第一章

第1話 困惑



 苦しい……。

 ………何故苦しい? オレは寝たはずだよな。寝苦しいって感じじゃない。何か、胸に刺さるような。


「親不孝者……!!」

「っ……!?」


 声に驚き目を開くと、オレが寝ているベッドの横に両親が立っていた。

 父さん。母さん。どうしたんだろう、急に。


「ぁっ……」


 急な出来事に焦る気持ちを抑え、二人に声をかけようとする。

 しかし、声が思うように出せない。それに何だか力が入りずらい。

 何が起きているのかさっぱりわからない。

 夢……ではなさそう。じゃあ、この痛みは何なんだ? ずっと痛い。一点から熱い水が湧き出るようだ。

 起きあがろうと腕に力を入れると、胸の中央に包丁が刺さっているのが目に映った。

 何故だ? 何故オレは親に刺されているんだ?


「長男の癖に、家に碌なお金も入れない。何を考えてるんだ」


 父の言葉がよく聞こえる。

 自分たちのためにオレを産んだ。そう聞こえてくる。

 本人たちに自覚は無いだろうが、解釈は受け取る側に委ねられる。

 確かに50歳になっても定職に就かなければ、そう言いたくなる気持ちも分かる。


 でもそれは、オレ自身が選択したこと。親は関係ない、はず……。子どもは自我のないロボットではない。

 思想や価値観が違うからといって、話しても無駄と切り捨てたのが良くなかったのかもしれない。


 瞬間。視界は霞み始め、別の映像が脳裏に浮かぶ。

 ああ、これは虫取りしてる時の……。

 確か4歳ぐらい。カナヘビを捕まえて育てたっけな……これは、セナちゃん家か。

 初めてできた同級生の友達。初めて好きになった人。

 今頃、幸せな家庭を築いているのだろうなぁ。


 次は、習字をしてるところか。

 サッカー。高校入学。大学……中退。

 それから――――やり直し始めた日。


 色々やって来たな。

 さっきより胸の辺りがとても熱く感じる……いや、指先から冷たくなっているのか。

 もうそろそろなのかなぁ。


 50年という時間を生きたが、あまり悔いというものはない気がする。

 様々なものの見方を学んで来た。

 それが身になっているからなのだろうか、既に死を受け入れている。

 あとは、そうだなぁ。


「ごめん。産んでくれてありがとぅ……」



 ◆◆◆◆◆◆



 苦しい……。

 何で苦しいんだっけ?

 確か熱が出て、いや、親に殺され……あぁ、気持ちいい。


 ――――あれ? 何ともないぞ?

 さっきまで苦しかったのに、嘘のように心地いい。

 休日の朝の目覚めのような、何も不安のない一日の始まり。そんな感じ。


 ああ、目を閉じてるのか。

 薄らと光が見える。

 オレの部屋……じゃない!?


 目に映る景色は全てが初めてのもの。

 見たことない窓、壁、毛布、自分の手……肌のハリも、何より大きさが違う。

 どうなってんだ……?


 天国、地獄、夢、はたまたここが本当の世界なのか、全く見当がつかない。

 死んだ記憶があるのも、よく考えればおかしな話。

 それだというのに、今存在している世界の記憶が乏しい。

 ………いや、自我の芽生え、記憶の始まりが今起こったと考えられないか? そう考えれば辻褄が合う。

 いや、その方がおかしいか。


 スタッスタッスタッ――――。


 足先の奥から音が聞こえる。

 足音。それが何故か理解できた。

 それに、その足音は危険なものではなくて、とても嬉しい。そんな感じがした。

 一度も止まることはなく、足音は更に近づく。

 ふわっと香って来た匂いはとてもよく知っている。


「起きたのね。楽になった?」


 近づき尋ねる優しい声。

 そう、母だ。



 ◆◆◆◆◆◆



 いろんなことを、この瞬間に思い出した。

 ただ思い出せたのは、関わっている人たちのこと。これまでにおこなったことは、何も思い出せない。

 近づいて来る母を目で追いながら、どう話すのか少しの緊張が襲って来た。

 母の手が近づいて来る。

 思わずオレは毛布をギュッと握る。


「熱は……なさそうね。よかったわ」


 オレの額に手を置き母が呟く。

 フッと緊張が解け、母の観察を始める。

 茶髪の髪を少し邪魔そうに耳にかけ、こちらを覗いてくる。瞳は髪の色と同じ茶色。格好は……ラフな感じ。着飾ってる感じはしない。


「どうしたの? そんなにお母さんばっかり見て」


 いつもと違うと悟られた?

 いや、違う。ずっと見てたからか。

 正体がバレないか、そんなゲームが始まってる気がする。


「……ちょっと、怖かった」

「そう。もう大丈夫よ」


 恐る恐る声を出す。

 聞き慣れた高さの音ではなくて内心ホッとする。

 喋れる感じからして、4、5歳。

 記憶の始まりを考えても、大体の人間がこのくらいの年齢に体験しているはずだ。


 両親に殺された時の人生でも、初めに記憶してるのは4歳ぐらいの時のもの。

 違和感はない……はず。


「また見にくるからね」


 母はオレの頭を撫でてそう言うと、ゆっくりと歩き部屋を出て行った。

 包まれる感覚はいつぶりだろうか。

 優しくて、温かくて、とても心地いい。

 また撫でてくれるだろうか。



 ◆◆◆◆◆◆



 二日が過ぎ、オレは転生したことをようやく受け入れた。

 天国、地獄、夢。その可能性を捨てきれず行動して来た。

 しかし、一向に終わることのない現状に、それを受け入れざるを得なかった。

 水面に映る全く違う中性的な顔。両親と同じ茶髪。

 前世とどれも違うと言っていい。

 同じなのは性別ぐらいだ。


 どうやら今世での名前は、ヘルト・アンファングというらしい。

 呼び方は様々で、ヘルト、ヘル、へートと呼ばれる。


 年齢は予想と同じく4歳。

 下には2歳の妹も居た。

 午前は父の仕事の手伝いをして、午後からは妹の面倒を見ることになっていた。


 記憶は無いが、無意識的にそうやって行動していた。

 それを意識したら記憶が戻って来たため、今後も同じことが起こると考えられる。

 変なことしてないといいんだが。


 家は木造で、電化製品は見た感じ一つもない。

 田舎というか、まだ科学が発展してない世界らしい。

 家を出る時に見る同じ背丈の木の柵が、家の敷地を区切ってるようだ。


 道は整備されておらず、通らないところに草が生えて道を成している感じ。

 他には少し開けた土地があり、そこには牛や羊、馬なんかがポツポツと見える程度。


 家々もまばらに建っているため、誰かの家に行くにも結構歩かなければならない。

 都会育ちの前世を思うと考えられない。


 自然と一体化したような、ゆったりとした時間の中で悠々自適に暮らしている。

 それはとても魅力的で、このまま一生を終えてもいいと思える。


 ただ、どこかモヤっとする気持ちも存在している。

 これが斉藤悟の物なのか、ヘルト・アンファングの物なのか判然としない。


 しかし、これからどうするべきか。

 ヘルトとして生きるのか。死んだ斉藤悟さいとうさとるとしてもう一度生きるのか。

 いや、答えは決まっているか。


 斉藤悟は死んだんだ。

 オレは、新しい人生を歩む。

 もし社会のレールがあるのなら、それに従おう。

 一般人はそれが楽で、親もそれがいいはずだ。

 何かを成そうとすると、力が入って空回りする。

 だから自分のできることを一つ一つ増やしていく。

 それが結局一番前に進めるんだ。


 やりたいことや好きなこと、それらは自分のペースでやっていこう。

 斉藤悟の時に学んだことを活かして、今世はより幸福な人生にしよう。

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