第五葉:ワタシの本棚(2)

 しまった、寝過ごした。土日は起床の鐘の時間が違うから、目覚ましをセットしてたのに。……してなかった。セットし忘れてた。

「最悪……」

「おはよう、櫂凪ちゃん」

 同じタイミングで起きたらしく、鳴子が目を擦ってベッドから起き上がる。

「体調はどう?」

「結構キツい。今回はだいぶ酷いみたいで……。今日は舟渡さん遅いんだね」

「う、うん。目覚まし忘れちゃってた。ごめんね、わたしがセットしてれば起こせたのに」

 落ち込んでいるというより、取り繕う様子。……なるほど。

「気を遣わせちゃったよね? ワタシが起きないように」

「そ、そんなことないよー」

 棒読み&目逸らし。大根役者過ぎて面白い。

「何にせよ、ワタシが忘れてたのが悪いから。舟渡さんは気にしないで」

 相変わらず重い体を起こして、チェストからタオルを取る。顔を洗って、朝食……は、止めとこう。はぁ、頭は重いしお腹がチクチク痛い。……ん?

「気になることでも?」

「え?! べ、別に! 櫂凪ちゃん、いつも髪、綺麗だなーって」

「そんなでもないって。じゃあね」

 なぜだか見つめてくる鳴子に軽く手を振り、部屋を出た。寝過ごしたのに調子が悪いままなんて、眠りが浅かったんだろう。どうせ不調なら、勉強してればよかった。

 洗面室で鏡を見たら、目の下に深いクマ。鳴子が見つめてきたのはコレのせい?


 何をするにも動きが悪い日だったけど、体を引きずってほぼ一日中、自習室でペンを動かした。勉強に集中している間は、体調不良もちょっとだけ平気だった。


「~~舟渡さん、起きて」

「あっ! わたしったらまた……」

 自習室で眠る鳴子を起こして、部屋に戻る。消灯時間が近い。

 足早に進む廊下で、鳴子に聞かれた。

「櫂凪ちゃんの実家って、遠いの?」

「遠くはないかな。二時間くらいで行ける距離。どうして?」

「週末帰らないから、気になっちゃって」

 聞かれて納得。週末は帰る人がほとんどだから、気になるのも頷ける。

 部屋に戻り、読書灯だけつけてベッドに腰かけ。

「実家は狭いしうるさいんだ。帰っても居場所ないし、ここなら勉強の邪魔されないから」

「そうなんだ……」

「舟渡さんの実家は遠いの?」

 他人のプライベートに興味はないが、話の流れで聞いてみる。

「車で五時間くらい。帰りたい時もあるけど、ちょっと遠いのと、電車が苦手でパパにお迎え頼まなきゃだから」

 突発的に眠る体質と、公共交通機関は相性が悪そう。寝過ごすのもそうだし、色々。

「それで舟渡さんも帰らないんだ」

「うん。いつもわたしが居て、邪魔じゃない? 今まで一人部屋だったんだよね?」

 心配顔。居るも帰るも個人の自由なので、気にすることじゃない。

「本来二人で使う部屋だし、平気。舟渡さんこそ、朝も夜も延長学習してるワタシに、迷惑してない?」

「全然! 朝はお散歩できるし、夜は眠くなるまで起きてる派だから。じゃあまた明日! おやすみ、櫂凪ちゃん!」

 鳴子がベッドに転がり、壁を向いて布団をかぶった。

「おやすみ。舟渡さん」

 真ん中のカーテンを閉めて、読書灯をオフに。ワタシも横になる。


「……?」

 二十分くらい経った頃、だろうか。ほとんど朧げな意識で変な物音を聞いた。瞼を少し持ち上げる。暗くぼんやりな視界。手元に気配があって、目だけを動かす。

「鳴……子……?」

 夢か現か。ベッドに寄りかかって、コクリコクリと舟を漕ぐ、鳴、子、が……。


☆☆☆☆☆


「~~ウザいよね~~アタシも~~」

 うるさく話す姉の声。えんじ色ジャージの裾で光る、銀色ラメ塗りの爪。ワタシは目を覚まして、カビ臭い布団から身を起こす。イ草ボロボロの和室の隅に布団をまとめ、布バッグから本を取ろうとして、なくなっていることに気が付く。

 リビングに行き、テーブル前に座る妹のポニーテール頭を見て、嫌な予感。覗いてみたら、本に落書きをされていて。あぁ、図書館で借りてきた本なのに。……違う?

「……図書館の本じゃない?」

 サインペンで塗り潰されていたのは、茶色制服の女の子がカーテシーしているページ。顔は黒塗りでよくわからない。背格好とふわふわの髪に見覚えがあるのに。

「な……こ……、あれ……?」


 誰だっけ。


真帆まほ、それ何?」

「なにって、お姉ちゃんがいらないって言ったんじゃん」

 そうだったかな。そうだったかも。要らないならいっか。

「……」

「お姉ちゃん。遠くの学校に行くんでしょ?」

「え?」

 パジャマだった気がするのに、茶色の制服に変わっていた。妹の横には、母と姉。皆がワタシを見ている。行かなくちゃ。要らないものは全部捨てて──。


「──待って! 櫂凪ちゃん!!」


 妹の声じゃない。母も姉もワタシを【ちゃん付け】で呼ばないから、家族でもない。声がした方向から、右腕が掴まれた。テーブル上の本から、制服を着た腕が飛び出している。

「誰? 離してよ」

「離さない! 櫂凪ちゃん、本当の願いを思い出して!」

 腕の根本で必死の声。

 妹が両手で無理やり本を閉じ、声が籠る。

「ふがっ?! もがもが……」

「お姉ちゃん、早く出て行ってよ。要らないんでしょ? この本も、私達も」

「ワタシは……」

「捨てて忘れたいの、お姉ちゃんは。家は狭くて、部屋が無くて、道具もお洋服もお下がりで、嫌だったから。学校でのことだって、お姉ちゃんは捨てたい。勝手に関わってきて、図々しく記憶に残って、嫌なんだもんね」

「捨てたい……。ワタシは……」

 そうだったかな。そうだったら、どうして。

「……」

 言葉に詰まる。熱い。腕が熱い。握られている腕から、熱がつたってくる。

「お姉ちゃん! 捨ててよ!! 要らないって決めたんだったら~~」

 声? 誰の? 声なんてもう、耳に入らない。やっとわかった。捨てたいんじゃなかった。ワタシの本当の願いは──。


「──欲しい。ワタシは、欲しい」


 ワタシを掴む腕に、左手を触れる。優しく握って、ゆっくり引く。本の表紙が持ち上がって、真っすぐ見られないくらい眩しい光が溢れた。


 そう。欲しかったんだ。ワタシは。


「櫂凪ちゃん!」

 制服姿の鳴子が本から飛び出してくる。勢い余って抱き留める格好。

「ごめん鳴子、強く引っ張り過ぎた。……って。実家こんなとこにいるはずないんだから、これは夢ね」

 さすがに状況がおかしくて、夢だと自覚。おでこが密着するほど近い鳴子に、苦笑してしまう。夢に見るなんて、よっぽど気になっているらしい。

「ワタシ、友達になりたいのかな。鳴子と」

「嬉しい! 友達になろう!! もうなってるつもりだったけど!!!」

 両掌が握られ、笑顔で上下に振られる。だいぶ笑えてきた。

「あはは。本物もそんなこと言いそう」

「えっと、あの、本物だよ」

「あー、そういう。明晰夢って初めてだけど、夢ってなぜか現実に感じるもんね」

「違くて! 正真正銘、本物の鳴子だよ!」

 必死の鳴子。自分のイメージながら、一生懸命で可愛らしい。

「本当に凄いなー。まるで本物みた──」

「──櫂凪ちゃんごめん! ついてきて!!」

 話を遮って、鳴子はワタシの腕を引いた。玄関の方向に走っていく。

 途端、後ろで聞こえる妹(?)の声。

「その人だけいいの?! 不公平だよねぇ?!」

「真帆?!」

「全部捨ててよ、お姉ちゃん!!」

 妹の腕があり得ないほど伸びて、蛇みたいにうねって追いかけてきた。追いつかれる前に鳴子と二人、玄関を出て扉を閉める。

 ガツン、と衝突音。背中で抑える扉から伝わる衝撃。直感的に、妹に捕まってはいけない気がした。

「何これ?? どうなってるの???」

「櫂凪ちゃんが悪夢をみているんだよ」

 一緒に扉を抑えて、鳴子が言う。

「みてるって言ったって、どうしたら──」

「──抜け出そう。わたしと一緒に!」

 真剣な眼差し。だけど、理解が追い付かない。

「夢なら覚ませばいいんじゃないの??? ほら、飛び降りとかしてさ」

 ここは公営住宅の四階。夢なら驚きでもすれば目覚めるはず。ワタシの考えに、鳴子は眉を寄せて複雑な面持ち。

「できなくもないけど、それじゃあ多分、解決しなくて……」

「解決?」

「中途半端に終わらせると、櫂凪ちゃんはまた、同じ悪夢を見ちゃう」

 事情を知っているらしい断言。……ここは従った方が良いのかな。少なくとも、扉が無ければ何をしてくるかわからない登場人物より、この鳴子の方が良い存在に見える。

「……抜け出すには、どうしたらいい?」

「櫂凪ちゃんのイメージ一つだよ。良い夢を……、楽しい場所をイメージしてみて!」

 言われるがまま、イメージしてみる。楽しい場所、どこだろう。……自習室とか?

「ここは自習室、自習室──」

 念じてみる。団地の景色が、霧に包まれるかの如く白んできた。と、思った矢先。

「──お姉ちゃん! 行くなら一人で行って!!」

 ガツンと再び、背中に衝撃。霧が消え、団地の景色が戻った。

「どうしよう鳴子、気が散ってイメージできない」

「だったら……、そうだ!」

 周りをきょろきょろと見回し、鳴子が何かを探す。

「わたしを川に連れて行って! 小さくていいから、一番近くの」

「川ぁ?! えーと、近いとこだと……」

 記憶をたどる。……あった。団地を出ていくらか走ったところに、そこそこサイズのが一つある。

「あっちの方、ちょっと走れば」

「行こう! 階段はどっち?」

「左」

「じゃあ、せーので走るよ!」

 ワタシの手を取って、鳴子はすうっと息を吸った。

「せーのっ、ゴー!」

 掛け声に合わせて、勢い良く走り出す。後ろでドン、と衝突音。気になったが、恐ろしくて振り向けない。先行する鳴子に引かれて、全力で走る。

 廊下を走って階段を駆け下り、団地内通路へ。ちょっとの土と植えられた木々を横目に、アスファルトの路面を進む。隙間のある緑地が先に見えた。

「あそこから、出られるっ。真っすぐ何百メートルか。で、川!」

「ありがとう!」

 ぐいぐい進む。公道に入る。息が上がった。夢の中なのに。

「はぁ、はぁ。ごめん、キツイ、ペース落として」

「わかったけど……。後ろ、来てるからね?」

 振り返ると、ちょっと離れて妹がいた。……妹じゃない。手足がずいぶん長くて、四つん這いで、地上二階くらい体高があって、母と姉の顔も横に──。

「──ひっ?! ヤバイよ! あんなバケモノ!!」

「落ち着いて櫂凪ちゃん! イメージ次第だからっ!」

「でも!」

「よし! 走ろう!!」

 腕が引かれる。目指す先には、片側二車線の道路。歩行者信号は赤。

「無理無理! 車っ、結構来てる!」

「大丈夫! この夢の主役は櫂凪ちゃんだから! ほら、信号が変わるよ!!」

「えっ……?」

 瞬きの間に、信号は青に。これなら渡れる。走る。走るけど。

「追いつかれる! ワタシの脚じゃ──」

 背後に迫る、重い足音。無理だ。バケモノと人では、一歩が違い過ぎる。

「──聞いて、櫂凪ちゃん!」

 前を進む鳴子が振り向いて、手を握る力をちょっとだけ強くした。

「おかしいと思わない?」

「何が?!」

「わたしも櫂凪ちゃんも現実通りなのに、バケモノがいるなんて」

「夢とかバケモノって、そういうものでしょ?!」

「だったらわたし達だって、んだりねたりしてもいいよね?」

「でも、ワタシ、運動神経良くないし……」

「わたしは鍛えてるから!」

 鍛えているなら、夢の中なら、できるかな、と。一瞬考えるうちに体が引き寄せられ、抱えられた。お姫様抱っこ。ビュンと跳びあがって、横断歩道どころか、先の歩道をだいぶ行ったところで着地。凄い。……けど、いくら鍛えているからって人の限界を超えている。

 鳴子はワタシを下ろして、じっとりと半目。手を取って走り出した。

「また走るの?! 跳べばいいのに!」

「ごめん、無理になっちゃった。櫂凪ちゃん今、真面目なこと考えたでしょ?」

「あ……」

 意味を察する。ワタシができないとイメージしたから、今の鳴子の身体能力は恐らく、人間の範疇。夢の世界って不自由だ。

「櫂凪ちゃん、ついたよ!」

「もう?」

 必死に走っていて気付かなかった。目の前には、二十メートル幅くらいの川。勢いのまま、河川敷の草地を駆け下りる。

「どうするの?!」

「任せて! ここなら!!」

 更に加速して走り、鳴子は前髪を留めている緑のヘアピンを川へと投げ込んだ。

「なにやって……、舟?!」

「乗って!」

 川面に浮かぶ、人間サイズの緑の笹舟。

 飛び乗る鳴子に、ワタシも続く。

「ここからどうするの?!」

「良い夢まで漕いでく! 揺れるから座っていてね!」

 舟後部の櫓を持って、鳴子は体を前後に。笹舟がゆっくり川岸を離れた。

 しかし。

「遅くない?! もう来てるって!」

「ごめんっ、これが最高速度で……」

 額に汗して舟を動かしてくれているが、速度は徒歩程度。二、三メートルしか岸を離れていないのに、追いついたバケモノが河川敷を下ってくる。バケモノの手なら届きそうな距離であるし、考えてみれば、川に入ってこないとも限らない。

 あれだけ手足が長ければ、川を走ってくる可能性も……。

「止まった??」

 バケモノが急ブレーキ。土を抉って停止した。こちらを見ているが、手出しせず。

「……あっ、そっか」

 鳴子は理由がわかったらしい。結局、何事も無く舟は河心まで到達。下流へ向かった。

「……助かった?」

「今なら楽しい場所、イメージできるんじゃない?」

「! そうだった!」

 言われて思い出し、目を瞑る。楽しい場所、楽しい場所……。


 川の流れ、櫓が水をかく音、舟の揺れる感覚。さっきよりずっと、移動するイメージが膨らむ。


「~~着いたよ。夢の舟旅はいかがでしたか、お客様?」

 おどけた声。

 目を開くとそこには、宇宙と本棚の景色。

「びっくりしたけど、楽しかった。これでもう、悪夢は見ないってこと?」

 鳴子は首を横に振った。

「ううん。解決するのは今からだよ」

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