第2話 変化
レリンは、熱を出したヘルトを心配していた。
母だから当然と言えば当然。
しかし、それ以上に初めての病にヘルトが打ち勝てるか心配していた。
三日前に雨が降り、その翌日からヘルトは熱を出した。
集落の医者にレリンが聞くと、ヘルトの症状は少し重めの風邪と言われた。
だが、三日も寝込んでいる事実がレリンの不安を拭えないでいた。
このまま息をしなくなるのではないか。
体温が徐々に冷たくなるのではないか。
そこに寄り添う自分が涙を流しているのが簡単に想像できてしまい、更に不安を募らせていた。
「早く起きて………ヘルト」
何回目か分からない願いを呟き、ヘルトの眠る部屋へとレリンは向かった。
緊張が走る。
先に見た通り寝息を立てているのか。
熱に苦しんでいるのか。
もしくは――――ヘルトは目を覚ましていた。
レリンは安堵に包まれる。
胸に手を当てホッと一呼吸。そこからヘルトに近づき熱の確認を行う。
無防備な額に掌を当て、掌の温度より高いか低いかで症状を判断する。
その際、ヘルトの全てを受け入れる姿がレリンの母性をくすぐる。
とても愛らしく、愛おしい。
この子を産んで良かった。
この子が目を覚まして、本当に良かった、と。
ただそんな中、ヘルトのいつもと違う行動に気づき、レリンは思わず問いかけてしまう。
「どうしたの? そんなにお母さんばっかり見て」
ヘルトがレリンをじっと見つめることはこれまでにもあったこと。
ただ、そこにある感情がいつもと違う。レリンはそう感じていた。
ヘルトの見つめる瞳に視線を合わせ答えを待つ。
返答は「怖かった」という、何とも子どもらしいもの。
レリンは大丈夫であることを伝えると、また来ることを口にして部屋を出た。
「何かしらね………」
ヘルトに聞こえない程度にレリンは呟き、止めていた作業を再開させた。
◆◆◆◆◆◆
違和感を覚えたレリンは、ヘルトの行動によく目を向けるようになっていた。
病み上がりというのもあるが、違和感と「怖かった」という発言が、より一層レリンの目を光らせた。
ただ当人のヘルトはというと、母が過保護過ぎると感じて距離感をどうするのか悩んでいた。
「………何か憑いてるのかしら」
レリンは想像を膨らませてしまい、怖かったという証言から何か悪いものがヘルトに憑いていると疑い始める。
そして、その疑念はあらゆることに繋がってしまう。
ヘルトが虫取りをして、いつものように見せに来ないこと。虫たちを手に乗せ優しい目で見ていること。
二つとは逆で、見たことない虫や動物を見て目を光らせること。
この達観さと無邪気さがレリンの疑念を深めていく。
熱を出す前とは明らかに違うヘルトの様子はこれだけではない。
それは外で遊ぶ機会が減り、家に少しだけある本をよく読むようになったことだ。
子どもは外で遊ぶものと教えられてきたレリンには、この行動すら疑わしい。
ただ悪さをする様子がなく、確かめることに踏ん切りがつかない。そんな状況となっていた。
レリンは毎日モヤモヤとした気分で過ごし、次第に疲弊していくのだった。
◆◆◆◆◆◆
数日後。夜。
耐えきれなくなったレリンは、夫グランツにヘルトについて話をした。
「あなた、ヘルトの様子が少しおかしいの……」
「ああ、そのことか」
「そのことって……あなたも?」
思わぬ返答にレリンは前のめりな反応をする。
自分だけじゃなかった。
自分の愛する夫も同じように思っていたんだ、と。
そのことが嬉しくもあり、更なる不安も抱かせる。
「偶に、ヘルトが妙に大人びて見えることがあるのよ。おかしいかしら……」
「いいや、おかしくはない。でも、ヘルトがおかしいとも思わない」
「どうして? 熱が出る前と後じゃ、一日の過ごし方も変わってるのよ?」
レリンは理由を聞きたくて矢継ぎ早に質問する。
グランツはそんなレリンを落ち着かせ、自分の知るヘルトの変化を語った。
「今から話すよ。少し水を飲もう」
「……ええ」
「ヘルトは毎朝、僕の仕事を手伝ってくれてるのは知ってるよね?」
「ええ、そうね。この集落じゃ、どこの家もそうよ」
「熱を出す前は、一つの作業が終わるごとに指示してたんだ。でも最近は、その順番を覚えていて、毎日必ずやることが終わってから指示を聞いてくるんだ」
「……そう、なのね」
レリンの反応は薄い。
それがヘルトの変化なの?
そんなことを聞いている訳じゃない
そんな小さなものじゃない。
もっと分かりやすい変化があるに違いない。
レリンはグランツの協力を諦める。
「あなた……ヘルトを診てもらいませんか? 何か憑いているかも」
「レリン。ヘルトの急激な変化に戸惑うのも分かるけど、もう少し様子を見てみないか?」
「どうして? 早く見てもらった方が安全でしょ?」
グランツの言葉にレリンは耳を貸さない。
ヘルトが寝込んで、レリンが憔悴した姿を知っているグランツは、まだ体調が回復していないと認識する。
「人はさ、いつ成長するか分からないんだよ。前に冒険者をしていた時にそれは知っている。だから――――」
「言いたいことは分かります。でも、もし手遅れになったらって考えると……」
グランツはこうなったレリンを知っている。
過去に二度同じようなことがあった。
それはどちらも子どもを産んだ後数ヶ月続いた。
かなりのストレス、不安、愛情があるからこそこうなってしまう。グランツはそう考えていた。
「まだ何一つ悪いことは起きていないだろ?」
「それは……」
グランツはレリンが不安なことをわかっていながら、現状の認識を擦り合わせようとする。
精神が不安定な今、レリンは様々なことを一緒に考えてしまう。
考えなくてもいいことにまで不安を抱き、問題を大きくしてしまうのだ。
グランツは過去の経験からそれを学んでおり、伝えてない自分の思いを語り出した。
「ヘルトが少し変わった。その姿を見た時は、少し寂しい気持ちにもなったよ。ヘルトが成長したと感じたからね」
優しく、ゆっくりと考えられるように、グランツはレリンに語っていく。
「母親である君が、俺以上にヘルトを思う気持ちも自分なりに理解しているつもりだ。その上で、俺はヘルトの成長を見守りたい、そう思っているんだ」
「………成長」
レリンはグランツの気持ちを正面から受け止める。
ちゃんと気持ちを伝えてくれたことが嬉しい。
一人で抱え込み過ぎたのかも。
レリンの責任と不安が少し軽くなる。
ただ訪れるであろう未来を想像してしまい、レリンはゆっくり目を閉じる。
「大丈夫」
「………ヘルトも、フィルマも…………離れていくのね……」
グランツは立ち上がりレリンの横に移動する。
「そうだね……」
レリンを抱き寄せながらグランツは寄り添う。
いずれ二人とも集落を、家を出て行く。
自分の子なら尚更そうなるだろうと、確信に近いものを感じていた。
グランツはそれに合わせて昔を思い出し、ヘルトを学園に通わせることも視野に入れる。
ただ野に放たれるよりはいくらかマシだろうと考えて。
◆◆◆◆◆◆
時の速さに気づいてから、レリンの行動は変わった。
ただそれは一人の対象に向いてしまい、もう一人には疎かになってしまっていた。
それは、ヘルトがフィルマから感じた寂しさを、父グランツに伝えたことから判明した。
「レリン。最近二人はどうだい?」
「二人ともよく一緒にいるわ。ヘルトがフィルマに優しくてよかったわ」
「そうか……」
それとなくグランツはレリンに尋ねる。
しかし、ヘルトから聞いたようにフィルマに関しては一言もない。
これはいけないと感じたグランツは、朝昼夜で担当分けしてはどうか、と提案する。
「そうね……確かにフィルマのことが最低限になってた気がするわ」
「協力して二人を見ていこう。俺も二人ともっと一緒にいたい」
「ええ。ありがとう、あなた」
ヘルトの報告により、フィルマの愛情不足が解消される。
ただそれはフィルマ以外の考えで、当の本人はヘルトに構って貰いたくて仕方がなかった。
記憶の始まりが普通より早く、もう既に始まっているフィルマは、母よりも兄であるヘルトを頼りにしていた。
(おにいちゃ。あいたい)
午前の時間をレリンと過ごす中、フィルマは毎日そう思っていた。
ただ母であるレリンも好きだったため、抱えられたりして温もりを感じながら過ごしていた。
レリンはフィルマとの過ごす時間を増やし、今までの自分を反省した。
自分の行動や言動、それらの矛先がほとんどヘルトにしか向いておらず、フィルマを蔑ろにしていた、と。
歳で言えばフィルマに構うのが大事であるにも関わらず、自分は片方を贔屓していたと考えるようになり、その行動を改めるようになる。
結果、戒めも含め、起床後と就寝前に家族の幸せを祈り始める。
グランツはその様子を不思議に思いつつ、理由を聞いて納得し、注意することはなかった。
むしろ偶に思い出して、自らも祈り始めていた。
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