの。
「勉強の棚が全部【楽しい】なんだから、少なくないと思うけど」
ワタシの言う事に、全く聞く耳持たず。肩を掴まれ、ズイ、と体を引き寄せられる。独特の圧。
「いーや、少ない! 櫂凪ちゃん、夢から覚めたらいっぱい楽しいことしようね!」
「そ、そのことだけどさ。ここに居る鳴子って、本当に本物の鳴子なの?」
「うん! 本物だよ!」
「聞いてもいい? 普通じゃないよね、こんなこと」
特大の疑問をぶつけた。記憶を見せつけるなんて、ワタシのイメージで可能な範疇を超えている。つまりこの鳴子は、本物かもしれない。しかし他人の夢に入ってくるなんて、ファンタジーの世界。
鳴子は再び、眉間に皺を寄せた。
「……変な話だけど、信じてくれる?」
「もちろん。この目で見たんだもん」
即答すると、鳴子は少し視線を下げた。
「わたしね。他人の夢や心に入れるんだ」
「夢に、入れる……?」
「櫂凪ちゃんの体操服も、それで見つけて。一瞬眠っちゃった時に、実ちゃんの心に入っちゃった」
ファンタジー過ぎて、普段だったらとても信じられない。だけどワタシの
「なにそれ……」
「気持ち悪いよね。人のプライバシーを覗けるなんて」
眉尻を下げて苦笑いされる。
不思議な能力(?)についてはわかった。けれど、わからないことがある。
「どうして」
「わかんなくて。物心ついた時にはできたから──」
「──そうじゃなくて、どうして覗くの? まだ三週間の付き合いだけど、鳴子が他人のプライバシーを利用してそうには……、何か計算して行動してる風には見えなかった」
覗くのはひょっとしたら、【人と仲良くするため】なのかもしれない。それにしても、鳴子は転校初日からクラスに馴染んでいた。何度か瞬間的に眠ってはいたものの、それだけでクラス全員のプライベートを覗けるものだろうか。
「それは……」
鳴子は少し迷って、正座から足を抱きかかえる姿勢に変わる。
「……ほっとけなくて」
「何を?」
「悪い夢のせいで、苦しい気持ちでいる人を」
俯いている理由はわからない。わからないけど、下を向くことじゃないと思った。
「気持ち悪くなんかないよ」
「勝手に入って心を覗いちゃうんだよ?!」
「そうだけど!」
つい、体が動いた。肩に手をかけ、こちらを向かせる。
「助けが必要かどうか、入る前にわかる?」
「わかんない」
「だったら、入るまではセーフと言えなくもない!」
「そ、そうかなぁ……?」
大きく首を傾げる鳴子。無理のある論だと自覚しているが、それでも鳴子に罪悪感を持ってほしくなかった。だって。
「少なくともワタシは、鳴子の行動に助けられた。それに──」
夢の中だけど、一緒にドタバタ騒いで。こんな気持ち、初めてだったから。
「──楽しかった。今までで、一番」
「……楽しいなら、良かったのかな」
ちょっとだけ、鳴子が顔を上げた。話しているうちに、白い霧が漂ってくる。意図したものじゃない。なんとなく予想はついた。
「目、覚めるんだよね?」
「うん。……わたし、帰るね」
鳴子が櫓に手を触れる。
見送るために舟を降りた。
「起きたら全部忘れちゃうけど、
笑顔で言って、鳴子は櫓を動かした。徒歩の速度で、舟が離れていく。
……は?
「忘れちゃうって、どういうこと!!??」
「夢ってすぐ忘れちゃうでしょ? それと同じで、わたしが関わった夢のこと、ちゃんと覚えてられないらしいんだ」
忘れる? 覚えてられない?? それはおかしい。
「おかしい!」
「まぁまぁ。また仲良くなれば──?! 何やってるのっ、櫂凪ちゃん??!!」
笹舟を走って追いかけ、悪夢と同じ要領で飛び乗った。
「忘れるっておかしくない?!」
「おかしいもなにも、そういうものだから! それより早く降りて!」
漕ぐのをやめて、鳴子はワタシの肩を掴んで降ろそうとしてくる。その腕にしがみついて、激しく抵抗。
「降りない! 覚えたことを忘れるのは、嫌だから!!」
「危ないよ! わたしの夢まで来たら、目覚めなくなるかも──」
「──そんなことあるわけないでしょ?! 鳴子がワタシの夢を覚えてるんだから、ワタシが鳴子の夢に行けば、覚えてられるはず!!」
「あっ、そっか! ……じゃなーい!!」
揉み合っていたら、舟が大きく揺れた。
「か、櫂凪ちゃんストップ! 転覆しちゃうー!」
「別にいいよ。ワタシの夢だし」
「もう境目!! どっちの夢かわから──」
足を踏ん張った途端、舟が天地を裏返しに。乗っていたワタシ達は当然、真っ逆さまにどこかへ落ちる。周りはずいぶん白んでいて何も見えなかったけど、鳴子の腕だけは離さなかった。
「──ああーーー!!」
鳴子の悲鳴(?)が、二人の夢でこだまする。
遠くで鐘の音が聞こえた。
☆☆☆☆☆
おちる。落ちた。目が覚めた。
「~~! 痛った……くない?」
落下する感覚に驚いて起床。ベッドから落ちて床で起きたはずが、柔らかくて暖かい感触。胸元が押される。
「むー!」
「なっ」
鳴子の体を下敷きにしていた。なんなら左手で腕を掴んでもいる。慌てて退いて立ち上がり、引っ張り起こした。
「ごめん、鳴子! 大丈夫!?」
「だ、だいじょうぶ……。……。……!?」
鼻っぱしらを赤くして、目を擦る鳴子。しばらくボーッとしていたが、急に目をかっぴらいた。
「櫂凪ちゃん、もしかして──」
「──もちろん、覚えてる。思った通りだった。鳴子は覚えていられるのに、相手だけ覚えていられないなんて、おかしいもん」
「う……う……」
視線を下げて、ぷるぷる震えている。どっちだ?
「嬉しい、けどぉ……。嬉しくないぃ……」
「なんで?」
「だって、変な体質がうつっちゃうかも……」
「あ」
「考えてなかったのぉ?!」
驚きで鳴子は、口がふさがらないでいる。言われてみれば、そこまで考えてなかった。非科学的だが、そもそも非科学的なことなんだから、その可能性も無くはない。
「まぁ、でも。うつってもいいよ。その方が都合いいし」
「? 都合がいい??」
今度は高速瞬き。頭の上にクエスチョンマークが浮かんでみえる。
「そ。さっき言いそびれたことがあって……って、時間ないから夜に話そう」
「えぇ?!」
「ほら、鳴子も支度して! 顔洗わなきゃ!」
「うう……」
どう見ても不満気な鳴子を急かして、二人で顔を洗いに行った。話を引っ張ったのは、何ももったいぶったわけじゃない。夜の方が、都合が良いからだ。
洗顔、朝食、学校の休み時間、その他諸々。何かにつけて鳴子は話を聞き出そうとしてきたが、教えなかった。一日中ソワソワしていてちょっとカワイソウだったけど、見ていて面白かった。
──
夜。
「櫂凪ちゃん!? わたし、もう我慢の限界だよー!」
自習を終えて部屋に戻った櫂凪の両肩を、鳴子はガッシリ掴んだ。まるで『逃がさない』と言わんばかり。
「ごめんごめん。準備するから手伝って」
肩を揺らされながら、櫂凪はスクールバッグを部屋の奥に。
鳴子は不思議そうに首を傾げる。
「準備?」
「ワタシがこっち側持つから、そっちを持って」
「まさか……」
指差しで指示する櫂凪。目的を察した鳴子は戸惑っていたが、櫂凪は気にせず急かした。
「ワタシが試してみたいの! ほら、消灯時間になっちゃうよ?」
「わ、わかった!」
櫂凪と鳴子、二人で両側から持ち、移動。同じ作業をもう一回。灯りを消す。
「さっそく、試してみよう」
「う、うん……」
暗い部屋の真ん中。並んで密着したベッド。横になる少女が二人。
「……ねぇ、櫂凪ちゃん」
互いの息づかいすら聞こえる距離で、鳴子が切り出した。
「ちょっと、恥ずかしいような……」
「どこが? 布団並べて寝るのと一緒でしょ?」
対照的に、平気な櫂凪。実家では三姉妹で部屋を共有していた櫂凪からすれば、隙間なくベッドがくっついていることなど、大した問題ではない。一方で、一人っ子の鳴子にとっては、衝撃的な状態である。
「それが恥ずかしいんだけど……」
「昨日ワタシの横で寝てたのに、今さら気にする??」
「床とベッドは違うよ……!」
「しっ。あんまり騒ぐと舎監さんに怒られるから。ほら、手を出して」
「手もぉ?!」
「条件寄せないと意味ないから。早く」
「わー!」
抵抗虚しく、掛け布団下の鳴子の手は、櫂凪にがっしり握られた。枕を並べた時点で速まっていた鳴子の心臓は、限界の速度に到達。半ばパニック状態になりながら、飛び出しそうな心臓を『ひ』の口で必死に抑える。
櫂凪は、そんな苦労を微塵も感知せず。暗い天井を見上げて話し始めた。
「あのね、鳴子。言いそびれたことなんだけど」
「(手汗、出てきた……! なんで平気なのー!)」
「人の夢に入ること、気にしてるんだったらさ」
体を横に、鳴子を向く櫂凪。
鳴子もまた、目を合わせるため櫂凪を向いた。
「(ち、近いよぉ)」
「ワタシも、一緒に行くのはどうかな」
「へ?」
「もちろん、できればの話ね。一人で夢に入ると悪用できちゃうけど、二人なら滅多なことはやりづらいでしょ? だから二人で入れば、鳴子の罪悪感、減らせると思って」
「そんな迷惑、かけられないよ。悪夢に入るのは、わたしが勝手にやってることだから」
鳴子が悪夢に入っているのは、誰かに強制されたからではない。また、仮に強制だとしても、無関係の櫂凪を巻き込みたいとは思っていなかった。
断られた櫂凪は、体を鳴子に近づける。額が触れそうなほどに。
「ほっとけないから、だったよね」
「う、うん」
「じゃあ、ワタシもそう」
「櫂凪ちゃんも……?」
静かに瞼を閉じる櫂凪。段々とゆっくりになる呼吸は、眠るための息づかい。
「ほっとけないの、鳴子のこと。だって、友達だから。……おやすみ」
そこまで言って、櫂凪は息を深くする。
鳴子は少し考えて、ちょっとだけ笑って瞼を閉じた。
「……ありがとう。おやすみ、櫂凪ちゃん」
いくら友達と言っても、ここまで密着すれば普通は照れる。それと、お世辞にも愛想が良いと言えない櫂凪の性格。たとえ実家で姉妹仲良く(?)布団をくっつけていたとしても、こんなに落ち着いていられるだろうか。そんな鳴子の疑問の答えは、手の中にあった。
緊張で湿った鳴子の手を櫂凪が気にしなかったのは、同じだったから。
「夢の中でも、一緒だったらいいな」
ポツリと言って、鳴子も呼吸を落ち着けた。ゆっくりと意識が解ける。
白い霧の中に、見知った背の高い人影。
悪夢に魘される人をほっとけない少女と、その少女をほっとけない少女。二人の【夢見の舟旅】が始まる。
──夢見の舟を漕ぐ、キミと──
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